堕天使の誘い
(わかった!でも、無理はしないでよ!必ず助けに行くから!)
(うん!)
僕と心話を終えて、リサは光の精霊であるルシウスを呼び出す。
光の精霊であるルシウスは闇属性の力を主体とする堕天使に有効であったからだ。
だが、決め手とはならない。
本来、光と闇は相克の関係であり、どちらか一方に優位性があるというものではない。互いに強く影響を与え合うという性質があるだけなので、有利も不利も使い手の技量にかかってくるのだ。
そして、その技量こそがリサの弱点である。
冒険者として訓練を積んできた僕たちと違い、リサは戦闘の経験がほとんどない。
その身に帯びたマナを振るうだけで圧倒的な力を発揮できたので、それで問題がなかったからだ。
しかし―――今、敵対している堕天使は、単純なパワーでこそリサに劣るものの、それなりの技量を有していた。
ぶっちゃけ、相性が最悪に近い。
(ネインちゃんもヌーモちゃんも魔素の浸食が早い……これ以上は危険だよね)
純粋なマナから生まれる天使ほどではないが、自然のエネルギーがそのまま自我をもった精霊たちは、マナや魔素に近い存在である。
故に、強い意志に惹かれるし、魔素の影響も大きくなる。
堕天使が仕掛けていたのは、それを利用した搦め手。
直接的な戦闘は積極的にはしかけず、強力な魔素を周囲に展開することで、精霊たちを魔物化させようという目論見である。
そして、それはリサを追い詰めている。
水の中位精霊であるネインと土の中位精霊であるヌーモはそろそろ限界が近い。
闇の中位精霊のエドは、自身が司る闇属性に高い耐性があるので問題はなさそうだが、同種の力を主体とする堕天使に対しては有効打とならない。
(やっぱり、リフスちゃんを呼ぶ?それとも誰かを『一時神化』させた方がいいのかな?でも―――マナを譲渡する瞬間を狙われたら大変な事になるかもしれないし……)
リサの切り札である『一時神化』もおいそれとは使えない。
使用した瞬間に譲渡するマナを魔素に変換されてしまう恐れがあり、自分から強力な敵を作り出すことになりかねないからだ。
だが、リスクを恐れて消極的な対応しか取れなくなっている時点で、リサは相手の術中にはまっている。
突然の襲撃に加え、混迷する状況を理解する為に時間がかかってしまったのは、ある意味で仕方がないのだが―――倒せる敵はさっさと叩くというのが戦いの鉄則。
そういう判断がすぐにできないところがリサの甘さ。
そして、敵である堕天使にはそんな甘さはない。
「フフフフフッ。いい加減、邪魔するのはやめて頂けませんか?私たちはナナエ=オ=デイツと話をしたいだけなのですが」
「いきなり異空間に引きずり込んでおいて、そんな話が信じられるわけがないでしょ」
「これは彼女とゆっくり話し合うために用意しただけですよ。こうでもしないと彼女は逃げてしまいますからね。ねえ、そうでしょう?コナン=ワルシュ」
全てが黒い大剣を手に、ノアさんと対峙していたコナンがコクンと首を縦に振る。
「コナンさんっ!正気に戻ってくださいっ!あなたは操られているんです!」
そんなコナンにノアさんは懸命に呼びかけるものの、返ってきたのは剣撃のみ。
それを土で出来た大盾で防ぐノアさん。
こちらもかなり苦戦しているが、それも仕方がない。
なにしろ突然の襲撃だったので、ノアさんは武器も防具も身につけていなかった。
今、手にしている土の大盾は、土の中位精霊のヌーモが魔法で作り出したものでしかなく、防御力はともかく、耐久性に問題があった。
それに、朧気ながら事情を理解してしまったノアさんは、コナンを攻撃できないでいた。
堕天使と共に姿を見せたコナンさんに必死で呼びかける姉の姿を見ていれば、自分の知らない事情があったのだと察する事が出来たからだ。
だが―――全ての事情を理解できていたわけではない。
故に、ノアさんも堕天使の狙いに気が付いていない。
「フフフッ。ナナエ=オ=デイツ、あなたはいつまで逃げる気なのですか?」
「え?」
ニーズと共に巻き込まれた子供たち(パニック回避の為、エドの眠りの魔法で眠らされている)を守っていたナナエさんが、堕天使の呼びかけに反応する。
「私はあなたを―――あなた達をずっと見てきました。だから、知っているんですよ。あなたがただの臆病者だという事を……自分が傷つくのが怖くて、ずっと逃げ続けていたという事を―――」
「私が……?」
「あなたはコナンを信じ切れなかった。全てをうちあけ、それでもコナンが父親を拒絶したらと、あなたは恐れた。あなたはコナンを騙すこともできなかった。秘密を胸に秘めて、コナンと共にいる罪悪感にも、あなたは耐えられなかった。だから、あなたはコナンの傍から逃げたのでしょう?」
「あっ、あっ、あああっ……」
堕天使の言葉は真実だった。
真実だから、逃れることなど出来ない。
「ダメっ!ナナエさんっ!そいつの言葉に耳を傾けちゃ―――」
「お姉ちゃん、しっかりして!騙されちゃダメっ!」
ここに至り、リサたちはようやく理解した。
堕天使の狙いは徹頭徹尾ナナエさんにあったのだと。
「でも、そんなあなたを私は認めましょう。何故なら、あなたは悪くない。悪いのは親子の確執にあなたを巻き込んだコナンたちなのですから」
堕落した天使は言葉巧みに仲間に引き入れる。
「だから、そんなものが関係ない世界に行きましょう?そんなものがない世界を私と一緒に作りましょう?あなたの愛するコナンもそこで待っていてくれますよ?」
「あの人が待っている……?コナンが私を待っているの……?」
「ええ。彼は一足先に我が神の元に向かいました。あなたと一緒になりたいと、そう願いを託して。ですから、私はあなたの元に来たのです」
そう言いながら堕天使がかざしたのは、コナンが持っていたキューピッドの羽根。
それに引き寄せられるように、虚ろな目をしたナナエさんは堕天使の方にフラフラと歩き始め―――
「ダメっ!ナナエさんっ!」
「お姉ちゃんっ!!」
「さあ、全てを捧げるのです!ナナエ―――」
「―――それで本当にいいんですかっ!?」
次元を切り裂く一撃が、堕天使とナナエさんの間に走る。
「そんな堕天使にコナンさんを取られたままでいいのかと聞いているんですよっ!?ナナエさんっ!」
「えっ……?」
虚空に出来た空間の裂け目に足をかけながら、僕はナナエさんに再度問いかける。
そして―――ナナエさんの目に光が戻る。
「あっ、だ……だめっ!そんなのだめっ!あ、あの人は私の―――」
「それじゃあ、取り返しますよ!全力でっ!」
2章もいよいよ大詰めです。