コナンと 天使の羽根
時刻は少々遡る。
厚手のカーテンを閉め切った会長室で、男は身体を預けるように椅子にもたれかかっていた。
男の名はコナン=ワルシュ。年齢は34歳。
容姿的には長身痩躯といった感じであるが、数年前まで冒険者をしていただけに意外と筋肉質。顔立ちもどちらかといえば整っているほうで、ワイルド系のイケメンといっても通じそうではある。
ただし、その顔に生気があれば……であるが……
コナンは完全に憔悴しきっていた。
ずっと掛かり切りだった大きな商談の山場がすぐそこに迫っており、寝る間も惜しんで働いていたのだが―――そこへ横槍が入った。
ライバル関係にあるとある商会が横から仕事を掻っ攫っていったのだ。
だが、それだけならまだ良かった。
仕事を取られたことは悔しいが、相手が自分たちより上手であっただけだと、納得する事が出来たからだ。
しかし、競争相手の商会にはかつての部下がいた。
その元部下はワルシュ商会の黒に限りなく近いグレーゾーンな仕事を取り仕切っていた幹部であり、それを健全化しようとするコナンを見切り、去っていった男だった。
だからこそ、そういう仕事のやり方とワルシュ商会の弱みを熟知していた。
元部下は商談相手に金を掴ませ、同時に、ワルシュ商会の暗部をリークしたのだ。
その効果は覿面で、コナンたちの話は碌に聞いてもらえなかった。
そして、元部下は項垂れるコナンに吐き捨てるように告げたのだ。
『これがお前に切り捨てた奴らの力なんだよっ!世間知らずのクソガキがっ!』
そう、それはコナンが切り捨ててきた者たちの復讐だった。
元部下は彼らの代表者であり、コナンのやり方に不満を抱いていた者たちが内外問わず協力していた。
もちろん、コナンにだってわかっていた。
彼らはそれが仕事であるとその役目を与えられただけ。彼らにも生活がある以上、仕事を奪えば恨まれることになる。だから、できうる限りの手を尽くしたが―――それにも限界はある。
ワルシュ商会は他の商会が手を出さないようなグレーゾーンな仕事を請け負うことで成長してきた商会だったので、そこを健全化すれば、業績は当然下がる。
業績が下がれば、従業員に還元できる利益も少なくなる。
得られる利益が少なくなれば不満が出るのも当然であるし、その不満が爆発すれば、今回のように他の仕事にまで影響を与える。
どうしようもない負の連鎖。
だから―――
「疲れた。疲れたよ、ナナエ……」
コナンは手にしていた白い羽根に語り掛ける。
もともとなりたくてなって会長職ではない。
コナンには商会にも会長職にも未練なんてものはなかった。
唯一あったのが金貸しだった父親への反発。
しかし、今はそれも燃え尽きている。
父親のような男にだけはなるまいと邁進した結果が、身内だった者たちの反感を買った。
身内から恨まれ、なじられ、裏切られ―――最後に見捨てられる。
それは彼が心底嫌っていた父親と同じ姿だった。
だから、滑稽だった。
だから、虚しかった。
だから―――心が安らぐ過去の思い出にすがる。
その手に持つ白いはずの羽根が、黒く染まっていることに気づかずに……
コナンにとって、ナナエさんとの思い出は何より価値のあるものだった。
しかし、幸せな時間は続かない。
過去とは現実の一部であり、しかも、すでに確定した出来事である。
だから、最後に最も辛い現実をコナンに突きつける。
コナンの傍に最愛の女性はいないのだと……
そこから押し寄せるのは果てしなき後悔である。
自分の何がいけなかったのか?
自分は何を間違ったのか?
それは答えがないだけに、コナンの心を際限なく傷つける。
故に―――過去の思い出もコナンの心を癒すことはない。
(ならば、眠りましょう)
そんなコナンに優し気な声がかけられた。
(ならば、夢を見ましょう)
甘く、心地よい、天上の鈴の音のような声がコナンを誘う。
(辛い現実など忘れてしまいましょう。そうすれば本当の夢が、望んだ未来が貴方に訪れますよ?)
「忘れる……?」
(ええ、忘れるのです。貴方を苦しめるだけの現実など受け入れる必要はないのです。だって、それは―――現実の方が間違っているのですから……)
コナンの目の前に、白い翼を持つ天使が姿を現す。
「間違っている……?」
(私はその羽根を通じて、貴方の行いを全て見ていました。その私が断言しましょう。貴方の行いは全て正しいと。だから、間違っているのは現実の方なのです。だから、現実を変えるのです。その為に神は私を貴方の元へと遣わしたのですから)
「変える……現実を変える……」
(コナン=ワルシュよ。全てを我が神に捧げるのです。そうすれば汝の願いは全て叶います)
「ああっ!あああああっ!捧げるっ!捧げますっ!だから、だから、俺に―――」
コナンは天使に願った。
心の底から願った。
キューピッドの白い羽根は恋人たちのお守りなのである。
だから、天使の言葉を疑うこともなく―――コナンの意識は奈落に落ちた。
それを見届けた黒い羽根の天使は邪悪に嗤う。
「フフッ、フフフッ。それでいいのです、コナン=ワルシュ。貴方の願いは我が神―――夢幻の神の良い糧となるでしょう。ですが安心してください。『堕落』したとはいえ、私も元は愛の天使です。貴方の願いは必ず叶えてあげますよ」
そう口にすると、堕天使は虚ろな目をしたコナンと共に姿を消した。
今回の黒幕登場。タイトルの空白はもちろん『堕』です。