絡んできた酔っ払い
僕たちがハガイ洞窟から帰還したのは日付も変わろうかという頃合いだった。
なので、街の中に入るのは一旦保留にする。
今のままでは『銀のゆりかご亭』に戻る前に『神層世界』への強制転移が発動してしまう可能性が高く、誰かに見られてしまう危険性があったからだ。
まあ、見られたからといって絶対にマズイというわけでもないが、あえて目立つ必要もない。
そんなわけで、街の東門から少し離れた場所まで移動し、ノアさんに少しの間待っていてもらうようにお願いする。
『神層世界』の1時間はこちらの時間の1分足らずなので、そこまで長い時間を待たせるわけではないし、異空間のダンジョンに転移するところをノアさんも見てみたかったらしく快く了承された。
「それで、リサは何が気になっているの?」
転移早々に僕はそう切り出した。
「え?」
「B-7を探索しだしたあたりから妙に大人しかったよね?何か気が付いたんじゃないの?」
「まあ、大体予想はできているけどね」
「あ、うん。あのね、今回の異変の原因なんだけど、多分、前と同じで、私たちが原因なんだと思うの」
「やっぱりか」
「そんな気はしていました」
これは僕だけでなく、ミントやサクヤも気づいていた事。
ただ、あの場にはノアさんもいたので、口には出さなかっただけである。
「それで……放っておくとマズそうなの?」
「えっ?」
「うん?放置するのがマズいのなら、なんとかしなくちゃいけないでしょ?」
「あ、うん、それはそうなんだけど―――」
「なんとかしようにも、相手の情報が何もないのでは、リサにも動きようがないんじゃない?」
「あ、そうか。今回はそこから調べないといけないのか」
だから、僕たちは今後の対応について相談を始めたのだが―――
「リサちゃん、何か手掛かりになりそうなものとかはないのですか?」
「……て、手掛かり……かぁ……」
「……リサ?」
「何かあったの?」
―――ここに来てようやく、僕たちはリサの様子がおかしい事に気づく。
そして、リサが重い口を開く。
「あ、あのね。皆はニーズちゃんの事があったから勘違いしているのかもしれないけど……今回の原因は私じゃないよ」
「……えっ?」
「力の強い者の意志ほど魔素に大きな影響を与える可能性が高いというだけなんだから……皆だって同じでしょ?」
「……それは……」
「確かにそうね……」
「じゃあ、今回の異変は―――」
「魔素の中核がなくなっていたから、私もはっきりとは言えないんだけど、今回の異変の原因を作りだしたのは私じゃないと思うよ。あそこに残っていた魔素には、私に対する敵意―――というと大袈裟だけど、『邪魔しないで』みたいな意志がうっすらと混じっていたし……」
「なるほどね。絶対にないとは言い切れないけど、自分に対し『邪魔をするな』というのは、しっくりこないわよね。むしろ―――」
「私かサクヤちゃんの可能性が高そうですね……」
話を聞けば、リサが口を重くしていた理由も十分に察せられる。
多分、今回の異変を作り出した魔素の中核は、ミントかサクヤの『独占欲』から生まれたものなのだ。
だから、下手には触れられない。
人は誰しも多少の独占欲は持っている。一瞬たりとも負の感情を抱かない人間なんていないのだ。
なので―――
「そうだとすると、そこまで心配することはないのかもね」
僕はわざとそんな軽口をたたく。
「え?」
「どういう事?」
そんな僕に二人は首を傾げるが……
「だって、その仮説が正しいなら、そいつの狙いは僕でしょ?放っておいても向こうから接触してくるんじゃない?」
「………」
「………」
「―――というか、真っ先に僕のところに来てくれないと、僕が嫉妬でどうにかなりそうなんだけど……」
「プッ!プフフッ!る、るー、あ、貴方ねぇ……」
「も、もう、何を言っているんですか、ルドナちゃんは……」
続けた僕の言葉に、二人は表情を和らげる。
爆死覚悟のネタ振りであったが、空気を軽くする効果はちゃんとあったようだ。
「まあ、今の段階ではただの仮説にすぎないんだし、そこまで気にしても仕方がないよ。それよりも―――」
「そうね。そろそろお客さんたちが来たみたいね」
そんな空気を読んだわけではないのだろうが、丁度いいタイミングで『神層世界』の魔物たちも姿を見せ始める。
故に、この話は一旦保留となった。
◆◆◆
『神層世界』では4時間ほど戦い続けたが、現世での時間経過は5分にも満たない。
なので、すぐにノアさんと合流して、街の中へと入る。
『シーケ』は冒険者が多く集う街なので、日付が変わった深夜0時でも、外を出歩いている人や明りの灯った飲み屋などをチラホラと見かける事が出来る。
特に街の東側は歓楽街が広がる区画などもあるため、その傾向が強いと言えた。
だから、酔っ払いが歩いていてもいちいち気に留めるようなことはなかったのだが―――
「おっ!ノアじゃねーか!」
「……マブオクさん……」
顔を赤らめた30代ぐらいの無精ひげを生やしたおっさんが、ノアさんに声をかけてきた。
「ん?今日はどうしたんだ?なんだかキレイどころばかり連れているじゃねーか」
「……見てわかりませんか?ダンジョンを探索してきたところですよ」
「へぇ、コイツらとね~」
もちろん知り合いが声をかけてきただけなら問題はない。
酔っぱらっているようであるし、多少不躾な視線を向けられたぐらいであれば、気にするようなことでもない。
だが―――
「それならこれから、ぱ~と一杯やろうぜ。そっちの姉ちゃん達も連れてよぉ」
「すいません。今日は疲れているので、また今度という事で……」
「あん?俺の誘いを断るっていうのかよ?」
「……すいません……」
「ああっ!?お前ぇ、本気で言ってんのか!?本気で俺の誘いを断るとそう言うんだなっ!?」
「そ、それは……」
おっさんはノアさんに『飲みに付き合え』と強引に誘っているようで、見ていて段々腹が立ってくる。
だから、いい加減止めに入ろうとしたところで―――サクヤにそれを止められる。
何故、サクヤが止めたのかは明白。
僕では荒事となるが、サクヤは口先だけで事態を収束できるからだ。
「何、ノアさん。その人知り合いなの?」
「え、ええ。そうなんですが……」
ノアさんに声をかけ、サクヤが話に割って入る。
「なんだよ、姉ちゃん。俺は今コイツと―――」
「あれ?私たちと飲みに行こうって話なんじゃないの?」
「ああっ!?まあ、そうだけどよぉ。姉ちゃんがコイツの代わりに―――」
「それは貴方のおごりなのよね?もし、そうなら考えてあげてもいいけど」
「……はぁ?お前、本気かぁ?」
「本気も本気よ。ただし、お店は『クィーンズ・クラブ』でいい?貴方の財布なんか一瞬で空っぽになると思うけど」
「あん!何ふざけた事抜かしているんだ!そんなもん―――」
サクヤのあからさまな挑発に声を荒げたおっさんだが、その途中で何かに気が付いたらしい。
「オイ、待て……『クィーンズ・クラブ』だと?」
「ええ。ベロス商会で一番の高級クラブね」
「ふ、ふざんけんなよ、オマエっ!そんな超高級店で―――」
「でも、ベロス商会の会長の娘を飲みに誘おうというのですもの、それぐらいの心意気は見せてもらわないと」
「はぁぁっ!?ベ、ベロス商会の会長の娘だぁっ!?」
「ウチのお店で飲むのなら私たちも安心だし、ノアさんもそれならいいでしょ?」
「え、ええ。そ、そういう事でしたら……」
「ま、待てよ!何でベロス商会の娘がお前なんかと―――」
「一緒にパーティーを組んでいる仲間ですもの。どこかおかしいですか?ママもノアさんと一緒なら安心だと言ってくれていますしね。それよりもどうするんです?『クィーンズ・クラブ』が苦しいというのなら、もう少しお安いお店にしてあげてもいいですけど」
「く、くそっ!そんな店で奢れるわけねーだろうが!ふざけやがって!」
「あ、そう。じゃあ、もう行ってもいいわよね?」
交渉は終わったようで、サクヤはノアを連れて、僕たちのところへ戻ってくる。
おっさんの剣幕だと暴力行為にうって出る可能性も無きにしも非ずというところであるが、流石に5対1―――しかも、完全武装の冒険者相手に喧嘩を売るほど酔ってはいなかったらしい。
まあ、おっさんが本気で酔っぱらっていたのかは怪しいところではあるのだが……
そして、話を聞いてみると案の定。
マブオクという名のおっさんは、『銀のゆりかご亭』に金を貸している『ワルシュ商会』に雇われている冒険者の1人で、借金の返済が滞っているノアさんたちの弱みを利用して、度々絡んできていたらしい。
ノアさんがマブオクの誘いを強く断れなかったのもその為。
というか、そうでもないと完全武装のノアさん相手に強気に出られるはずがない。
マブオクの冒険者としての実力がどの程度なのかは知らないが、アルコールが入った上に武器も何も身につけていない状態で、鎧でガチガチに身を固めた騎士に勝てるとは思えない。
だが、だからこそ……というのもある。
仮に、あのままの流れで喧嘩に発展したとすると、ノアさんの立場が悪くなる可能性があった。
なにしろ、こちらは5人いて、全員が武装した状態。
怪我の一つでもさせてしまうと、僕らの方が過剰防衛となりかねないし、怪我をさせなかったとしても、怪我をしたとでっちあげる事も出来る。マブオクはあくまでノアさんを飲みに行こうと誘っただけであるし、強引に誘ったのは酒に酔っていたからと釈明することもできるので、こちら側の過失の方が重いとみなされる可能性もそれなりにあったのだ。
それにそこまでいかなくてもマブオクとしては良かったのかもしれない。
単に騒ぎを起こすだけでも、それで十分に嫌がらせになるからだ。
ただし、マブオクはあくまで、『ワルシュ商会』に雇われている冒険者に過ぎない。
『銀のゆりかご亭』に金を貸しているのは『ワルシュ商会』であるので、マブオクがノアさんたちに高圧的に接する理由には本来ならないのだ。
まあ、世の中には他人の褌で相撲を取るような輩もいるので、絶対にないとも言えないが……商会に雇われているだけの一冒険者が威張るというのは少々おかしい。
そもそも真っ当な商会であれば、金を貸している相手に嫌がらせをする理由がない。
あるとすれば、借金の返済が滞っているという点で、返済の目処が立たないから取り立てを厳しくしているという可能性であるが……その場合でも、嫌がらせというのは少し違う。貸した金を少しでも回収するために、非情な決断を下すかどうかであり、ネチネチと嫌がらせをする事に意味なんてないからだ。
つまり―――何かしらの別の意図があるという事。
そして、今回の場合……
「ワルシュ商会の会長・コナン=ワルシュはあまりいい評判を聞かない人物なんだけど……そのコナンって人が、ナナエさんを狙っているみたいなのよね。まあ、まだ30代って話だし、独身でもあるから、単に好意を寄せているってだけなら問題はなかったんだろうけど……」
「借金を盾に交際を迫っているっていう事?」
「そういう噂ね。まあ、こんな話、事実だとしても表には出ないようにするでしょうけど。ただ―――」
「冒険者を使って嫌がらせをしているくらいだし、本当の事なんだろうね」
「それも証拠はないけどね。決して大事にはせずに、うまい具合にプレシャーだけをかけているみたいよ」
相手の狙いがナナエさんであるとサクヤが告げる。
貸したお金がナナエさんを縛り上げる為の鎖であるならば、お金は返ってこない方がいいわけであるし、ちまちまと難癖をつけてくるのも、『さっさと諦めて自分のものになれ』という催促なのだろう。
だが―――
「厄介だなぁ」
「確かに厄介なやり方ね。でも、それもすぐに終わると思うわよ」
「え?」
「え?あの、終わるって……?」
サクヤは何でもない事のように事態の収束を予言した。
「簡単な話よ。私がノアさんの味方になったんだから、今のノアさんたちのバックにはベロス商会が付いているのと一緒。ワルシュ商会もそこそこ大きな商会だけど、ウチと正面切って争うなんてマネはできないし、いざとなれば『銀のゆりかご亭』の借金を丸々ウチで引き受けるという手もある。そうすれば手の出しようがないわよね?」
「い、いや、でも……いいんですか?お姉ちゃんはベロス商会にも借金の申し入れに行っていましたけど、そこまでの面倒は見られないという話になったって……」
「あの時と今とでは状況が違うし、私がママを説得するから大丈夫よ」
「ほ、本当に……?」
そして、その根拠は至ってシンプル。
サクヤは自身の財力で強引に相手をねじ伏せるつもりであった。
「本当に大丈夫なの?マーヤさんはこういう所、身内にも厳しいんでしょ?」
「確かにそうだけど、お金を出すのは私たちだから大丈夫よ。『神層世界』で手に入れたアイテムをウチで換金してもらうだけだしね」
「あっ、そういう事……」
「正規のルートでは流せないから多少は安く買いたたかれるでしょうけど、事情が事情だし、必要な額くらいは用意してもらえると思うわよ」
よくよく考えると今の僕たちはそこそこのお金を持っている。
いや、正しくは資産というべきか。
スペル・ジャマーから手にいれたアダマンタイトなどを全て売り払えば、家のひとつやふたつはゆうに買う事が出来るのだ。
『銀のゆりかご亭』の借金がどれくらいなのかはわからないが、それだけのお金があれば多分なんとかなる。仮に足りなかったとしても、それだけの担保があればマーヤさんを動かす事は出来ると思うので問題はない。
ただし、だからといって安心はできない。
「ワルシュ商会の会長が素直に諦めてくれればって話だけどね」
「え?」
「相手にも面子はあるだろうし、金で女を入れようという輩だからね。馬鹿な真似をしないとも限らないでしょ」
「ああ、確かに……」
「そういうわけなんで、しばらくは『銀のゆりかご亭』から離れない方がいいと思うわ。あのマブオクって人から私の事が伝われば、何かしらの動きがあるのは間違いないと思うし―――」
世の中には諦めが悪い人もいる。
借金を盾に交際を迫るような男が、それがふいになったからといって諦めてくれるとは限らないし、さらに強硬な―――それこそ非合法な手段に出る可能性も十分に考えられた。
だから僕たちは、冒険者としての活動をしばらく休むことにした。
2章が終わるまではなんとか毎日投稿できそうです。