『銀のゆりかご亭』の生活
冒険者向けの宿屋には必ずと言っていいほど備わっている施設が二つある。
ひとつは酒場で、もうひとつは大浴場。
もちろん店舗によって規模は様々であるし、それらがないところもないわけではないが……
半世紀以上続く老舗の『銀のゆりかご亭』には両方とも備わっていた。
とはいえ、酒場の方は『お酒も出してくれる食堂』といった感じであるし、大浴場の方も『各部屋に備え付けられた浴室よりは広い』という程度のもの。
そのうえ、これらの施設は預けられた子供たちも利用するので、いろいろと注意が必要。
まあ、『子供たちの良いお手本になれ』という事なので、そこまで無茶な要求はなく、むしろ、守って当たり前のルールではあるのだが……
「そういうわけなので、混浴はダメです」
ノアさんの姉、『銀のゆりかご亭』の経営者であるナナエさんが、優し気な笑みを浮かべたまま、きっぱりと告げる。
「で、でも、ニーズちゃんも一緒がいいって―――」
「にーは、るーと一緒がいいぞっ!」
告げた相手はニーズを抱えたリサである。
「ダメなものはダメです」
三人が対峙しているのは男湯の入り口で、僕はそれを浴室の中から聞いていたわけだが―――
「ニーズちゃんはお姉さんですよね?お姉さんは男の人と一緒にお風呂に入ったりしないんですよ」
「ふぇ?そーなのか?」
「小さいコは自分一人では出来ない事もありますし、大人がちゃんとついていてあげないといけないんです。でも、ニーズちゃんはそんな小さなコではありませんよね?お洋服も一人で着られますし、ご飯だってきちんとこぼさずに食べられます。それどころか、小さなコたちのお世話まで出来る立派なお姉さんですよね?」
「そーだぞ、にーは立派なお姉ちゃんなのだ!」
「じゃあ、お風呂だって一人で入れますよね?ニーズちゃんより小さなコでも一人でお風呂に入っていますよ?」
「そ、そうなのかっ!それならにーも一人で入るぞっ!にーはお姉ちゃんだからなっ!」
そんなやり取りの後、ニーズがドタドタと走り去る音が聞こえてくる。
ニーズをエサに混浴を企てたリサも、それ以上は食い下がれない。
「リサさんもあのコのお姉さんなのですから、わきまえるところはちゃんとわきまえてくださいね」
「ハイ……」
こうして、僕とリサの混浴は未然に防がれたのだった。
◆◆◆
一方その頃、ミントとサクヤはノアさんと一緒に湯船につかっていた。
もちろんこちらは女湯である。
「はぁ~、子供の相手って、思っていた以上に疲れるのね~」
「すいません、結局、手伝わせてしまって……」
「いいんですよ。見ているだけというのも落ち着きませんし、ウチでも同じような感じでしたから」
午前中は運びきれていなかった荷物の移動などをしていた僕たちであるが、お昼過ぎにはそれも終わったので、ノアさんやナナエさんと一緒に子供たちの世話をする事となった。
まあ、やった事といえば、子供たちと一緒に遊んだくらいであるが……
「やっぱり慣れない事はするものではないわね。明日からはミントやるーに任せるわ」
「ホント、ごめんなさい」
「あ~、いいんですよ。サクヤちゃんだって、ホントは子供好きですからね。ただ、過度に心配し過ぎて、気疲れしちゃうというか、見守ることが出来ないというか。慣れてないといえば慣れてないんでしょうけど……」
「……別にそんなことはないわよ……」
他所様の子供を預かっているのだから、慎重になるのは当然であるが、だからと言って、子供たちの世話を一から十までする必要はない。
目を離してはいけないが、子供の自主性を伸ばすというのも大事な教育である。
それに『銀のゆりかご亭』に預けられる子供たちは年齢も性別もバラバラなので、下のコたちの面倒を見られるお兄ちゃんやお姉ちゃんもいる。大人が過度に干渉しなくても、子供たちは子供たちなりに上手くやっていくものなのだ。
ただし、そういった感覚は生まれ育った環境に大きく左右される。
教会の娘であるミントはもちろん、ミントの家(教会)に預けられる事が多かった僕も、その点では慣れていると言えた。
逆に言うと、お嬢様育ちのサクヤにはなかなか馴染のない感覚なのだろう。
だからこそ―――ノアさんとしては不思議に思ったらしい。
「……なんだか意外ですね……」
「え?」
「サクヤちゃんが子供好きな事がですか?」
「あ、いえ、そうではなくて、サクヤさんとミントさんは意外と仲がいいんだなって……」
「はい?」
「仲がいい……?」
「あっ、いえ、幼なじみ同士で一緒にパーティーを組むぐらいですから、仲がいいのだろうとは思っていたのですが、その……ルドナさんの事とかもありますし……サクヤさんの話からすると、もう少しギスギスしているのかな、と……」
「あ~……」
「そういうことですか……」
教会の娘であるミントと大商人の娘であるサクヤは、生まれも育ちも正反対といってよく、考え方なども大きく違う。
その上、恋敵という関係であるのだ。
知らない者からすると、そんな二人が何故仲良く出来るのか、不思議に思ったとしても仕方がない。
だが、それはそもそも前提が間違っている。
「別に特別仲がいいわけじゃないわよね?」
「そうですね。ルドナちゃんやリサちゃんがいなければ、今みたいな付き合いはしていなかったと思いますよ」
「え?」
「ずっと4人でいたからそれが当たり前になっただけで、ミントと二人で出かけるとかまずないし、喧嘩とかもしょっちゅうするわよ。ただ、皆といるときに無駄に喧嘩をしていても、空気が悪くなるだけだし―――」
「―――そういう時にリサちゃんは抜け駆けするんですよね。喧嘩している二人は放っておいて、自分と遊ぼうって……」
「あ~……それはなんというか……上手いやり方……なのかな?」
「リサのアレは天然だけどね」
「むしろ、計算してやるのはルドナちゃんの方だよね」
僕たちには僕たちだけしか知らないリサという存在がいたので、他の人からすると奇妙に見えたというだけである。
「へぇ、それはそれで少し意外ですね」
「ん~。ノアさん、ひとつ忠告しておくけど、るーはあれで結構な猫かぶりなんで気をつけてね」
「え?猫かぶり……ですか?」
「ルドナちゃんはカンナさん―――お母さんから女のコとの上手な接し方を子供の頃から叩きこまれていたみたいで、自分のキャラクターとかもちゃんと把握しているんですよ。ルドナちゃんが自分の事を『僕』というのも、そっちの方が女のコ受けがいいとお母さんから教えられたからですし……」
「カンナさんの教えはある意味真理よね。『相手を心底惚れさせたら勝ち。ただ、それに胡坐をかくようではダメ。そんなヤツはそもそもそこまで好かれない』とか……」
「ルドナちゃんって、ホントずるいんですよね。そういうところが……」
「まあ、そうでもないと、3人一緒に付き合うなんて話にはならなかったとは思うけどね」
「な、なるほど……」
若い女性が集まれば恋バナで盛り上がるのが常。
これから同じクランで活動する以上、僕たちの関係をきちんと把握しておきたいと考えたのは当然であるし、ノアさん個人としてもいろいろと気になっていたことではあるのだろう。
もっとも―――
「……そういうわけなんで、ノアさんは手を出さないでくださいね」
「ハイ?」
「ルドナちゃんはかわいいコに弱いですけど、あれでもかなり慎重ですからね。女のコの方から本気で告白でもしない限り、ホイホイ誘惑に乗るようなことはないんですヨ……」
「エッ、ちょ、ふ、二人とも、な、なんだか怖いんだけど―――」
「本気でるーの事を好きになったというのなら止めはしませんけど……その時はるーと一緒に可愛がって……オモチャにしちゃいますからネ」
「フフフッ……それくらいの事は覚悟しておいてくださいネ」
「いや、私にそんな気はないからっ!これっぽっちもナイからっ!だから、その目はやめてっ!」
目を皿のようにした二人に迫られて、ノアさんは冷や汗混じりに訴える。
特定の恋人がいない―――いた経験もない彼女からすると、軽い興味本位で聞いてみただけなのだが、自分がとんでもない地雷原に足を突っ込んでいたと、今更ながらに気が付いたのだ。
まあ、気が付いたところで手遅れなわけだが……
作中で入れるタイミングを逃したので捕捉しておくと、ノアが19歳、ナナエが25歳と少し歳が離れています。あと、両親は共に他界しています。