エンヴィーシャーク襲来
仲睦まじい男女を標的にするエンヴィーシャークは、標的とした男女が一緒にいなければまず襲って来ない。
それ故、コウベキオの領主は呪いを受けたカップルを一時的に引き離し、保護するといった対策をとっていた。
だが、愛の情熱は時として人を愚かにする。
「ロミーオっ!」
「ジュリエっ!」
長らく会えなかった男と女はその喜びを全身で表すように熱い抱擁を交わす。
それがいけない事だとわかっていたが、それでも二人は自分を止められなかった。
まあ、この二人にはこの二人なりの事情があったというのも確かにある。
両家の親が商売敵で、もともと交際に反対していたのだが、エンヴィーシャークの呪いを受けた事を幸いとばかりに引き離しにかかり、ジュリエの両親に至っては貴族と縁談を勝手に進めていた―――なんて事情を知れば、二人に同情する余地もある。
ただ、そんな事はエンヴィーシャークには関係がない。
スッ~~~~
「ロ、ロミーオ!あ、あれはっ!!」
「エ、エンヴィーシャークっ!だ、大丈夫……ジュリエは僕が守るからっ!」
二人のまわりを黒いサメの背びれがゆっくりと旋回する。
魔法空間に潜行したエンヴィーシャークが獲物を逃がすまいと威嚇しているのだ。
迂闊に動けばゲートから飛び出して、一気に襲い掛かっていただろう。
恐怖のあまり動けなかっただけだが、その場に留まった二人の判断は結果的には正解だった。
「GUAAAAAAAAAAAッ!」
「―――させませんっ!」
ゲートを飛び出したエンヴィーシャークの巨体を幾重もの氷の網が押し留める。
ギリギリのところで二人を救ったのは杖を構えた小さな少女、リーヴァ。
空間転移を感知したリーヴァは、即断で転移魔法を行使し、今まさに襲いかかろうとしているエンヴィーシャークを迎撃した。
だが、それは一時的に怯ませただけ。
流石に、転移直後に大掛かりな魔法の行使は難しかったのだ。
まあ、街中で派手な魔法をぶっ放すわけにもいかないというのもあるが……
「貴方たち、逃げな―――いえ、私の後ろにっ!」
リーヴァは襲われていた二人に逃げるように言いかけて、その途中で指示を変更する。
それは新たな空間転移の気配を感知したからだ。
しかも、複数。
これでは逃がすのも難しい。
だが―――悪い事ばかりでもない。
なにしろ、リーヴァはただの冒険者ではない。
彼女は魔王。
Bランクの魔物が数体集まったところで勝てる相手ではなかったのだ。
◆◆◆
街中にエンヴィーシャークが現れたということで、対策司令部が置かれていた領主の館も蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
もっとも、慌てているのは末端の兵士と冒険者たちであり、一応の統率は維持されている。
そんな中―――
「それで現場の方はどうですか?」
「先行したリーヴァちゃんにカズキ君たちも合流しました。保護対象者を含めた周辺住民の避難は衛士たちに任せ、エンヴィーシャークの討伐に移行するとの事です」
「そうですか。間に合いましたか」
ノアの報告にユフィー王女がほっと胸を撫でおろす。
しかし、それはほんのわずかな間。
王女の顔はすぐに憂いを帯びる。
「しかし、これで一段と厳しくなりますね」
「厳しく……ですか?」
「人の行動に制限をかけるのは難しいですからね。ただでさえいろいろと制限され、ストレスをため込んでいるところに、また新たな騒ぎが起ってしまったわけですから、不満の声もより大きくなるでしょう。場合によっては被害者であるはずの者たちが批難される事になるかもしれません」
「……確かにそうですね」
ノアも王女の言葉を理解し同意を示す。
エンヴィーシャークの被害は呪いを受けたカップルを一時的に引き離すことで抑える事ができる。
だが、それを実際に行うとなると、そう簡単にはいかない。
対象者の数が少なければ、まだどうにかできたかもしれないが、港町である『コウベキオ』は人の出入りが激しく、チェックするだけでもかなりの労力を強いられる。まして、そこに制限をかけるとなるとなおさら。
ちなみに、エンヴィーシャークの呪いは近づいただけでアウトなので、海岸や船の上から目撃しただけでも呪いを受ける事がある。仲睦まじい男女が一緒にいないと効果が及ばないという条件があるので、そこまで途方もない数にはならないものの、街全体となればそれなりの数にはなる。
更に―――
「解呪はやはり進んでいませんか……」
「解呪を行える神官とその為に必要となるアイテム……どちらも手配を急がせてはいますが、難航しています。特にアイテムの方が問題ですね。予算にも限りがありますから」
「こればかりは仕方がないですね。いくら聖職者でも、生きるためにはお金が必要になりますし」
「ええ。わかっています。そもそも原材料の『イオユタの花』が希少なアイテムですし、適正価格で取引が出来ているだけでもありがたい事です」
―――呪いを解くのも簡単にはいかない。
Bランクのエンヴィーシャークの呪いはそれなりに高位の神官でないと解呪が出来なかったし、その折には高額なアイテムも必要とされたからだ。
もっともノアたちに手がないわけではない。
(ミントちゃんなら問題なく解呪できるんだけど、おいそれと神様の力を使うわけにもいかなしね……)
ただ、それは出来れば使いたくない手であった。
一人や二人をこっそり治すというだけであれば誤魔化しようもあるが、流石に何十、何百と対象がいると隠すのが難しい。
助けられる者に手を差し伸べない事に何も感じないわけではないが、自分たちの秘密を誰かれ構わずうちあけ、仲間や大切な人を危険に晒すほどノアも子供ではなかった。
「……今は出来ることをコツコツやっていくしかないですね」
「はい、そうですね」
そして、それはユフィー王女も同じ。
(それにしても―――意外と仕事が出来る人だったのね、王女様は。昨日の印象もあって、もっとのほほんとした人だと思っていたんだけど……)
若干、不敬ともとられかねない思考ではあったが、真面目に仕事に取り組むユフィー王女に心の中で感心するノア。
(あ、でも、意外と行動力はあるんだよね。昨日もいきなり『友達になりましょう』とか言ってきたわけだし……)
「……どうかしましたか?ノア」
「あ、いえ……今日はギルスさんもアリューさんもいないんだなと……」
自分でも失礼な事を考えていると自覚があったのだろう。
顔を覗き込むように訊ねて来た王女様に、ノアは若干の焦りと共に全く別の話題で誤魔化しにかかる。
まあ、それはそれで、少し気になっていた事ではあるのだが……
「二人にはいろいろと仕事を任せていますからね」
そんなノアの内心を知ってか知らずか、王女様は律義に答える。
根本的に人がいいのだろう。
ただ、だからこそ、ノアも余計に気になってしまう。
「ずいぶんと信頼してくれているんですね。ですが、帝国のお姫様が護衛もナシというのは些かマズイのではないですか?」
「え?護衛ならあなたがいるでしょう?」
「いや、そうですけど。昨日会ったばかりの冒険者ですよ。普通は護衛の1人や2人、別につけるものだと思うのですが……」
「う~ん。そうは言いますが、今は人手不足ですし、そもそも護衛とかつけていませんでしたから」
「……え?護衛がいない?あれ?でも、アリューさんは王女様の護衛なんじゃ―――」
「アリューは護衛ではないですよ。私に仕えてくれている騎士ではありますけどね」
「……はい?どういう事ですか?」
そして、思いもしなかった事実を聞かされるノア。
とはいえ、それほど大層な話でもないのだが……
「アリューは竜騎士ですからね。帝国は昔からの慣例で皇族の警護は近衛騎士がつくものとされていますから、護衛としてしまうと問題があるのです」
飛び切りの悪戯を暴露する子供のように、とてもいい笑顔で王女様はとうとうと語り始めた。
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