ちょっとした過去話・その3
シーケの街外れにある『精霊の森』は精霊と妖精が隠れ住む一種の『聖域』のような場所とされていた。
同時に、街の子供たちにとっては格好の遊び場でもあった。
精霊や妖精は警戒心が強く、人前には滅多に姿を現さないのだが、相手が子供であるとその限りでなくなることが多い。特に『精霊の森』に住む精霊や妖精は若い個体が多く、その傾向が強かった。
一応、親側としても、『子供たちに何かあったとしても、精霊や妖精が守ってくれる』という安心感があったのだろう。精霊や妖精は基本的に子供たちの味方。偶に悪ガキなどに悪戯を仕掛けることもあるが、それも躾の範疇と考えれば悪い事ではない。
逆に、子供の側からしても、大人が滅多に来ない自分たちの自由に出来る遊び場というのは貴重なもの。シーケで生まれ育った者なら、一度や二度は『精霊の森』で遊んだことがあるというくらい、子供たちには人気なスポットだった。
だから、子供のルドナたちが『精霊の森』で遊ぶようになったのも、自然なことではあるのだが……
ルドナが『精霊の森』に通うようになったきっかけは『剣の自主練』である。
一方、サクヤが初めて『精霊の森』にやってきた目的は―――『精霊の森』のとある噂を耳にしたからであった。
その噂というのは、『精霊の森の奥には精霊の王が住んでいて、運よく出会うことができれば、どんなお願いでも聞いてもらえる』という古い伝承。
もっともこの手の話の定番である『ただし、欲深い者が邪な願いを持って森の聖域に足を踏み込めば、直ちに精霊の王の裁きを受ける』という脅し文句がつづくわけだが……
子供のサクヤはその噂を耳にして、『精霊の森』にやってきた。
それはつまり、叶えて欲しいお願いがあったという事。
サクヤには滅多に会えない親友の女のコがいた。
名前はユウナ=ヤシノ。年は同い年。
ユウナの父親はリノタ帝国の行商人で、サクヤの実家のベロス商会とも取引を行っていた為、二人は知り合う機会を得た。
妻を早くに亡くしたユウナの父親は、一人娘を家に残して行商に出るのが躊躇われたらしく、頻繁に娘を同行させていたのだ。
だが、行商に赴く先はシーケだけではないし、全ての行商に娘を連れて行ったわけでもない。
故に、二人が会えるのは年に2回。
春と秋の数日間のみで、後は手紙のやりとりだけ。まあ、それでも二人は互いに親友と言えるほど仲が良かったわけだが……
その年の夏。
サクヤの元に届いたユウナの手紙には、『体調を少し崩してしまい、今年の秋にはシーケには行けないかもしれない』という旨が、謝罪の言葉と共に記されていた。
親友との再会を心待ちにしていたサクヤは、ユウナの体調の回復を願い、『精霊の森』を訪れたのだ。
そして、そこで剣の練習をするルドナと出会ったわけだが―――
「……貴方、こんなところで何をしているの?」
「え?あ、ベロスさん、こんにちは。なんだか珍しいところであったね」
「……そうね。それで質問の答えは?」
「あ、うん。でも、見てわからないかな?剣の稽古だけど?」
「……そうね」
クラスメイトなので顔や名前は知っているが、仲が良かったわけでもないという間柄であったので、どうしても対応はぎこちないものになる。
もっとも、それはサクヤに限った話。
ミントと揉める事の多かったサクヤは、ミントと常に一緒にいるルドナとも距離を置いていたのだが、ルドナの方は基本的に中立という立場であったので、サクヤに対しても悪感情のようなものは持っていなかった。
これは二人の諍いがそれほど酷いものではなく、口喧嘩の範疇で収まっていたからでもある。
火と水のように相いれないミントとサクヤであるが、その年代の子供としては共に聡明であったため、互いに掴みかかるような喧嘩にはならなかったし、周りを巻き込んだ陰湿ないじめとかにも向かわなかったのだ。
というか、むしろ……
「今日はあのコはいないのね」
「ん?ああ、ミント?ミントなら家だよ。家の手伝い」
「……確か、教会だったわね」
「なに?何かミントに用事なの?」
「え?なんで?」
「いや、ミントの事を聞いて来たから。一緒に遊ぶ約束でもしていたのかなって」
「……はい?」
「あれ?違った?」
ルドナはこの時、ミントとサクヤは友達になっているものだとばかり思っていた。
勿論、度々喧嘩をしているところを見かけていたが、それも友達同士のじゃれ合いみたいなもので、本気で険悪な仲だと思っていなかったのだ。
まあ、このあたりは男のコの感性であり、殴り合いの喧嘩をした翌日に、けろっと一緒に遊ぶ子供ならではのものかもしれないが……
「いや、ありえないでしょう。私があのコと一緒に遊ぶなんて……」
「え?そうなの?僕、てっきり二人は友達だと思っていたんだけど……」
「友達って、あのね……」
「じゃあ、あれはミントのいつものお節介か……」
「え?お節介?」
「あっ、いや―――」
「何?」
「ええと……」
ルドナは自分の勘違いに気づいたが、余計なことまで口にしてしまう。
「い、いや、ベロスさんって、学校にあんまり友達がいないでしょ……」
「ふ~ん。だから、あのコは私に気をつかって、声をかけてきていたと……」
「あ、あう。ごめん。なんか失礼な事言っちゃって……」
「そこで謝るということは、貴方もそう思っていたという事よね?」
「うぐっ……」
「……まあ、自分でもあまり否定も出来ないけどね……」
当時のサクヤは子供たちの中で少し浮いた存在だった。
頭も体も早熟だったサクヤからすると、周りの子供たちがどうしても幼稚に感じられたのだろう。
だからといって、露骨に周りを見下したりはしていなかったし、ある程度は周りに合わせることもできたので、完全に孤立していたわけではないが……深い付き合いの友達が学校にはいなかったのだ。
ただ、それをルドナに指摘された事で、サクヤの中でルドナの―――ひいては周りを見る目が少し変わる。
ありていにいえば、興味を持つ事が出来るようになったのだ。
なにしろ『幼稚さ』というのは悪い面ばかりではない。
「ねえ、貴方。貴方はミントと付き合っているの?」
「……え?……付き合うって……?」
「いや、貴方たち、いつも一緒にいるじゃない。だから、私もそう思っていたんだけど……違うの?」
「う~ん、そう言われてもな~。ミントとは家が近所ってだけだし―――」
「ふ~ん。そうなんだぁ……」
この時のルドナにもう少し賢明さがあれば、サクヤの意味深な笑みに気が付いたのかもしれないが―――世の中には気が付かない方がいい事も沢山ある。
サクヤとしては、『恋愛を全く理解していないルドナ』と『そんなルドナに想いを寄せつつ行動のできないミント』という『面白い玩具』を見つけたという気分であったのだが、それもあくまで『お節介なクラスメイト』に対する『お節介の報復』。それ以上先の未来のことまで読めていたわけではない。
「そう。それじゃあ、貴方、私と友達になりなさい」
「え?友達?」
「さっき、失礼な事を言った罰よ。それとも……友達が少ないなんて指摘しておいて、私を放っておくとでも言うの?」
「ええっ!なんだよ、それっ!」
「別にいいじゃない。ちょうど案内役も欲しかったのよ」
「うん?案内役?」
「この森って精霊とか妖精とかがいるんでしょ?貴方は見た事ない?」
「ああ、それなら―――」
この日をきっかけにルドナとサクヤは友達となり、その後、サクヤとミントの間で恋のバトルが開始されるわけだが―――今回重要なのはそこではない。
サクヤを『精霊の森』に向かわせた『親友』こそが、2年前の『子犬』の飼い主であったという事。
そして―――その『親友』との再会が果たされなかった事の方が遥かに重要。
ユウナ=ヤシノ。享年9歳。
サクヤの願いは精霊の王には届かなったのだ。
この章が終わるまで、毎日投稿する予定です。