愚かな賢人の最後
戦いが始まる―――はずもなかった。
なにしろトリーシャさんは神代から生きる邪神。
イレーナ王女にそうしたように、自身の『認識阻害』の対象外にするだけで全ては終わってしまう。
カムロークの集めた私兵たちも決して弱くはないのだろうが、邪神の力の一端を垣間見ただけで、全員が白目をむき、泡を吹いて倒れた。
「な、なんじゃ!ど、どうしたというのじゃ!」
唯一残されたカムロークは当然のように慌てふためく。
「き、貴様、一体、何をしたっ!?」
カムロークもイレーナ王女が恐慌状態に陥ったところを見ていたので、トリーシャさんが只者ではないという認識は持ってはいた。
だが、その正体まで知らないカムロークからすれば、トリーシャさんの力は完全に常識外のもの。
なにしろ自分以外の私兵の全てが触れもしないのに倒れ伏したのだ。
それなのに自分だけがなんともない。
パニックになるのも当然である。
「察しが悪いですね。ですが、わからない事を素直に聞くというのは悪い事ではありません。なので、貴方には特別に教えてあげましょう。私は―――『邪神』です」
「なっ―――」
「貴方であればそうですね。滅びの女神リース、狂神スリア……あるいは、名もなき闇の運命神と言った方が分かり易いかもしれませんね?」
「ば、バカな……じゃ、邪神じゃと―――」
トリーシャさんが笑顔で自分の正体を明かす。
それだけでカムロークは膝から崩れ落ちた。
あえて意識を失わせないように、ほんの少しだけカムロークへの『認識阻害』を緩めたのだろう。
それはもちろん慈悲の類ではない。
「あら?自ら膝をつくとは、一応は己の領分というものをわきまえていらっしゃるのですね。ですが、それも少々遅すぎましたね。貴方がたは既に神と敵対してしまいました。今更許しを請うても処分は免れないでしょう」
愉しげに語るトリーシャさんの笑顔は悪意に満ちていた。
しかも、続くネタばらしはカムロークにとって最悪なもの。
「それに、貴方としては絶対に認められないのではないですか?あの方達が神であるというのは……」
「な、に……?」
「ルドナ君たちは私と同じ神ですよ。まあ、最近神になったばかりの若い神ではありますが……」
「バカなっ!あの者はあの魔女の息子のはず!それが―――」
「それがそうなってしまったんですよねぇ」
「ありえん!ありえんわっ!そんな事っ!そんな事はあってはならぬぅ!あの小娘からっ!あの魔女から神が生まれたなどと認められるものかあぁぁっ!」
怒りで恐怖を塗りつぶし、カムロークが吠える。
だが、事実は事実。
それ故にトリーシャさんはなお嗤う。
「あはは。そうですよね。貴方にはそんな事、絶対に認められませんよね。ですが、これが現実です。貴方よりも―――いえ、貴方の娘よりも、人間である『あのコ』の方が正しかったんですよ」
「違うっ!違うっ!違うっ!間違いじゃっ!これは何かの間違いじゃっ!」
「ですが、新たな神は生まれました。貴方の理論でいえば、それが『正しさ』の証明ではないですか」
「邪神ごときが何を言う!そうじゃ!そやつは神などではないっ!お主と同じ邪神なのだ!我らが求めるのは真の神のみ!我らの始祖を生み出した真の神の再臨こそが―――」
「―――ええ、ですから間違いなく、彼が神なのですよ。なにしろ、新たなる世界樹に選ばれたのが彼なのですから」
回顧派の長老たちが目指していたのは、エルフが絶対的な権力を持つ王国の樹立である。
だが、カムロークのゴールはそこではなかった。
神代より今に至る長い時の流れの中でエルフたちはその力を衰えさせていた。
その流れを止める事こそカムロークが自らに課した使命であり、神が最初に生み出したエルフの始祖―――ハイエルフと同等の力を取り戻すことが彼の悲願であった。
その為には始祖から受け継いだエルフの血をこれ以上薄くしてはいけない……
カムロークがエルフ至上主義に走ったのは、あくまでエルフという種の未来を考えてのものだったのだ。
しかし、とあることがきっかけでカムロークの想いは歪んでしまう。
引き金となったのは魔女。
エルフの血を引きながら人間として生まれた魔女は、自分の娘よりも優秀であった。
カムロークの娘も女王の親衛隊に所属するくらい優秀ではあったのだが、エルフよりも寿命が短い人間はその分だけ成長速度が速い。後を追われる立場からすれば心中穏やかではいられなかったのだろう。
だから娘は功を焦った。
その結果―――悲劇が生まれた。
「なんじゃと……」
トリーシャさんの言葉にカムロークはこれ以上ないくらい目を見開く。
それぐらいトリーシャさんの言葉は衝撃的なものであったのだろう。
「彼は新たなる世界樹にパートナーとして選ばれたのですよ」
「まさか……」
「では、それを証明してみせましょうか。すみません、リサ様。こちらに起こし願えますでしょうか?」
だが、その後に起こった事はどうなのか……
「は~い」
トリーシャさんの呼びかけに応じ、リサがその姿を現す。
そして、姿を現したのはリサだけではなかった。
「カムローク……」
「……レ、レスファリア様……」
憂いを帯びた表情でカムローク翁に声をかけたのは緑の髪を持つ女神―――レスファリア。
世界樹から別れた分体である神樹の女神はエルフの始祖を生み出した神でもある。
それ故に―――カムロークは全てを悟った。
ただ、それでも一言。
「……全て本当の事なのですね……」
「ええ……」
そう尋ねずにはいられなかった。
そして、答えを得た以上受け入れるしかなかった。
かつて森の賢人と称えられた老エルフは、己の神に弓を引くほど愚かにはなり切れなかったのだ。
リサとレスファリア様の登場で事態は一気に収束した。
カムロークは憑き物でも落ちたかのようにおとなしくなり、自ら罪を認め、手下共々出頭したからである。
まあ、自身の崇める神が出てきた時点で、そうするしか道はなかったとも言えるが……
「最後の最後で思い留まりましたか。てっきりあのまま破滅するかと思っていたのですけどね」
ところがトリーシャさんに言わせるとそれがそうでもないらしい。
実のところ、レスファリア様が姿を現してもカムロークが敵対行動をとり続ける可能性は十分にあったとの事。
それに、それ以前の問題として、レスファリア様がこの場に出てくるかも怪しかったらしい。
なにしろトリーシャさんが呼んだのはあくまでリサであり、レスファリア様がついてくるかどうかは彼女の意思に委ねられていたからだ。
ただ、これには神様たちのスタンスの問題が絡んでいる。
「人の世の問題に神が口を出すのはよろしくありません。それにジュリアやイレーナと同様に、カムロークも私が生み出した者たちの子孫に違いありません。ですから、私から絶望を与えるのはやはり躊躇われました」
「絶望……ですか?」
「理想を求めるあまり生まれてしまった歪んだ思想。それが我が子を死地に追いやった。その事を彼は認められませんでした」
「それを認めてしまえば彼は狂っていたでしょうね。まあ、認められなくても凶行に走ったわけですが……せめて、娘の仇でも討てれば違っていたのかもしれませんね。でも―――」
「それをお母様が―――お母様とカンナ様が止めてしまったという事ですね……」
「え……?」
「カムローク翁の娘はダークエルフとの闘いの最中に亡くなっているんです」
「それはまた……何とも言えない話ですね……」
恐慌状態からなんとか立ち直ったイレーナ王女が話に加わって来たため、僕たちはそのままカムロークとその娘の話を聞く事になった。
まあ、聞いたからといってどうにもなるものでもないが……
カムロークのしようとしていた事は決して許されるものではないが、そこに至った経緯を知ってしまった以上、何も思わないというのも難しい。
ただ、そんな僕たちのすぐ傍で―――
トリーシャさんとレスファリア様の間で一触即発な危険な空気が出来上がっていた。
「―――ここまで事態が極まらないと腰をあげないとは、貴方も相変わらずですね」
「面白半分でヒトに介入し、悪意をバラまく貴方に言われたくはありませんわ」
「だからといって、何もしないで放置するのもどうなのでしょう?今回だって、結局、手を汚すのはヒト任せなのでしょう?」
「それは―――」
「あそこまで堕ちてしまった者を終わらせてあげるのも慈悲だと思いますけどね。救いを与えられないのならなおさら」
「……何も役目を担っていない貴方には私たちの苦しみなんてわからないのでしょうね」
「自分たちが好きでしていることでしょう?偉そうに言わないでくださいよ」
どうにもこの二人、仲があまりよろしくないらしい。
(レスファリアおば様は、パパのまわりでいろいろしてきたトリーシャさんの事をあんまりよく思っていないみたいなんだよね~)
ずっとレスファリア様のもとにいたリサもそう言っているので、これはほぼ間違いない。
もっとも心底嫌っているという感じでもないので、いわゆる喧嘩友達のようなものなのかもしれない。
(話を聞く限りレスファリア様は真面目そうだし、自由人のトリーシャさんとは話が合わないのかもね。でも、トリーシャさんはかまってちゃんっぽいし、真面目なレスファリア様は放っておく事もできないという感じかな?)
(言われてみれば確かにそんな感じかも)
そんな分析をするも、僕はそこまで二人の事を知っているわけではないので、それが正しいかどうかはわからない。
多くの神々がヒトの世に直接干渉することを避ける中で、ヒトと積極的に関りを持とうとするトリーシャさんは異端である。
そのような異端に、どのような感情を抱くのかもヒトそれぞれだと思うが―――
(神とヒトの適切な距離か……)
言い争う二人の女神を横目に、僕は少しだけそんな事を考えるのだった。
プロットの段階ではもっとエグく責めたてるはずのトリーシャが微妙にマイルドに。
カムロークが愚行に走った理由をもっとシンプルにした方が良かったのかもしれませんね。
7章が終わるまで毎日更新する予定です。