邪神の問いかけ
「う、嘘……そんな……なんで……」
トリーシャさんに見つめられたイレーナ王女は圧倒的な恐怖によってその身を竦ませる。
それは生存本能がもたらすものであり、ヒトの身で抗える代物ではなかった。
だから―――僕はその前に立つ。
「やめろ」
「そう言われても、私は何もしていないのですが……」
「……わかっている。だから、これ以上彼女を脅かすな」
二人の間に立つことで、トリーシャさんの視線を遮る。
しかし、それは関係ない。
なにしろ、彼女は何もしていない。
唯一行ったとすれば、自身の存在を隠匿する『認識阻害』の対象からイレーナ王女を外したという事であるが―――これは何もしていないから問題なのであって、その言葉に嘘はなかった。
それに、それはほんの一瞬だけ。
邪神の力の一端を正しく認識してしまったことで、イレーナ王女は恐慌状態に陥ったわけだが、現在は『認識阻害』の対象に復帰している。
そうでなければ、とっくに正気を無くしていた。
それぐらい『邪神』はヤバい存在なのだ。
(なによ、アレ……)
(私たちは『認識阻害』の対象から外れていないんですよね?それで……アレですか……)
(ル、ルドナ君……)
なにしろ神人である僕たちからしても恐怖しか感じない。
トリーシャさんの『認識阻害』が有効に働いているからなんとか立っていられるが、そうでなければ僕たちも間違いなく膝を折っていたと思う。
とはいえ、それは僕たちが元・人間であったから。
(神の力を感じ取れる私たちには、あのコの『認識阻害』はあってないようなものよ。だから、怖気づかなければOKだよ)
(え?サリア?それって―――)
(あのコがヤバイ神様なのは間違いないけど、神様なのはマスターたちも同じでしょ)
(それはそうだけど……というか、サリアは平気なの?)
(剣の神である私が恐れるのはマスターに捨てられる事だけよ?)
(あぁ、なるほど……)
そもそも『認識阻害』の対象に含まれている僕たちがトリーシャさんの力を感じ取れたのは神の力を扱えるから。
だとすれば、必要以上の『畏怖』を感じるというのがおかしい。
なにしろ、自分たちも同じような力を持っているのだ。
(僕たちも一応神様なんだから、神の力を恐れる必要はないよね)
(そうそう)
サリアの助言もあり、僕はトリーシャさんと堂々と対峙する。
すると―――
「そんなに睨まないでくださいよ。お姫様さえ大人しく渡してくれるのなら、こちらからは手を出しませんから」
トリーシャさんがそんな提案を持ち掛けてきた。
「そんな事できるわけがないでしょ」
もちろん、僕は拒否。
「ルドナ君たちの『仕事』はお姫様の護衛ですしね。しかし、『仕事』というなら、私も同じなんですよ。ですから、諦めてもらえませんか?」
「出来ないね」
「心配しなくても、そこまで悪い事にはなりませんよ」
「そんな言葉で騙されるとでも?」
「少し誤解されているようですが、お姫様はザイオン王子の妻になられるかもしれないお人ですよ。そんなお姫様に無体な真似などできるはずがないじゃないですか」
「……仮にそうだとしても、そちらの御老人はどうなのかな?」
僕とトリーシャさんの間で今更ながらの交渉が行われるが、それが成立しないというのは誰の目にもあきらか。
「もうよいじゃろ、トリーシャ殿。これ以上は時間の無駄じゃ」
ただ、カムロークとトリーシャさんは同志というわけではなく、お互いの目的の為に協力しているに過ぎない。
だから、両者の間にはズレがある。
「いえいえ、カムローク様。ここは大事なところですよ。無駄というなら、不必要な争いこそ避けるべきでしょう?」
「そう言って、姫にまで恩を売るつもりかね?」
「それも狙いのひとつではありますが、これは貴方の為にも言っている事ですよ」
「なにを馬鹿な」
「ですが、彼らの実力は確かなものです。こちらが送った刺客が返り討ちにあったのを忘れたわけではないでしょう?」
「ううむ……」
僕たちの前で、そんなやりとりを交わす二人。
だが、それは自分たちが優位であるとわかっているから行えること。
(なんか揉めだしたわよ)
(この隙に逃げられませんか?)
(いや、トリーシャさんはこちらをちゃんと警戒しているよ。今はこのまま様子を見よう)
隙があれば逃げ出すことも考えたが、相手がはるかに格上な『邪神』である以上、下手な手は打てない。
結局、二人の話し合いはカムロークが折れる形で決着したらしく、再度、トリーシャさんが僕に交渉を持ち掛ける。
そして、それは僕たちとしても望むところ。
まとまる望みのない交渉であるが、現状、僕たちにできるのは会話による時間稼ぎしかなかったからだ。
「ルドナ君、どうしても諦めないつもりですか?」
「ええ」
「どうしてですか?」
「……え?」
だが、その会話をきっかけに、風向きが変わる。
「冒険者としては依頼を途中で投げ出すなんて簡単には認められないでしょう。ですがそれは命を懸けてまですることですか?」
「冒険者はもともと命がけの仕事だよ」
「それで仲間を危険に晒しても?」
「……それも覚悟の上だ」
「困りましたね。こちらとしては出来るだけ穏便に済ませたかったのですが……許嫁といっても形だけのものでしょう?何故、そこまで入れ込むのです?」
そして、その問いかけは妙に引っかかるものだった。
「いや、入れ込むって―――」
だからなのか、反射的に口から出かけた言葉を僕は飲み込む。
言葉にしている最中で、自分の気持ちがそうではないと気づいたからだ。
「―――それは当然でしょ。だって、彼女は僕の許嫁なんだから」
代わりに思ったままを言葉にする。
すると―――
「そうですか。それでは仕方がありませんね。今回は諦めましょう」
「……え……?」
トリーシャさんは至極あっさりとそう告げた。
しかし、その意図が僕たちにはわからない。
「……え……?今、諦めるって、言いました?」
「はい。そう言いましたよ」
「……ホントに?」
「はい」
「ええと……理由を聞いても……?」
唖然としながらも、僕はなんとかそう口にする。
すると―――
「貴方に諦めてもらう方法が思いつかないからですよ」
ヤレヤレといった態度で、トリーシャさんが答える。
「……どういう事?」
「言葉通りの意味ですよ。今の私には貴方を諦めさせる手段がありませんし、貴方が諦めない以上、こちらが折れるしかないんです。ザイオン王子から『喧嘩を売る』ようなマネはするなと言われていますしね」
「え……?」
正直なところ、この時の僕は事態の変化についていけず、理解がおいついていなかった。
だが、僕たちには優秀なブレインがいる。
(ああ、なるほど。そういうことね)
(え?何かわかったの?サクヤ)
(いや、単純な話なんだけど、トリーシャさんはザイオン王子の協力者で、回顧派の長老たちの仲間ではないのよ。だから、私たちの事をザイオン王子には伝えているけど、回顧派の長老たちには伝えていないのよ)
(うん?そうだとすると何が問題なの?)
(あのね……よほど特別な事情でもない限り、普通の人は神様に喧嘩を売るような事はしないと思うわよ?)
(あっ……)
心話によるサクヤの説明を受けて、僕もようやく納得する。
ミントやノアさんも同じ。
それに対し―――
「ふざけるなっ!今更、何を言っておるっ!」
身体をワナワナと震わせ怒声をあげるカムローク。
まあ、それはそうだろう。
ここに来ての手のひら返しなど、カムロークにとっては完全に裏切り行為だ。
「貴様っ!裏切るつもりかっ!」
「裏切るというのは心外ですね。私はあなたの部下ではなく、ザイオン王子に頼まれてここに来ただけですよ?それに、あなたとザイオン王子はもともとお互いの目的の為に手を結んだだけ。利用価値がなくなれば、あなたもザイオン王子を切り捨てたでしょう?」
「それは―――」
とはいえ、カムロークの怒声程度で、トリーシャさんが怯むはずもない。
むしろ、楽しげに反論を並べていく。
「なによりカムローク様は勘違いされていますよ。ザイオン王子があなた方に頼んだのは『眉目麗しいと噂の姫君との仲を取り持ってもらう事』でしたよね?」
「まさか、それで知らぬ存ぜぬを突き通す気かっ!」
「いいえ、そのような事は言いませんよ。ただ、あまりもバカバカしい勘違いなので、お教えしておきたかっただけです」
「勘違いじゃと!」
「ええ。だって―――ザイオン王子の本命は第一王女のネア様でしたもの」
「なにっ……?」
「まあ、あの方は自ら公言するくらいの女好きですからね。妹様も貰えるというのなら、喜んで貰いうけたと思われますが……」
そのあげく、なんかとんでもない事実が暴露された。
まあ、それもサクヤの解説を聞くまでピンとは来ていなかったのだが……
(ザイオン王子の本命がネア様なら、勘違いで悪事の協力を求めてきた回顧派をわざと躍らせていたって事でしょうね。彼らの尻尾を掴んで、ネア様への手土産替わりにするつもりだったんじゃない?)
(あぁ、それはなんというか……哀れだね)
(完全に自業自得だし、同情するつもりもないけど、こればかりはね)
(あのおじいさんも目の前にいるのが邪神だとは思ってもいないでしょうしね)
(だからと言って、僕たちが教えてあげるというのも変な話だし……)
僕たちは激昂するカムロークに哀れみの視線を送る。
現状を正しく認識できていない老エルフは自分が絶対の優位にいると思い込んでいる。
事実、つい先ほどまではそうであったのだ。
だがそれは、『邪神』であるトリーシャさんが僕たちの前に立ちふさがっていたからである。
カムロークが揃えた私兵など、なんの問題とならない。
だとすれば―――
「ええいっ!こうなれば致し方あるまい!こやつもろとも打ち倒せ!」
「あらあら、残念ですね。森の賢人と称えられたお方にしてはあまりに短慮すぎではありませんか?もう少し遊べるお方だと思ったのですが―――」
怒りのままカムロークが私兵たちに号令を出す。
しかしそれは、自身の死刑執行にゴーサインを出したも同然。
邪神にとって、遊び飽きた玩具などガラクタでしかないのだ。
戦闘?何それ、美味しいの?という感じですが、この章はボスバトルなしです。バトルなしでどこまで書けるかチャレンジしてみたかったんです。
7章が終わるまで毎日更新する予定です。