襲撃
イレーナ王女と行動を共にして五日目。
僕たちは採取系のクエストをこなすためにレスファオーツ郊外の森に来ていた。
そして―――最初の襲撃を受けた。
もっともこの襲撃はたいしたことはなかった。
雇われたのは冒険者を兼業している傭兵たち。
彼らは『悪い冒険者に唆されて家を飛び出したお嬢様を連れ戻して欲しい』という依頼を受けただけであった。
まあ、ギルドを通していない依頼であるし、本当の依頼者をあかせないという時点でかなり怪しい仕事ではあるのだが……その分、報酬は良かったのだろう。
ただ、いくら傭兵でも完全な悪事と分かっていて仕事を受ける者はそれほど多くない。
彼らの目的はお嬢様を連れ戻す事が第一で、お嬢様を唆したとされる僕たちを懲らしめるのが第二。
だから最初は説得から入ったし、交渉が決裂したあとの戦闘もあくまで脅し……少なくとも命のやり取りをする気はなかった。
それ故に、形勢が不利になるとあっさり白旗をあげた。
そして、そんな相手だから、たいした情報も得られない。
僕たちは白旗をあげた彼らをそのまま解放した。
一応の忠告として、『依頼者に報告するのは止した方がいい』とは伝えた。
事の大きさから考えて、仕事に失敗した彼らは消される可能性があった。
そして、傭兵稼業をしている彼らとしても、その可能性は考えていたのだろう。
彼らは僕たちに謝罪と感謝の言葉を述べて、この場を去っていった。
襲撃者を撃退した僕たちは周囲を警戒しつつ一息つく。
「結局、なんの手掛かりもなかったね」
「いや、そうでもないでしょ。少なくとも相手は相当焦っているようよ」
「え?焦っている?」
「私が相手の立場なら、王宮内の動きにも当然目を配っているわ。だとすれば、私たちがカンナさんの関係者であると気づいたはず。そして、そんな者が王女様の傍にいるとしたら、回顧派の長老たちは悠長に待つ事なんかできるはずがない。だから、とりあえず動かせる者を動かしたのよ。失敗するとわかったうえでね。要は、次の本命を用意するまでの時間稼ぎって事よ」
そんな中、サクヤが自身の見解を示す。
「次が本命なの?」
「おそらくね」
「ですが、予定ではもう少し時間がかかるという話ではありませんでしたか?」
「そうね。だからこそ焦っていると考えたのよ。相手からすれば今はじっと我慢するのが正解よ。下手に動けば事が露見するし、王女様が城の外にいるこの状況は彼らにとっても悪くはない。この膠着状態をひと月も維持できれば、彼らの方が有利な状況を生み出せるわけだしね」
「え?そうなの?」
「リノタ帝国の王子様と交渉しているのは回顧派の長老なんでしょ。だとしたら、自分たちが有利になるように動かす事もできるはず。その為の時間があれば……って話だけどね」
「ああ、リノタ側に圧力をかけさせるのか……」
「でも、それを待っていられない事態が起きてしまったのよ。長老たちからすれば、るーの存在はそう簡単に見過ごす事はできないしね」
「王女様を連れてお城に戻るだけで計画がパーだからね」
「……いや、それもあるけど……長老たちが警戒したのは、るーがこのまま王女様を国外に連れ出す事よ」
「……え?」
サクヤの話に耳を傾けていた僕は、思わぬ指摘に面食らう。
それはそれだけ思考の外であったからだ。
ただ―――
「まあ、普通なら打てない手よ。でも、カンナさんならやりそうな手でしょ?」
「あ~……」
「そして、相手はるーのことをカンナさんの息子だという事ぐらいしか知らないのよ?だとしたら、カンナさんと同じようなことをするかもと考えても不思議じゃないでしょ?」
「確かに……」
―――サクヤの指摘に僕も深く納得する。
母さんは考えなしに動くタイプではないが、いざという時は躊躇なく行動する。
そして、そういう時の母さんはリスクとかリターンとかを一切考えない。
それは自分の決断の全てに自分の責任があると強く自覚しているからだ。
つまり―――動くと決めた時にはすでに覚悟は決まっている。まあ、動かないと決めた時にも同様の覚悟はしているのだが……
そんな母さんであるから、ヒトを測る時も同じように相手の覚悟を重視する。
故に―――王女様が『国を捨ててでも、事態の解決を願う』という覚悟を示せば、それに答えるというのはおおいにありえた。もっともその場合、それ以上の解決策を持って王女様の覚悟に答えるというのが母さんなのであるが……
「あぁ、そういう手もあるね~」
「いや、僕はそんな事しないからね」
「ええっ、しないの?」
「流石に母さんみたいな真似は出来ないよ」
しかし、母さんは母さん。
僕は僕である。
だから、イレーナ王女に釘を刺す。
今の段階で彼女を国外に連れ出すというのはあまりにもリスクが大きいし、それに見合うだけのメリットもない。
僕としては当然の判断である。
だが、そんな判断を下した僕をイレーナ王女はきょとんとした表情で見つめていた。
あるいはそれで王女様を失望させてしまったのかと思ったが―――
「そっか。それは残念」
―――口では残念だと言いながら、イレーナ王女はにこやかな笑顔を浮かべた。
ただ、もともと冗談のような口ぶりであったし、この時の僕はその笑顔の意味がよくわからず、わずかに首を傾げただけ。
彼女の心の中で起こった変化など、僕が知る由もない。
だから―――その日の夜の『襲撃』も完全に想定外であった。
◆◆◆
神層世界でいつもの修行を終え、ベッドの中に転移する。
この数ヶ月の間でそれは完全に僕の日常の一部となっていた。
だから、戻ってきた部屋の中で誰かが待ち構えているなんて事は思ってもいなかった。
とはいえ、それほど広くない部屋の中に人が立っていれば気が付かないわけがない。
「……え?」
「こんばんは。ルドナ君」
「イエナ……?」
ベッドの傍に立っていたのはイエナ―――イレーナ王女である。
「……こんな時間にどうしたの?」
「少しルドナ君に話したいことがあって。だから勝手だけど、部屋の中で待たせてもらったの」
「そ、そう。なにか相談かな?」
「そうね。一応、内緒の相談になるのかな?」
「内緒の相談ね……」
内緒の相談ということであれば、このタイミングで部屋に来たというのもわからなくはない。
夜中に男の部屋を訪ねてくるとか、不用心だなと思いはしたが、それも改めて指摘するほどの事ではない。
だから、話を聞くためにベッドから起き上がろうとして―――
「相談というのはね。昼間の事をもう一度考えてもらえないかなって事なの」
「……え……?」
―――起き上がる前にイレーナ王女が距離を詰める。
故に、上半身を起こしたところで僕は動きを止める。
結果、ベッドの上から見上げるような形でイレーナ王女と話し合う。
「私をこの国の外に連れ出して欲しいの」
「いや、それは……断ったよね?」
「だから、もう一度考えて欲しいって言っているんだよ」
「そ、そう言われても―――」
「―――もちろんルドナ君にはそれなりの代価を払うわ」
「……代価?」
「私を外に連れ出してくれるのなら……私を一晩好きにしてもいいわ」
「……はい……?」
話の末に飛び出したのが、そんなとんでもない提案だった。
僕はおもわず唖然とする。
「あれ?一晩じゃ足りない?なら、二日?」
「い、いや、そういう事じゃないから……」
「私の身体じゃ不満なの?」
「……いや、そういう事でもなくて……なんでそんな事を言っているのかがよくわからないんだけど……」
「なんでって……さっきから言っているよね?私がこの国の外に出たいからだよ」
「いや、だから―――って……あれ?」
混乱したまま会話を進める僕であったが、唐突にとある可能性に思い至る。
「……ひょっとして……イレーナ王女はこの国を出たいの……?」
「うん。だからさっきからそう言っているでしょ」
「それは……国を捨てるって意味で?」
「そうだよ」
「……今回の事とか関係なく……?」
「全くないわけではないけど、今回の事とは離して考えてもらっても構わないわ」
「………」
「………」
そして、彼女の口から飛び出したあまりな発言に、僕は思わず天を見上げる。
僕にも考えをまとめる時間が必要だったのだ。
「……ええと……その理由を聞いても……?」
「外の世界を見てみたいっていう単なる私の我儘だよ」
「……ほ、他に理由は……?」
「ん~、特にはないね。家族や国に不満があるわけじゃないもの。まあ、自分の好きに出来ないことが不満といえば不満だけど……二番目とはいえ一応王女だからね。ある程度は仕方がないというのもわかっているんだよ」
「……自分の我儘だとわかったうえで、それでも諦められないって事……?」
「うん」
「そんな事をすれば、まわりにどれだけ迷惑をかけるかもわかっているだよね?」
「全部わかっている―――とは流石に言えないけど、ちゃんとわかっているつもりだよ」
「………」
「………」
再びの沈黙。
それはかける言葉が見つからなかったからだ。
なにしろ彼女が本気であるというのは理解できた。
理解できたが―――彼女のお願いは聞いてあげられない。
「だから、お願いできないかな?」
「……悪いけど僕にはそんな事はできないよ。僕は母さんじゃないからね。イレーナ様が本気だというのは理解したけど、だからといって、それだけでは働けない」
「ルドナ君はルドナ君。いくらカンナ様の息子でも同じようにはいかないわよね。でも、だからこその報酬だったんだけど……交渉は失敗か」
「魅力的な提案だとは思うんだけどね。でも、だからこそもったいない気がしてね」
「もったいない?」
「僕は聖人君子じゃないし、代価を払って女性を抱くのも普通にアリだと思っている。でも、そういう関係は代価が払えなくなったら途切れてしまうって事だよね?それがすごくもったいないかなって。まあ、愛情で繋ぎとめる場合も同じといえば同じだけどね」
「なるほどね。でも、それって、そこまでする価値が私にはないという事にならないかな?」
「そんなふうに感じたのなら一度鏡をよく見ることをお勧めするよ。こっちは断腸の思いで断っているんだし……それに、他にも理由がないわけじゃないよ」
「他の理由?」
「……まだ誰とも『そういう事』はしていないからね。先にイレーナ様としちゃうと、皆、すごく怒ると思うんだよね……」
「……え?」
「いくらイレーナ様が魅力的でも、自分の恋人より優先することはできないからね」
僕は彼女の真摯な願いを断った。
だからせめて、断る理由くらいは誠実に話す。
そのせいで少々余計な事も知られた気がするが―――
「……ええと、ルドナ君って……童て―――」
「そ、そこは触れなくてもいいでしょ!一応、これでも気にしているんだから!」
「あははっ。ごめん、ごめん。さすがにちょっと想定外だったからね。でも、まあ、そういうことなら、諦めるしかないね」
「悪いね。力になれなくて」
「もともと私の問題だもの。ルドナ君が気にする事でもないよ」
―――そのおかげか、イレーナ王女は案外さっぱりとした態度で僕の部屋を後にする。
そして、残された僕はというと……
「納得してくれたのはありがたいけど……これ、絶対眠れないよね……」
カッコつけた代償で、非常に悶々とした夜を過ごす事になったのだった。
襲撃(夜戦)がメインです。
とはいえ、ベッドの上の戦いにはなりません。
7章が終わるまで毎日更新する予定です。