それぞれの思惑・その2
リノタ帝国北西部にある小さな街『マリオーン』。
その領主の館のとある一室で、美男子と美少女が優雅にチェスを興じていた。
「なるほど。なかなか面白い事になっていますわね」
「だろう?」
白の駒を指す美男子はザイオン=シユ=リノタ。
リノタ帝国の第三王子で野心溢れる策謀家としてその名を広く知られていた。
「それで、王子の本命はどちらなのです?」
「おや、珍しいね?それを聞いてくるのかい?」
「それだけ興味深いお話だということですわ」
黒い駒を指す美少女はトリーシャ=イウス。
表向きは世界を渡り歩く商人という事になっているが―――その正体は邪神。
「ふむ。君の興味を引けたとあれば、話さないわけにはいかないな。だけど、答えには期待しないでくれたまえよ。森の賢人との知恵比べも悪くはないが、美女との語らいに比べれば、男がどちらをとるかなど分かり切った事だろう?」
「まあ、貴方ならそうでしょうね」
「とはいえ、今でなければ話は違ったかもしれないがね。かの御仁も相当な御歳であるし、その英知もだいぶ曇ってしまったようだ。でなければもう少し楽しめたのかもしれないがね」
「あら、年齢なんてものは言い訳にはなりませんわ。たかが数百年で知恵を衰えらせるなんて、鍛錬が足りていない証拠ですよ」
「君からすればそうなるのだろうがね。ヒトが君たちのいる領域に至るというのは本当に稀なのだよ」
ザイオンはトリーシャの正体を知っていた。
知った上で対等の関係でいられる稀な存在であった。
「そうですね。だからこそ、可愛いとも思えるのですが……」
「我々は感謝すべきなのだろうね。君たちのようなものが見守ってくれていることを」
「必要以上に持ち上げるのはよしてくださいな。私はこんなふうに遊んでいるだけなのですから」
もっとも、そんな関係でいられるのはザイオンがトリーシャのお気に入りであったからだ。
だが、だからこそ気を抜くことは出来ない。
なにしろ大抵の神はきまぐれである。それが邪神となればなおさら。
トリーシャの興味を引く存在であるからザイオンは対等に振舞うことを許されているというだけで、その興味が失せた瞬間、ザイオンの価値は塵芥と変わらないものになりはてる。
ザイオンはそのあたりの事をきちんとわきまえていた。
「いや、それだけで十分というものだよ。まあ、欲をいえば貴方のような美女とはもう少し艶のある話もしてみたいものだがね」
「相変わらず口だけはお上手なようですね」
「口だけというのはいささか酷いな」
「その気もないのにそういう軽口を叩くからですよ」
「君が本気で答えてくれるというのなら努力もするのだがね」
「相手が答えてくれないと努力をしないという時点で、本気でないと言っているようなものじゃないですか」
「すまないね。負けが見えている勝負はしない主義なのだよ」
「仕方のない人ですねぇ」
そんなふうに軽口を交わしていた二人であるが、盤面は終局に向かっていた。
それまで淀みなく進んでいたザイオンの手が止まる。
「……むっ……」
「おや、どうしましたか?」
「いや、思いもしない手で来たからね。少し珍しいと思ったのさ。なにかあったのかい?」
「そうですね。なかなかに面白い出会いがありましたので」
「ほう。それは興味深いね。その話を伺っても?」
「そうですね。貴方にも関わりのあるお話ですし、話してさし上げてもよろしいのですが―――ひとつ条件があります」
「条件?」
「先ほどのお話に私も一枚噛ませてほしいのですわ」
「……ということは君の話もこちらの話に関わりがあると……?」
「ええ」
「そういうことなら私はかまわないが―――」
ザイオンはそう言うと、ポーンでナイトを取る。
「おや、ナイトの方をとりましたか。てっきりクィーンの方を取るかと思いましたが……」
「そうかい?私はこう見えて臆病者だよ?」
「まあ、そちらが正解ではあるのですけどね。これでこちらは一気に厳しくなりましたわ」
己の戦況が不利になったのに、トリーシャは笑顔で語る。
それは正しい答えを導き出した生徒を見る教師の眼差しに近い。
「それで先ほどの話ですが―――」
所詮は盤上遊戯。
だが、対戦相手が神であるならば、話は別。
勝者に与えられる褒賞はそれに相応しいものであるべきなのだ。
相変わらず文字数に開きがあるというか、話をどこで区切っていいのか迷います。
7章が終わるまで毎日更新する予定です。