青い瞳の少女
ここは広大な草原に続く森の入り口、木漏れ日が優しく降り注いでいた。
手のひらに乗るほどの小さな生き物が飛んでいる。その背中には羽があるが鳥ではない、人の形をしている。
「妖精」そんな表現がぴったりな生き物だ。
「もう、どこいっちゃったのかな?」
「妖精」はあちこち見回していたが、やがて一本の木に目を止めた。
その木陰では、少女がもたれかかり、本を読んでいた。
「居た!」
「妖精」はブンッと羽音をさせて少女のもとに向かった。
「もぅ、探したよ~。こんなところにいたんだ」
年のころは16,7歳。
フリルのついたチュニック、そのチュニックによく似合う身軽なパンツスタイルだ、足元には、軽く、それでいて丈夫なブーツを履いている。
スラッと、締まった体つきをしている少女がいた。
青い瞳の少女は金色の髪をかき上げた。
「どうしたの?シャル」
「長老さまが呼んでるよ」
チュン、チュン
少女の傍では小鳥たちが戯れていた。
「そうなの?…う~ん」少女は大きく伸びをする。
そんな少女に「シャル」は呆れたように言った。
「もぉ、のんびりしてないでよ!長老さま、急いで来いって言ってたよ」
「わかったわ、今行く」
少女は立ち上がり、手にした本をしまうと、軽装の腰に下げた短剣を確かめた。
「みんな、またねっ」
少女は小鳥たちにそう言うと、どこまでも広がる空を背に勢いよく駆け出した。
「あ、ちょっと、待って!」シャルも慌てて後を追う。少女はどんどん速度を上げていった。
少女はこの森で育った、地図などなくとも迷いはしない。
倒木と垂[しだ]れた枝を避けながら、水音がする方へと急ぐ。
少女は先を急ぎながら振り返らずに聞いた。
「シャル、おばあさま何か言ってた?」
シャルは首を傾げた。
「さぁ?とにかく急いで呼んでくるように言われ...」
バチン!!
「ぎゃ」
少女のすぐ後ろを飛んでいたシャルが、枝にぶつかりその拍子にクルクル回って落下した。
「イタタ」
地面に座り込んで顔を抑えている。
少女は足を止め振り返った。
「大丈夫?シャル」
「うーん、なんとか...。」
「ほら、急ぐよ、わたしの肩につかまって」
「うん」
そう言ってシャルは、フラフラと飛び上がり少女の肩に乗った。
少女は再び駆け出すと、湿った森の中を身のこなしも軽く先を急ぐ。
と、その時!!
幾年もの苔に覆われた樹木の陰からひとつの大きな影が現れた。
生い茂った天上から光が差し込むと、その影の正体をあきらかにした。
それはヘラジカのように見えるが、頭がふたつあった。
シャルが大口を開け、たじろいだ。
「あわわ!!!」
角膜だけの漆黒な瞳がこちらに気付いた。
(あれはエルクね、普段はおとなしい生き物だわ、怒らせなければ大丈夫なはず)
16フィートほどの距離だろうか、ゆっくりと二人の前を横切ってゆく。
「ヤバ、ヤバイヤバイ!どうしようどうしよう!」
「シッ、シャル、静かにして」
シャルは自分の手で口を塞いだ。
少女は、その巨大な生き物から目を離さず囁いた「大丈夫、あれは雄のエルクよ。こちらから何もしなければ襲ってこないわ」
そう言いながらも少女は腰にさげた短剣に手を伸ばしていた。そう、この世界ではいつ何が起きるか分からないからだ。
シャルは冷や汗を垂らしつつ、ブンブンうなずいた。
しばらくするとエルクは森の奥へと消えていった。
シャルは、ほーッと息を吐いた。少女も短剣から手を放す。
「はぁ、怖かった...。って、あれ、あたし飛んで逃げればよかったんじゃない⁉︎」
「フフ、今頃気付いたの?」
少女は可笑しそうに、肩を揺らした。
「よし、今のうちにここを離れましょう」
「うん!」
しばらくして、少女は立ち止まると目を閉じて耳を澄ました。
(もうすぐね、川が近い)
〝ザザァー!!!〟
近づくにつれ水音が激しくなってくる。
「はあっ、はあ」
急いでいた足を止め、見下ろした先は激しい流れがあった。
もう少し行くと滝がある、滝壺に飲まれると上下感覚が分からなくなってしまう。
倒木を渡した橋を慎重に歩いてゆく。
そして少女はまた駆け出した、目的の村はもうすぐそこだ。
少し先の方にシャルが村を見つけた「あ、見えてきた!」
そこは村人が十人ほどの小さな村だ、2人はすぐ先にある一番大きな家を目指してゆく。
ギィィ
ドアを開けるとそこは、窓のないロウソクの灯りで照らされた部屋だった。
「長老さま、連れてきたよ」そう言ってシャルは、自生して床を突き抜けた木の上に降り立った。
少女は、奥に座る老婆に声をかけた。
「おばあさま、何があったの?」
長老と呼ばれた人物が初めて口を開いた。
「おお、戻ったか」
この人物は齢200を超えると言われている、もちろん、普通の人間がそれほど生きられるはずがない。
「イルサよ、立っていないで掛けなさい」
「はい」
イルサと呼ばれた少女は、まだ赤ん坊の頃に森で拾われた。
今から16年前
「もうすぐ着きますぜ」長老の前を行く屈強な男が言った。
「おお、やっとか、老体には堪えるな」
隣の村で用事を済ませた帰り道だった。道しるべとなる神木を過ぎるその時、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
と同時に、
「だれかー!助けてー!!」神木の陰から声がする。
見るとそこには小さな生き物が飛び回っていた。
男は驚いた様子で「な、なんだこの小さいのは?」
「これは...妖精じゃ」あとからゆっくりと歩いてきた長老が言う。
そして、その下には布に包まれた赤ん坊が泣いていた。その傍には小さく光る宝石の首飾りのような物が...。
「おお、魔物が出る森でよく無事でおった。いったい誰がこのような事を!それにこの宝石は...。」
長老が抱き上げると赤ん坊は腕の中で笑顔をみせた。
「よし!村に連れて帰るぞ」
それから少女は健やかに育ち16歳になっていた。イルサにとっては長老をはじめ、村人全員が親代わりだった。
「それでおばあさま、話ってなに?」沈黙を破ってイルサが尋ねた。
「うむ、最近になってこのアルテニルの遥か遠くの地、王都に続く国境付近で恐ろしい事が起こり始めているという。それは、空から灼熱の炎が噴き出し、空間から怪物どもが現れているようだ」
イルサは驚きを隠さず「灼熱の炎?それに怪物が?」
長老は見えないはずの天を仰いで「何か、よくない事が起こり始めているやもしれん」
そう言うと長老はイルサに向き直った。
「そこで、わしの知識が役立つかも知れんが、なにぶんハッキリとした事が分からんのじゃ」
「私はどうすればいいの?」
イルサは当たり前のような質問をした。
「この村は年寄りが多い、村を守る為に戦える者を残しておかなければならん」
期待と不安の表情を浮かべたイルサは、
「それで私が調べに行くのね?」
「うむ、行ってくれるな?」
「うん、まかせて」
「シャルを一緒に連れて行け、何かの役に立つかも知れん」
「はい」
気付くとシャルは木の上で眠りこけていた。
はぁぁー、と大きく息を吐いて長老は言葉を続けた。
「一刻も早く、と言いたいところだが、もうすぐ陽が暮れる。お前も分かっておろうが夜の森は危険だ。明日の朝早くに旅立てるよう、村の者に準備をさせておこう。それから、森を抜けても十分に注意するんじゃぞ、どんな危険が待ち受けているか分からんからな」