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「エミリー。今晩、仕事が終わったあとで一緒に食事でもしないか?」


 いつも喧噪に満ちている冒険者ギルドが静かになった。

 それもそうだ。

 みんなが牽制しあってエミリーに手を出さなかったのに、冒険者でもない俺がいきなりエミリーをデートに誘ったのだから。


「え、えっと、ハロルドさん?」


 エミリーは慣れていないのか顔を真っ赤にしてうろたえていた。


「その、いきなり言われましても……あのっ、色々と、その」

「ああ、悪かった。じゃあ、エミリーの都合のいい日はあるかな」

「えっと、その……」


 エミリーは言い淀む。


「デート、ですか?」


 俺が頷くと、後ろの冒険者たちも必死に聞き耳を立てているのがわかった。

 エミリーは立ち上がって勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい! わたし、今婚約してるんですっ!」

「えっ……」


 驚いたのは俺だけじゃなかった。

 むしろ俺よりも後ろの冒険者たちの方がダメージが深かった。

 阿鼻叫喚の地獄絵図がそこにあった。


「ハロルドさん、ごめんなさい! だからそのお誘いは受けられません!」

「あっ、うん……わかった。いや、その、なんだ。エミリー、おめでとう」

「はい、ありがとうございます」


 意気消沈して振り返ると、冒険者たちが泣きそうな顔をしていた。

 何人かが俺の前に現れて握手を求めてきた。


 謎の友情が芽生えた。

 どちらともなく肩を組み合って併設されている酒場に向かった。


「野郎どもっ! 今日は飲むぞっ!」

「うおおおおおおっ!」

「エミリーちゃんがああああっ!」

「俺の天使がああああっ!」

「もう恋なんてしないっ!」

「俺たちゃ冒険者! 明日をも知れぬその日暮らしさ!」

「酒は飲め飲め! 金を積め! 足りなきゃ剣を売れ! それでも足りなきゃ服を売れ!」


 冒険者は彼らの歌を唄いながらてんやわんやで酒を飲んでいた。

 しかし、それも一時間ぐらいするとお通夜になってしまった。


 俺もちびちびと蒸留酒を飲む。

 こっちの酒は前世に比べると酒精が強い。でも、風味がいい。

 魔法で木製のカップに氷を浮かべて飲む。

 みんな氷を欲しがったのでどんどん入れてやった。


「あっ! お前! ハロルドじゃねえか!」

「あー、えっと、ゴードンさんだっけ?」

「この前はよくも逃げてくれやがったな! さっさと赤竜の居場所を教え……なんでこんなにお通夜みたいになってんだよ」


 近くの冒険者が言った。


「エミリーにな、婚約者がいたんだ……」


 その瞬間、ゴードンは視線をそらして「へ、へえ……そりゃあ大変だな」と言った。

 あんなに赤竜の居場所を知りたがっていたのに、さっさと踵を返して帰ろうとしていた。


「……ゴードンさん、そんなに急いでどこに行くんです?」

「い、いや、ちょっと野暮用を思い出しちまってよ……」

「まあまあ、せっかくだから一緒に飲みましょうよ」

「お、俺はあんまり酒が強くないからなあ……あはははは」


 俺たちは顔を見合わせてゴードンを捕らえた。


「お前らっ! 一体なんのつもりだあああっ! 離せええっ! 俺は帰るんだっ!」

「さあ、ゴードンさん。今からエミリーを呼んできますけど、彼女の口から言ってもらうのと、ご自分の口で言うのと、どっちがいいですか?」

「な、なんのことだ!? 俺は何も知らねえぞっ!」

「あくまでもしらばくれるつもりですか。ネタはあがってんですよ!」

「なんのネタだよ!」

「あんたさっき明らかに目を逸らしたじゃないですか!」


 冒険者たちも殺気だってゴードンに詰め寄る。


「おうおう、ゴードンさんよう。A級冒険者だからってそりゃあねえぜ」

「俺たちゃあんたみてえな気さくな人が嫌いじゃねえが、答え次第じゃちょっと穏やかじゃねえなあ」

「はっきりさせてもらおうじゃねえか、ええ?」


 武器を抜くことはないが、全員臨戦態勢である。

 ゴードンはつばを飲み込んで口を開きかけたが、ちょうどそこにエミリーが現れた。


「叔父様!?」

「おじさまだあああああ!?」


 ゴードンは盛大なため息をひとつして言った。


「お前らの聞きたいことはよーくわかった! だからまず解放しやがれ!」


 解放するとゴードンはエミリーと肩を組んで言った。


「俺の姪っ子だ!」

「似てない」

「全然似てないよな」

「似なくてよかったんじゃねえか?」

「それもそうだな。ゴードンさんの顔に似たら最悪じゃねえか」

「お前ら聞こえてるぞ! 顔覚えたからな! ちくしょうめっ!」


 ゴードンが言うには、エミリーはタッカ市の領主一族の青年と婚約しているらしい。なんでも若くしてタッカ市の商人組合をまとめる若旦那だそうだ。

 冒険者なんかよりもずっと生活が安定している。


「そういうわけだ! 残念だったな! がっはっはっ!」


 エミリーはかわいいし気立ても良いから、それなりの相手と縁があったというわけか。

 悲しいが祝福してやらなければ。


 俺は酒を掲げて言った。


「エミリーの婚約を祝福しよう……」


 冒険者たちは涙を堪えて酒を掲げた。


「エミリーに!」

「新たな夫婦の誕生に!」

「乾杯!!」


 さんざっぱら飲んで夜も更けたころに帰る。

 一応途中で酔い覚ましの魔法を使ったけれど、師匠からは「酒臭いわね」と言われてしまった。


「エミリーに婚約者がいたんです」

「あらそう、残念だったわね!」


 師匠は無駄に嬉しそうだった。


「まあ、気にすることないわよ。女なんて星の数だけいるんだから」

「そうですね」

「ハロルドって童貞でしょう? まずは色街でも行ってみればいいじゃない」

「それは師匠としてどうなんでしょうか」


 ちなみに今世では童貞だが、前世では妻子持ちだったのでこじらせちゃいない。


「いやあね。どうして弟子の下半身事情まで管理しなくちゃいけないのかしら。そんなもの勝手にしなさいな。立派なもんがついてるんだから」

「最後の一言が余計です、師匠」

「あら、中々のものだと思うわよ?」

「何言ってるんですか! まったくもう!」


 最近はさすがに夜中に部屋に侵入されることはなくなったけれども、十五歳のころにばっちり見られているのでなんとも言いがたい。


「まあ、今日ぐらいお風呂入ってゆっくり寝なさい」

「……そうします」


 風呂でぼけーっとしていたら浴室の扉が勝手に開いて師匠が入ってきた。

 裸で。


「ハロルド! たまには一緒に入りましょうか!」

「何やってんですか、師匠!」


 思わず両手で股間を隠す。


「小さい頃からさんざん見られているのに隠すことないじゃない」

「師匠こそ隠してくださいよ! なんでそんなに堂々としてるんですか!」

「あははっ! だってハロルドよ?」

「答えになってません!」


 師匠の裸体を見ても興奮なんてしない。なんというか、師匠は異性ではなくて、師匠なのだ。


 浴槽は結構広いのに、師匠はわざわざ俺の隣に入ってきた。

 身を固める俺を気にせずに、師匠は言った。


「昔ね、わたしにも息子がいたのよ」


 初耳だった。


「まあ、一年も経たずに死んじゃったんだけど。せめて親らしいことしてあげたかったなあって思うことはあるわね」

「……そうですか」


 俺は師匠のことをよく知らない。

 もしかしたら、俺を息子のように思ってくれているのかもしれない。

 それにしては何度も殺されそうになったけど。


「わたしはね、親がどういうものか知らないわ。子どもにどう接すればいいのかも知らない。愛情の与え方を知らない。戦い方しか教えてもらわなかったから、それ以外に何を教えればいいのかわからない。ハロルド……」

「はい」

「あなたを弟子にしてよかった。あなたはわたしが教えたことを何でも吸収した。どんな痛みにも耐えた。ずっと傍にいてくれた。毎日成長してくれた。どんなに苦しい訓練も、文句一つ言わずにやり遂げた。こんなに短い時間で、こんなにも強くなった」


 なんだかむずがゆい。

 いつも師匠は何を考えているんだろうと疑問だったけれど、本当はこんな風に俺を心配してくれていたのか。恥ずかしいけど、嬉しかった。


「それは、師匠が俺に腕と脚をくれたからです。だから俺は強くなれた」

「違うわよ。わたしはハロルドにチャンスをあげただけ。強くなったのは、あなたの意志が強かったから。魔力がどれだけあっても、あれほどの痛みと苦しみに耐え抜いたのは、あなたの気持ちが強かったから」

「師匠がいてくれたからです」

「あら、おだてても何も出ないわよ。それとも出るようにしてくれるのかしら」


 師匠はそう言って自分の乳房をたぷたぷと揉んでいた。


「師匠、雰囲気ぶち壊すのやめてもらっていいですか?」


 相変わらずしれっと下ネタをぶち込んでくるのは変わらない。

 師匠はけらけら笑って小さく息を吐いた。


「まっ、あなたを拾ったのは罪滅ぼしみたいなものだしね」

「罪滅ぼし、ですか」

「そうそう。わたしも魔術師だから軍の招聘で協力することがあるのよ」


 時々遠征軍に付き合うのはそういう理由だったのか。

 師匠は言う。


「時々ね、自分が人じゃないような気がしてくるのよ。魔獣や敵を倒すのは別にいいわ。でもね、敵が人質をとって村を押さえているなんてこともあって、そういうときはどうすると思う?」


 師匠は水をデコピンで弾いて言った。


「村ごと魔法で吹き飛ばすのよ」

「……それじゃあ村人は」

「――死ぬわね。老若男女問わず、生まれたばかりの子どもだって死んじゃうわね」


 あまりにも残酷だと思った。

 王国がそんなことをしているとは思っていなかった。


「でもね、人質なんか取ったところで王国軍には通じないってことを見せつけなくちゃならない。そうでなければ、同じやり方を次もされてしまう。だから非情にならざるを得ない」

「理屈はわかります」


 でも納得はできない。


「あなたがどこの村にいたのかは知らない。でもね、もしかするとあなたの親をわたしが殺したんじゃないかって……怖かったわ。あなたの未来をわたしのこの手が奪ったんじゃないかって。あなたの家族を奪ったのはわたしじゃないのかって」


 怖かった――師匠はふっと笑って顔をお湯で流した。


「俺の両親は……帝国兵に殺されたんです。帝国兵というか、たぶん逃げ出して賊になった連中だと思います。俺は両親から街に行けと言われて逃げ出して……途中で魔狼の群れに見つかって、王国兵に見つけてもらわなかったら、きっと死んでいたと思います。治療はしてもらっても、俺は左腕と両脚を失いました。スラム街に放り込まれて、物乞いになって……師匠に拾われました」


 あのとき、師匠に拾ってもらえなかったら、俺はきっと死んでいた。

 せっかく転生したのに、苦しみながら死んでいたんだと思う。


「師匠は俺の恩人です。師匠が何を思っていようと、誰がなんと言おうと、恩人です」


 師匠は俺の頭を濡れた手でわしゃわしゃと撫でて「そう」と短く微笑んだ。


「ハロルド、これからもよろしくね」

「こんな不肖の弟子でよければ」

「そうね。あなた魔法のセンスないものね」

「ひどい!」


 師匠はゆっくりと立ち上がって、俺を抱きしめた。

 胸が顔に当たって息ができない。


「自分の子どもを、一度でもいいから抱きしめてあげたかったのよ。少しだけ許してちょうだいね」


 それは裸の今じゃなくてもいいと思うのは俺だけだろうか。

 とはいえ、俺が知らないだけで、師匠には師匠なりの辛い過去があるのかもしれない。


 けど、長い。


「……ふがふが」

「んんっ、いやんっ」

「変な声出さないでくださいよ!」


 師匠はやっぱり師匠だ。

 けらけら笑って浴室を出て行った。

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