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長め。


 確実に死ぬとわかっているのに、どうして師匠の命令を聞けるのだろう。


 究極の決断を迫られるには、あまりにも時間が乏しい。


「いい、から。やり、な、さい。しん、じて」


 師匠は辛そうな顔をにっこりと微笑ませて言った。

 きっと、俺は最低な弟子だ。


「だい、じょ、ぶ。こわれ、ても……じこ、しゅ、ふく、する……か、ら」

「自己修復、ですか」


 弱々しく、師匠は笑みを浮かべて頷いた。

 けれど、その表情とは裏腹に、瞳に映っているのは諦観だった。

 師匠は冗談は言うけれど、絶対に嘘は吐かない。


「ぬい、たら、そのまま、に、して、ね」

「……わかりました。治癒魔法を使うな、ということですね?」

「よく、でき、ま……した」

「師匠……」

「つぎに、めが、さめ……た、ら」

「はい」

「はろるど、の、いれ、た、おちゃ、のみた、い、わ」

「最高級の茶葉で渾身の一杯をご提供しますよ」

「ふ、ふふ……いい、こ、ね」


 俺は……師匠を信じる。

 聞きたいことは山ほどあった。

 どうして俺を王都に送り出したのか。

 どうして「さようなら」なんて書いたのか。


 それを言うなら、もっと聞きたいことがあった。


 どうして俺を助けてくれたのか。


 でも、きっと師匠のことだから「あはは、そんなのただの気まぐれに決まってるじゃない。そうね、でもまあ確かに雑用が欲しかったのよ、従順な感じの」なんて言うんだろう。

 それはそれでいい。それならそれで、いいのだ。


 端子をつかむ。

 深呼吸をひとつ。

 師匠は俺の目を見て微笑み、頷いた。


「……いきます」


 力を込めた。

 端子に細胞が活着しかけている。

 それを強引に、力ずくで引き抜いた。


「かっ、はっ……」

「師匠!」


 咄嗟に治癒魔法をかけそうになった。

 だが、それは師匠から禁じられている。

 上着とシャツを脱ぎ、シャツを傷口に当てて上着を巻き付ける。

 本当なら清潔なガーゼか何かで止血がしたい。

 けれどもないのだから仕方がない。

 上着が取れないようにきつく縛った。端子はその場で踏みつけて破壊した。


「師匠。ちょっと手荒くなりますけど、あとでいくらでも文句は聞きますから、許してください」


 心音はない。脈もない。

 けれど、師匠は信じろと言った。

 師匠が大丈夫と言った。

 だから、大丈夫。

 師匠はきっと助かる。


 肩に担いで地下室を飛び出した。

 来た道を全速力で戻り、階段を駆け上がる。


「総員、てええええええっ!」


 ロビーに出た途端、奴がいた。

 タケルだ。短剣を抜いて号令を下していた。


 敵兵は階段ごと出入り口を固めている。

 どちらにせよ、突っ切るしかない。


「すみません、師匠。ちょっと無茶します」


 リミッターを解除した。

 被弾を恐れずに飛び出した。

 銃弾が頬をかすめていく。魔力が人間二人分は削られた。

 半身をえぐられたような痛みが走る。


「ぐああああああっ! くそったれえええええええええ!」


 それでも俺は足を止めない。

 こんなところで死ねない。

 俺には守るべきものがある。

 帰る家がある。

 大切な家族がいる。


 絶対に、こんなところで死ねない!


「第二射、撃てっ!」


 避けきれない!

 後退を余儀なくされ、俺はまたもや柱の陰に隠れる羽目になった。


 あのときは余裕があったというのに、さすがに二回目のリミッター解除は厳しい。

 もってあと三分。まるでウルトラマンだ。


 脱出後の移動を考えると、せめて二分で切り抜けたい。

 そうでなければ、脱出できても動けなくなる。

 逃げるだけなら魔力が枯渇しても気合いで乗り切ってやる覚悟はある。


 だが、魔力切れは俺の場合ダメだ。魔導義肢が動かなくなる。

 いくら高効率でも、今の調子で使っていたら、到底逃げられない。

 どうにか森まで逃げられるかどうかだ。


 俺はできるだけ優しく師匠を陰に寝かせる。師匠を抱えたままでは切り抜けられない。

 こうなればもう、倒すしかない。


「はあ、はあ、はあ。なにが昔のよしみだ、くそがっ!」

「はっはっはっ! プロトタイプを渡すわけがねえだろうがっ! いくら欠陥品でも貴重な実験材料だ! ひでえよな! 外部端子抜いちまうんだからよ! 道理で命令を聞かねえわけだ!」

「お前ってやつは、どこまで下劣なんだ! なあおい!」

「なんとでも言えよ! こちとら将軍やられてんだ! 遠慮なんてしねえぞ!」

「はっ! 上等だ! やれるもんなら……」


 ――やってみろ!


「向かってくるか! やけっぱちじゃねえか!」

「うるせえええええええええっ!」


 俺はタケルに向かって全力で駆け出していた。

 勝算はある。五分の賭けだ。


「殺せえええええっ!」


 タケルの号令がかかる。

 弾幕が押し寄せる。


 魔法障壁が何の役にも立たずに破壊されていく。

 近代兵器は魔法なんて旧時代に押しやってしまうのかもしれない。


 ここぞとばかりに魔力を使って障壁を逐次張り直す。

 あと三歩。

 太ももを打ち抜かれた。魔力が五人分は抜かれた。

 あと二歩。

 右肩を掠めていった。よかった。せいぜい三人分だ。

 あと一歩。

 腹を打ち抜かれた。こいつは効いた。十人分は持って行かれた。


 両脚の魔導義肢から力が抜けた。

 その場にうつ伏せに倒れ伏した。

 どうやら維持するだけの魔力も残っていないらしい。


「――そこまで!」


 タケルが俺の傍にゆっくりと歩み寄った。

 足で俺を仰向けにさせた。


「昔のよしみだ。俺が殺してやる。言い残すことはあるか?」


 タケルは銃口を俺の眉間に向けてにやりと笑った。


「……ああ。せっかくだ。聞いてくれるか?」

「辞世の句でも詠んでみるか? まあ、多少のことなら願いを聞いてやらないでもないぜ? 助けてほしいなんて言われてもそりゃあ無理だが」

「はっ……そんなことは言わないさ」

「へえ。じゃあ、なんだ?」


 周囲を敵兵が取り囲んでいる。

 どうやら本当に万事休すって奴みたいだ。

 いけると思ったんだがなあ。

 もう一歩足りなかったみたいだ。


 師匠。すみません。

 助けるなんて言っておいて、このざまです。


 エル。お前はもうちょっと落ち着け。


 ニック。すぐ調子に乗る癖は今のうちに直しておけよ。


 チャド。お前はつまみ食いをやめろ。


 アリス。お前はやっぱり人間だと思うよ。自分のやりたいように生きてくれ。


 みんな、ごめん。

 どうやら、俺はここらでおしまいみたいだ。


 まったく。ひどい転生人生だった。

 農村スタートってなんだよ。

 おまけに五歳で両親喪った挙げ句に左腕と両脚食われるとか。

 難易度ベリーハードどころじゃねえ。

 ようやく助けてくれたと思ったら、五歳児にとんでもねえ手術を施すような師匠ときた。

 毎日毎日わがままばっかり言って、ずぼらで一人じゃ何にもできやしない。

 その上、新しい魔導義肢を作ったとかなんとか言って人のことを玩具にしやがる。


 ああ、クソだよ。

 本当にクソみたいで、最高な人生だったさ!


 こんな人生とおさらばできるんだ。

 いっそのこと清々するってもんだ。

 もう転生なんてこりごりだ!


 人間生きてりゃいつか死ぬ。

 それは誰だってそうだ。まさか転生してやり直しなんて思ってもみなかったけどな。

 俺だっていくら魔力があったって死ぬときは死ぬんだ。






 ――だが、今じゃない。






「お前はいつも詰めが甘いんだ。だからすぐに捕まる。こんな風にな」

「は? 何言って……」


 タケル。

 お前は俺の左側に立つべきだった。

 生身の右手側に立ったのが、運の尽きってやつだ。


 俺はタケルの足をつかんだ。

 つかんだ瞬間、俺はタケルの魔力を〝奪〟った。


「があああああああああっ!」

「お前らしいクソみてえに濁った魔力だな――紫電霹靂!」


 威力も赤竜に使ったときとは比べものにならない弱さだ。

 けれど、このロビーを吹き飛ばすぐらいはある。


 ああ、残念ながら自分を守るための魔法障壁は一枚しか張れないみたいだ。

 やばいな、これは死んだかもしれん。


 吹き飛んだ。

 文字通り、吹き飛んだ。


 壁に打ち付けられる。

 どうやら壁や柱を壊すほどではなかったらしい。


 あー、クソみたいに全身が痛い。

 我ながら馬鹿みたいなことをした。

 上半身は火傷がひどいのか熱くてたまらない。それになんだか痺れてる。


 師匠は……よかった。

 柱の陰で助かったみたいだ。


 起き上がろうとして魔力がもう残っていないことに気づいた。

 すぐ傍に瀕死の兵士が横たわっている。


「ごふっ……すまん、な。ちょっと借りる、ぞ。許せ」


 どうせ死ぬんだからちょっとぐらい魔力を奪ってもいいだろう。

 そう思って右手を伸ばそうとして……ない。

 肘から先が物の見事に吹き飛んでいた。


「嗚呼、こいつは本格的にやばい、な……」


 出血がひどい。

 魔力さえ万全ならしぶとく生き残ったのに。


 寒い。

 冬だからかな。

 でも、不思議と痛みはないな。

 雷で麻痺してるのかもしれん。


 ははっ。いや、よそう。

 もう本当に終わりみたいだ。


 かっこ悪いことしたな。


 エミリーに迎えに行くって約束までしたのに。

 師匠を助けるって啖呵切ったのに。


 つくづく、俺ってやつは肝心なときに死んでしまう星の下に生まれたのかもしれん。

 そういえば、前世で死んだのも子どもが生まれてこれからってときだったっけ。


「――ハロルドさん!」


 ああ、気のせいか。

 エミリーの声が聞こえる。


「しっかりしてください! こんなところで死んじゃダメです!」


 そう言われてもなあ。

 エミリー、もう疲れたよ、俺は。

 ごめんな。迎えに行くって言ったのに、まさか迎えに来てくれるなんて思わなかったよ。


「もらってくれるって言ったじゃないですか! エミリーが望むならって言ったじゃないですか!」


 ああ、そんなこと言ったな、確かに。

 でも、ごめん。そのつもりだったんだが、ちょっと無理そうだ。


「置いて、いかないで……」


 嗚呼。

 泣かせるつもりはなかったんだ。

 俺はいつも一生懸命だったエミリーが好きだったんだ。

 うん。今は割と素直に気持ちを言えるかな。

 でも、今好きだったなんて言ったら、きっとショックも大きいだろうし、やっぱり言わないでおこう。


 どこかで死体の服でも拝借したのかな。

 それならまあ素っ裸で逃げずに済むか。


「……エミリー」

「ハロルドさん!」

「生きて、くれ。頼む……」


 俺が言えるのは、それくらいかな。

 ごめん、エミリー。

 すみません、師匠。


「早く、行け……」

「や、やだっ! 絶対やだっ!」


 外から敵兵の足音が聞こえてくる。

 早く、早く逃げてくれ。

 お願いだから。


「賊はどこだっ!」


 間に合わなかった、か。


「ハロルドさん。一緒に、逝きましょう。もらってくれるって言ってくれて嬉しかったですよ」


 なんだよ。三十点って言ってたくせに。ははっ。

 俺ってやつは、本当に……どうしようもねえな。










「俺の姪っ子返せやこらああああああああっ! 死に晒せやああああああああああっ!!!」


 は?


「はっはっはっはっはっはっはっ! さすがに点検してもらっただけはあるなっ! いくらでも首を飛ばせるぞっ! 次に我が輩の槍の錆になりたいのは誰だ! はっはっはっ!」


 はあ?


「二人とも、無茶しすぎ。あの武器は厄介。救助を優先してほしい。はっ! ハロルドの匂いがする。たぶんそこにいる!」


 はあああああああっ!?


 ちょっと待て!

 どうしてゴードンが?

 クレマンも?

 しかも、あの声はもしかして、アリス!?


 って、うおおおおおいっ! どこの壁ぶち壊してんだっ!

 師匠に瓦礫当たってんじゃねえか!


「ハロルド!」

「ハロルド殿!」

「えみりぃぃいいいいいいいっ!」


 本当に、なんて奴らだ。

 ゴードンとクレマンはともかく、アリスは絶対安静だって言ったのに。

 というかどうやって来たんだよ。


 つーか、抱きつくな。

 なんか急に痛くなってきたじゃねえか。


「……アリス」

「ハロルド、ハロルド、ハロルド! 生きて! 死なないでほしい! わたしはハロルドの笑顔が好き! また見たい!」

「とりあえず、ちょっと落ち着いてくれ……」

「ハロルド、魔力がない!」

「だから、落ち着けって……」

「今あげる!」


 アリスは俺の唇を奪った。

 突然の事態に驚いたが、俺はどうすることもできない。



「……おい」

「なにか?」

「何かじゃねえよっ! 魔力くれて助かったけど別にチューする必要なかっただろうが!」

「ふっ、これで既成事実はできた」

「ニックだろ!? それ教えたの絶対ニックだろ!」

「違う。チャドが隙をみてやれと言った」

「……マジかよ」

「と、いざ聞かれたらそう言うようにニックが言っていた」

「最低だな、ニック。帰ったらお仕置き確定だ」


 はあ、なんだよ、ほんと。

 人が死にかけてるってのに、いきなり現れて……ほんと。


「ハロルドさん、お話があります」

「エミリー?」


 なぜだ。満面の笑みなのに目が笑ってない。


「未来の旦那様にこんなことを言うのはどうかと思いますけど、わたしは二号になるつもりはありませんよ?」

「二号!? 未来の旦那様だあああ!? おい、ハロルド、てめえっ! 一体どういうことだおい!」

「……ゴードンさん、うるさいっす」


 やれやれ、だな。

 ああ、いつ俺はやれやれ系主人公になったんだか。


 アリスがくれた魔力は人間二十人分ってところか。

 これならそれなりに動けそうだ。


 どうにか魔導義肢に魔力を込めて起き上がろうとしたがふらついてしまう。


「――っと、悪い」


 アリスが支えてくれた。

 どうやら紫電霹靂を使ったときに魔導義肢に歪みが生じたらしい。

 やっぱり無茶はするもんじゃないな。


「クレマン様」

「うむ」

「お願いします」


 クレマンは一番にアンジェラを見つけて様子を見てくれていたようだ。


「俺は師匠を連れて帰れないみたいなので……」

「だが、もう……」

「いえ、きっと大丈夫です。俺を信じてください」


 クレマンは俺をまっすぐに見つめて頷いた。


「まあ、一兵卒であればやむなく捨て置くということもあったかもしれんが、アンジェラ殿ではな。仮に捨て置いては彼女に助けられたものたちから恨まれるというものだ」

「……ありがとうございます」


 ゴードンがエミリーを後ろにして先頭を行く。最後尾はアンジェラを肩に担いだクレマンだ。

 エミリーは俺がアリスに支えられているのが気にくわないらしい。

 いや、俺もアリスがここにいること自体、許してないのだが。

 まあ、帰ったらアリスにお説教だな。助かったけど。


 出入り口から外を確認する間もエミリーはちらちらと俺たちを覗く。ふと何かに気づいたように目を見開いた。


「ハロルドさんっ!」

「えっ――」


 エミリーは俺を押しのけるように飛び込んだ。

 支えてくれていたアリスと一緒に俺は倒れ込む。


 銃声が響いた。



 俺たちは呆然と、たかだか一発の銃弾に倒れるエミリーを見つめることしかできなかった。


 カラカラと不気味な笑い声が微かに聞こえた。


「嗚呼。気の毒に。今度はお前が見送る側みたいだぜ?」


 その声の主は、もはや身動きも取れず壁に背中を預けているタケルだった。

 俺が掴んだ左脚は千切れ、全身の傷は助かることがないことを物語っている。

 それでも、彼が手に持つ短銃はたった一発の銃弾を隠し持っていたのだ。


「エミリー!」


 ゴードンが倒れたエミリーに駆け寄った。

 必死に撃たれた胸を押さえて血を止めようとしているが、すでにエミリーの意識は失われていた。


 俺はアリスの手を払って立ち上がる。

 魔導義肢が軋んだ。立ち上がるのもやっとだが、それでも立たずにいられなかった。


「……先に地獄で待ってるぜ」

「一人で行けよ」


 短剣を拾い上げ、トドメを刺そうと一歩踏み出すがそれはできなかった。

 見覚えのある斧が俺の横を通り過ぎてタケルの頭を左右に両断して壁に突き刺さったから。


 振り向くと、ゴードンが斧を投げた姿勢のまま、怒りに顔を染めていた。

 彼は奥歯をぎりりと噛みしめて雄叫びをあげた。


「ああああああああっ!」


 そのまま膝から崩れ落ちて、彼は嗚咽を漏らして呟くように言った。


「ハロルド、頼むぜ。エミリーを助けてやってくれよう……」


 それは、A級冒険者でもあるゴードンが答えをわかっていながら、藁にも縋る思いで紡ぎ出した言葉だった。


「お前さんはすげえやつだろう? 昨日はあんなにたくさんの怪我人を治療して回ってたじゃねえかよう。なあ、おい。ハロルド、頼むよ……」

「……ゴードンさん」


 胸から流れた血は、彼女の魔力量ではすでに助からないことを教えてくれる。

 不運にも心臓を撃ち抜かれたのだろう。


 触れた指先はまだ温かい。

 まだエミリーが生きているような気がした。

 けれども、脈はなかった。

 治癒魔法は万能じゃない。

 死人を生き返らせることはできない。


 首をゆっくりと横に振る。

 ゴードンはわずか五秒ほど目を閉じて、開いたときには何かを忘れたように鋭い目つきになっていた。彼は俺を恨むことなんて決してしなかった。


「……敵地だ。ずらかるぜ」


 彼は物言わぬ屍となったエミリーを抱いて立ち上がる。

 クレマンが静かな口調で言った。


「そろそろ将軍が東側の街道から攻め始める頃合だ。混乱に乗じて脱出する」



 敵兵の目から逃れるように下水道から脱出を図る。

 ゆっくりと進みつつ、市外の脱出路にたどり着いた。

 だが、外は敵兵だらけだった。


 銃声が聞こえてくるが、混乱に拍車がかかっているようだった。

 本部のあった領主屋敷で、俺が将校を片っ端から殺してしまったのも影響があると思う。


「いかに銃という武器があっても、あの様子では王国軍の勝ちだな」


 クレマンは冷静に戦況を呼んで、しばらく敵兵がいなくなるのをやり過ごすことにしたようだった。

 正直なところ、外は積雪が激しく、今は半裸の俺にとって下水道とはいえ外気に晒されないのはありがたかった。


 少しずつ魔力も回復を始めている。

 右手はどうにもならないが、なんとか左の義手を使って両脚の不具合をその場しのぎで直した。

 一時間ほどで魔力は本来の三割ほどにまで戻った。つくづく自分の人外さがよくわかる。


「――ハロルド」


 ようやく敵兵が撤退を開始したところで、師匠が目を覚ました。

 クレマンもゴードンも驚いていた。唯一アリスだけは驚いていなかったが。


 駆けよって抱き起こすと師匠は言った。


「ひどくにおうわ」


 師匠の背中の傷は半分ほど治っているようだった。魔力もどんどん回復を始めているが、ようやく人間一人分といったところだった。


「今は下水道にいます。これから脱出するところです」

「そう。道理で臭いわけね。まるで出会ったころのあなたのような匂いがしたわ」

「そんなに臭くなかったと思いますけど」


 師匠は力が入らないのか弱々しく笑った。


「たくさん、聞きたいことがあるでしょう?」


 いつもの師匠らしくない、か細い声だった。


「そんなのいつだっていいじゃないですか。これからいくらでも時間はあるんですから」

「……そう、ね。でも、今じゃないとダメなのよ」


 だって、と師匠はゴードンの抱くエミリーを見つめた。


「意識はなくても、ちゃんと聞こえていたわ」


 そういう風にできているから、と師匠は言った。


「ゴードン、こっちへ……」


 ゴードンがエミリーを抱いたままアンジェラの隣にしゃがんだ。

 師匠は弱々しい手つきでエミリーの頬を撫でた。


「牢屋では世話になったわ。ありがとう、エミリー」

「アンジェラさん、うちの姪っ子は……」


 師匠はゆっくりと首を横に振った。


「大丈夫よ、大丈夫なの、ゴードン」


 それがどういう意味をさして大丈夫なのか、俺にも、みんなにもわからなかった。

 師匠はアリスに視線を向ける。


「……量産型、ね」

「あなたはプロトタイプ。初期計画は百八十五年前だと聞いている」

「名前は?」

「アリス。ハロルドにつけてもらった」

「そう。いい名前だわ。よろしくね」


 その「よろしく」はこれからよろしくという意味でないことは俺にもわかった。けれど、どういう意味で言っているのかまではわからなかった。アリスは俺の顔を一瞥して師匠に向き直り、確かに頷いた。


 まるで、師匠が今から何をしようとしているのか、わかっているみたいだった。


「アリス。魔力を少しだけ分けてくれるかしら」

「……お安いご用」


 アリスは師匠の首筋に手を触れる。じんわりと魔力が譲渡された。

 師匠は「ありがとう」と掠れるような声で言った。


「さあ、ハロルド。何から聞きたいかしら」

「だから、あとで構いませんよ。まずは帰って温かいお茶を飲んでそれから――」

「ハロルド」

「久しぶりに師匠のわがままを聞くのもいいなって思ってたところなんです。師匠、ビーフシチュー好きだったでしょう? 前よりももっと上手につく――」

「ハロルド、わたしの命を使ってエミリーを蘇生しなさい」


 まっすぐに俺を見つめる師匠に、俺はいつの間に涙をこぼしていた。


「いや、です。絶対に……絶対に嫌です!」

「聞き分けなさい」

「そんなの、できるわけないじゃないですか!」

「知ってるわ。ハロルドは真面目だから、新しい本を渡したらすぐに何度も読み返すって」

「……こうなるって、師匠はわかってたんですか?」

「さすがにわかるわけないじゃない。でも、いつかはこの命を終わらせないといけないとは思っていたのよ。あなたの未来のために使えるなら本望だわ」

「どうして、どうしてさよならなんて書いたんですか?」

「ふふ、どうしてかしらね。そんな気がしたのよ」


 師匠はハーフエルフなんかじゃなかった。嘘なんて吐かないと思っていたのに。

 百年以上も人間のように生きてきた魔導人形だった。

 アリスの原型となったプロトタイプでもある。

 でも、それがなんだというのだろう。


 俺にとって、師匠は師匠だ。


「本当は、本当はわかってたんです」


 あの別れの日。

 師匠がプレゼントしてくれた一冊の魔導書。

 それを読んだときから、それがどんな魔法を収めた本なのか、俺はわかっていた。

 師匠が書いて、師匠が望んだこと。


 全て読み終えたとき、俺は「こんな魔法、一体どんな場面で使うんだ」と思っていた。

 けれど、アリスと出会い、魔導人形という存在がいることを知り、師匠の思惑にようやく気づいたのだ。


「できれば、気づきたくなかったです」

「わたしは過去の産物なのよ。人形のくせに、いつ終わるかもわからない命を、いつまでも続けていられない。出会う人はみなわたしよりも先に死んでいく。どうしてかしらね。人形なのに、ずっと生きているうちに、なんだか本当の人間みたいになってしまった」

「師匠は人間です! 師匠は師匠です! それ以外の何かなんかじゃありません!」

「ありがとう、ハロルド」


 ――あなたを弟子にして、本当によかった。


 師匠が俺の頬に触れた。その指先は、まるで本物の人間のように温かかった。


「不思議ね。


 あなたと出会って、わたしは色んな初めてを知ったわ。


 あなたが毎日何かをできるようになるのが自分のことのように嬉しくて、


 あなたが怒っていると悲しくて、


 あなたが楽しそうだとわたしも楽しかった。


 師匠なんてしたことがなかったから、

 どう接すればいいかわからないときもあった。


 怖かった。とっても。

 こんなに大好きで、こんなに愛おしい。


 そんなあなたの死を見たくなかった。

 もう二度と、あなたに悲しんで欲しくなかった。

 誰かを喪ってなんか欲しくなかった。

 だって、ひとりはとっても寂しいもの。


 あなたを送り出したとき、

 わたしは初めて泣いたわ。


 涙って、とっても温かいのね。

 二百年近く生きてきたのに、そんなことも知らなかった。


 ――ハロルド。


 ありがとう。弟子になってくれて。


 ありがとう。孤独を癒やしてくれて。


 ありがとう。いっぱいわがままを聞いてくれて。


 あなたと出会えたことが、

 わたしにとって、

 一番の宝物だった」


 師匠はいつものにこやかな笑みを浮かべていた。

 まるでこれで終わりじゃないと言わんばかりに、いつも通りだった。


 指先に光る灯火は、師匠が最期に託すバトンだった。

 師匠はもう片方の手でエミリーの胸に触れた。


 俺を見つめる温かい瞳に、俺は泣きじゃくっていた。

 けれど、どうして断ることができただろう。


 師匠の願いを、どうして踏みにじることができただろう。


 何をどうすればいいかは、全てわかっている。

 全て、師匠が託してくれたから。教えてくれたから。


「――ああ、今更心残りがたくさんあって困るわね。

 最期にあなたの淹れたお茶が飲みたかった。

 あなたの作った美味しいご飯が食べたかった。

 あなたのかわいい子どもをこの手に抱きたかった。

 でも、お別れね。

 ハロルド。

 幸せになりなさい。

 わたしは、とっても幸せだったわ」


 師匠、俺はこの気持ちをどんな言葉で伝えればいいのかわかりません。

 師匠がどんな人生を歩んできたのかもわかりません。

 どれほどの悲しみを重ねてきたのかも知りません。


 でも、伝えなければなりません。


 ――ありがとう、ございました。さようなら。

次回、エピローグ

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