30
「いやあ、助かるよ。俺は知り合いを助けに来ただけだってのに聞く耳を持ったやつがいなくてさ。道案内してくれたら助けるつもりなのに抵抗してきて困ってたんだ」
その帝国軍将校は他の兵士や将校らと違って、命の使い方というものをよくわかっていた。
「帝国兵ってのは頭がおかしくて優しさのかけらもない奴らだと思ってたけど、あんたが物わかりよくて本当に助かったよ。その心意気に免じて怪我はさせないでおくからさ、そこは安心していいからな」
「……こっちです」
「ところであんた名前は?」
「セマルです」
「きししかまる?」
「は……」
「ああ、いや。こっちの話」
中々珍しい名前だ。
前世ではせまるきししかまる、なんて微妙なメルアドにしてたっけ。そういえば友人から馬鹿にされていたな。
セマルは階段を降りて地下フロアを迷うことなく進んでいく。
地下は軽く迷路のように入り組んでいた。
壁も土のままだ。屋敷を建てたあとに掘ったのだろうか。
「ここ、です」
「この扉の奥?」
「はい……聞いてもいいですか?」
「急いでるけど、一つだけならいいよ」
「あなたはもしかして――」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は短剣を振り抜いていた。
だが、殺せなかった。
セマルが避けたからだ。距離を取る。
「……ひどいぜ。怪我はさせないって言ったくせによ」
口調が急に変わった。ひどく懐かしい。
「お前のメルアド、せまるきししかまるだったもんな。なんちゃら五段活用だっけ? ネタにしては笑えないから、おかげで覚えてたわ」
「……タケル、か」
「そういうお前は――って、おい! 短気は損気だぞ!」
「うっせええっ! ぶっ殺すぞっ!」
「っつ! ったく、どんだけ変わってんだよ!」
その名前は聞きたくない。
前世の名前なんて、俺は聞きたくない。
「お前が死んだあと、大変だったんだぜ?」
「言うな」
「由香ちゃんなんて毎日泣いてばっかでよ」
「やめろ」
「ミチルちゃんなんてまだ二歳だってのに、パパはどこーってよ。由香ちゃんが不憫でならなかったぜ」
「……」
「そうそう。聞いてくれよ。傷心中だから楽にいけるかと思ったのによ、由香ちゃんって結構貞操観念強いっつうか、一途だったんだな! いやあ、あれには俺も驚いたぜ。まさか主人に顔向けできないことはしません、なんてよう。いんやー、さすがに俺もちょっとほろりと来たっつうか――」
「殺す。殺す。殺す」
「落ち着けよ、こう――」
「その名を呼ぶなああああああああああっ!」
なぜ、タケルがここにいる。
どうして。
転生者がいるとは思っていた。
だが、どうして。
どうしてよりにもよってこいつなんだ。
「……はあ。せっかく転生したってのにいつまで引きずってんだよ。もう過去の話だろ?」
「お前が何度更生を誓っても手癖の悪さが治らなかったのも、過去の話か?」
「転生ってほんとうまい話だよな。前科なんて関係ない、別人に生まれるんだからさ」
「お袋さんが死んで変わったんじゃなかったのか。あのとき、俺に謝ったのは……」
「――変わったぜ。服役中にお袋が死んで、俺は変わったんだ。まあ、お前が死んで……えっと、次の年だったかな。不摂生が祟ったのかねえ。急に頭が割れるみたいに痛くなって倒れて、そのまんま。でもまあ、転生したのは俺の方が早かったみたいだな。そこんとこはちょっと不思議だ」
タケルは俺の顔をまじまじと見てそう言った。
確かに俺よりもタケルの方が老けて見える。
三十路ぐらいだろうか。
「いくら真面目に働くようになっても、食生活は変わらなかったんだな」
「そりゃあそうだ。前世の俺を一番よく知ってるお前ならわかるだろ?」
「何がわかるって?」
「リセットだ。全部なかったことにして、違う舞台で、違う人間で、この世界にはない知識で、才能で、またリスタートできるんだぜ? ははっ、昔の俺を思い出してみろよ! デブで臭くて、とろくて、そのくせチャンスがあればすぐに盗みを働くような親不孝者だ。女にモテたことなんて一度もない。いっそ近づいただけで嫌な顔をされた。毎日毎日雀の涙みたいな給料で日々の支払いに追われてばっかだった。ほんと、クソみてえな人生だった。盗みやめたら風俗行く金もねえんだぜ?」
鬱屈とした人生に変化を求める気持ちがわからないとは言わない。
けれど、タケルの求めたものは変化ではない。断じて違う。
クソみたいな人生を転生してやり直したいなんて、それは変化なんかじゃない。
「お前のそれは、ただの現実逃避だ」
「好きに言えよ。現実になってんだ」
「お前の求めたものが今の地位ということか」
「まあな。せっかく転生したんだ。今度は地位も金も名誉も手に入れる。もう日銭を稼いでカップ麺をすするような生活はごめんだぜ。食いたいもの食って、住みたい家に住んで、抱きたい女を抱く。将校ってのは結構な身分だぜ? わざわざ声をかけなくたって女の方から寄ってくる」
「夢が叶ってよかったな」
「皮肉でもありがたいぜ。どうだ? お前も帝国に来ねえか?」
こいつは、一体何を言っている。
どんな神経で俺を誘う。
「ったくよう。こっちはチートもなくて、前世で読み漁ったラノベの知識だけでなんとかやってきたってのに、なんだよそりゃあ。不公平もいいところだろ。ほんとに人間かよ。魔導人形よりも多い魔力なんておかしいとかいうレベル超えてるじゃねえか。こちとら毎日毎日必死に訓練してようやくそれなりになったってのによ」
「魔導人形、だと?」
「ん? おう。知らねえのも無理はねえ。カルヴェドア王国の魔術研究所で作ってる魔導人形のことだ。ありゃあ重要機密だからよ。ついこの前まで俺はそこに潜入してたんだ。本当は手土産に量産型を一体連れて帰るつもりだったんだがな」
「……二〇八番か」
「おっ! 知ってんじゃねえか! なんだよ、先にそれを言えって! くくっ。それにな、聞いてくれよ! ラボには量産型しかいなかったんだが、まさかまさかプロトタイプが王国軍に混ざってやがったんだ! まあ、量産型と大差ないし、調べてみたら人形らしくない欠陥品だったからもうどうでもいいんだけどな」
タケルはからからと楽しそうに笑っていた。
アリスが言っていた協力者とは、帝国軍の潜入工作員――タケルだったのだ。
俺の推測が正しければ、そのプロトタイプとは……。
「まっ、量産型を連れ出すのだってすぐにバレちまったから、泣く泣く水路に置いてきたんだがな。素性がバレても面白くねえから、殺そうかとも思ったんだけどよ。人形のくせに俺が助けてくれたと思って『任せていい。あなたが逃げる時間は稼ぐ』なんてよう。人形が一丁前に人間ぶってんだぜ? くっそ笑えたわ」
「……そうだな」
「あれ? なんで怒ってんだよ」
「お前と話しているだけで頭が沸騰しそうだ」
「昔は気の長い穏健派だったじゃねえか。ま、転生してんだ。色々あるよな。俺も色々あったし。昔のよしみだ。さっさと大事な人とやらを連れて出て行けよ。俺の誘いに乗るつもりなんてねえんだろ?」
「どのみち、自分が捕らえたと言って手柄にするつもりだろう?」
「ありゃ、バレてるなら余計に無理だな。まあ、俺も命が惜しいからな。さすがに自分より強い化け物を相手に戦ったりしねえよ。さすがに他の兵士が来たら言い逃れができねえからな。俺はさっさと死体の山に埋もれて気絶したフリでもしてるわ」
タケルはそう言って意気揚々と来た道を戻っていった。
こちらを伺う素振りも見せなかった。
俺にはあいつの頭の中を推し量ることができない。
俗物、というにはあまりにもひどい。
油断をせずに地下室の扉を開けた。
そこには牢屋が並んでいた。手前に二人の若い女がいた。
声をかけてみたが、返事もない。こちらを見ることもない。
ずっとガリガリと爪を噛んでいた。
もう一人はうつろな表情でケラケラと笑い続けている。
俺はその二人を素通りして奥の牢屋に進む。
――いた。
間違いない。
地べたに全裸でぼろ雑巾のように転がっていた。
師匠だ。
「……師匠。迎えに来ました」
魔法で鉄格子を分解して取り壊した。
師匠はうっすらと目を開けて俺を視界に捕らえると、心なしか笑ったように見えた。
「はくばの……おうじ、さま?」
「こんな時まで冗談噛ますなんて、師匠はやっぱり師匠ですね」
できるだけ負担にならないように優しく抱き起こす。
エミリーが言っていたことを思い出して背中を確認する。
確かに端子らしき何かが露出するように埋め込まれていた。
「ゆだん、した、わ……」
「ええ。そうでもなければ師匠がこんな目に遭うなんてまずあり得ませんよ」
「ふ、ふふ……でも、おかげで、めのほように、なった、でしょう?」
「冗談を言う元気があって何よりです。この背中の端子、抜きますよ?」
「たんし?」
どうやら師匠も気づいていなかったらしい。
意識すらも朦朧とさせているようだ。
「ちょっとだけ我慢してください。今、調べます」
魔法で明かりをとりながら端子を調べる。
構造は非常に単純だ。だがこれは……ひどい。
「師匠、痛くないんですか?」
「しゃだん、してる、のよ」
「魔力も残ってないじゃないですか!」
「そう、いう、からだ、なの、よ」
端子は師匠が自己生成する魔力を常に搾取して体外に排出し続けていた。
概念的には「対魔術師弾」と同じだが、端子の方がたちが悪い。
これは抜けない。
抜いたら、師匠の生体魔力回路が破壊される。回路とは言うが、生物の魔力の通り道だ。これを壊されては致命的だ。
さらにひどいのは、外部からの魔力信号を受信できるようになっている。
内部の魔導回路までははっきりと読み取れないが、どうやら簡単な命令を強制できるようだ。
これでは、本当に人形じゃないか……。あいつはこんなことをしてまで心が痛まないのか。こんなにも温かい人を人形だと、人間じゃないと言えるのか。
だが、これをタケルが作って師匠に取り付けたとするならば、必ず解除する方法があるはずだ。
しかし、それにはかなり時間がかかる。脊髄まで伸びた心棒を外科手術で取り除く必要がある。
「師匠、聞いてください」
師匠は朦朧とする意識をどうにか保ちながら俺の説明を聞いた。
聞いた上で言ったのだ。
――力ずくで抜け、と。