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 俺にできることはなんだろう。


 師匠が拾ってくれた命だ。

 幸せになれ、と師匠は言った。けれど、俺の幸せはなんだ。


 前世の記憶はすでに薄れて久しい。

 俺をこの世界に送り込んだ神様は、俺に何を期待していたのだろうか。


 いいや、きっととくに理由なんてないのかもしれない。

 だって神様のすることなんて、人間の俺に理解できるはずもない。


 蒙昧に、ただ毎日を予定通りに生きて、誰かが望むようなレールを進み、釣り合いのとれるような相手と結婚し、子どもができて、毎日仕事に汗を流した。


 それが幸せじゃなかったとは言わない。むしろありふれたひとつの幸せの形だったんだと思う。


 けれど、その幸せはとうの昔に失った。

 新たな命を得てこの世界に生まれ落ちて、新たな両親のもと田舎の農村でつましい暮らしを余儀なくされた。


 戸惑いも大きかった。

 けれど、あの日帝国軍が村を襲うまで、俺は確かに幸せだった。

 また幸せが奪われた。


 師匠が俺を助けてくれた。左腕と両脚をくれた。

 知識をくれた。生きるための術を教えてくれた。

 どんな苦難も乗り越えられることを教えてくれた。


 俺に新しい幸せをくれたのは師匠だった。

 与えられてばかりだった幸せを、俺は王都にやってきて初めて自分で築こうとした。


 けれど、その考えは傲慢だったのかもしれない。


 俺は王都でも人から幸せをもらってばかりだ。

 エルやニック、チャドから毎日笑顔をもらう。

 隣近所の職人たちはみんな気が良い人たちばかりで、時折交わす愚痴もどこか明るく聞こえた。

 俺の魔導義肢を必要としてくれる人たちがいる。魔導義肢をつけて、満足して笑ってくれる。


 母親に楽をさせたい元兵士、国のためにまた戦えるようになりたい将校、自分の悦びに忠実な金食い虫。

 目的はどれも違うけれど、彼らはそれが自分の幸せの一部のように思っているんじゃないだろうか。


 そうじゃなければ、魔導義肢を得たときのあの笑顔は、きっともっと違うものになっていたと思う。


 本当は、アリスを助けたときに気づいていたのかもしれない。

 彼女の無表情が笑顔に変わったとき、俺はきっと自分が何を求めていたのかようやく気づけたんだと思う。


「……できた。調子はどうだ?」

「ん。良好」


 アリスにネックレスをかけてやった。

 俺が自分で作った特注品だ。

 触れている使用者の魔力を勝手に利用して放出する。


「痛みはないか?」

「強制的に抜かれているわけではないから痛みはない。大丈夫」


 アリスは師匠に近い魔力量を誇る。

 だから、並の魔術師ならばアリスの存在に気づいてしまう。そのために今までは結界を張った敷地から外には出せなかった。


 ようやくそれなりに歩けるようになったので、先のことを考えてこんなアクセサリーを作ったのだ。


 魔力を持つ生物は人間を始めとして、個体それぞれに蓄えられる限界量がある。

 その個体差はかなりのものだが、基本的に魔術師はこの限界量から溢れる魔力を見て他者の魔力の多寡を把握しているのだ。


 魔力の保持限界量と自己生成量は比例するので、見れば大凡の魔力量がわかる。

 だが、俺みたいに他人の魔力を感じるのが苦手な人もいるし、かと思えばアリスのように敏感に反応する人もいる。


 魔力量が多い方が鈍感になりやすいのだが、アリスは例外だ。メイも逆パターンの例外なのだろう。


 そういうこともあって、俺はアリス専用のアクセサリーを作った。

 構造それ自体は単純で、限界量を超えて溢れる魔力を自動的に集めて無駄遣いする。


 魔力は一種のエネルギーなので、別のエネルギーに変換すればいくら魔術師でも感知できないのだ。

 だが、アリスの魔力量は俺の半分といってもかなり膨大なので、熱に変換するとかなりの高温になってしまう。だから、熱変換と冷却のバランスを整えて常に体温と同じ程度になるように調整した。


「ハロルド」

「うん?」

「本当に行くのか?」


 俺はタッカ市へ行く。

 自分で引き取ったくせに、途中で投げ出すのはどうかと思う。

 けれども、俺は師匠の笑顔がまた見たいのだ。

 師匠のことだからそう簡単には死なないと思う。けれども、この不安をそのままにはしておけない。


「三兄弟はスミスさんとウッドさんが責任もって預かってくれるって言うし、一ヶ月ぐらいで帰るつもりだから」

「どうして、わたしが付いて行ったらダメなのだ」


 アリスは少し拗ねているようだった。

 けれど、まだアリスの状態は万全ではない。

 もう二週間は絶対安静だ。

 俺の家が安全なのは俺がいるからでしかない。

 長期間留守を任せるとなると、それはそれで不安だった。


「アリス。すまない。でも、これは俺のわがままだ。お前たちを守りたいけれど、他にも守りたいものがある。それを見捨てるなんてこと、俺にはできないんだ」

「……ちゃんと帰って来るか?」

「ああ。帰って来るよ。ここが俺の家だ。アリスも三兄弟も俺の家族なんだから」

「ハロルド――」


 ぎゅっと俺に抱きついて、アリスは黙り込んでしまった。

 背中に回された手に力が入る。

 いくら治癒魔法で再生能力が桁違いとはいえ、本来ならもっと長期の治療が必要なのだ。

 アリスを戦場に連れて行くわけにはいかない。


 優しくアリスの頭を撫でてやる。


「大丈夫。メイにはしばらく頼んであるから。それに髪も染めただろ?」


 アリスの真っ白な髪は、今は真っ黒になっていた。

 特徴的な見た目をどうにかするために、アリスの髪を染めた。

 本人は白よりも黒の方が好きだと言っていた。


 アリスには王都を離れてもらう。

 本当はメイの治療院で面倒をみてもらうつもりだった。

 だが、メイがしばらく実家のある隣町に戻るというので、それに乗じて彼女を王都の外に出すことにした。


 メイもアリスがまだ完治していないことは知っているから、無理はさせないだろう。なにせ治癒術師だ。そのあたりは信用できる。


 三兄弟は昨日のうちにスミスさんとウッドさんに預けてある。

 悪ガキなのは相変わらずだけれど、素直に言うことを聞くようになったと褒められていた。

 あの調子ならきっと大丈夫だと思う。


 アリスを連れて家を後にする。

 まだ三ヶ月と少ししか住んでいない家だけれど、俺の家だ。

 師匠を手伝ったらまた戻ってくる。

 そのときは師匠もついて来てくれるだろうか。師匠のことだから嫌がりそうだ。


 メイと合流し、馬車に乗った。

 冬はあまり好きじゃない。

 俺の魔導義肢は接続式だから、アタッチメントが冷えて体温を奪うのだ。

 仕方がないのでアタッチメント自体に温度を体温に保つ機能を組み込んである。

 それでも魔導義肢を外気に晒すと冷たい。こんなときのために魔導義肢にも発熱機能を組ませて正解だった。


 隣町まで半日。

 アリスをメイに預けて町を出る。

 二人は俺の背中をずっと見送ってくれた。


 大丈夫。絶対に帰って来るから。



 魔力を無駄遣いしながら街道沿いにタッカ市を目指す。

 この辺りは積雪がそこまで多くない。


 だが、宿場町を二つも経由すると積雪がひどくなった。

 進むたびに雪も深くなる。


 まだなんとか馬車も通れる降雪量だ。


 本来なら最低でも十日はかかるところを、大急ぎで駆け抜ける。

 タッカ市の隣、ハルメ町についたのは六日目のことだった。


 ハルメ町には西方軍とのちに援軍としてかけつけた中央軍が詰めていた。

 ものものしい検閲を終えて町に入ると、タッカ市を逃げてきた避難民が町中に溢れていた。


 避難民らは空き地に立てられたバラックを仮住まいとしていたが、隙間風がひどいのだろう。外に出て焚き火にあたるものが多かった。


 避難民の中に見知った顔をいくつか見つけて聞き込みをしたが、誰も師匠のことを見た覚えがないという。

 そもそも師匠の交友関係は乏しかったから、見ていたとしても覚えられているとも思えない。


 そんな時だった。

 魔導義肢をつけたクレマンと再会した。


 俺の顔を見るや否や、挨拶もそこそこに魔導義肢の点検を求めてきた。

 ひとまず点検をしたがそれほど不具合はなさそうだ。


「どうして、わざわざこんな前線に?」


 クレマンは俺がハルメ町に来たことを不思議がっていた。

 師匠を探しているというと、彼は渋い顔をした。


「アンジェラ殿か。それは残念だった」

「……どういう意味でしょうか」


 クレマンが言うには、俺と師匠は入れ違いになってしまったらしい。

 師匠は昨日タッカ市に向けて町を出て行ったのだという。


「威力偵察だ。明日には戻るだろう。それよりもハロルド殿には手伝って欲しい場所がある」


 クレマンは俺を診療所に連れて行った。

 狭い部屋の中にところ狭しと並べられたベッドには、痛みに呻く患者たちが大勢寝かせられていた。

 中には四肢のどれかを失ったものもいる。


「……ひどい、ですね」

「今回は前回よりもずっとひどい。負傷兵の比率がぐっと上がっているのだ。戦えぬようになったとしても、せめて親元には帰してやりたい。頼む。この通りだ」


 クレマンは貴族でありながら俺に頭を下げた。

 治療を手伝うのはやぶさかではない。


「できるお手伝いはします。でも、明日師匠が帰ったら一番に教えてください」

「ああ、約束しよう」


 俺は早速怪我人の治療に奔走した。

 治癒術師は限られていたため、魔力が足りずに治療が滞っているようだった。


 潤沢な魔力で数十人を治療し、その診療所が終わると今度は別の診療所に連れて行かれた。


 そうしてその日だけで数百人の治療をすると、さすがに俺の魔力量でも限界が来た。

 俺が倒れてしまっては本末転倒とばかりに、疲労困憊の俺は近くの商人の家に預けられた。


 そこで温かい風呂を借り、食事をもらった。

 客室のベッドはそれなりにふかふかで、俺は何度も礼を言った。


 翌日、朝から診療所に籠もって治療を続ける。

 クレマンの報告を待っていたが、一向に連絡はない。


 焦り始めた夕刻頃、クレマンがやってきて同情するような顔をして言った。


「威力偵察部隊は壊滅。アンジェラ殿は兵士が逃げる時間を稼ぐためにその場に残ったそうだ」

「では、師匠は……」

「彼女の安否はわからない。だが、あれほどの魔術師とはいえ、状況が状況だ。三日以内に帰って来ないならば、すでに――」


 目の前が真っ暗になった。

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