38◇黒点
「……驚嘆に値するよ、ヤクモ。半身を裂かれた痛みを以ってしても、君は止まらないのだな」
「一つ、言っておきます」
トルマリンに、言わなければならないことがある。
「僕達を諦めないでくれて、ありがとう」
審判を放置すれば勝てた。
倒れ込んだヤクモに追撃を仕掛けることも出来た。
でも、彼はしなかった。
そのおかげで、自分はまだチャンスを失わずにいる。
「感謝はしなくていい。わたしはただ、君がクリソプレーズにしたように、相手の心にこそ敗北を認めさせたい。……勝ちたいと、そう思ってしまっただけなのだから」
単に勝利が欲しいのではなく。
ヤクモがもうこれ以上は出し切れないというところまで戦い、その上で勝つ。
彼は、自分と勝負に臨んでいる。
「分かりました。では、望み通りの戦いを、再び始めましょう」
妹に手を差し出す。
彼女は決意を新たに、兄の手を掴む。
名前が。
彼女の、別の形の名前が。
「……わたしの銘を、唱えてください」
いつ、そうなったのだろう。
彼女は気づいているだろう。
そうなった《偽紅鏡》は、それまでとはまったくの別物と化す。
理屈も条件も不明。
それ故に特別。
口にする。
「抜刀――雪色夜切・赫焉」
あまりに数が少ないものだから、それを形容する一般的な表現というものはない。
基本的には《黎明騎士》として一括りに呼べば事足りる。
だが、それでも領域守護者はこう呼んでいた。
《黒点群》と。
「…………待て、ヤクモ。今君は、なんと」
雪が、降っているようだった。
氷華がヤクモの周囲を漂い、陽光を綺羅びやかに反射している、
刀は変わらない。
「黒点化したというのか……今日、この場で――」
場内が騒然とする。
《黒点群》は現在、世界で七人しか確認されていない。
そしてその全てが《黎明騎士》となっている。
『兄さん、わたしは今でも変わらず魔法を搭載していない出来損ないです』
そう。黒点化してもなお、妹に新たな魔法は発現しなかった。
ただ、彼女は己の在り方を定めただけ。
二度と折れないことを、ヤクモに誓っただけ。
「僕だって、魔法を使えない無能だよ」
そしてヤクモもまた、彼女に誓った。
二度と倒れないことを。
これは、魔法を搭載していない《偽紅鏡》と、魔法を使えない《導燈者》がまま、ただ戦い続ける為の進化。
「なに馬鹿なこと言ってんだ」「死にかけだった夜鴉風情が《黎明騎士》気取りかよ」「痛々しいにも程があるわ」「もっとマシな嘘をつけよ」「粉雪降らせる魔法が使えたんだ~って感じ」「なにそれ、意味なさ過ぎ」
冷めた声が聞こえてくる。
それに心を乱されることはない。
あぁ、でも。
「ヤクモさまー! アサヒさまー! 頑張ってください……っ!」モカの声が。
「残念ですわ。今あそこに立っているのが、わたくしではないなんて」スファレの声が。
「見せて頂戴、ヤクモ。あなたは頂点を獲るのでしょう」ラピスの声が。
「一回戦なんかで躓いてんじゃないわよ! アンタが負ける相手はアタシでしょうが!」ネフレンの声が。
「ヤクモっちー、あとでそれのこと教えてくださいよー」ロードの声が。
「夜雲ちゃん! 朝陽ちゃん!」家族みんなの声が。
「クソ弟子共ッ! よーやくてめぇらの馬鹿さ加減を理解したみてぇだな! そうなりゃ後は簡単だ。さっさと勝利を持って来い!」師匠の声が。
聞こえる。他の声に掻き消されることなく、全部届く。
言葉に力が無いと語る者は多い。
先程のトルマリンさえ、言霊の効果を否定した。
その気持も分かる。
不可能事を可能と謳ったところで、理は道を譲ってはくれないのだから、と。
それはそうだ。だが、その論はあまりに極端で、本質を捉えきれていない。
感謝されて嬉しくなることはないのか? 愛の囁きに胸が満たされることは?
声援に昂り、決意に魂を奮わせることは?
言葉に力が無い?
違う。言葉とは想いを形にするものであり、想いとは身体の原動力である。
故に、発せられた言葉は、定められた受け手に届いた時にこそ、その効力を十全に発揮する。
『勝ちましょう、兄さん。わたし達で』
友達が応援してくれているんだ!
家族が応援してくれているんだ!
師匠が勝てと言っているんだ!
妹が勝とうと言っているんだ!
僕自身が勝つと決めたんだ!
それら全ては、どうしようもなく心に熱を注いでくれる。
魂の炉に、燈を点けてくれる!
この熱量を、無とは言わせない。
無価値とは言わせない。
無意味とは言わせない。
何者であろうと、断じて。
魂が脈動する。血潮が沸騰する。神経が研ぎ澄まされ、雷光を置き去りにする速度で思考が巡る。
滾々と、止め処なく力が湧き出てくる。闘志が充溢する。
それらを、無秩序に撒き散らすのではない。振るうのではない。
収束する。制御する。適宜連結し、最大効率で運用する。
身体は熱く、されど思考は冷静に。
「いざ、尋常に」
「……君たちは本当に、素晴らしいな」
魔力防壁が展開される。
敗北寸前まで追い詰められた、あの魔力防壁だ。
雪の華が、舞う。




