295◇雷鳴
「近づいては来ないのかな?」
ヤクモは言った。
浮遊する剣に乗り、器用に空を舞うアルマース。
ドレスと鎧の合い子のような衣装には、用途不明の道具が沢山吊るされている。
そして、彼女自身も剣を手に持っていた。
しかし、近づいてくる様子はない。
「隊長の剣技は脅威ですから」
「光栄だね」
「事実です」
ヤクモたちが敵に勝つには接近するしかない。
赫焉粒子の活用はヤクモの戦いを大いに扶けてくれるが、決定打にするのは難しい。
綻びを斬る技術自体がヤクモの長年の感覚や目に依存している関係上、視えないことにはどうしようもないわけだ。
手数の豊富なアルマース組に対して、長期戦で応じるのはこちらに不利。
ゆえに、障害となるものは全て破壊して彼女に迫ろうとしているわけだが――。
『確定した魔法は八、予想がつくのは一つです。それでもあと四つ、厄介ですね』
兄妹が予想したアルマースの魔法は、『思考速度上昇』である。
友人であり、二人と同じ寮室で暮らす少女・モカが持っている魔法だ。
アルマースの魔法操作精度は異常。騎兵部隊を指揮し、剣と槍の群れを操作し、龍をけしかける。
そんな芸当を、素の思考能力で並行してできるとは考えづらい。
アルマースが常人とは比べ物にならぬ才覚の持ち主であることから、確定ではなく予想に留まっているわけだが、ほぼ間違いないだろう。
残る四つの内、一つも形状は判明している。
彼女の武装の中で、浮いているアイテムがある。体に巻きつけられているベルト、それに引っかけられている楕円型の小さな金属だ。
ピンのようなものが刺さっており、何かしらの機能を有していることは明らか。
少なくとも、飾りということはないだろう。
ヤクモの予想では、投擲物なのだが、効果は掴めない。
これで残り三つ。
その内の一つが今、明らかになろうとしていた。
◇
隣で観戦していたローブの魔人が、舌打ちするのがミヤビには聞こえた。
「どうした」
「べっつにー」
ミヤビとチヨからしたら、弟子の試合。
この薄紅髪の特級魔人からしたら、なんなのか。
ヤクモに並々ならぬ執着を持っているのは間違いないが、魔人は人間と見た目が似ているだけでまったく別の生き物だ。
人のような思考は持たず、人のような情は持たず、闘争に狂う生物だ。
このセレナという魔人は特異な個体らしく、ものを愛でるという感覚は備えているようだが、それは人間の男を捕まえてペットと呼ぶような、悍ましいものだった。
ヤクモとの戦いを経て、廃棄された城塞都市の奪還に協力するなど、魔人に例を見ない貢献を果たしたのも事実であり、ミヤビ自身命を救われた。
だが決して人類の味方ではないのだ。
恩義はあるが、信用はできない。
「この魔人の魔法は『模倣』です。それも、威力はオリジナル以下に固定されるもの」
妹のチヨが、代わりに口を開いた。
「あぁ、だから?」
セレナの魔法のメリットの前には、そんな些細なデメリットなど意味がない。
特級魔人という超常の存在が、無限に等しい数の魔法を有している。
その恐ろしさは、《黎明騎士》の第七格が破れた過去からも明らか。
低位の魔人さえ、領域守護者複数《班》で対応するのが基本なのだ。
「いえ、この魔人にプライドなんてものがあるのなら、自分が持っている魔法を自分以上に扱える――つまりオリジナルを有する相手を目の当たりにすれば、不快に思うこともあるのだろうか、と」
「あぁ、さっきの舌打ちはそういうことか?」
ミヤビは得心がいったような顔をして、妹の頭を撫でる。
妹は不快げに顔を歪めたが、その割に抵抗はしない。
セレナはつまらなそうに唇を尖らせていた。
「うるさいな、やっぱり助けなければよかったよ」
そう、アルマース組が今まさに使おうとしている魔法は、セレナも持っているもの。
それも、威力は桁違い。
単純な破壊力だけでいえば、ミヤビの豪炎にも匹敵するかもしれない。
模擬太陽の更に上。暗闇に閉ざされた空が、唸り声を上げる。
獲物に飛びかかる時を見計らっている、天界の獣が喉を鳴らすような。
ゴロゴロと、不穏な音がする。
「お前さんのを『雷撃』っつーんなら、あれはそうだな、さながら――『天雷』か?」
その威力が高すぎて、術者の近くで魔法を形成するのは危険。
故に上空で形成し、対象に向かって落とすのだ。
「……あのブス、知ってるのかな? ヤクモくんは――雷だって斬れるのに」
「斬られたのは、お前さんの『雷撃』だろ?」
「今からきみに撃ってあげてもいいんだけど」
魔人と弟子の試合を観戦しながら、軽口を叩き合うという異様な状況。
だがミヤビの顔には笑みが浮かんでいた。
弟子の強さを理解した者と、弟子の戦いを眺める機会というのは中々ない。
「あの嬢ちゃんは『光』の一位だ。ヤクモを欲しがってるって話もある。都市に上がってる報告書くらいは手に入れてるかもな」
「なんか聞き捨てならないフレーズが聞こえた気がするけど……。つまり、分かってて雷落とそうとしてるんだ。ふぅん……」
セレナがスッと目を細めた。
「どうしたよ」
「別に。きみも分かってるでしょ?」
「勝負は最後まで分からねぇもんさ」
「じゃあヤクモくんが負けると思うわけ?」
ミヤビは、ニヤッと楽しげに笑った。
「いんや。未来は決まってねぇ。その上で、あいつらに賭けてるってだけさ」
◇
「隊長が『雷撃』を斬った件は、承知しています」
アルマースの声は、相変わらず抑揚に乏しい。
『その上で雷落とそうとしてるなら、勝てる見込みがあると思ってるわけですね』
セレナの『雷撃』を防げたのは、彼女がそんなことが起こるわけがないと思っていたことも大いに関係している。
たとえばより威力が大きかったり、四方八方から『雷撃』が放たれていたらどうなっていたか。
そして、防いだ方法だ。
赫焉粒子の全てを刀の姿に変え、『雷撃』の軌道上に配置。雷電が通り過ぎる一瞬で綻びの候補を絞り、最後に斬り裂いた。
まず、アルマース組はヤクモ組が雷を斬ることができると知っている。
次に、防ぎ方も承知の上。
だから、対策を講じることができるわけだ。
彼女の操る剣と槍はゆっくりとヤクモを囲み始める。
「斬ることが出来るのは、雷だけではないよ」
「えぇ、それは確かに。ですが、一度に刻めるものには限りがありましょう」
「どうだろうね」
「この目で確かめさせてもらいます」
「ご自由に」
瞬きほどの時間を、更に細かく刻んだような。
そんな僅かな時の中で、様々なことが起こった。
雷光が迸る。
剣と槍が、前後左右上下より迫りくる。
天より落ちる雷に集中すれば、串刺し。
剣と槍を防ごうとすれば、雷に打たれる。
赫焉粒子の割り振りを迫ることで、ヤクモたちを倒そうというのだ。
セレナの『雷撃』を防ぐのに、全ての赫焉粒子を使ったヤクモ組。
威力と手数を増やせば、対処できなくなると考えるのは自然。
だが――。
『銀網』
ヤクモは迷わず、赫焉粒子を剣と槍を防ぐために展開。
それらは白銀の網となって広がり、無数の武器を絡め取る。
網目上にすることにより、防御壁のように展開するよりも少ない粒子で、広範囲に展開可能としたのだ。
金属音が連続して鳴り響き始めるより前。
ヤクモの雪色夜切・赫焉が閃いた。
観客席の者たちの、どれだけがその瞬間を捉えることができたか。
切り上げるようにして放たれた一撃は、寸分のズレもなく魔法の『綻び』を断った。
あとには、主の消滅を知らぬ雷鳴だけが、会場に轟く。
アルマース組の考えは、間違っていない。
見落としがあるとすれば、これまで放ってきた魔法だ。
十三の魔法を持つ領域守護者。素晴らしい能力だ。
だが、使い手は一人。つまり、魔力を練る際のクセも、一人分しかない。
ヤクモが視るのは魔法の綻びであり、魔力の偏りであり、それは同一人物が異なる魔法を使っていても、大きく変わるものではない。
土魔法、騎兵隊、剣と槍の群れ、龍。
ここまで見せられれば、魔法形成のクセを見抜くことは容易い。
雷魔法はその性質から綻びの位置が変化し続けるものだが、アルマース組の雷はそのあまりの威力に、天空での準備時間を要した。
その際の魔力の流れから、ヤクモは変化のパターンを掴んでいた。
魔法のクセと、どのように綻びの位置が変化するかを理解しているのだ。
その上、ヤクモは最高の名刀を手にしている状態。
雷だろうが、斬れぬわけもなし。
――しかし。
アルマース組が、ヤクモを仲間にしたいと願う『白』の一位が、そのことに頭が回らないなど有り得るだろうか。
「閉じ込めましたよ」
アルマースの声が、聞こえた。
球状に展開された白銀の網と、それに絡まるアルマース組の剣と槍。
それは、球体の中にヤクモを閉じ込めたとも言い換えられるかもしれない。
『兄さ――』
爆ぜる。
爆発の寸前、ヤクモにも見えた。
アルマースが衣装に吊るしていた金属球が、剣や槍に引っかかっていたのだ。
いくつも金属球が爆発し、周囲を熱と煙で包む。
直後、爆炎の中から幾つもの人影が飛び出した。
その全てに剣と槍が殺到する。
串刺しにされたのはだが、全て『白甲』――赫焉粒子で作った鎧だった。
本命は、アルマースを浮遊させる一つの剣。
それに絡んだ、一本の糸。
彼女が糸に気づいたのと、それが急速に縮まって煙の中からヤクモが飛び出してきたのは同時。
爆発で吹き飛んだ分と、『白甲』に向かわせた分で、剣と槍のほとんどは彼女の近くはない。
赫焉粒子を網状に展開したのは、アルマースの未知の魔法への対抗手段を残しておくため。
彼女は咄嗟に剣で糸を斬ろうとしたが、顔に迫る白銀の『小刀』に気づきそれを打ち払った。
それで稼いだ僅かな時間で充分。疾走を超える速度でアルマースに肉薄。
糸が縮む勢いを利用して、彼女の肉体を上下に断つ軌道で剣を揮う。
アルマースの表情は、それでも動かなかった。
代わりに、彼女の肉体が落ちる。
足場としていた剣を消したことで、大地に向かって体が流れていく。
彼女が先刻弾いた『小刀』は既にヤクモの許に戻っており、新たな形を与えられている。
空中に固定された小さな足場に着地すると、ヤクモは上下を逆にした体勢で空を蹴り、アルマースに向かって跳ぶ。
『またです!』
――分かっているよ。
ヤクモが追いかけてくることも想定済みだったのだろう。道中には手投げの爆発物がいくつもあった。
だが、それも最早、一度見た魔法だ。仕組みを理解し、綻びを把握できれば――斬れる。
爆発が起こることなく、ヤクモはアルマースの頭上に迫る。
いかにアルマースといえど、ここまで膨大な魔力を短期間で消費しては、魔力炉に相当な負担が掛かっているはず。
新たに剣を生み出して飛ばせても、数振りが限度。
彼女にできるのは、既に生み出した剣と槍を操ることくらい。
だがそれらも、戻ってくるには二手ほど遅い。
アルマースがヤクモを見上げた。
彼女の鎧の綻びも、見えている。
『ここです!』
天から振り下ろされる、白銀の一撃。
それを、アルマースは避けようとした。
空中で、足場もなく、だ。
彼女の体が、ヤクモの剣戟をギリギリ躱せる距離、移動する。
――『飛行』だ。
浮遊する剣に乗っていたのは、この魔法を切り札とするため。
彼女が空中を移動するには剣か槍に乗る必要があると、敵に思わせるため。
ヤクモたちが予想する未知の魔法の候補から『飛行』を外し、虚を突くため。
ヤクモの一撃は回避され、無防備な少年の体にアルマースの剣が振るわれる――筈だった。
「『推進』」
アルマースが移動した分、ヤクモの肉体も移動していた。
赫焉粒子の移動能力を利用し、アルマースの死角、ヤクモの背中に仕込んでおいたそれを動かしたのだ。
空中で背中を押されたヤクモの体は、予定通りの振り下ろしをアルマースに揮う。
彼女の剣が断たれ、鎧が断たれ。
今度こそ、為す術もなく落下することになる。
ダメージが限界に達したのか、あるいは解除したのか。
地上で人間状態に戻ったアルローラが、落下するアルマースを受け止める。
「ごめんなさい、アルローラ。今日はお肉、食べられそうにありません」
「……いい。アルマとなら、なんでもいい」
審判に二人の戦闘不能が認められ、勝敗が決する。
《皓き牙》学内ランク四十位《雪華の燈火》ヤクモ=トオミネ
対
《燈の燿》学内ランク一位《極光》アルマース=フォールス
勝者・ヤクモ、アサヒペア。




