287◇苦虫
足音の正体は――魔人であった。
「……ビスマス、か」
アカツキの側に現れたのは、赤みを帯びた銀白色の長髪と双眸を持つ魔人。人間でいえば二十代後半程に見える。側頭部から生える角がそれを否定。
「ビスマス! よかった! アカツキを治して!」
ミミの悲痛な叫びに一瞥もくれず、魔人は少年を見下ろす。
「貴様への評価を上方修正せねばならんな。よもや《黎明騎士》を殺し得るとは」
「褒める為に、来てくれたのか?」
今にも命が終わりそうな状態で、アカツキは笑う。
「人間とはいえ、プリマ様が認めし同胞に他ならん。生かして連れ帰る」
そう言って、魔人がアカツキに『治癒』を施す。
――おいおい、そうくるかい。
霞み掛かった意識の中で、ミヤビは舌を打ちそうになる。
命と引き換えにアカツキの命を貰う。
それが失敗に終わっては、単に《黎明騎士》が失われるだけ。
人類だけが強力な戦力を損失することになる。
「そこな《偽紅鏡》、無駄なことはよせ。何をしたところで、逃げることなど叶わぬのだから」
ミヤビを連れて逃げようとしていたチヨがビクッと震え、固まる。
すぐに動き出さなかったのは、竦んでしまったからではない。
一歩でも動けば、アカツキの治療よりミヤビへの止めを優先するのだと、殺気から分かったから。
姉想いのチヨは、ミヤビを思えばこそ動けないのだ。
だから代わりに、ミヤビが動いた。
「姉さん!? 動いてはダメです!」
腹が裂けている状態では死を縮めるだけ。だがのんびりと最期の言葉を交わすような余裕はない。ならば風前の灯火を自ら吹き消すような行為だろうと、刹那の猛りを望もう。
上体を起こすことによる出血の加速と激痛は無視。
魔人を睨み付ける。
「……驚嘆すべき兵だな。いや、サムライと呼ぶべきか」
「今日は相棒連れてねぇんだな、覗き見趣味のクソ魔人サンよ」
瀕死の重傷を負った仲間にさえ無表情を貫いていた魔人が、目を見開いた。
「――――素晴らしい。貴様程の戦士が失われることが、敵ながら惜しくてならん」
顔に浮かぶは言に反し、歓喜のそれ。ミヤビの死を喜んでいるのではない。自らの想像を越えた戦士であることを喜んでいるのだ。
名前は初めて知ったが、ミヤビはこの魔人を知っている。
彼ともう一体の魔人は、特級魔人カエシウスに支配されていた人類領域《エリュシオン》奪還後からしばらくの間、都市を監視していた。
戦意を感じなかったこと、そのことから戦力が図りづらかったこと、そして戦闘に発展した場合の損害を考慮し手は出さなかった。基本的に戦闘狂である魔人が二体で行動し、更には長期間の監視と思われる行為を続けるという異常性は気になったが。
しばらく経った頃には気配が消えていたし、ミヤビが敢えて隙きを晒しても殺気さえ零さなかったことから都市の支配が目的ではないと判断。
ミヤビがいるという理由で攻撃出来ない腰抜けならば《カナン》からの増援で対応出来るだろうし、強者でありながら攻撃してこなかったのなら戦闘や侵略を目的としていない特殊な個体だ。
その予想は正解だったようだ。
魔王直下の集団――《耀却夜行》の構成員だとは。
彼はミヤビが自分達の行為を把握していた上で手を出さなかった賢明さまで含めて、称賛したのだ。
自分は今どんな顔をしているのか。笑っているつもりだが、妹の泣き顔を見るに相当酷い面をしているのだろう。
がさつな己にしては繊細な手つきで、チヨの涙を拭う。そしてその頭に手を載せ、さらさらとした毛髪を撫でる。
「最期まで頼む」
それだけで。
悲嘆を断ち切るように、チヨは唇を結び。
決意に満ちた眼で、己を振るう剣士を見つめて頷いた。
チヨの頬に触れる。
「焼き尽くせ――千夜斬獲・日輪」
最愛の妹はそうして、愛刀へ。
彼女を杖のようにして、どうにか立ち上がる。
アカツキの治療を中止して、ビスマスも立ち上がった。
「魔力も命数も今に尽きるという中で、些かも薄れることなきその闘志。……ユウロが聞けば喧しく羨むだろうな」
おそらくユウロというのが、共に行動していたもう一体の魔人だろう。口ぶりからするに、此処には来ていないのか。
「我が名はビスマス。貴様を死……いや、ヤマトではなんといったか……確か、ヨミ。黄泉。そうだろう? 貴様の魂を黄泉へと還す大役、務めさせて頂こう」
どうにも魔人にはサムライ好きが多い。大昔に刀一本で同胞の首を狩り続けた戦士達の話は、彼らの間は広く伝わっているらしかった。戦いに生きることを好む魔人にとって、サムライは好ましい敵なのかもしれない。
こちらからすれば、迷惑極まりない話だが。
「その首刎ねて、黄泉平坂に転がしてやるよ」
保ってあと十数秒の命。有効に使わねば。
だが対峙することで分かる。
目の前の魔人はおそらく――特級相当。
この状態で勝てる相手ではない。
それでも自分は《黎明騎士》なのだ。最期までそう在らねばならない。
「何のつもりだ」
剣呑な声は、ビスマスから。
向けられたのはミヤビではなく。
もう一人の闖入者。
「――セレナ」
そう。
髪も頭の中も薄紅な特級魔人・セレナだった。
そのセレナが、ミヤビとビスマスの間に割って入るようにして立ち塞がっているのだ。
「……うるさいなぁ。セレナだってこんなことする予定じゃなかったんだよ」
「理解出来ん。カエシウス殺しに留まらず、魔王殺しにまで加担するつもりか」
「きみ達にさ、分かってもらおうとか思ってないわけ」
「そこを退け。今この時において、その者を生かして返すわけにはいかん」
「知ったことじゃなくない? セレナだってこのババアに死なれちゃ困るんだよ」
「知ったことではないな」
「意見が一致したねぇ。セレナ嬉しいよぅ。で、どうする? どっちか死ぬまでヤる? その場合、後ろで倒れてるイケメンくんだけじゃなくて、生きたまま捕まえといたきみのお仲間も確実に死ぬけど?」
ぴくりと、ビスマスの肩が揺れた。
《耀却夜行》は仲間を尊ぶ。それはセレナも把握していること。
生け捕りにした魔人がいるようだ。そうでなくともランタンがいる。
「……かつて貴様を《耀却夜行》に勧誘した魔人が殺された」
「で?」
「何者の軍門に下ることもないものと思っていたが、何故人間に与する」
「どうせ理解出来ないのに、なんで知りたがるかな。バカみたい」
二人の睨み合いはしばらく続いた。
やがて――。




