279◇脱獄
「ねぇオバサン」
それは兄妹が出ていった後のこと。
特級魔人にして人類の協力者という、本来組み合わさるとは思えない要素を兼ね備えるセレナが声を掛けてきた。
「なんだよよちよち歩き」
「十年級って言うな」
「あたしはババアでもオバサンでもねぇ」
ヤクモ達の手前、話が滞らないようにと無視してきたが、もうその必要はない。
「年増」
「……後はもう魔王ぶっ殺すだけだしお前は要らないよな?」
ミヤビが刀を構えると、セレナはつまらなそうに笑った。
「くだらない脅しも冗談も、通じる相手にだけ言ってよ」
こんなのでも特級。多少の殺気では揺らぎもしない。
「そーかい。で、なんだよ」
頼み事、いや要求であればヤクモに言っている筈だ。彼女は自分へのヤクモの対応を楽しみにしている節がある。
自分以外の女は全て醜いとでも思っているようなセレナが進んで話しかけてくるという時点で異常だ。
「《耀却夜行》だっけ? 多分その子たち、もう来てるよ」
『――な』
武器化状態のチヨが絶句する。
まるで《黎明騎士》という語に対抗するかのような集団名。彼らは魔王を主とし、既存の枠組みに囚われない思想・メンバー構成の組織だ。
《アヴァロン》にてヤクモ達と接触、メンバーの一人を捕縛し此処《カナン》へ連行。
ミヤビ達は、彼らが囚われた仲間を取り戻しに来ると予想していた。
だがセレナは、既に来ていると言っている。
ミヤビは冷静に問う。
「根拠は?」
うんざりした様子で肩を竦められた。
「人間ってそういうところがダメだよね。すぐ質問しないで、少しは自分で考えなよ。どんどん脳みそ弱くなっちゃうぞ」
事実であれば緊急事態。だがセレナからすれば、どうでもいいとは言わないまでも関心が薄い事柄なのだろう。掻き乱すことが目的でないのなら、今教えたことさえ気まぐれか、遊び気分か。
再度尋ねたところで機嫌を悪くし口を閉ざすだけ。飽き性を呆れさせることは少なくとも今、得策ではないと判断。
考える。だがあまりに情報が少ない。
「……一つ聞かせろ」
「えー、ヒントがほしいってこと? 《黎明騎士》のくせに情けないなー」
『この魔人、言わせておけば』
静かに怒りを募らせるチヨ。
「ヤクモに小遣いやって、お前さんに何か買ってくよう言ってやる」
「む」
虚を衝かれたような表情から、思案顔へ。
「あいつは金が入るや家族に使うからな」
残った分も、全てミヤビへの返済に充てている。家族の魔力税を肩代わりしている分のだ。要らないと言っているが、ヤクモは聞かない。筋は通したいのだとか。
立て続けに功績を上げている彼にはかなりの報奨金が出ているが、それでも手許には幾らもないのはその為だ。無欲なのではなく、義理堅く愛情深い。
セレナはかつてヤクモに衣服を要求したそうだが、ヤクモの財布事情を鑑みると彼女が満足するものを何度も用意するのは難しいだろう。
「弟子を利用するんだ?」
「優先順位の問題だ」
アサヒは烈火の如く怒るだろうが、ヤクモはミヤビの判断を支持するだろう。都市の存亡とアサヒの怒り、どちらを重要視すべきなど言うまでもない。多少の心苦しさで判断を誤るほど、ミヤビの歩いてきた道は温くない。
「ふぅん。まぁいっか。じゃあそれで」
交渉成立。
一回の質問権。尋ねるべきは。
「なんでヤクモが出てった後に話した」
一瞬、セレナの唇が上向きになった、気がした。
「だってヤクモくんに話したら、絶対になんとかしようとするでしょ」
『……この魔人は、何を言って』
ミヤビには分かる。
セレナは、ヤクモに負担を掛けまいとしたのだ。
ただこれは、純粋な気遣いではない。
「ヤクモくんには、大会? ってやつに専念してもらわないと。誰が一番強いか決めるところなんでしょ? クリードくんに勝って、セレナを協力者にした人間がさ――負けるなんてダメでしょ」
強さとはそこまで単純なものではないが、大多数の人間は物事を単純化したがるものだ。ヤクモが本戦で何者かに敗北したからといって、勝者が特級魔人クリードを討伐出来るということにはならない。
しかし、ヤクモ組に勝ったのであれば特級魔人にも勝てたのではないか、と考える者は多いだろう。
大会自体、その年で最も強い領域守護者候補を決めるという触れ込みで開催されている。分かりやすく、誤りでこそないのだが、単純化し過ぎではある。少しでも戦いの心得がある者であれば理解出来ることだが、そうでない者の方が断然多い。
同じ魔人として、セレナはそんなこと受け入れられないのか。
「ヤクモくんには勝ってもらわないと」
相変わらず、価値観が人間とは別物。
ヤクモを応援しているが、その理由はやはり魔人。
「そうか、合点がいった」
どうにも自分はこのセレナという魔人への理解が足りないらしい。そういう部分では、ヤクモの方が適しているかもしれない。
ともかく、引っ掛かりを覚えた部分は解消された。
普段はヤクモや美少年との会話以外では不愉快そうな魔人が、自らミヤビに話しかけてきたのだから訝しむのも当然。
たとえば、この話を無視したとして。虚偽であれば何も起こらない。真実であれば最低でも魔人が奪還され、最悪都市内での大規模戦闘に発展する。聞き流すにはリスクが高い。
『看破』持ちを連れてくれば発言の真偽は判明するが、事実であれば一刻を争う事態。
ミヤビはセレナの目的があるならそれは何か、考えた。
彼女を信じたわけではない。だが理由に嘘は無さそうに思える。嘘をつくならもっとマシなものが幾らでも思いつくだろう。
ただ、人が何かをするとき、動機や理由が一つとは限らない。
「おまえさんはヤクモを大会に集中させてやりてぇと、そういうわけだな?」
「そう言ってんじゃん」
「なら、手伝え」
『姉さん……!?』
普段冷静な妹らしくない、上擦った声。
対してセレナは、これまでミヤビがしていたように怪訝そうな顔をした。だがすぐに、小馬鹿にするように笑う。どことなく、楽しげにも見える笑みだ。
「いやいや、きみたちでなんとかしなよ。セレナは人間の奴隷じゃあないんだから」
ヤクモの試合に影響しないなら、どこで誰が何人死のうが知ったことではない。そういうことだろう。
「都市内で何か起きたら、ヤクモが何を思うかね」
「……」
「それが《耀却夜行》となりゃあ、大会に集中なんざ出来るわけがねぇ」
「うわぁ、人間ってここまで卑しくなれるんだねぇ」
そう言いながら、セレナの言葉にはどこか感心の色が滲んでいる。
「ヤクモくんの邪魔したくないなら、手伝うべきってことでしょ? でもいいのかな、セレナってそんな自由に動かせる戦力じゃないと思うんだけど」
その通りだ。
実際、牢番の領域守護者はミヤビの言葉に狼狽している。
彼女を動かすには緊急時であっても然るべき者たちの承認が不可欠。
「そんなものは無視すりゃあいい」
セレナが嘘をついている可能性は、当然ある。だがそれを確かめている時間が惜しい。
それに、嘘であったらあったで構わない。自分は《黎明騎士》、対処するまでだ。
重要なのは、都市が危険に晒されているかもしれないということ。
そしてなによりも。
――あいつらの戦いに水を差されてたまるかってんだ。
奇しくも、というべきか。ミヤビもセレナと同じなのだ。ヤクモとアサヒ、弟子達に大会に集中させてやりたい。
「やんのか、やんねぇのか」
「あはは、いいよ。手伝ってあげるよババア」
セレナは快諾。意外にも思えるし、彼女らしくも思える。
「返事が遅ぇんだよよちよち歩き」
「でも気をつけてね、手が滑ってむかつくババアを殺しちゃうかもしれないから」
「てめぇこそ気をつけな。うっかり首を刎ねちまうかもしれねぇからな」
視線の交錯は一瞬。
両者ともに、好意などゼロだというのに満面の笑み。
「お、お待ち下さいアカザさ――バッ?」
止めに入った牢番の顔面を、ミヤビの手の甲が強打。そのまま気を失う。振り向きもせずに牢番を無力化したミヤビはランタンを脇に抱える。遣い手の意識が喪失したことによって武器化が解かれた《偽紅鏡》に一言「済まねぇな」と言葉を掛け、セレナを促す。
「おら、行くぞ」
「なんの説明もなし?」
「少しは自分で考えろよ魔人。脳みそ弱くなんぞ」
先程の意趣返しに言ってやると、セレナは殺気を覗かせながら鼻を鳴らす。
「言うじゃん、ババア。セレナ、美しくないものに触りたくないんだけどな~」
その言葉だけで、彼女がミヤビの策を理解していると分かる。
侵入者達は囚われた仲間を奪還しに、既に都市内部にいるという。
人間相手に潜入作戦など通常の魔人であれば有り得ないが、《耀却夜行》という組織の特異性を考えれば何をやろうと不思議ではない。
ともかく、敵の目的はハッキリしている。今は隠密行動をとっていても、いつ暴れだすとも限らない。早急に手を打たねばならず、ならばセレナを使うのが早い。
セレナの『空間移動』によって、ランタンごと都市の外へ移動。
魔石製の拘束具を外し、夜の闇に連れ出す。セレナにランタンの魔力炉を再生させるなりすれば、彼女の魔力反応が都市外で復活。
敵には都市内に留まる理由がなくなる、というわけだ。
あくまで都市潜入は仲間奪還の為。
仲間が外にいるのであれば中で暴れる理由は無し。
怪しむことはあれど、人間ごときが張った罠に恐れをなす、ということはない筈だ。
必ず取り戻しに来る。
『……姉さんには呆れました』
ため息混じりのチヨの声。表情まで目に浮かぶ。
『こんな姉さんに付き合える武器は、わたしくらいでしょう』
なんのかんの言っても、この妹は自分の味方。無茶は今に始まったことではないので、とうに諦めているのかもしれない。それでも見放しはしない。ミヤビもそこを疑いはしない。
「そうだな、おちよ」
「は? ……あぁ武器に言ったんだ。行くよ」
セレナに触れられる。
景色が変わる。
真っ暗闇。全身を包む、一寸先すら見通せぬ宵の黒。
『火』を熾し、周囲を照らす。
払われた闇からセレナの全身が浮かび上がる。
「脱獄しちゃった」
冗談のつもりだろう。
「これが終わったらまたぶち込んでやるから安心しろ」
「きみを撒くくらい簡単なんだけど?」
「またあたしから逃げるのか?」
かつて、セレナはミヤビの一撃から逃れる為に戦域を離脱した。回避ではなく逃走。それはセレナ自身が誰よりも理解しているだろう。
「……ほんと、むかつくババアだなぁ」
逃げるのが目的、というのは考えていなかった。魔人のプライドを思えば有り得ない。やるとすれば、ミヤビを殺害してから悠々と消えること。であれば問題ない。
自分達は負けない。
「言っとくけど、これ以上は手伝わないから」
「いや、こいつが逃げないように見張っとけ」
「はぁ!?」
「こいつに逃げ帰られたら、魔王が拠点を移るかもしれねぇ。そうなると魔王探しから始めなきゃなんなくなるだろう」
「どうでもいいよ」
「お前の自由も遠のくぞ? それによ、ヤクモより面白い存在が、そうポンポン見つかるか?」
「……どんだけ弟子を利用するんだよ」
「あいつ使わねぇと、お前を使えねぇだろ」
今度飯でも奢ってやらねぇとな、と弟子の顔を思い浮かべる。
セレナはうんざりした顔をしたが、最終的に受け入れた。
「確かに、まだヤクモくんを見てたいしね。やったげるよ」
共闘ではなく、協力態勢。
《黎明騎士》と特級魔人が、まだ見ぬ敵を待ち構える。




