275◇違反
善は急げとばかりに、兄妹は師に連れられてタワー地下へ向かった。
地下牢に繋がる階段を、心なし忙しなく降りる。
終着点にある扉を開いて進むと、直線の通路とそれを挟むように並ぶ牢屋が目に入った。
現在、その内三つが埋まっている。
クリードの部下・テルル、アカツキの仲間・ランタン。
そして――。
「あー! やぁっと来てくれたんだぁ。遅すぎてセレナ、脱獄しようかって思ってたところだよ」
薄紅色の毛髪は両の横髪を編んでそれを後ろで一つに纏めている。幼さを感じる顔と体格、可愛げのある容姿に騙されてはいけない。
彼女こそは特級指定魔人であり、かつてクリード共に《カナン》を危機に陥れた張本人なのだから。
両側頭から上向きに生える漆黒の角が、彼女が人間でないことを証明していた。
「魔力炉抜かれて縛られて陽光当てられて、どう逃げんだよ」
ミヤビの呆れたような言葉に、セレナは不快げに眉を顰めた。
「ババアは黙っててくれる? 全ての問題は愛の前には無力なんだよ」
《エリュシオン》奪還作戦及び作戦終了後の都市防衛に協力してくれたセレナだが、それでも《カナン》は信用し切れなかったらしい。
拘束した時と同様の措置をとって、再度牢屋に入れたようだ。
「何が愛ですか。兄さんのことペットにしようとした癖に」
「古い話を持ち出さないでよ、ブスヒちゃん」
「わたしはアサヒだ……っ!」
相変わらず、セレナの女性陣へのあたりはきつい。これはもう性格だろう。
「なんだか久しぶりな気がするね」
ヤクモが声を掛けると、明らかに彼女の態度が変わった。
「セレナもそう思ってたよ。まさに一日千秋! だったんだから」
にっこりと口の端を上げた彼女だったが、すぐにぷくりと不満げに頬が膨らむ。
「でもヤクモくん、ちょっと酷いんじゃない? セレナを働かせておいて、自分は他の魔人とデートだなんて。嫉妬しちゃうなぁ」
「ランタンのことを言っているのかい?」
デートというのは冗談にしても、気分を害しているのは本当らしい。
「名前は知らないけどいるのは分かるよ。ちゃっかり捕まえちゃってセレナみたいに利用する気なんでしょ。さいてー。酷すぎる……セレナはこんなにもヤクモくんに尽くしているのに……うぅ」
悲しげな顔ですすり泣くセレナ。
「絡みづらさがパワーアップしてませんかこの魔人」
アサヒの声は冷え切っている。
ちらりちらりとこちらの顔色を確認しているあたり、嘘泣きなのだろう。
「彼女は協力者になってもらう為に連れてきたわけじゃないよ」
「そんなこと言っても騙されないから。ヤクモくんは嘘吐きだからなぁ。週一で逢うって約束もお仕事で有耶無耶にされちゃったし。こうして逢いに来たと思ったらご褒美の一つもないし」
セレナは誰かに従うような魔人ではない。
そんな彼女がヤクモの協力者をやっているのは、仲間達と共に討伐まで追い込んだところに降伏を勧めたヤクモを、どういうわけか彼女が面白いと思ったから。
気分のままに生きる者だからこそ、機嫌を損ねるとそれが関係に響く。
「それに、都市を取り返してその後のお守りまで手伝ったのに、戻った途端にこの仕打ち。セレナじゃなくても最悪な気分になるんじゃないの? それがヤクモくんの言う、協力関係なの?」
試されている。
セレナは何もヤクモの仲間になったわけではないのだ。
協力してもいいと思ったから協力していただけ。ヤクモを多少気に入っているということはあっても、大きな不満を我慢して尽くす存在ではない。
だからこそ、それを危ぶんだ《タワー》の者達は彼女を拘束したのだろう。
さてどうする? とセレナはヤクモに問うている。
人類領域の魔人に対する扱いは、ヤクモにも想像出来たこと。
その上でそれを是としてセレナに接するのか、あるいは――。
「そうだね、これはやり過ぎだ」
ミヤビ、チヨ、アサヒ、『陽光』を再現している見張りの領域守護者の全員が、ぴくりと反応。
セレナだけが期待の眼差しを向けてくる。
「へぇ、じゃあ出してくれる?」
「待遇は改善されるべきだ。きみが過去にやったことは変えられないけれど、それと同時に貢献も忘れてはならないと思うから」
《カナン》の対応も仕方のない面がある。
なにせ、彼女は壊し過ぎたし、殺し過ぎた。模擬太陽稼働用の魔石を奪い、その日壁の縁に立っていた『蒼』全員を殺し、街の中心部で暴れ回った。
そのことは許されない。
が、協力者になってからの貢献も無かったことには出来まい。
ヤクモがミヤビに視線を送ると、彼女は僅かに渋る様子を見せたが、結局肩を竦めた。それから監視に、セレナの房の『陽光』を消すよう指示。《黎明騎士》の命令でも、監視は躊躇った。それくらい、セレナは危険視されている。
結局ミヤビがチヨを武器化し、万が一のことがあれば対処すると言葉を重ねたことで実行に移される。
あるのは、テルルとランタンの房から漏れる光と、地下牢に灯された蝋燭の火だけ。
「さすがはヤクモくん。けど、誠意を見せるにはまだ足りないんじゃない?」
「そうかもしれないね。けれどこれで、面と向かって話が出来る」
魔人は陽光に極端に弱い。魔力炉だけでなく、視力も制限されるのだ。
魔法による『陽光』が消えたことによって、彼女はやっとヤクモの顔をまともに見ることが出来るようになった。
「そうだね。ヤクモくんの可愛い顔が、よぉく見えるよぅ」
「これから話すことに協力してくれるなら、きみを出せるように努力する」
「――っ、ちょ、ちょっと兄さん!?」
慌てるアサヒを手で制したのは、ミヤビ。
師には分かっている。これがどれだけ重要な任務になるか。
「セレナを自由にしてくれるの? この街を自由に歩き回れるようにしてくれる?」
「貢献次第では、ね。さすがに角は隠してもらう必要があるけど」
「ふぅん。嘘には見えないけど、それだけに怖いなぁ。セレナに自由を与えられる程のお仕事だなんて、さ」
危険な罪人に自由を与えるなど、余程のことだとセレナは正しく理解している。
「君は、《耀却夜行》を知っているかい?」
セレナの目の色が変わった。
「……なーるほど、捕まえた魔人は『彼女』の仲間なんだ?」
集団の名称だけで、セレナは全てを察したらしい。
彼女は首を横に揺する。とんでもないことをしてくれたな、とばかりに。笑っているが、無知なる者の愚行を憐れむような視線でこちらを見ている。
「この都市を廃棄したくないなら、さっさとその子を解放した方がいいよ。幸い『彼女』は無駄な死人は出したがらないタイプだし、お仲間にも最低限そこは守らせてる」
確かにアカツキもランタンも、殺人を好んでいるわけではないようだった。あくまで目的の達成を阻む障壁となった場合、迷わず破壊するという姿勢だった。
「それも考えよう。《カナン》を戦場にしたいわけじゃあないから。ただその前に、きみに協力してほしい」
「テルルちゃんにやったみたいに、本拠地の情報を抜き取れって?」
「そうだ」
セレナの笑みが、引き攣る。
「ヤクモくん分かってる? きみたちが言うところの『魔王』を、セレナに裏切れって言うの?」




