215◇魔法
「魔法使い?」
一同は驚く。
それはそうだ。
大抵の人間が、一生目にすることはないだろう存在なのだから。
「えぇ~? そんなジロジロ見られると……照れちゃうわ」
モルガンは頬に手を添え、困ったように微笑む。
今の人類にとっては信じがたいことだが、かつて人間は個人で魔法を扱うことが出来た。
もちろん現在と同じく才能による優劣はあったろうが、魔法はある種の技能だったのだ。
しかし、それが災いしたとも言えるだろう。
存在するものは、成り立ちが分からなくても用途さえ把握すれば使用出来る。
だがそれが無く、作り出す方法そのものを知らなかったら?
たとえば、その人物のみが持つ武術や技芸・特定の知識や技術などの粋を、ただ一人にのみ継がせると決めていたとして。
一子相伝さながらの継承が連綿と続いていたとして。
それが失敗したら? どちらかの死や、能力不足による継承の失敗などが起きたら?
受け継がれない。その代で終わってしまう。
次の世界に、それはもう存在しない。
絶滅した種族を、取り戻すことが出来ないように。
模擬太陽の製造方法などを含む、『かつての人類にはあって今の人類にはないモノ』は大きく遺失技術とくくられる。
魔法の習得は、その一つだ。
誰ももう、どうすれば魔法を使えるようになるかを、知らない。
誰かを魔法使いに導けるだけの人物は、少なくとも《カナン》にはいなかった。
だが。
「あら……ヤクモくんとアサヒちゃん、だったわよね? どうしたの? 何かを思い出したような顔を、二人同時にしたみたいだけど」
クリード戦で、ヤクモは魔法を使った。アサヒに魂の魔力炉接続を行わせることで魔力を確保したこと、そもそもヤクモ自身の魔法適性は最低値のままであることから、使える状況は限られるが、使えることには使える。
ヤクモは魔力が皮膚を覆うことにも拒否反応が出るほどの適性なので、魔石の使用も向かない。直接触れなければ魔力を扱えないが、魔力の塊に直接触れるわけにはいかないのだから。
皮肉なことに、魂の魔力炉接続によってアサヒが魔力を用意し、《導燈者》としてそれを運用するという形をとることでしか、ヤクモは魔法使いの真似事が出来ないわけだ。
――魔法使い、か。
クリード戦の報告を、ヤクモはほぼ正確に行った。
つまり、魔法の作成と使用だ。考案と発動でもいい。
だが、その時のことは上手く説明出来なかった。とにかく必死だったから。
それは嘘ではない。だが、ヤクモには簡潔な答えが出せた。
必要だから、した。
たったそれだけのこと。
クリード戦の時の感覚は、意識的に踏み込める領域ではないのだろう。
それでも分かる。
自分になどは絶対に使えない筈の魔法を。
ヤクモは次の瞬間、心の底から、何の疑いも持たず、必要だから発動した。
それが魔法を作る方法だというなら、まともな人間には無理だろう。
ある時いきなり『空を歩きたい』と考えて壁の縁から空中へ足を踏み出せるような、そんな思考が可能な者でなければ。
理解されるような報告が出来ないと判断して、ヤクモは書かなかった。
ただ。
「……ふぅん。なぁるほどー。あーちゃんが興味を惹かれるのも分かるかも。驚く程に『持ってない』のに、いやだからこそかな? 『掴み取る力』がある……ような?」
モルガンがじぃと兄妹を見つめてから、首を傾げた。
そんな彼女を見て、アークトゥルスは呆れるように眉の間を押さえた。
「自信が無いのなら意味深なことを言うでない。こちらが恥ずかしくなる」
「ひどーい! 私のどこが恥ずかしいってゆうの!」
「己の年齢も考えず活発な乙女のような振る舞いをするところだ」
「ひ、ひどすぎる……! 今日のあーちゃんは冷たい……」
ひとしきり落ち込んでから、モルガンは気を取り直してみんなを家に案内した。
その途中、兄妹に近づいてくる。
周囲に聞こえないように声量を落として、言った。
「魔法のことで、知りたいことがあるの?」
「――っ」
「動揺しないで……あんまり知られたくないんでしょう?」
彼女は気付いていたのだ。
「モルガンさんは……人に魔法を教えることが出来ますか?」
「難しいわね。魔法の習得は『物語のあらすじを暗記する』というようなものではないから」
物語であれば、賢いものなら一度、そうでなくとも繰り返し読み聞きすれば覚えられる。
「どちらかというと、『コンパスを渡される』という感覚なのかしら。私視点では渡す、ね。」
「……こんぱすというと、都市間移動で使われる?」
「魔法を作るというのは、暗闇を進み続けて未踏の地に辿り着くようなものなのよ。自分の力で、世界を切り開く偉業。そこにはある種の狂気が不可欠だわ」
ヤクモと感覚は微妙に異なるが、答えは同じ。
「魔法を教えるとなると、じゃあ狂気を教えるのかとなってしまうわよね? でも、そんなことは出来ない。不可能ということではなく、魔法を使えるように精神を組み替えるなんて、人として間違っているでしょう」
「えぇ」
「だから、コンパスをあげるの。特別に方角も教えてあげるわけ」
「到達者が踏んだ大地がどこにあるかだけは分かるように」
「その通り。どこへ行けばいいかさえ分かっていれば、辿り着くまでに必要な精神力のハードルはぐっと下がるでしょう」
暗闇の中を、あるかも分からない目的地に向かって延々と歩き続けるのはまともな精神では難しい。
だが希望があれば変わる。確かに目的地は存在し、何処に向かって足を進めればいいかも分かるとなれば、我慢も努力も出来る。絶望を乗り越えられる者は少ないが、希望のある内から諦める者も少ない。希望をちらつかせることで、狂気なくして魔法にたどり着けるようにする。
「いやあの……たとえがいまいちわからないんですけど」
アサヒは困惑顔だ。
「抽象的過ぎたかしら」
モルガンは申し訳なさそうに微苦笑。
ヤクモはなんと説明したものかと考える。
「本の内容と違って、記憶力の問題ではないんだ」
「そこまではなんとなく。知識を詰め込むだけで魔法が使えるとも思いませんし」
「一種の精神修行みたいなものと捉えればいいのかも」
「あー……なるほど? 自分を理解した者が、他人にその方法を完全に教えるのは難しい……みたいな感じでしょうか。では具体的に何をさせるんですか? 瞑想とか?」
「魔法によって違うわね。人工的に植え付けたり組み込んだりする邪法は別として、まともに覚えさせるとなるととても難しいわ」
邪法……というのは、かつて接続者と呼ばれていた《導燈者》の先祖達に施された何かのことだろう。
魔法が精神ではなく肉体に組み込まれ、時に変質しながら子孫に受け継がれるというのは、本来の魔法から考えれば妙なことなのだ。
アサヒは特に気にした様子もなく尋ねる。
「ふぅん。たとえば『水』属性ならばどうなんです?」
「うぅん、適性がある前提よ? その子に心の強さもあると認めた後のこと、と考えてね?」
「もったいぶりますね……」
「溺れさせたりとか」
「……」
「あと、どこかに閉じ込めてそこに火をつけるとか……」
モルガンはできるだけ暗くならないようにか明るい表情だったが、それが魔法習得の異質さを際立たせていた。
「要するに、狂人は『必要だから』という認識で魔法が作れるけれど、常人はその認識の後に魔法の習得を確信出来ないの、常識に縛られているから」
「ようやく分かりました。コンパスは方向性の比喩なんですね。『水』属性なら強制的に『水を操る力が無いと死ぬ』状況に追い込み、『必要』という認識を極限まで高める」
「後はもう、確信出来るかよね。もちろん無理そうなら助けるし、そもそも私はあまり魔法を人に魔法は教えなかったのだけど」
少しだけ、胸のつっかえがとれる。
もし魔法の習得が容易だったら……とヤクモは悩んでいたのだ。
「優しいのね」
モルガンが微笑んでいる。
「普通は、才能の無い人間は魔法に手が届かない。届いても使えないんだから、覚えること自体無意味よね。けれど、貴方は届いた」
「……分かるんですか」
「見てとれるわけではないわ。ただの想像。でも合っているようね。何があったかは分からないけれど、凄いことだわ。多分今、この世界で同じことが出来る人間は五人もいない」
「それはモルガンさんを含めてですか?」
「……ふふふ」
モルガンは微笑むだけで答えない。
「貴方は考えたのよね。これがもし、誰にでも出来ることなら――《偽紅鏡》は必要なくなってしまう、と」




