213◇湖畔
「これが《城》……」
見上げるヤクモに、アークトゥルスが応える。
「本物の城とは比べるまでもないが、これが《アヴァロン》の《城》に相違ない」
《カナン》の《タワー》は塔の亜種のようだったが、これは巨大な邸宅とでもいうべきものだった。
とても全容を視界に収めることが出来ない。部屋数は優に二十を越えるだろう。光を取り込む為の窓がずらっと並ぶ様はいっそ壮観。
外観は荘厳ではあるが豪奢ではなく、手入れはされているが金を掛けている感じは受けない。おそらく内部も同じだろう。
アークトゥルスの言動を思えば、都市の中枢部だからといって不必要に資金を投じはしないだろう。
アサヒなどは童女のように目を輝かせているが、ヤクモとラブラドライトは違和感を抱いた。
――今の言い方だとまるで、本物の城を知っているみたいだ。
子供らしい姿も強者としての振る舞いも、どちらも嘘には見えない。
それでもまだ、ヤクモはまだ彼女が掴めずにいた。
ラブラドライトも同じようで、思案顔で顎先に指をあてがっている。
その指の一本には、噛み跡が残っていた。
広大な前庭に荷物を下ろした時点で、使節団の面々は離脱。
そこからは徒歩で、アークトゥルスとヴィヴィアンの二人が先導する形で移動する。
ついていくのはヤクモ組、グラヴェル組、ラブラドライト組の六名だけだ。
「あれ? お城には入らないんですか?」
「貴様があそこがよいというのなら、部屋を用意させよう。余が寝起きする場所は別にある」
「へぇ、王様なのに?」
ツキヒの言葉に、アークトゥルスは自嘲するように唇を曲げる。
「名ばかりだ。正確には名誉騎士団長といったところか」
――名誉騎士団長……。
「王」
ヴィヴィアンが悲しげな声を出す。
「まぁ、僕らも《黎明騎士》が都市の実権を握っているだなんて思ってはいなかったけれどね。異名は異名だ」
「……あなた」
「よいのだヴィヴィアン。そやつの認識は間違っておらん。とはいえ、だ。支配こそしておらんが、それなりに都市運営には口出ししておるぞ」
「あぁ、誤解させたなら済まない。見ていたら分かるよ。ただ、この都市は王政を敷かれているわけではない、とそれだけの意図だったんだ」
「だそうだヴィヴィアン、許してやれ」
「王が仰るなら」
「仰るぞ」
「許しましょう」
「それは、どうも」
城の敷地内は緑に溢れていた。
手入れされた庭園の中を進んでいくと、やがて木々が生い茂る一角に。
「……林檎の木?」
林檎が生っているので、その筈だ。
だがおかしい。
ヤクモの知る林檎に――金色のものはなかった。
「食い意地を出すなよ。不死になるどころか死にかねんからな」
ぴくりとアサヒが反応する。
「不死……ツキヒ」
「ん、そっちはすぐ思い出せたよ」
これまた姉妹が幼い頃に読んだ本のお話。
不死になれる黄金の林檎を盗み出した悪者を、主人公が追いかけ林檎を取り戻す話。
「実物があるのは驚いたけど、不死ってのは冗談でしょ」
「試すのは勧めん、と言っておこう」
ツキヒは微妙な顔になった。
信じることは出来ないが、再度冗談なのだろうと確認することは躊躇われたのだろう。
アークトゥルスが一瞬見せた表情は、まるで何か過去を思い起こしているようで。
話題を掘り下げることは、さすがのツキヒでも二の足を踏むものだったようだ。
木々の隙間を縫うように一行は進む。
「そういえばアークトゥルスさん、僕らをつれてきた理由はなんなんです?」
二つある、とだけ聞いていた。
もう到着したのだ、説明があってもいい頃合いだろう。
「まぁ待て。……ついたぞ」
視界が開ける。
陽光を、きらきらと反射していた。
とても、とても大きな水たまり。
いや、確かこういうのを――湖というのだったか。
「……きれい」
と、誰かが呟いた。
同感だった。
コップに注がれれば、それは無駄には出来ずとも飲み水でしかない。
だが、目の前に広がる水の集合は、そんな認識より前に美を心に訴えかけてくる。
「……何か投げ込んだら、女神が出てくるかな」
「それは泉じゃない? お姉ちゃんが飛び込んだら、金のお姉ちゃんと銀のお姉ちゃんももらえたりして。金の雪色夜切と銀の雪色夜切かな」
ツキヒが言うと、アサヒは拗ねたような顔になる。
「ツキヒは金とか銀とかがいい?」
ぐいっと顔を近づけてくる姉に、ツキヒは顔を逸しながら答える。
「……いや、白銀ので間に合ってるけど」
「うへへ」
アサヒは嬉しそうだ。
そしてヤクモに寓話の内容を簡潔に語り、同じ質問を投げかけてきた。
「いや……手を滑らせて雪色夜切を落とすようなことを、そもそもしないよ」
アサヒは不意打ちを食らったように赤面し、上唇を下唇に被せながら上機嫌になる。
「……ちょっとおにーさん、前提を変えないでよ。お姉ちゃんが飛び込んだ場合の話だったじゃん」
「アサヒって泳げるのかな」
「泳げません」
「そうしたら、まず助けないと」
「だからそういう話じゃ……もういい」
ツキヒはなんとなく面白くなさそうだ。
「ふふふ、武器を投げ入れる、という部分は面白いのぅ。なぁヴィヴィアン」
「左様で」
「懐かしい場面を思い出さんか?」
「はて、どうでしょうか」
ヴィヴィアンの感情はよく窺えないが、アークトゥルスは愉快げだ。
「豊富な水資源を自慢したいのであれば大成功だな。他に僕達を連れてきた理由があるならば教えてくれないか」
ラブラドライトが言う。
確かに水は人が生きるのに不可欠。
《カナン》も壁外に流れる川から水を引いている。
そもそも人類領域はそのあたりを考慮して建設された筈だ。それでも長い時の流れで、水不足に陥る都市もあると聞く。
だが見るに、この湖に枯れる気配はない。まるで泉のように、滾々と湧き出ているかのように。
「疲れたろう、今日は休め。大したもてなしは出来んがな」
「休む? ……なるほど」
初めて見る大きな水たまりに目を奪われていたのは、ラブラドライトも同じらしかった。
湖のほとりに建つ、木造の家屋を見落としていたのだから。
「我が家だ。少々うるさいが、それは許せ」
――うるさい?
ヴィヴィアンは物静かだし、アークトゥルスも活発ではあるがうるさいという程ではない。
ヤクモ達はこのあとすぐ、その言葉の意味を知ることになった。




