表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/307

147◇撹拌

 



 ルナ=オブシディアンは、自分が嫌いだ。

 自己中心的で、他者への理解や配慮が欠けている。

 そのことに自覚的でありながら、変わろうとも思わない。

 思春期特有の無根拠な全能感に酔っているわけではない。

 むしろ逆。

 ルナは幼少期から、これ以上なく非情な現実を突きつけられて生きてきた。

 それもそうだろう。

 四歳の時点で『役に立たないから』という理由で実父に捨てられそうになる子供がどれだけいる?

 産みの母が死んだ時点で義理はなくなったとばかりに、父はルナと姉を壁の外へ捨てようとした。

 父は五色大家の当主で、妻が何人もいた。《偽紅鏡グリマー》と常人の婚姻は認められていない為、母は愛人だ。現在、書類上の実母は別の人物ということになっている。

 姉に至っては、存在を抹消されていた。

 アサヒ=オブシディアンは、この世に生を受けた記録さえ無い。

 自分達姉妹は、上のきょうだい達にとって嫌悪の象徴だった。家族が集まる場であっても、母と姉妹だけは呼ばれなかった。

 ルナはそれが不愉快で、でも母と姉はそんなルナを宥めて笑うばかり。

 理解が出来ない。

 悔しくないのか。

 軽んじられて嬉しい人間はいない。

 幼くとも、感情はある。拙い分、その想いは強く剥き出しだ。

 赤子が全てを泣き喚いて伝えるように、ルナも怒りを周囲の人間にぶつけていた。

 使用人たちはすぐにルナに構わなくなった。そうしても父からお叱りを受けないと分かってからは、最低限の関わり以外は避けるようになった。

 母と姉だけが、ルナに笑顔で接してくれた。言葉を受け止め、慰めようとした。

 だが、ルナはそれさえ不愉快だった。

 母は不遇な扱いを改善出来ない程度の人間で、姉は救いようのない無能だ。

 自分は優秀なのに。もっと正当に扱われるべきなのに。

 誰もルナをまともに扱えない。

 どいつもこいつも下手糞で、うんざりする。

 母が死に、父は姉妹を捨てようとした。

 ルナは直談判に向かった。

 自分は役に立てる。自分はすごい。自分はたくさん魔法を持ってる。悪いのは自分じゃない。

 だから捨てないでほしい。

 ――『お父様、ツキヒはとても優秀な子です。わたしなんて及ばない。本当に素晴らしい《偽紅鏡グリマー》になります』

 ――『だから、どうかお願いします。あの子にチャンスをお与えください。わたしは何のお役にも立てません。けどツキヒは違う。あの子は本当に、すごい子なんです』

 ――『お願いします、お父様。ツキヒだけは、どうか』

 父の書斎には先客がいて。

 姉は自分には決して見せない必死な表情で、妹の価値を説いていた。

『決めたことだ』

 父は当然、それを一蹴。

 だが姉は諦めなかった。

 いつも、例えばぬいぐるみであったり、服であったり、好物であったり、母の膝の上であったり、どんなものでも、姉はすぐにルナに譲った。何かを諦めることに抵抗なんてなさそうな人間だった。

 なのに。

『ツキヒは、たくさん魔法を持っています。か、かならずオブシディアン家の名をたかめることになります……!』

『誰にも抜けぬ聖剣に価値があるか? 保存に費用がかかるとなれば、道楽以外に残しておく理由は無い。貴様にはわたしが、そのような愚か者に映ると?』

『違います、お父様。ツキヒは、いつも考えています。自分なら、自分の魔法をどう使うか。ですからどうか考えて……少しだけ、お考えください。もしも、これまでツキヒを使えなかったひとたちより、あの子の方が正しかったら?』

『…………』

『お父様の言う通り、ツキヒはお話に出てくるみたいな聖剣と同じです。抜けないのだとしたら、それは剣が悪いのではありません』

『わたしの選んだ《導燈者イグナイター》が無能だったと? 貴様にそれがわかるというのか、魔法を持たぬ《偽紅鏡グリマー》が』

『……わかります。ツキヒのことを押さえつけようとする人では、ツキヒは使えない』

 父の眉が、僅かに上がった。

 それからしばしの沈黙の後、父がゆっくりと口を開く。

『ツキヒは発動者の肉体の支配権を握る魔法を搭載していたな……。手練の《導燈者イグナイター》に使わせるのではなく、主体性の無い者をツキヒが操るのであれば……』

 姉の表情が明るくなる。

『はい……! ツキヒの言葉を聞いてくれる《導燈者イグナイター》を見つけられれば、とても、とても強い領域守護者になれます。ぜったい、なれます……!』

『認めよう。その条件で再度候補を探す』

『……! ありがとうございます、お父様』

『だがアサヒ、貴様を残す合理的な理由は無い』

 父の言葉は冷たかった。

 一瞬、ほんの一瞬表情が歪んだようにも見えたが、どうせ錯覚だろう。

『……はい』

 ルナは、わけが分からなくて。

 だって、妹の時は一歩も退かなかったくせに。

 自分のことは、そうもあっさり諦めるなんて。

 全身が熱くなった。

 羞恥によるものだ。この場から消えてしまいたくなるくらいの、恥辱だった。

 考えてなかったのだ。

 自分のことに必死で、姉のことを。

 ルナは、考えていなかったのに。

 姉は、アサヒは、ただ妹のことだけを考えていた。

 それが、とても、恥ずかしくて。

 ルナは逃げ出した。

 翌朝、父はあっさりとルナの残留を許し、アサヒは容赦なく捨てられた。

『よかったね、ツキヒ』

 別れの日、姉は力無げに笑っていた。

 ルナは何も言えなかった。

 何を言えばいいかなんて分からなかった。

『ツキヒなら大丈夫。とっても才能があるし、ぜったいに素敵な領域守護者になれるよ』

 全てを諦めたような顔で。

 これが最期みたいな声音で。

 なのにまだ、姉は笑っていた。

 その時になって、ルナは初めて気付いたのだ。

 母も姉も、笑って誤魔化すしかない愚か者なのではなく。

 自分の為に、笑みを浮かべていただけなのだと。

 ――優しくないのは、自分(ツキヒ)だけ。

 姉は母に似たのだろう。

 でもきっと、自分は父に似てしまった。

 それが、本当に、心から、嫌で。自分が、気持ち悪くて仕方なくて。

 でも、必要だった。

 己が優秀だという自覚、確かな才能と努力によって積み上げた実績。

 それからグラヴェルに出逢ったルナは、まず自分の中にあるヤマト民族の部分を捨てた。

 髪を染め、名を変えた。正妻の一人の娘という立場を得た。たまたま《偽紅鏡グリマー》に生まれついただけの子供。

 目的があった。違う、やらずには気がすまないことがあった。

 その為に、人生の全てをかけた。

 寝食を忘れて努力し続けた。

 だがその全ては、もう無い。

 自分に残ったのは、実力と実績だけ。

「ツキヒ」

「……ヴェル」

 自分の《導燈者イグナイター》。通常とは立場が逆で、ルナがグラヴェルを従えている。

 彼女はそれに異を唱えることもなく、これまでずっと従順だった。

 濃い紫色の長髪、紫玉の双眼。

「ルナだって言ってるでしょ。他の奴に聞かれたらどーすんのさ、グズ」

 このパートナーは基本的になんでも言うことを聞くが、名前だけは断固としてヤマトの名で呼ぶ。

 ルナの何百回目か分からない指摘も無視して、視線を今決着を迎えた戦いに向けている。

「決勝、相手」

 観ていた。

 勝ったのは、姉とそのパートナーの夜鴉だ。

「……その心配そうな目はなんだよ」

 グラヴェルは一見無表情だが、十年も一緒にいれば些細な違いもわかるようになる。

「心配してる、から。だってあの子は、ツキヒの――」

「人形は余計なことを考えなくていいんだよ」

 睨みつけると、グラヴェルは黙った。

 表情は変わっていないが、少し拗ねている。

「……あんな無能に、ルナが負けるわけない」

 人間状態に戻ったアサヒが、ラピスラズリを腕に抱くヤクモに何事か叫んでいる。

 昔は、あんなではなかった。

 気持ちを我慢しなくてよくて、無理して笑う必要もない相手に巡り会えたのだろう。

 実の妹よりも、義理の兄の方が余程彼女の心に寄り添っていたというわけだ。

「……負けるわけ、ない」

 ――だからなんなんだよ。

 自分の言葉を、自分が嘲笑う。

 ――あれに勝ちたいわけじゃあなかった筈だろ。

 それでも、負けるという選択肢は無い。

 自分に残った最後のものを、奪われるわけにはいかない。

 ――結局、変わってない。

「分かってるよ……」

 《皓き牙》の学舎における大会予選決勝の組み合わせが決まった。

 学内ランク第一位《黒曜ペルフェクティ》グラヴェル=ストーン 

 対

 学内ランク第四十位《白夜(ファイアスターター)》ヤクモ=トオミネ

 無類の天才と、凡百の無才。

 複数の魔法を持つ武器と、一切の魔法を持たない武器。

 空っぽの人形と、己の肉体と精神に頼る剣士。

 そして、ランク持ちに限り、順位だけを見れば――最強と最弱。

 どちらが強いかを決める戦いが、迫っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◇書籍版②発売中!(オーバーラップ文庫)◇
i651406


◇書籍版①発売中(オーバーラップ文庫)◇
i631014


↓他連載作↓

◇勇者パーティを追い出された黒魔導士が魔王軍に入る話(書籍化&コミカライズ)◇
i434845

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ