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108◇父親

 



 ヤクモ=トオミネの過去を知っている者は、当人をおいて他にいない。いや、正確には当人及び当事者をおいて、他にいないというべきか。

 壁の外に追いやられた者達は共同体を築き、ヤマトのそれは家族と呼び合う程の繋がりを得たが、それでも元は他人。

 踏み込むべきラインを一つ、明確に引いていた。

 追い出された理由について尋ねないこと。

 もちろん、理由とはいっても魔力税を払えなかったことなのは明白だが、そこに至るまでの物語は互いに触れないようにしていた。

 例えばアサヒは母の死と同時に父親が魔力税の代理負担をやめ、ルナという高性能の妹は残して姉であるアサヒを捨てた。余裕はあった筈なのに、魔獣に食われると知りながら実の娘を捨てたのだ。

 じゃあ、ヤクモは?

 ヤクモは一体どのようにして、五歳という歳で壁の外へ捨てられることになったのか。

 いつも優しく微笑み、家族を第一に考え、恐怖に震えながらも懸命に戦う少年。

 そんな彼に、何があったのか。

 アサヒはその日、予期せぬ出来事を通して真実に触れることになる。

「……夜雲? 夜雲か?」

 声。

 会議が終わり、兄妹は家族のもとへ顔を出した。

 そしてその帰り道。

 貧しい暮らしを送っている者達の集落の中を歩いていた時だった。

 ボロボロの恰好をした中年男性に声を掛けられた。

 頬はこけ、猫背で、やせ細った男性。

 黒い髪に、黒い瞳。

 何十年も時を巻いて戻せば、それは――ヤクモに似た少年になりそうだった。

 ヤクモが固まる。

 兄のそんな顔を、アサヒは初めてみた。

 驚きと、軽蔑。

 前者はともかく、後者の感情を兄が抱くとは意外だった。

 ヤクモは、他者に怒ることはあっても蔑視することは無かった。

 誤りを正そうと立ち上がることはあっても、誤りを蔑むことは無かった。

 ただ声を掛けられただけで、兄がそんな顔をする筈がない。

 この男性はきっと、知り合いなのだ。

 それも、兄の醜い感情を引き出す程の人物なのだ。

「……父さん」

 アサヒが驚く番だった。

 勝手な想像だが、アサヒはヤクモの親なり保護者なりは死んでいるものと思い込んでいた。

 だってそうだろう。

 家族を馬鹿にした四歳のガキの為に――後でヤクモがアサヒに惚れていたと判明するものの――命を懸けられるような心優しい少年を、誰が捨てる?

 親がいるなら、何がなんでも税を負担しようとする筈だ。

 ヤクモが父といったその男性は、複雑そうな表情をしていた。喜びや、悲しみ、そこへ罪悪感をたっぷりと滲ませたような、そんな顔。

「そ、その、噂を聞いてな。ヤマトの少年が領域守護者の訓練生になって、しかも、大会予選で勝ち抜いているって。名前が、ヤクモ、名字が……トオミネ。それで、もしかしたら、お前が生きているのかもと思って、だが、その……」

「合わす顔が無いと思った?」

 笑う。

 兄らしくない、嘲笑だ。

 いやだな、と思った。

 きっと、兄も今、自己嫌悪に襲われているだろう。

「あ、あぁ。だって私は、お前にとても酷いことを、したから」

「酷いこと? 父さん、あれは酷いことじゃあないよ」

 ヤクモは、なんとも思っていないかのように語りだす。

 分かる。そうしないと、自分が崩れていってしまいそうな程に、辛い出来事なのだ。

「母さんが病気になって、魔力税が負担出来なくなった。それで都市が父さんに迫ったんだ。父さんの魔力と稼ぎで、なんとか片方は養える。『どっちを見捨てるか』って選択で、父さんは母さんを選んだ」

「――――」

 アサヒは言葉を失う。

 それはなんて、最悪の場面だったのだろう。

 妻と息子のどっちを魔獣の餌にするか選べと言われたようなものだ。

 そして目の前の男性は、選んだのだ。

 妻を残し、五歳の息子を捨てることを。

「僕は、父さんを恨んでないよ。愛する女性を守ったんだ。男の責任を果たした。でも、家族を守るっていう、父親の責任は果たせなかった。だからさ、父さん。今更僕に、父親の目線で何かを言おうとしてるなら、やめてくれ。仕方が無かったと水に流せる程、僕はまだ大人じゃないから」

 どんな心持ちで、その言葉を口にしているのか、アサヒには想像も出来ない。

「……そう、だよな。私も償えるとは思っていない。ただ、お前がとても――」

「やめてくれって言ったよね?」

 男性は傷ついたような顔をしたが、無理に続きは口にしなかった。

「悪かった。そうだよな、私のような人間とは口も利きたくないだろう。次からは、声を掛けたりはしないから」

「そうしてくれると助かるよ」

「あ、あぁ。それじゃあ……」

 男は肩を落とし、踵を返す。

「……兄さん」

「アサヒ、悪いけどこの件に関して話し合うことは無いよ」

「でも、兄さんはツキヒとの件に口を挟んだじゃあないですか」

 ヤクモは滅多にしない、疎ましげな視線でアサヒを見た。

 だがすぐにそれを収め、ため息を溢す。

「そうだね、ごめん。僕もアサヒと同じだよ、父親に捨てられたんだ」

 なるべくあっさりと、ヤクモは言う。

 その心の重さを感じさせないように。

「同じじゃありません。わたしの父には余裕があった。でも兄さんのお父さんには、それが無かった。あったら絶対に、捨てたりしなかったでしょう。違いますか?」

「…………違わない。でも、僕は、分かってるけど、許せないんだ」

 それはそうだろう。幼い子どもにとって、両親は絶対的な存在だ。愛されなければ、辛くて心が壊れてしまう。最低でも欠けてしまう。親でなくとも、愛は必須だ。不可欠なのだ。

 選ばれない、必要とされない、求められない、愛されないという現実が、どれだけ幼い心に傷を残すか。ましてや天秤に掛けられ、実の父が反対側を手にとって自分を捨てた。

 理性で仕方がないと理解出来ていても、それは感情を納得させる材料にはなってくれない。

「僕は、きっと父さんならどうにかしてくれると信じていたんだな。でも、どうしようもない現実があって、父にもどうにも出来なくて。それで、僕は捨てられた」

「……でも、それでわたしと兄さんは出逢えました。家族とも」

 ようやく、ヤクモが薄く笑む。

「だね」

「兄さんは、ご両親が嫌いでしたか?」

「……大好きだったよ。みんなと同じくらいね」

「なら、その心を忘れてはいけないと思います」

 ヤクモはハッとしたような顔をする。

 それから、小さくなり続ける父の背中を見て、悩むような仕草を見せた。

 やがて、声を掛ける。

「母さんは」

 それは大声では無かったが、父親はすぐに振り向いた。

 もしかしたらと、思っていたのかもしれない。声を掛けてもらえるかもと。

「母さんは、元気なのかな」

 父親は、首を横に振った。

 ヤクモの表情に陰が差す。

「お前さえ良ければ、その、母さんの墓に、今度」

「いつ、死んだの」

 沈痛な面持ちで、男性は語りだす。

「……お前が壁外送りになった直後に、病状が悪化してな。それで、私はお前を取り戻そうと――」

 なんて報われないのだろう。

 息子を捨て、妻を選んだにもかかわらず。

 直後に妻は死に、息子を取り戻すことも叶わなかった。

 そして心優しいヤクモは、自分の苦しみと同時に、父の苦しみにも考えが及んでしまう。

「そっか……」

「夜雲、済まない。私は――」

 揺れた。

 世界が。

 いや、大地と――壁だ。

 会議では、いつ敵が襲ってくるものか分からないという話が出た。

 壁の外は常に暗闇だから魔人の魔力炉は稼働しているし、セレナには空間移動魔法が備わっている。

 魔獣は走らせるしかないにしても、例えば単身でなら今来てもおかしくないのだ。

 あるいは野良の魔獣を従えるという方法もあるだろう。

 とにかく魔人のことだ、場所がバレた以上どこかのタイミングで滅ぼしに来る。

 今だった。

 煙が立っているが、分かる。

 貧民街は外周の近くだから、目視範囲だった。

「逃げて」

 無意識にだろう、ヤクモは言っていた。

「や、夜雲?」

「父さん、僕の家族の住んでる場所は分かる?」

「え、あ、あぁ、お前がいるかもと思って、近くまで行ったことが、だが、夜雲、どうなっているんだ、これは、壁に、あれは、壁に……」

 穴が、空いている。

 最悪の事態だった。

 至急、塞がねば。魔獣が都市に雪崩れ込むことになってしまう。

「頼むよ、皆を逃してくれ。タワーの方へ連れて行くんだ」

「お前たちはどうする。……こんなの、訓練生の仕事ではないだろう」

「いいから、早く……ッ!」

 狼狽えながらも父親が駆け出したのと、ほぼ同時。


「貴様――ヤマトだな。セレナが言っていた白きカタナのサムライか?」


 眼前に、紫色の長髪をした美丈夫が立っていた。

 側頭部から一本ずつ生えている、漆黒の角。

 魔人だ。

 セレナを呼び捨て――言い方から対等か格下扱いのように聞こえる――にしていることから分かるのは、少なくとも特級指定であるということ。

 アサヒはヤクモの手を握る。

 即座に兄が自分の銘を唱えた。

 それを見て、魔人が唇を上向きに歪める。

「それを答えと認めよう。貴様を生かして渡すという約定故、命は奪わん。だが油断するなよ、サムライ」

 殺意が、突き刺さる。

「つまらぬと判ずれば、貴様の命以外の全てを、このオレが奪う」




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