104◇氷結
彼は真上を見上げている。
ラピスは魔力を纏わせた両足で魔力防壁を蹴り破った。
「――ッ!?」
ロータスは爆破することに躍起になって、魔力防壁が既に氷柱で傷ついていたことに気が回らなかったのだ。
最早再展開の猶予は無い。
更に、頭上からは砕かれた氷塊の全てが氷柱へと姿を変え、落下しているところだった。
彼は咄嗟に右足を振り上げようとして、そこでようやく違和感に気づく。
「……な、これはッ」
魔力防壁は敵の魔力を防ぐ。
だからそう、魔力防壁が無くなれば敵の魔力はじかに自分に通ってしまう。
彼の足元から、凍結が進んでいた。
いつもよりはずっと遅い、だが人間を包むには充分過ぎる速度。
「ラピス、てめぇ――」
「汚い言葉は聞き飽きたわ」
凍結が彼の全身に及ぶ――一瞬前。
「ざっけんなッ!」
氷が砕けた。
いや、正確ではない。
『……自らを爆破することによって凍結から逃れたようです』
爆風によって彼の身体が吹き飛び、フィールドを転がる。
ラピスが着地する頃には、彼はボロボロになりながらも立ち上がっていた。
「俺様はロータス=パパラチアだぞッ! てめぇみてぇなクソとは違うんだよ! てめぇが這い蹲れ! てめぇが倒れろ! てめぇが俺様を見上げるのが正しい形だろうがッ!」
歪んではいるが、彼にもプライドはある。
負けられないという思いはある。
だからといって、それに屈するわけにはいかないが。
「なら、わたしは間違うことにするわ」
「黙れッ! 夜鴉一羽現れたところでクズはクズだろうがッ! これまでもこれからも、てめぇは俺様の好きなようにされてりゃあいいんだよ!」
彼が一歩踏み出し、そして転んだ。
「――――」
滑稽ともいえるその姿に、観客席が静まり返った。
「ごめんなさい、言い忘れていたわね。転倒にはご注意を。今、とても滑りやすくなっているから」
魔力効率が下がっていた為、ここまで時間が掛かった。
彼の意識を上に向けたのも、そもそもはこれが理由。
フィールド全体に、薄い氷の膜を張ったのだ。
どれだけ身体を強化しても、たとえば水の中でいつも通りには動けない。
地面と足との摩擦が減れば、滑りやすくなれば、踏み込みに力が入らなくなるのは道理。
機動性が落ちるのは当たり前。
彼が転んでいる間にも、ラピスは接近していた。
自分の足が置かれる場所だけ、逐一魔法を解く。
『お上手ですよ、お嬢様』
「自分でも驚いているわ」
自分で考えているよりずっと、自分は優秀らしい。
「……何を独りでほざいてやがるッ!」
ロータスは《偽紅鏡》を道具としてしか認識していない。
精々が生きている道具程度だろう。
だからこうして対話することもしない。
「小手先の技で俺様が倒せると思うなッ!」
ぼっぼっぼっっと、周囲の地面が連続して爆ぜる。
氷の地面を爆発で消し飛ばしたのだ。
彼は再び魔力防壁を展開。
位置関係が変わった所為で、氷柱の雨は彼に当たらない。
「二度同じことが通じると思うなよ淫売ッ!」
「ずっと言いたかったのだけど、わたしは淫売ではないわ。母さんもね」
「男に媚びて股ぐら開くしか能のねぇ女から生まれたんだ、同じこったろうが!」
「なら、妻がいるのにそんな女に入れ込んだのはあなたの父親でしょう。それはいいの?」
「――てめぇ、殺すぞ」
「ごめんなさい、それは無理よ。わたし達の方が、強いもの」
「調子に乗んのもいい加減にしろッ!」
「そのセリフ、そのままお返しするわ」
彼が蹴り上げによる鉄球攻撃を放つ。
軌道上に複数の氷壁を展開。
「脆いッ!」
ロータスの叫び通り、速度を減衰させながらも鉄球は氷壁を砕いて進む。
ラピスへと迫る。
多少移動したところで伸縮によって合わせられてしまうだろう。
「はっはッ! ぶっ飛べクソ女ッ!」
「天気を報知してもいいかしら?」
「――あ?」
「今日は天気がとても荒れやすくなっているわ」
「てめぇ、狂ったか? 何をふざけたことを――」
「人間一人押しつぶせるくらいの氷塊が降ってくる危険があるから、気をつけて頂戴」
氷壁を砕いて迫った鉄球を、ラピスは魔力強化した腕で受け止める。
それが爆ぜることは無かった。
一番最初、空中で彼の攻撃を避ける際に展開した氷塊は、遥か上空にあった。
それが今、彼に向かって落下していたのだ。
魔力防壁が容易く破壊され、なおも氷塊は落下を続ける。
鉄球に構っている暇は無い。
「この程度で、俺様が潰れるかッ!!」
大爆発。
氷塊は無数の雹となり、降り注ぐ。
「どうだ、俺様……は、ガッ!?」
彼の顔面に、魔力強化の施されたラピスの右足が叩き込まれる。
「――――ッ!?!?」
彼は鉄球に構っている暇が無かった。
だから普段の癖で、鎖をそのまま縮めて鉄球を戻し、両足で立つという一連の行動を済ませ氷塊への対応へあたった。
しかし、ラピスは鉄球を掴んでいたのだ。
鎖が急速に縮むのに合わせて、ラピスも急接近を果たす。
事前に魔力防壁が破壊されていた為に叶った肉薄。
そして、わざわざ氷塊の告知をしたのもその為。
一瞬でも上を向き、一瞬でも鉄球から意識を外すことが出来ればそれで良かった。
そうして氷塊が爆ぜると同時、ラピスは彼の側頭部に回し蹴りを叩き込むことが出来たわけだ。
彼の得意とする蹴りを、ラピスの側があてるという意趣返し。
彼の身体が地面に叩きつけられる。
「で、めぇッ」
「散々人を諦念の鎖で縛ってきたのだもの。少しは囚われる側の気持ちというものを味わってはどう? わたしに用意出来るのは、氷獄だけだけれどね」
「クソおん――」
今度こそ、彼の身体が氷で覆われる。
出て来る気配は、無い。
「ごめんなさい、人の言葉は最後まで聞くべきよね。でも、あまりに耳障りだったから」
こんな話がある。
白衣の女医から聞いた、ある家畜の話だ。
成体はとても巨大で、人が抑えきれるものではない。
だが幼体の頃に枷を嵌め、『そこから動けない』のだと強く、長く教育することで、その生き物は成体になった後もその場を動こうとはしなくなる。
本当はもう、力を入れるだけで枷は壊れるのに。
諦めの鎖は、そういった類のものだ。
現実ではなく、精神を縛る。
『お見事です、お嬢様』
「……本当。わたし達にも、こんなことが、出来たのね。なのに……今まで、ずっと」
『気づきを得られなければ、人は前進出来ません。私達は、ようやく巡り会えたのです。自らを先へ進める気づきをくれる、得難い存在に』
仲間の声がする。
みな、祝福の声を上げている。
涙がこぼれそうになるのを、ぐっと堪えた。
どんな表情をすればいいか分からないが、いつもの薄笑みではダメだというのも分かる。
結果、出来たのは不格好な笑みだった。
「……笑顔の練習もしなければいけないわね」
『そうですね。笑顔の魅力的な女性は、男性としてもポイントが高いものと思われます』
「頑張るわ」
ぐっと拳を握る。
くすりと、イルミナが笑った。
学内ランク第三十一位《爆焔》ロータス=パパラチア
対
学内ランク第九位《氷獄》ラピスラズリ=アウェイン
勝者・ラピスラズリ=アウェイン