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夢見る星の銀花の大地  作者: らいん
第1章
4/21

はじめての授業

「ふっ!」

「はぁぁっ!」


 ラディバートの横薙ぎに払うような斬撃をレクスは右手に持った片手剣で受け止める。

 金属同士のぶつかる甲高い音が響き渡り、レクスが1歩後退させられた。

 刃の潰してある訓練用の剣とはいえ、当たればかなりのダメージになっていただろう。


(重いな。さすがに腕力は竜人族(ドラクル)のラディに分があるか)




 入学から2日目、その日は朝から生徒が各々得意とする戦闘スタイルごとに別れての技能審査だった。

 剣や格闘技といった近接戦闘が得意な者は第1野外訓練場へ。

 弓や投射武器といった遠距離戦闘が得意な者は第2野外訓練場へ。

 魔法を使った戦闘や支援が得意な者は第1屋内演習場へ。

 剣と魔法の2つが得意、もしくは全てが苦手な者もどれか一つ選んで参加するようにと担任から説明された。


 レクスはラディバート達と一緒に更衣室で体操服に着替えると、第1野外訓練場へとやって来た。

 野外という名称ではあるが一つの建物のようなモノがあり、中に入るとむき出しの地面に観客席、屋根はなく吹き曝しとなっていて上から見たら楕円形のコロシアムみたいに見えるのだろうなと思った。

 訓練場にはレクス達以外にもすでに数十人の生徒が居たが、見覚えの無い1年生ばかりなのでどうやら9クラス合同で行われるようだ。


 授業開始の鐘が鳴ると同時に3人の教師がやってきて、自分達が近接戦闘訓練の担当だと自己紹介した。

 その中の1人、オスカーと名乗った若い男性教師がクラス単位で順番に模擬戦をしてもらうので近くの者とペアを組むようにと指示を出し、そのまま1組の生徒以外を壁際へと移動させる。


「おい、レクス。オレとペア組まないか?」


 と、早速ラディバートに目を付けられていたが、せっかくの模擬戦なら自分の実力を測るためにも強そうな相手と戦いたかったので快諾した。




 模擬戦開始からそろそろ10分ぐらいか。幾度か打ち合ったが互いの技量は拮抗しているようだ。

 ラディバートの縦切り、横切り、突きの3連撃を2発は剣の腹を使って受け流し、突きに合わせてしゃがむようにかわしてから足を狙って切りかかる。

 バックステップで回避されたがその隙を逃さず大きく踏み込んで、お返しとばかりに腹に向けて突きを繰り出す。

 ラディバートはその攻撃を予測していたかのようにレクスの突きを横から剣で殴りつけて軌道を反らすと、下段から切り上げるように剣を振るう。

 レクスは体を捻って転がるようにして回避すると、すぐさま追撃に備えて体勢を整える。

 好機とばかりに突進してくるラディバートを見て、レクスは左手を腰の横で構え――。


「そこまで!」


 ようとしたところで教師の号令と共に甲高い笛の音が響き渡った。

 ラディバートや、周りで同じく模擬戦をしていた1組のクラスメイト達が動きを止める。


「1組はそのまま壁際まで移動して休憩だ!」


 教師の指示を聞き、レクスは体操服に付いた砂を軽く払いながら立ち上がる。


「お疲れー。手錬れだとは思ってたが、オレと互角とはやるじゃないか」

「ああ、お疲れさま。いや、あのまま続けてたら俺の負けだったよ」


 ラディバートと健闘を称え合いながら壁際へと歩いていく。


「よく言うぜ、本気出してなかったくせによ。ずっと左手を遊ばせてただろ」

「本気を出してなかったのはお互い様だと思うけどね。ラディも間合いをはかりかねてたし、普段は両手武器でも使ってるの?」


 レクスの言葉にラディバートがニヤリと口の端を歪める。どうやらアタリらしい。

 1組のクラスメイト達に混じって壁にもたれるようにして座ると、他のクラスの生徒から妙に視線を感じた。模擬戦中、クラスの中で自分だけやたらと動き回っていたので目立ってしまったかと少し反省する。

 2組の生徒は中央に出てくるように教師が声を掛けると、そちらに興味が移ったのか全員が2組の面々を見る。


「おい、見ろよレクス。あの右端の女の子。めちゃくちゃ良い尻尾じゃね?」

「……えっ、尻尾?」


 良い尻とか良い胸ならわかるが、良い尻尾ってなんだと思いながらラディバートに言われた右端を見てみると、犬型獣人族(アニム)の女の子がフサフサとした尻尾を揺らしていた。


「うへへ、あんなエロそうに尻尾をゆらゆらさせやがってよぉ。あれ絶対誘ってるよな!」


 なるほど、わからん。


「ごめん、俺は尻尾にはそこまで惹かれないから……。ラディって尻尾フェチなの?」

「おうよ! やっぱ女は尻尾だろ。モフモフの尻尾も嫌いじゃないが、オレは断然フサフサ派だな!」

「いや、俺は胸フェチだからモフモフとかフサフサとか言われてもわからないや」

「くぁーっ! 尻尾より胸とか! これだから只人族(ヒューム)は!」


 何故か盛大に呆れられた。解せぬ。

 そうこう話してる間に2組の模擬戦がそろそろ始まるらしく、二人一組となって訓練場内に散らばっていく。


「って、おお! さっきの犬型ちゃんも良かったけど、あっちの猫型ちゃんの尻尾も中々良いな! くっそ、2組は美尻尾だらけじゃないか」


 まだ言ってるのかと思いつつ、ラディバートが見ている方へ目を向ける。

 レクスのいる場所から少し離れた位置で、猫型獣人族の少女が鉤爪の付いた手甲を両手にはめて模擬戦開始の合図を待っていた。


「って、あれ?」

「ん? どうかしたのか?」

「ああいや、対戦相手の子が」


 猫型獣人族の少女と向かい合っている対戦相手が凄く見覚えのある女の子だった。

 昨日の朝、入学式の前に出会ったエリルだ。少ししか面識はないがさすがに見間違いようもない。


 前衛希望だったのかと意外に思ったが、それにしては様子がおかしい。

 一番小さいサイズのショートソードを両手で握り締めてなんとか持ち上げているのだが、剣先はガクガクと揺れて構えるだけでも精一杯のようだ。あれではまともに振れないだろう。


「対戦相手……? ああ、なるほど。留年姫か」

「え? 留年姫?」


 納得いったとばかりに肯くラディバートに、逆にレクスが不思議そうに尋ねる。


「なんだ知ってたんじゃないのか? 有名人だぞ」

「いや、知り合いではあるんだけど、留年姫ってあだ名は今知ったよ」


 そう答えたレクスにラディバートが教えてくれた話はこうだ。


 2年前、あの冒険王の娘が12歳という若さで入学してくると学園内で話題騒然となった。

 が、周りの羨望や期待とは裏腹にエリルの成績はぶっちぎりの最下位で、あろうことか1年生で留年する始末。

 留年すると学内ポイントは残留するが、その年に獲得した成績単位は全てリセットされてしまう。

 そして前年度の終わりにエリルの2回目の留年が決定すると、いつの間にか留年姫というあだ名が定着していたらしい。


(1年から2年に上がるのって、普通に授業を受けてそれなりの成績さえ修めておけば誰でも上がれるって言われてるのに、それすらクリアできなかったとなると……)


 しかし言われてみれば納得できる点が多々あった。1年生なのに入学式の日に学内クエストを受けていたり、妙に内情に詳しかったり。

 だが同じ1年生ではなく、すでに2年も通っているのなら当たり前のことであるだろう。


「それでは、始め!」


 教師の合図で2組の模擬戦が始まった。

 レクスが思考を中止してエリルの方を見ると、エリルが剣先を引き摺るようにしてトテトテと走っていた。

 そして対戦相手の猫耳の前まで行くと、思い切り勢いよく剣を持ち上げ頭上で高々と掲げる。

 その光景を見ていた誰もが「あ、これあかんやつや」と思っただろう。エリルは剣を掲げたまま止まり、数秒震えた後にそのまま盛大に後ろにすっ転んだ。そして転んだ際に頭を打ったのか、後頭部を抑えて蹲っている。

 何もせずに勝利した猫耳が心配そうにエリルに声をかけているのが哀愁を漂わせていた……。


 最初の説明で勝敗にかかわらず時間内は模擬戦を続けるようにと言われていたが、これは模擬戦以前の問題だった。

 教師もそう判断したのだろう、3組が奇数の人数だからと3組の生徒を1人連れてきて猫耳と模擬戦をするように指示をした。

 エリルは教師に壁際で休憩するようにと言われ、元々2組の生徒が集まっていた辺りにトボトボと歩いて行き座り込む。


「あっ」


 不意に顔を上げたエリルとバッチリと目が合ってしまった。

 エリルはレクスが見ていたことに少し驚いたようだったが、すぐにイタズラが見つかった子供のような気まずそうな表情をするとまた俯いてしまう。


「おいレクス、あの猫耳ちゃん、なかなか良い動きだぞ」

「えっ、あー、どれどれ?」


 何か声をかけたくても授業中ではどうしようもないと、まずは模擬戦をする生徒達を観察することにした。




 午前中の授業(というより技能審査)が終わり昼休みになった。

 ラディバートに昼食に誘われたが――どうやら模擬戦で互角の実力だったため気に入られたらしい――先約があるからと断り、購買部に行ってパンを買う。

 購買部に来る前に教室や学食を覗いてみたが、お目当ての人物はいなかったのでどこか外で食べているのだろうとパンを片手にブラブラと歩き回る。

 多分、人の多い所にはいないだろうなと思ったのでなるべく隅っこの方を探してみる。



「お、あんな所に居た」


 さすがに見つからないかと諦めかけたところで、ようやく探していた人物であるエリルを見つけた。

 体育館の横にある雑木林の隅の方に置いてあるベンチに、相変わらず肩を落としてションボリと座っていた。

 体格が小柄なエリルが小さくなって座っているとわかり難いかもと思ったが、特徴的な銀髪が目立っていたので意外とすぐにわかった。

 1人でベンチに腰かけ、モソモソとなぜか缶詰を食べているエリルの方へ足音を立てながら近付いて行く。


「…………? はぅっ!?」

「隣、いいかな?」


 足音に気付いて顔を上げたエリルが、近付いてきたレクスを見て驚いたような声を出す。

 そしてレクスの問いかけにしばらく視線を彷徨わせた後、小さな声で「どうぞ……」と言った。

 許可を貰ったレクスはベンチの空いたスペースに腰かけると、購買部で買ってきたパンを取り出して齧る。

 今日の模擬戦のことを聞いてみようと思ってエリルを探していたが、実際にどう話を切り出すべきかと思案していると先にエリルの方が口を開いた。


「私、冒険者になりたいんです……。いえ、冒険者になってお父さんを探しに行かないといけないんです」


 小さい声だが、決意を込めてハッキリと宣言した。

 エリルの父、冒険王ロベルト・デュートバレスは5年前のある日、家族に新しい冒険に出かけると言い残し、そのまま行方不明となった。

 家を出てすぐにどこへ向かったのかの消息がわからなくなっており、「西のタイリーン帝国の山中で見かけた」や「南のベルネア聖王国の港町の砂浜に居た。船に乗ってどこかに行ったに違いない」や「北のエルトピア共和国の洞窟に潜って行った」など多数の目撃情報があったが、どれも突拍子もない話ばかりで信憑性が薄い。

 冒険者なら1、2年ほど家に帰らないのは珍しいことでもないが、5年間も手紙すら届かないのはさすがに何かあったのではと思ってしまう。

 それでもエリルはこうして育成学校に通い、冒険者になって父を探しに行きたいと言うのは――。


「そっか……、お父さんのこと大切に思ってるんだね」

「いえ……、私……。私、お父さんを探さないと……」


 エリルが、悲壮感に満ち溢れた表情でレクスを見上げる。


「私、お父さんを見つけないと、ハゲになっちゃうんですっ!」

「………………は?」


 どうしよう、意味がわからない……。


「その顔! 信じてくれないんですね!」

「え、ええー……? いや、ごめん。意味がわからないんだけど、詳しく説明してくれる? 信じる信じない以前の問題なんだけど……」

「うっ、それもそうでした……。えっと、私のお父さんが新大陸を発見したことは知ってますよね?」

「それは当然。というか知らない人の方が少ないんじゃないかな?」

「そうですか。それなら、その新大陸を発見した際に、呪いを掛けられたことは知ってますか?」


 それはさすがに初耳だった。もしかしたら国王であるレクスの父親なら何か聞いているのかもしれないが、少なくとも公には発表されていないはずだ。


「いや、それは知らないけど……、どんな呪いなの?」

「髪が抜け落ちちゃう呪いです!」


 なんとなく読めてきたが、まだいくつかわからない点があった。


「師匠……、エリルのお父さんが呪いを掛けられたのに、エリルが呪いの対象になってるの?」

「正確には『その家の当主の髪が抜け落ちる呪い』なんです。ですからお父さんが死んじゃったら、その呪いが私にくるかもしれないんです。そうなる前に、お父さんを探し出して呪いの解呪方法を見つけてもらわないと……」

「なるほど、でも逆に言えばエリルの髪が無事の間は師匠も生きてるってことになるのか。えっと……、ところでエリルのお母さんや兄弟は?」


 当主ということはその家を取り仕切っている人物ということになる。もしエリルの母親が健在であったり、兄や姉がいればそちらが優先されるのではないかと思うのだが。


「私、一人っ子なんです。そしてお母さんはあろうことか、自分が呪いに掛かりたくないからってご近所さんに『家は娘のエリルクムに継がせました』って言い触らしてるんです!」

「あっ、はい……」


 それで本当に効果があるのかはわからないが、我が身可愛さに娘を差し出したのかエリル母は……。

 しかしそれでエリルはこんなに惨めな思いをしてでも学園に通っているのかと納得した。というよりむしろ同情した。

 まだ若い女の子なのに呪いでいつ髪が抜けるかもわからないと言われれば、それは必死になるだろう。


(呪いの解呪の方法となると、あとは当主の座に就かないことだけど兄弟もいないならなぁ……)


 結婚して嫁入りしたら当主じゃなくなるんじゃ?とも思ったが、それで本当に呪いが発動しないという確証もないので黙っておいた。

 それよりもこの子と結婚するとハゲの呪いがかかるかもしれないのか。胸は大きくて素晴らしいけどデメリットも大きすぎる。


「学園に通ってる動機はわかったんだけど、なんで剣術を選んだの? 見た感じ剣を握るのも初めてみたいだったけど」


 レクスの質問にエリルは「うっ」と喚き声を漏らす。


「その……。私、魔力が他の人より結構……、いえ、かなり大きい方なんです。でも魔力が大きいだけで魔法は使えないくせに2年前にこの学園の入学試験を受けたんですけど、デュートバレスの名前と筆記試験と面接だけで合格しちゃいまして……」


 確かに冒険王の娘で魔力値が高いともなれば、それだけで試験に合格どころか特待生資格すら与えられてもおかしくなさそうだ。


「でも学園に通ってれば魔法も使えるようになるかなって思って、最初の1年間は魔法の練習をずっとしてたんですけど、初級魔法の一つすら覚えられなくて……。挙句の果てに留年しちゃいますし……」

「あ、うん……。確かに1年かけて初級魔法を一つも習得できなかったのなら仕方ない……かな」


 稀にある話だ。魔力は高いけど魔法として発動できない体質のようなモノを持ってしまうことがあるらしい。


「なので2年目の去年は弓術を選択したんですけど、的に矢を当てるどころかそもそも弦が重過ぎて引くことすらままならなくて矢を飛ばせなかったんです……」

「……それで今年は剣術にした、と」

「はい……」


 ダメだこの子、見た目以上にポンコツなのかもしれない。


「でもそれなら剣士じゃなくて斥候とか目指せば良かったんじゃ? 武器もナイフならまだ振れただろうし」

「私、自分でも自覚があるくらい鈍臭いので罠探知とか無理です! あとナイフはリーチが短すぎて相手の懐に潜り込まないといけないのが怖くて無理です!」


 小剣でもかなり相手に近付かないと届いてなかったようなと思ったが、可哀想なので黙っておいた。

 仮に懐に潜り込めたとしても、エリルの筋力ではよほど切れ味の良いナイフを装備していないとまともにダメージも通らないだろう。


「そういえば私もレクスさんに聞きたいことがあったんですけど」

「えっ、何かな?」


 何か慰めの言葉でもかけるかと思いつつ何も良い言葉が思い浮かばずにいると、エリルが首を傾げながら尋ねてくる。


「お父さんのこと師匠って呼んでましたけど、なんで師匠なんですか?」

「んー、昔いろいろと冒険話を聞かせてもらったことがあってさ。その話を聞いてて俺も冒険者になりたいって思うようになったから師匠って呼んでるんだ。冒険者の心得みたいなのも教えてもらったしね」

「そうだったんですか。お父さんから弟子を取ったって話は聞いたことなかったので、いなくなった後に弟子を取ったのかと最初は思いました」


 いくら冒険王が相手とはいえ、王子が冒険者に弟子入りしたとなれば外聞が悪いので箝口令(かんこうれい)が敷かれた結果である。


「俺がまだ子供だったから、向こうは弟子って思ってなかったんじゃないのかな? その頃にはもう呪いに掛かってたはずなのに、そういう大事な話は一言も言ってなかったなぁ」

「あ、実はお父さんも呪いを掛けられたときのことはあまりよく覚えてないって言ってました。ただ新大陸に着いた直後に誰かに襲われて、その呪いを掛けられたんだとか」


 なぜそのタイミングだったのかとかいろいろ疑問はあるが、本人ですら覚えてなかったのならどうしようもないだろう。


「誰かってことは掛けてきた相手はいるんだね。それを覚えてないだけで」

「みたいです。顔はハッキリしないけど声だけは覚えてるって言ってました。でも最初はそんな呪いなんてあるわけがないと気にしてなかったんですけど、5年前のあの日、朝起きたら髪がゴッソリ抜け落ちてたらしくて……」

「それで慌てて旅立ったのか……」


 確かに妙な呪いだなとはレクスですら思う。呪いを掛けた相手にメリットが無さすぎるのだ。


(もしかして髪が抜けるのは副次的なもので、呪い自体はもっと別の……)


 邪推でしかないかと思考を打ち切る。あまりにも情報が少なすぎた。


「何にせよ、早く師匠が帰ってきてくれると良いね」

「あ、いえ。呪いさえ解けたならお父さんは別に帰って来なくていいです。そもそもあの人ほとんど家にいなかったので顔も忘れちゃってるくらいですし」


 超ドライだった。さすがにロベルトのことを憐れに思った。




 午後からは担任教師に連れられてクラス全員で学園内の各施設を回って、施設ごとの用途や利用方法などを教えてもらった。

 途中で2組とすれ違ったが、エリルは朝に模擬戦をしていた猫耳や他のクラスメイトと普通に会話をしていたのでクラス自体には溶け込んでいるようだった。


 放課後になると、リーシアに見つかる前にとそそくさと学園を出て真っ直ぐ寮に帰ってきた。

 鍵を開けて中に入ろうとしたら玄関に女性用の靴が2足、綺麗に揃えて並べてある。


(しまった、これは寄り道してから帰ってくるのが正解だったのか……)


 このままドアを閉めて何も見なかったことにしたかったが、さすがにそれは無理があるだろうと家の中に入る。


「お帰りなさい、レクスさん」

「お帰りなさいませ、旦那様」

「うん、ただいま……。あとミリスさん、俺、旦那様じゃないですから……」


 台所と部屋を仕切ってある引き戸を開けると、リーシアが座布団に座って優雅に紅茶を飲んでいた。

 テーブルの上にはお高そうなマフィンやクッキーが並べられており、どこの王宮だよとツッコミたくなった。

 リーシアの後ろには白と黒を基調としたメイド服を着た森人族(エルフ)の女性、リーシアの従者兼護衛のミリスがまっすぐ背筋を伸ばしたまま正座しており、レクスの姿を見ると姿勢を正したまま深々とお辞儀をした。


「いえ、旦那様は旦那様ですので。それより旦那様、私のことはミリスと呼び捨てにしてください。あと敬語も不要でございます」

「いや、さすがにそれは……」


 従者を呼び捨てにするとかどこの貴族だよと思った。王族なのだが。

 このミリスは元はリーシアの祖母の従者である。森人族は長寿で有名であり、見た目こそはレクス達の少し上といった感じだが、実年齢は3桁を超えているのかもしれない。

 レクスも小さい頃からお世話になっており、頭の上がらない人物の1人である。


「それより、リーシアは早速遊びに来たんだ……」

「いえ、今日はレクスさんに見てもらいたいモノがありまして、こうしてお帰りをお待ちしておりました」


 わざわざ見せたいモノがあると家まで訪ねてくるとはただ事ではないのだろうか。

 それよりも放課後になってすぐに帰ってきた自分より先に家で待っていたとか、午後の授業――学園案内だけだったが――はちゃんと受けたのかと不安になった。


「見せたいモノって?」

「はい、こちらでございます」


 そう言ってリーシアが数枚の紙をテーブルの上に置く。どうやら写真のようだ。

 何の写真だろうと手に取って見た瞬間、背筋にゾワリと悪寒が走った。

 それは一組の男女がベンチに座ってご飯を食べている写真だった。場所は学園内の体育館の横にある雑木林のすぐ側のようだ。


 なんの変哲もない写真だ。そこに写っている男女がレクスとエリルでなければ。


 いつの間にこんな写真を撮られたのかと思ったが、ミリスがすぐそこにいるのでただの愚問だった。王女の護衛を任されるだけあって、彼女は非常に優秀なのだ。

 ニコニコと笑いながら紅茶の飲んでいるリーシアの背後に控えるミリスに、チラッと視線を送ると気まずそうな顔をしたまま無言で目を反らされた。ちくせう。

 えも言われぬ恐怖からダラダラと滝のように汗が流れてくる。


(いや待て落ち着け冷静になれ。確かにエリルのことが気になって昼休みに話を聞きに行ったが別にやましいことは何一つしていない。身体的接触もなかったしセクハラ発言もしていない。普通にご飯を食べただけだ。だからここは毅然とした態度で堂々と土下座しよう)


 リーシアからよく見える位置に移動し、正座をして勢いよく頭を下げて地面に額を擦り付ける。プライドもへったくれもない見事な土下座だった。


「すみませんでしたっ! でもこの子と昼食を食べてたのには深い事情があるんです!」

「あら……、イヤですわ、レクスさんったら。わたくしは別にデュートバレスさんとお昼を一緒に食べていたことに怒っている訳ではないですよ? 何せレクスさんのお師匠様のご息女ですものね、気になるのは致し方ないかと」


 すでにエリルの身辺調査は終わっているらしい。流石である。


「ああでも、その事情というのには興味があるのでお話してくださいますか?」

「あ~、それなんだけど――」


 今朝の模擬戦のことや、昼の会話などをリーシアに説明する。

 エリルのプライベートな部分の話もあったが、自分の身の安全のためには仕方が無いと洗いざらい吐いた。


「そうですか、そのようなことが。それならレクスさんがデュートバレスさんを心配してアレコレ世話を焼いてしまうのも仕方ありませんね」


 レクスさんはお優しいですからとリーシアに微笑まれて、なんだか気恥ずかしくなって頬を掻いた。

 どうやら誤解も解けて許されたらしい。……と思っていたのだが……。


「最初も申し上げたように、デュートバレスさんとお昼を一緒に食べていたことに怒っている訳ではないですよ。ただ……、わたくしのことを放置して別の女に会いに行ったことについては怒っていますけど……」


 リーシアが暗く濁った瞳でクスクスと笑う。顔は全然笑っていないが。

 これ、ガチであかんやつや。この後の対応を間違えたらスイッチが入って命に関わるやつだ。

 後ろで控えていたミリスが必死の形相で『買い物と食事でご機嫌取りを!』と書かれたカンペを掲げている。なるほど、下手に言い訳せずに別のことで埋め合わせをするべきらしい。

 問題はどう話を切り出すべきかだが、あれこれ考えずにさっさと言った方が良いだろう。


「ああぁー……、リーシアさん? 実は引っ越してきたばかりで鍋とか洗剤といった日用品が足りてないので、今から買い物いに出掛けようかと思ってたのですがご一緒にいかがでしょう?」

「まぁ! 一緒に日用品のお買い物ですか! まるで夫婦みたいですね!」


 それだけで夫婦になるのかよと思ったがツッコまない。ツッコんだらダメだ。


「え~っと、それと良かったら夕食も一緒に外でどうかな? といってもまだ街にどんなお店があるのか知らないから行き当たりばったりにな――」

「街でお食事も? それは素敵ですわ! 早速参りましょう、ほら早く!」


 セリフの途中で急激に機嫌が直って外へと引っ張られる。

 もしかして最初からこれが狙いで、ミリスのアレも仕込みだったのではと思ったが素直に買い物へと出掛けることにした。

 せっかく無事に生き延びることができたのに、わざわざ藪を突いてキングデッドリィコブラ(Bランク冒険者すら逃げ出すようなとてもヤバい蛇)を召喚する必要はないのだ。

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