レクスの過ち?
「すみません、どちら様でしょうか? 人違いじゃないですか?」
指を突きつけてくるシェルミーにレクスがすっ呆ける。
「はぁ? 何言ってるのよ、レイクス。まさか私の顔を忘れたって言うつもり?」
「いえ、俺はレイクスって人じゃなくて、レクスです。ここにもレクスって名前が書いてありますけど?」
「ほんとだわ! 名前がレイクスじゃなくて『レクス・ディアス』って書いてある!」
レクスが差し出した生徒カードの名前を見て、シェルミーが驚きの声をあげる。もしかしてこのまま誤魔化せるのではなかろうか。
「どうなってるの、アリシア! この人ってレイクスじゃないの!?」
「アリシアとはわたくしのことですか? わたくしはリーシアという名前なのですけど」
「ほんとだわ! この人もアリシアじゃなくて『リーシア・メティーナ』って書いてある!」
リーシアが差し出した生徒カードの名前を見て、シェルミーが更に驚いた顔をする。このまま帰ってくれないだろうか。
「どうなってるの爺や! この人、レイクスじゃなくてレイクスのそっくりさんじゃない!」
「いえ、このお二方はレイクス王子とアリシア王女で間違いございません。名前は学園に通う為の偽名でございましょう」
「なるほど、偽名ね! アタシもそうなんじゃないかと思っていたわ!」
シェルミーの後から続くように部屋に入ってきた老執事が真相を教える。さすがに執事は騙されなかったようだ。騙せるとも思ってなかったが。
「あの、リーシアさん。この人は?」
シェルミーと面識のないエリルが、隣にいたリーシアに声を落として訊ねる。
「この方はベルネア聖王国のシェルミー王女ですよ」
「あああっ、知っています! あの有名なシェルミー王女ですか! ベルネア聖王国始まって以来のアホ姫様で家庭教師が泣いて1週間で辞めるぐらい頭が悪いんだとか!」
「アホ姫言うな! それに最短記録は1週間じゃなくて6日よ!」
余計ダメじゃないか。レクスも噂は聞いていたが、もしかして噂以上にアホなのだろうか。
「ちょっと、この失礼な子は誰なのレイクス。もしかしてこの子が噂のレイクスの3人目の婚約者の子?」
「ああいや、この子は俺のパーティーメンバーだよ」
「えっ、レクスさんって何股かけてるんですか?」
シェルミーにエリルのことを紹介しようと思ったら、エリルが別のことに食いついていた。何股とか言うな。
「婚約者候補が3人ほど……。ああでも、言っておくけどウチの親父が勝手に婚約者候補を増やしているだけであって、俺は断固反対しているからね。3人目の子なんて少し前にいきなり『この子もお前と結婚することになったから仲良くしろよー』なんて写真だけ見せられて、会ったことすらないぐらいだし」
「エルトピア共和国の評議員長様の娘さんでしたっけ? シェルミー様とは舞踏会などで何度かお会いしたことはございましたが、3人目の方とはわたくしもお会いしたことがございませんわ」
「なるほど、少なくともあと1人はいるわけですか。むむむ……」
レクスとリーシアの説明にエリルがこめかみを押さえて唸る。頭を抱えたいのはこちらなのだが。
「って、そんな話はどうでもいいでしょ! 今はアタシと式を挙げる方が先よ!」
「お待ちください、さすがにそれは黙って見過ごせませんね」
レクスを引っ張って連れて行こうとしたシェルミーの腕を、リーシアが掴んで止める。
「何よ、アリシア。邪魔するつもり?」
「はい、もちろんです」
2人の間に目に見えない火花が散っていた。互いに顔は笑っているのだが目が本気なので、見ているだけでチビリそうだ。
「ちょっと待って2人とも、とりあえず落ち着いて話し合おうよ」
「元はと言えば原因を作ったのはアンタでしょ!」
宥めようとしたレクスにシェルミーが噛み付かんばかりに食って掛かる。
「いや、心当たりがないとは言わないけど、どうして今すぐ結婚しないといけないのかがさっぱり……」
「あくまでシラを切るというのね。こっちはアンタに勝ったあの屈辱を、1日たりとも忘れたことがないというのに!」
「えっ、レクスさんに勝ったんですか? でもそれで屈辱って?」
成り行きを見守っていたエリルが不思議そうに首を傾げる。
「いいわ、アナタ達に教えてあげる。この男がどれだけ卑劣なことをしてアタシを辱めたのかを!」
少し冷静になったらしいシェルミーが怒りに震える拳を握り締めながらテーブルの空いている場所に――意外と行儀良く――座ると、過去にレクスから受けた仕打ちをとうとうと語り出す。
――あれはそう、2年前の冬の日。
えっ、冬じゃなくてまだ秋だった? うっさいわね、細かいことを気にしてたらハゲるわよ。って、ちょっ! なんでそっちの小さい子が怒ってるのよ。
えっ、いいから早く続きを話せ? だったら黙って聞いてなさいよ!
コホン。
――あれはそう、2年前の秋……だったらしい。
その日、シェルミーは朝から大事な話があると両親に呼び出された。
最近は勉強や習い事をサボって城下に遊びに行っていないし、訓練中に物を壊したりもしていないから改まって呼び出されるような用件はないはずだった。
なんの用事だろうと恐々としつつも両親の元へと行くと、父が開口一番に『お前に婚約者が出来た』と告げた。
いきなりで面食らったシェルミーだったが自分ももう14歳だし、これでも姫という立場上そろそろそういう話もあるだろうという覚悟はしていた。
そしてよくよく話を聞いてみると、相手はなんとあのグラヴィアス王国の第一王子のレイクスだというではないか。
グラヴィアス王国といえばこの世界を救った英雄の末裔が代々治めていて、この大陸で一番繁栄している国である。それくらいは勉強がてんでダメなシェルミーでも知っていた。
しかもレイクスは歴代の王族の中でもかなり秀でた剣才を秘めているらしく、あの初代国王に比肩する実力の持ち主だとも言われている。
自分が結婚する相手ならせめて少しでもマシな人が良いと思ってはいたが、これは想定以上に大物だった。
レイクスは1年前に、西のタイリーン帝国のアリシア王女との婚約を発表していたので自分は2号的な立場になるのかもしれないが別に不満はない。
アリシアも舞踏会で何度か会ったことはあるが、自分とは比べ物にならないほど淑女然としていたのできっとうまくやっていけるだろう。
そして1週間後、件のグラヴィアス王国第一王子本人が挨拶へとやって来たが、来ることは前々から決まっていたので準備は完璧だ。
頑張って苦手な早起きをして、朝からお風呂で入念に体を洗った後で一番豪華なドレスを身に纏った。普段なら絶対にしないメイクも、必死で黙って椅子に座り続けてメイド達にしてもらった。
失敗や失礼がないようにと礼儀作法の勉強を1週間毎日猛特訓して、家庭教師からもお墨付きをもらえたので挨拶も問題なくやれるはずだ。
そう、準備は完璧だった。
レイクス王子は予定していた時間通りにやって来たので、ドキドキと大きく脈打つ心臓をなんとか落ち着けて謁見の間に向かった。
レイクスはいつも舞踏会などには参加しないので会ったとこはなかったが、レイクスの双子の姉やアリシアからとても素敵な男性だと聞いたことがあったので、内心かなり期待していた。
だが、いざそのレイクスを一目見たシェルミーの第一印象は最悪だった。
何故かお供を1人も連れずにやってきて、他国の王や重鎮の前にして妙に気だるげな様子で欠伸までしている。表情に覇気はなく、目が死んだ魚のように濁っていた。
そして何より服装が正装ではなく、パーカーにジーパンという街人の普段着そのもので、失礼にも程がある。
「そ、その……、王子はお一人でお越しになられたのですかな?」
「あー、いえ、近くまでは従者連中が一緒だったんですけど、小言がうるさかったんで途中で撒いたんですよ。今頃は必死で俺のことを探して城下を走り回ってるんじゃないんですかね?」
なんとか気を取り直したベルネア王の質問に、レイクスはふてぶてしい態度で返事をする。
これはなんの冗談なのだろうか。あそこにいるのはレイクス王子を語る偽者だと言われた方がまだ納得できる。
ベルネア王が更にいくつかの質問をしてみてもレイクスの態度は変わらず、謁見の間にいた全員が困惑してどうしたものかと思ったところでグラヴィアスの従者を名乗る一団が慌ててやって来て、レイクスと口論を始めた。
「王子、他国の王様に対してなんという態度を! グラヴィアス王国の名に泥を塗る気ですか!?」
「えっ、もちろんそのつもりで来たんだけど? 別に国とか王様とか俺にとってはどうでもいいことだし」
ブチッと何かが切れる音がした。シェルミーの中で。
「あ……、あ……、あ、アンタ! いい加減にしなさいよ!」
両親や重鎮が慌てて止めようとするが、それよりも早くシェルミーはドレスの裾を引き摺りながら、ズカズカと大股でレイクスへと詰め寄る。
確かにベルネアは経済や軍事といったあらゆる面でグラヴィアスと比べて国力が劣っている。だからといってシェルミーは国や自分の父をここまで見下され黙っていられるはずがなかった。
「ん? 言われなくてもいい加減な態度を取ってると思うけど?」
「そういう意味じゃないわよ! よくもアタシの国や父様をコケにしてくれたわね! 絶対に許さないんだから!」
「へぇー、許さないって具体的にはどうするつもりなんだい?」
「決闘よ! 剣で勝負してアンタが勝ったら結婚して私を好きにさせてあげるわ! でも私が勝ったら結婚の話は無しよ! 父様に謝罪してとっととこの国から出て行きなさい!」
シェルミーが指を突きつけて勝負を申し込むと、レイクスはさも面白そうに顔を歪める。
「良いよ、その条件で勝負をしようか。後から取り消すのは無しだからね」
「もちろんよ! 私だって騎士の端くれなんだから二言は無いわ!」
こうして、周りの大人たちの大反対を押し切って、本人達の強い希望で急遽勝負をすることとなった。
それから30分ほどして、動きやすい格好に着替えたシェルミーと、相変わらずパーカーにジーンズという格好のレイクスは模擬剣を手に城内の訓練場で対峙していた。
勝負を見守りにきた両親やベルネアの重鎮達はハラハラといった落ち着かない様子だが、グラヴィアスの従者達は諦めにも似た表情で俯いている。
「1本勝負よ。相手に一撃を入れるか、まいったと言わせた方が勝ち。良いわね?」
「うん、それで良いよ」
軽く言葉を交わし礼をすると、2人は十分に距離を開けて武器を構える。
レイクスは剣の達人との噂だが、シェルミーも剣術にはそれなりの自信があった。簡単に負ける気はしない。
そもそもグラヴィアス剣術はスピード重視であるはずなのに、レイクスはハンデのつもりなのか動きにくい格好のままだ。その驕り高ぶった鼻をへし折ってやる。
2人の間に審判役の騎士団長が立ち、手を挙げた。
「それではこれより、シェルミー王女とレイクス王子の模擬戦を開始します。両者共に、準備はよろしいですね?」
シェルミーとレイクスが黙って頷くと場の緊張した空気が最高潮に達した。
「それでは……、試合、開始!」
開始の合図と同時に動いたのはレイクスだ。手に持っていた片手剣をその場に放り捨てると、正座をして地面に手の平と額を擦りつけ、大きな声で宣言した。
「まいりました!」
「……………………は?」
プライドをかなぐり捨てた、それはそれは見事な土下座をするレイクスにベルネア関係者全員の思考が停止した。対してグラヴィアスの従者達は一様に頭を抱えてその場に項垂れる。
「ええっと……、あれ? アタシが勝った……ということは?」
「これで婚約の話は破棄だよね。いやー、良かった良かった!」
晴れ晴れとしたレイクスの笑顔を見て、シェルミーを含めたベルネア関係者全員が理解した。レイクスの軽薄な態度はベルネアを見下してのものではなく、シェルミーに婚約を破棄させるために嫌われようとしてのものだったのだと。
「そりゃあ、アタシはアリシアみたいに可愛くもないし、女らしくもないし、バカだけど、親や家臣が見ている目の前で土下座されて婚約を断られたのよ!」
シェルミーが怒りに任せてテーブルを叩く。そしてちょっと手が痛かったのか、叩いて赤くなった部分を手で擦った。
「うわぁ……、レクスさん……」
「シェルミー様のことを振ったとはお聞きしていましたが、まさかそこまでしていたとは……」
シェルミーの話を聞いてエリルとリーシアがドン引きしていた。ついでにリーシアの後ろに控えているミリスも責めるような眼差しでレクスを見ている。
「いや、リーシアなら知ってると思うけど2年前のその頃って俺が一番やさぐれてた時期でさ。親父に反発して縁談を潰したかっただけであって、決してシェルミーのことがイヤだったからじゃないんだよ?」
「同じようなものよ! 今じゃそのことが噂になってて国中で『他国の王子に土下座で婚約を断わられた王女』なんて言われてるんだからね!」
さすがにレクスもわざと負けるにしても土下座はやりすぎだったと思っているのだが、今となっては後の祭りだ。
「あれ? でも結局、婚約は破棄されていないみたいなんですけど?」
「ああ、あの後ですぐにウチの親父がシェルミーとベルネア王に謝罪の書簡を送って、婚約者候補ってことで落ち着いたんだけど……」
「その候補っていう曖昧な表現のせいでこっちは大変なことになってるのよ!」
再度シェルミーがテーブルを叩くが、今度は加減をしたのか先ほどよりも音が小さい。
「レイクスのせいで変な噂が流れてて、国内じゃアタシの婚約者はまず見つからないでしょうね。もしこれで肝心のレイクスにも正式に婚約を破棄されたら、アタシは行き遅れるどころか結婚できなくなる可能性があるわ」
それはさすがに発想が飛躍しすぎではと思ったが、原因を作った側が言う訳にもいかないので黙っておいた。
「それは父様も同じ考えだったらしく、ずっと新しい婚約者を探してたみたいなんだけど……」
「だけど……?」
「焦りすぎたのか、よりにもよってエルトピア共和国の評議員の1人と縁談が決まったのよ」
なんとなく話がわかってきた。エルトピアの評議員は員長を含む12人のメンバーで構成されている。レクス達は評議員について詳しいわけではないが、メンバーの半数以上が老人で、残りもそれなりに歳を取った人物ばかりだったと記憶している。
「お相手はどなたなのでしょうか?」
「ええっと……。爺や、名前はなんて言ったっけ?」
「ボーレス・フェイザック氏です。評議員としてはまだお若く、今年で46歳になられるお方です」
「若いって、アタシよりも30も上じゃない!」
全員が聞きたかったことを老執事が的確に答えてくれた。
「つまりその縁談をなかったことにするために、俺に結婚をしろと……」
「そういうことよ。納得できた?」
「いいえ、できません」
またもやレクスが返事をする前にリーシアが答えた。
「アリシアには聞いていないわ。どうなのレイクス」
「いや、さすがにいきなり結婚と言われても……。何か他に良い案はないかな?」
「そうね、どうしてもアタシと結婚するのがイヤって言うのなら1つ妥協案を出すからそれに協力しなさい」
「内容にもよるけど、何をさせる気だい?」
自分で蒔いた種なので協力するのはやぶさかではないが、できれば負担が少ないことにして欲しい。
「簡単な話よ。今からアタシと一緒にエルトピアまで行って、そのボーレスっておじさんの前でアタシの恋人を演じて頂戴。レイクスが介入したとなれば父様もそのおじさんも納得してくれるでしょ」
「それも断るって言った場合は?」
「力ずくでもグラヴィアスの王都に連れ帰ってアタシと結婚してもらうわ。ちゃんとアンタの父親にも許可を得てるから、アリシアが止めても無駄よ。正式にタイリーン帝国に抗議文を送り付けて、国際問題になるわね」
アホ姫と言われているくせにやたらと手回しが良い。おそらく誰かに入れ知恵されているのだろう。
「さあ、結婚するの? エルトピアに行くの? 選びなさい!」
レクスの7連休は東でも西でも南でもなく、グラヴィアス王国の王都よりも更に北、エルトピア共和国へ行くことに決まった。
もう一つの趣味の方の作業が佳境に入るので、次回更新は少し遅れるかもしれません