聖剣解放
「エリル、怪我は?」
「ちょっとだけ膝を擦り剥きましたけど、大丈夫です」
「そっか、間に合って良かったよ」
レクスは周囲のスライムを警戒しつつ、エリルの状態を確認する。本人の言うように膝以外に目立った外傷はないようだ。
「レクスさんなら間に合うって信じてましたよ?」
「いやぁ、それがさ。エリルがなかなか戻って来ないからてっきり大きいほうもしてるのかと思って、気を使って寝てたフリをしていて危うく間に合わなくなるところだったよ」
「だからどうしてレクスさんは一言多いんですか!?」
一応は戦闘中なのにエリルにわき腹を抓られた。リーシアにもデリカシーがないとよく怒られます。
「あーあ、よりにもよってレクス君が一緒だったなんてなー」
「それで、ヴェーラ。これはどういうつもりなのかな?」
レクスが瞳に怒りを滲ませてヴェーラを睨みつける。
「んー、スライムに留年姫を襲わせたこと? どうもこうも、もちろん目撃者を消すためにだけど?」
「それは見ればわかるよ。俺が聞きたいのはそこじゃない」
「あれ? じゃあなんだろう?」
「俺が聞きたいのは……、なんでスライムに女の子を襲わせているのに、普通のスライムを使ってるのさ!? ここは服を溶かすスライムで裸にしてから、スライムプレイに持ち込む場面じゃないか!」
「血涙まで流しながら悔しがることなんですか!?」
素っ裸に剥かれたエリルがスライムに纏わり付かれて拘束されている姿、とても見たかったです。
「あ……、あー、うん。それについてはゴメンね? ウチも本当は服を溶かせるスライムも欲しかったんだけど、最近大きな買い物しちゃったばかりでねー。数を揃えようと思ったらノーマルスライムしか買えなかったの」
「謝るんですか!? あとスライムってお金で買えるんですか!」
「そっか、じゃあ資金は俺が出すから今から魔法衣を溶かせるスライムを買ってきて、やり直してくれないかな?」
「いい加減、私も怒りますよ!?」
わき腹の痛みが増した。エリルには男のロマンは理解できないようだ。
「う~ん、やっぱりレクス君は面白いなー。ますます気に入っちゃったかも」
ヴェーラが指をパチンと鳴らすと、ナルシスとアントンの2人がヴェーラの前に移動する。それと同時にレクス達の周囲に居た5匹のスライムが、それぞれの足元から出現した魔方陣の中に沈むように消えていく。
「だからー、ウチと取り引きしない?」
「取り引き?」
「そそっ。お互いに武器を収めて無駄な争いは止めておきましょ。このまますぐに街へ帰るっていうのなら今回は見逃してあげる。そっちの留年姫はどうでもいいけど、レクス君は殺すには惜しいからねー」
ヴェーラが自信たっぷりといった表情で唇を舐める。
「仮に取り引きに応じると言った場合は、ナルシスとアントンの2人はどうなるのかな?」
「この2人にはちょっと用事があるからウチと一緒に来てもらうことになるかな。大丈夫、殺しはしないから。あっ、そうだ、なんならレクス君も一緒に来る? 貴族じゃないから私のペットとして飼ってあげるよ?」
ヴェーラのペット、ちょっとだけ興味あります。
「なるほどね。ヴェーラの目的は貴族の誘拐で、前に俺が貴族だったら狙うって言ってたのもそのままの意味だったんだ」
「誘拐とは違うよー? だってウチがお願いしたら向こうから黙って着いて来てくれるしー」
「それはアナタが操ってるだけじゃないですか!」
「操ってるだなんて人聞きが悪いなー。みーんな、私の魅力にメロメロになって従ってくれるだけだしー?」
魅了。異性を誘惑し、術にかかった者を意のままに従わせる強力なスキルだ。あまりにも非道なスキル故に、今では禁術として世界中で研究や使用が禁じられている。
「ああ、そうか。名前は忘れたけど、先週、模擬戦と称してエリルを蹴ったあの男が突然行方をくらませたのもキミの仕業か」
「えっ! あの人いなくなってたんですか!?」
「さっすが、レクス君。耳が早いねー。そうだよ、あの男もウチの下僕として、とある場所に行ってもらったよー」
エリルはあの男が居なくなったのを知らなかったようだが、レクスはリーシアから聞いていたので知っていた。
そしてあの男はリーシアと同じ9組だったと言っていたので、同じく9組のヴェーラもあの男が貴族だと知っており、チャンスを窺っていたのだろう。
とある場所に行ったということはヴェーラの足元にある描きかけの魔法陣は転移門の類で、ナルシスとアントンもそこに送るつもりだったのか。
「じゃあ、逆に取り引きに応じないって言った場合は?」
ヴェーラが再度指を鳴らすと、ナルシスとアントンが武器を構える。
「3対2で戦うことになるけど良いのー? 忠告しておいてあげるけど、ナルシスはバカだけど剣の腕は確かよ。1対1ならレクス君の方が強いだろうけど、そこの留年姫を守りながら勝てるかなー?」
「勝てるよ。なにせキミは後ろに居るリーシアにまだ気付いてないぐらいだし」
「なっ!?」
レクスが不敵に笑ってヴェーラの後ろを指差すと、ヴェーラは慌てて後ろを振り返る。だがそこには誰も居らず、それと同時にレクスが駆け出した。
ブラフだ。しかし問題ない。いくらレクスとはいえ、あの距離を一瞬で詰めるのは不可能だ。それにいざとなったら、ついでで連れてきたアントンを盾にすれば良い。
そう判断し、余裕の態度で再度振り返ったヴェーラの右頬を何かが掠める。それはレクスの放った投射用の短剣だった。
短剣はヴェーラの右耳に着けてあったイヤリングの大きな宝石に突き刺さり、砕いた。
宝石が砕けると同時にナルシスとアントンは力を失ったように崩れ落ちる。が、ナルシスはなんとか倒れる寸前で踏み止まり、手にしていた剣で振り向き様にヴェーラを切りつける。
ヴェーラは体を反らしてギリギリでナルシスの剣を回避すると、一気に後方へと下がり距離をあける。
「2人とも、無事かい?」
ナルシスとアントンの元へと駆けつけたレクスが2人に声を掛ける。
「頭がガンガンと痛いが、なんとか……。すまない、助かった」
「よ、酔ったみたいな感じで吐きそうですが、怪我とかは……ありません……」
2人は肩で息をしながら気分が悪そうにしているが怪我はないらしく、操られていた間の記憶も残っているようだ。
後から追いついたエリルが不思議そうな顔をする。
「あの、どうして魅了が解けているんですか?」
「簡単な話さ。2人を操っていたのは魅了のスキルじゃなくて、よく似た効果の魔法具を使っていたからだよ」
「……なんでバレたの?」
レクスの答えを聞いて、ヴェーラが悔しそうな顔をする。
「昨日、俺に魅了をかけて失敗してたのに気付いてなかったよね。俺って魔力耐性は高いから、スキルじゃなくて魔法による魅了を仕掛けられたのはその時点で察してたよ」
「あのときにすでに気付いていて、魅了されたフリをしていたって言うの……!」
それは半分偶然である。魅了を掛けてまで何をするつもりなのか興味はあったが、リーシアが恐いのでどう反応するか迷っていたら何もされずに開放されただけだ。
おそらく貴族だった場合は何かしらアクションを起こすような命令を念じていたが、レクスが無反応だったのでそのまますぐに解除したのだろう。
「最初は香水を触媒にした魅了の魔法かと思ってたんだけど、その後でリーシアに会った際に香水の匂いではないって言われて、別の何かが匂いを発してそれで魅了しようとしてたんだって気付いた」
もし実際に香水を付けたヴェーラに抱きつかれていればレクスの体にはもっと匂いが残っていて、リーシアの追求はあんなものではなかっただろう。想像するだけでも恐ろしい。
「あとはヴェーラの身形を観察して、それっぽい物は何かを推測したら耳に着けてるイヤリングが魔法具なんだろうなって。奇術師なんかがよく使う手だ。どこかに視線を誘導することで、見られたくないモノから視線を遠ざけさせるってやつ」
おかげで昨日はとても良い目の保養になったので文句はない。
「不用意に近付けばウチがナルシスに攻撃を命じるとは思わなかったの?」
「それはしなかったんじゃなくて、出来なかったんじゃない? それが出来るならエリルにスライムをけしかけるんじゃなくて、最初からナルシスに命じてれば早かっただろうし」
魔法具による魅了には限界があったのだろう。着いて来い、武器を構えろ、指定した字を書けなどの単純な動作なら問題はないようだが、戦闘をしろといった本人の思考が必要な行為は無理だったようだ。
だからヴェーラは自分が有利な状況に見せかけておいて、休戦をするのなら見逃すと提案をしたのだ。
「あーあ、やんなっちゃう。ちょっと話しただけでそこまでバレちゃうなんて。レクス君ってほんと何者なの?」
ヴェーラが諦めたように肩を落とす。話している間に回復したのか、ナルシスとアントンが多少フラつきながらも立ち上がった。
「ただのしがない学生だよ。だからこういう物を使うのにも抵抗がなくてさ」
レクスはウェストポーチから取り出した筒状の魔道具を真上に向けてスイッチ押す。筒から射出された光弾は大きな音を立てながら空高く舞い上がり、花火によく似た閃光と爆発音を三連続で轟かせる。
「信号弾で増援を呼んだ。直に人が駆けつけてくるけど、素直に降参してくれるかな?」
現状でも4対1。街から距離は離れているが、信号弾に気付いたリーシアとミリスは直ぐに来てくれるだろう。もしかしたら学園長も気付いて増援を送ってくれるかもしれない。
こちらの勝利は99.9%の確率で揺ぎ無いものとなったのではなかろうか。思わず「勝ったな」と呟きそうになったぐらいだ。
にもかかわらずヴェーラは余裕の態度を崩さない。
「勝った気になってるところ悪いけどー、イイコト教えてあげる。レクス君、勘違いしているみたいだけどね、このまま街に帰れば見逃してあげるって言ったのは本心からよ。魅了の魔法具ってねー、便利なんだけど使用中は常に魔力を消費するって欠点があって、スライムを喚ぶのも節約したかったから」
ヴェーラが妖しく笑いながら右手を上げる。するとレクス達を取り囲むように地面にいくつもの魔方陣が出現し、そこからスライムが召喚される。
その数は優に30を超え、全ては先程エリルが戦っていたノーマルスライムのようだが、この数は非常にキツイ。
「さっき言ったでしょー? 数を揃えようと思ったらノーマルスライムしか買えなかったって。ついでにー、大きな買い物もしちゃったって」
ヴェーラとレクス達の間を遮るように一際大きな魔方陣が出現した。そしてその魔方陣から全長4メートル以上はありそうな、見上げるほど巨大なスライムが姿を現す。
「な、なんですか、あの大きいの! あれもスライムなんですか!?」
「黒いスライムか。色から判断するに毒を持っているかもしれないね」
「いや、もしかしたら鉄や鋼とかを溶かす種類かもしれない。その場合は僕たち剣士の天敵だ」
「あんなのと戦うんですかナルシス様!?」
あそこまで巨大なスライムとなるとレクスでも剣で倒すのは不可能だ。かなり高火力の魔法を叩き込まないと倒せそうにないが、この中で唯一魔法が使えそうなアントンがうろたえているので期待はできそうにない。
「さーって、増援が到着するのが先かなー? それともー、レクス君達がスライムに埋もれちゃうのが先かなー? ああ、でも大丈夫よ、安心して。男達3人は殺さないであげる。レクス君には貴重な魔法具を壊してくれたお礼もた~っぷりとしてしてもらわないといけないし」
ヴェーラが舌舐めずりをしながらレクスを見る。あっち方面でのお礼なら喜んでするところだが、当然そういうお礼ではないだろう。
何より男3人ということはエリルは殺すつもりのようだ。これはお灸を据えてやらなければならない。
「やっちゃいなさい、あんた達! 男は殺しさえしなければ好きなだけ痛めつけて良いわよ!」
ヴェーラの号令一下、スライムが一斉にレクス達目掛けて飛び掛ってくる。
「光の加護のもとに! 楔となりて魔を封じたまえ! ホーリーバインド!」
アントンが巨大スライムに向けて杖を突き出し魔法を唱えると、光る杭と鎖が巨大スライムの体を雁字搦めにして地面に拘束する。
「でかしたぞ! アントン!」
「長くは持ちそうにありません! 今の内に周りのスライムを!」
「了解! ナルシス、そっち側は任せた! エリルはアントンの護衛を優先で! とにかく増援がくるまで持ち堪えるんだ!」
「はい!」
アントンを守るような布陣を敷き、襲い掛かってくるスライムをレクスとナルシスが次々と斬り伏せる。拘束魔法の維持で動けなくなっているアントンに飛び掛かろうとしたスライムには、エリルがそうはさせまいとウォーターバレットで弾き返した。
ひたすら斬って斬って斬りまくる。ノーマルスライムばかりなのがまだ救いで、剣が間に合わない場合は飛び掛ってきたスライムを蹴っ飛ばす。
エリルとアントンの援護に何度か短剣を投げてみたが、短剣では一瞬気を逸らす程度が限界だ。
スライムは一気に両断しないとすぐに再生してしまうので、大振りな攻撃が多くなってくる。ものの数分で半数近いスライムは倒したが、こちらの消耗が激しい。
そもそもナルシスとアントンは本調子ではないので動きが鈍く、消耗戦は避けたいところだった。
「ナルシス、後ろだ!」
叫びつつ短剣を投射する。その短剣はナルシスの真後ろから新たに召喚されたスライムに命中したが、短剣ではやはりダメージを与えられなかった。
「しまっ、ぐはぁっ! がっ!」
ナルシスはなんとか回避しようと体を捻るが避けきれず、スライムの体当たりが直撃する。更に吹き飛んだナルシスを追撃するかのごとく次々とスライムが圧し掛かり、ナルシスはスライムに埋もれて動かなくなる。
「ナルシス様!? うわあああっ!」
全員がナルシスに気を取られた瞬間にアントンにも新しく召喚されたスライムが襲い掛かり、ナルシスと同じように吹き飛ばされ気絶させられた。
そしてアントンが気を失ったということは、巨大スライムを拘束していた魔法も消滅することを意味していた。
「エリル! 離れるんだ!」
「うわわわわっ! ひにゃああああっ!」
巨大スライムの一番近くに居たエリルが逃げようと駆け出して、こけた。巨大スライムはその巨躯でエリルを圧し潰そうと飛び跳ねながらエリルに迫る。
エリルの服は衝撃に対しては強い耐性を持っているが、服が直接絞まるような圧力に対してはただの服と同義だ。巨大スライムに圧し潰されれば一溜まりもないだろう。
とっさにエリルの元へ駆け出すが、足が妙に重くて1秒がもどかしく感じた。手に持った剣は邪魔だとばかりに放り捨て、スローモーションで流れていく景色の中で頭だけは冷静に冴え渡りる。
敵はあの巨体だ、並大抵の武器や魔法では倒せない。
ただ、もし自分にあの巨大スライムを倒せるだけの力があって、でもその力を使うことで何か自分によくないことが起こるかもしれないとしたら、自分はその力を使うのだろうか?
答えは決まっている。当然使う。エリルを守るためならば、どんなことでも厭わない。
なら使おう。自分には、その力があるのだから。
心の中の引き金を、躊躇なく引いた――。
「聖なる輝き心に宿し、其は流れて天空に煌く! 導く光が剣となりて――!」
手を掲げ、力の限り叫ぶ!
「切り裂け! 聖剣開放ーーーーーーーーーーっ!」
レクスの雄叫びに呼応され、抑圧された魔力が解き放たれた。
それは魔力ゼロであるはずのレクスから放たれているとは思えないほどの、圧倒的で暴力的なまでの魔力の奔流だ。
エリルは自分の魔力総量にはそれなりの自信はあったが、今のレクスの魔力はその比ではない。まさに桁違いだ。しかしその魔力は、体に受けると暖かいのになぜか背筋が凍るような矛盾を内包し、異質に変化した別の何かのような気がした。
レクスが解き放った異質な魔力は一振りの剣となり、夕刻の迫る薄暗い森の中で白銀に輝く。
刀身は熱く燃えるような輝きを放っているのに、冷たい氷のように研ぎ澄まされている。曇りや傷1つない刃は美しいが、少し触れただけで真っ二つにされてしまうような妖しさも秘めている。そんな矛盾だらけの剣だ。
目前まで迫った巨大スライムは怯むことなく、レクスとエリルを圧し潰そうと高く高く跳び上がる。あるいは本能的な恐怖から、すでに正気を失っていたのかもしれない。
レクスは右手で剣を構えると、頭上から落ちてくる巨大スライムを見据える。
「剣よ! 雷鳴纏いて轟き叫べ!」
怒号一閃。稲光のごときレクスの剣撃により巨大スライムの体が焼き斬られた。
しかしさすがの巨体は一撃ではものともしないが、ならばとばかりに二撃三撃と神速の斬撃が閃く。
エリルには目の前に雷が落ちたようにしか見えなかった。
頭上から落ちてきていたはずの巨大スライムは、気が付けば細切れとなって周囲に散らばっている。いったい、あの一瞬の間に何度剣を振ったというのか、想像もできない。
「な、なんなの、その力は……!」
ヴェーラが初めて焦ったような表情を浮かべる。
エリルも同じことを呟きそうになったが、同時に何かが頭に引っかかった。レクスの持っている剣にどこか見覚えがある。それもつい最近見た、というよりレクスが持っていたような気がした。
いや、あれはレクスではなく、レクスとよく似た人――。
「ちょっとした秘密兵器みたいなものかな。コレ使うと後で怒られるんだけどね」
「ほんと、嫌になっちゃう。あのスライムむちゃくちゃ高かったんだけど。絶対に弁償してもらうわよ」
「そっちこそ、エリルを危ない目に合わせた償いはしてもらうから」
ヴェーラは生き残っていたスライムを帰還させると、3つの水晶玉を取り出す。赤、黄、青緑の3色の水晶玉はヴェーラの周囲に浮かび、不規則に飛び回る。あれがヴェーラの武器なのだろう。
レクスはヴェーラに向かって駆け出そうと、数歩踏み出したところで躓きそうになった。慌てて足元を確認すると、先程倒した巨大スライムの死骸がトリモチのような粘性の物質となってレクスの靴に貼り付いている。
「こいつは死骸がトラップになるのか!」
「あはは! 今頃気付いた? わざわざ細かく切り裂いてバラまいてくれたおかげでこっちは戦いやすくなったわ! 喰らいなさい、ファイアボール!」
ヴェーラの周囲に浮かんでいた赤い水晶玉から火球が放たれる。火の初級魔法のファイアーボールだが、呪文詠唱を短縮しているのにもかかわらず通常よりもサイズが一回りほど大きい。さすがは悪魔族だ。
「剣よ! 清水纏いて荒ぶる激流となれ!」
飛来した火球を水の力を宿した剣で両断した。それと同時に今度はヴェーラの周囲に浮かんでいた黄色い水晶玉が発光する。
「サンダーボルト!」
「ぐぁっ!」
水晶玉より放出された電撃を回避できず、剣に当たった。水の力を宿した剣では打ち消すことができずに腕へと伝う。雷属性体質のレクスでなければ腕が痺れて、しばらく剣を握れなくなっていただろう。
「レクスさん!」
「複数の属性は使えるけど、切り替えるのが遅いみたいねー。そんなんじゃウチの高速詠唱には間に合わないわよ?」
ヴェーラの水晶玉はそれぞれの色が属性に対応しているのだろう。ということは残る一つの属性は風だろうか。
火、雷、風の3属性全てに有利な属性はない。土属性を使えば雷には有利で風にやや有利だが、火はやや不利だ。あとは火をなんとかできれば――。
「悪いけど、休ませてはあげないわよ! ファイアーボール!」
「水の力のもとに! 弾丸となりて敵を撃ち砕け! ウォーターバレット!」
「ちっ、邪魔しないで!」
エリルの水弾がヴェーラの火球をかき消し、そのまま直線上にいたヴェーラ本人を牽制する。
「レクスさん、大丈夫ですか!?」
エリルが心配そうにレクスに駆け寄る。今更ながら、レクスは自分が1人ではなかったことを思い出した。
「エリルにお願いがあるんだけど」
「はい、なんですか?」
「ヴェーラを倒す方法を思い付いたから協力してくれないかな?」
「はい、もちろんです!」
エリルに手早く作戦を耳打ちすると、体の調子を確かめる。手は動く。足も動く。
なら何も問題ない。そろそろ勝って終わらせよう。
「剣よ! 土石纏いて大地を揺るがせ!」
レクスは剣に土属性を宿すと、巨大スライムの死骸を迂回するかのように大回りで駆け出す。するとヴェーラはレクスに接近されないように立ち回りながら魔法で攻撃してきた。
「ウィンドカッター!」
ヴェーラの3つ目の属性はやはり風だったが、ウィンドカッターは縦に細長い衝撃波を生む魔法なので躱しやすい。走る速度を落とすことなく簡単に避ける。
「ファイアーボール! ファイアーボール! ファイアーボール!」
「ウォーターバレット! ウォーターバレット! ウォーターバレット!」
「なっ!? 高速詠唱も出来たの!」
ヴェーラが3連射で唱えた火球は、エリルが3連射で発射した水弾によってかき消される。
「この! サンダーボルト!」
「土の加護のもとに! 岩壁となりてこの身を守護したまえ! アースプロテクション!」
エリルを狙って放出された電撃は、エリルの前に現れた土塊によって防がれた。レクスが張った土属性の防御魔法だ。
「ああもう! 2対1なんて卑怯よ!」
ヴェーラが悔しそうに地団駄を踏む。さっきまで大量のスライムを召喚していたくせにお互い様だ。
そして迂回するように走っていたレクスに体を向けたことにより、ヴェーラは完全にエリルに背を向ける形となった。
残っていた最後の1本の短剣を左手でヴェーラに向かって投射する。やすやすと叩き落とされてしまったが問題ない。ただの合図だ。
ヴェーラの視線が短剣に吸い寄せられた瞬間を狙ってエリルが土塊の横から顔を出し、その背に目掛けて水弾を無言で撃ち出す。それも1発ではなく、途切れることなくひたすら撃ち続ける。
「なぁっ! 無詠唱まで出来たの!?」
振り返ったヴェーラの目に飛び込んできたのは無数に飛来する水弾だ。慌てて黄色の水晶玉から電撃を放ちいくつかは打ち消すが、数が違いすぎた。水弾が肩に当たり、よろけたヴェーラは巨大スライムの死骸を踏んでしまう。
さらにヴェーラの周囲に浮かんでいた3つの水晶玉にエリルの水弾が命中し、遠くへと弾き飛ばした。触媒がなくても魔法の行使は可能であるが、詠唱速度と消費魔力が増えるのは否めない。
エリルもさすがに息切れしたのか水弾の射出が止まるが、そのときにはすでにレクスがヴェーラを射程内におさめていた。
一気に距離を詰め、下段から斜め上へと斬り上げる。
「はあああああああっ!」
「まだよ! ダークネスバインド!」
寸でのところでヴェーラは4つ目の水晶玉を取り出し魔法を詠唱する。黒い水晶玉から伸びた影の手がレクスの剣に絡みつき、動きを封じる。
しかし4つ目の水晶玉があるのは予想通りだった。奥の手はここぞというときに使ってこそ効果を発揮するからだ。
そう、奥の手はこういうときにこそ使うモノだ――。
レクスは左手を空へと高く掲げ、吼えた!
「聖剣開放ああああああああああああああっ!」
レクスの左手に顕現せし、もう一振りの剣。
初代グラヴィアス国王が残した一対の双聖剣だ。
「剣よ! 光輝纏いて悪を断ち斬れ!」
その刀身に宿すは太陽のごとき輝き。
いつかエリルが「英雄といえば悪を浄化する光」と言っていたのを思い出し、確かにそれっぽいな思いながら、ありったけの力を込めて剣を振り下ろした。
夕闇が迫る薄暗い森の中で、そこだけ昼間を思わせるような眩いまでの光が収束した。
「あーあ、もうほんと最悪! 大事な魔法具は壊されるし、大金叩いて買ったスライムやられちゃうし、闇水晶まで割られちゃうし!」
上空に浮かんだヴェーラが悔しそうにレクスを睨みつける。
「なるほど。空を飛べるのがヴェーラの本当の固有スキルなんだ」
レクスが剣を振り下ろして黒い水晶玉を砕いた直後、ヴェーラは靴を脱いでスライムトラップから脱出するとそのまま空へと飛び上がり逃げてしまった。殺すつもりはなかったが、気絶させて捕らえようと思っていたのにあれでは手が出し辛い。
「そうよ、ウチの悪魔族としての固有スキルは空を飛べるだけ。でも飛ぶのに凄い魔力と集中力が必要だからそんな便利なものじゃないわ。飛んだ状態で他の魔法を使う余裕なんてないから戦闘中には使えないし、落ちこぼれの能力よ」
ヴェーラの表情が悔しさから憎しみへと変わった。
「昔の悪魔族は強力な固有スキルを持っていたみたいだけど、今じゃすっかり血も薄まってほとんどの悪魔族が強力な固有スキルなんて持ってないわ。にも関わらず、悪魔族に生まれたって理由だけで他の種族から疎まれ、迫害され、危険視されて監視される毎日。天使族とは正反対の待遇よ。ウチみたいな特別な力のない悪魔族でもね」
天使族は悪魔族とよく似た種族だ。他種族と違い生まれながらにして強力な固有スキルを持ち、高い魔力と身体能力を有している。悪魔族と違う点といえば、白い翼と温厚で慈悲深い性格の者が多いところだろうか。
この二種族は文字通り、本などで描かれる天使と悪魔のような種族だ。
「でも実際ヴェーラは貴族を誘拐しているし、さっきもエリルを殺そうとしたじゃないか」
「ええそうよ。だからウチら『龍の息吹』は他の種族が望んでる悪魔族を目指すことにしたの。いつか【銀花の大地】に辿り着いて、この世界を悪魔族のために創り替えるんだから!」
「龍の息吹に銀花の大地……?」
どちらも聞いたことがない単語だ。さらにヴェーラがウチらと言っていることから単独の愉快犯ではないのだろう。
「今回はウチの負けだけど、いつか絶対にこの借りは返してやるわ! それとウチを倒したってことは他の四天王達が黙ってないんだから覚悟しておきなさい!」
「ヴェーラって四天王だったんだ」
「ええそうよ! 最弱で面汚しだけど、これでも四天王なのよ。あ、でも勘違いしたらダメよ。ウチ以外の5人の四天王はほんとに強い人ばかりなんだから!」
どうやらヴェーラを含めて四天王は6人いるようだ。自称最弱のヴェーラ1人でも苦戦させられたのに厄介極まりない。
「そろそろ本気で魔力もヤバイし、援軍が来ても面倒だから逃げるわ。それじゃねー!」
ヴェーラはそのまま木々を飛び越えて逃げてしまう。あれでは追いかけるのは不可能だし、何よりこちらも消耗が激しい。命に別状はないだろうが、ナルシスとアントンも病院に運んだ方がいいだろう。
剣に封印を施すとそのまま光となり掻き消え、同時にレクスの体に疲労感が圧し掛かる。剣の封印により魔力を根こそぎ吸われて魔力ゼロとなったことによる障害だ。
疲れた体に鞭打って立ち尽しているエリルのところまで歩いて行くと、エリルは両目に涙を湛えながらレクスを見上げる。戦闘が終わって気が緩んだら恐くなってきたのだろう。
「ヴェーラは逃げちゃったし、もう大丈夫だよ」
「ち、違い、ま……、私、も、もう……限界で、動け、なく……。少しでも、動いた……ら、で、出……」
「えっ?」
エリルを安心させようと頭に手を置いたのが切っ掛けになったのか、足元から水音が聞こえた。正確に言うと、エリルの下半身からである。
おそらく戦闘が終わって気が緩んだら、トイレに行きたかったことを思い出したのだろう。まだ済ませていなかったとは。
エリルの顔がみるみる真っ赤に染まり、目から涙が零れ出した。もしかしてこれ、自分のせいになるのだろうかとレクスの顔が青ざめる。
「ふぇっ……、うっ、ぅあっ……。ぐすっ……っ!」
「あ、いや、えっと、お、落ち着こう? 大丈夫だから、うん。大丈夫」
何が大丈夫なんだと聞かれたら自分でも説明はできない。慌てずに落ち着いて、まずはこういうときはどうするべきかを考える。
そうだ、デリケートゾーンがかぶれたら大変だから拭かないといけない。幸いにも綺麗なタオルなら持っているが、エリル本人は手で顔を覆い隠して動かないので代わりに拭いてあげよう。
エリルの前にしゃがみ込み、スカートの中に手を入れスパッツをズリ下げ――。
「レクスさん! エリルさん! ご無事で……す…………か……」
信号弾に気付いて駆けつけてくれたのだろう、森の中からリーシアが慌てた様子で飛び出して来た。そしてレクスとエリルの姿を見つけた途端に表情が消えた。
リーシアが来てくれたのならもう安心だと喜び、そこでようやく正常な思考回路が戻って来た。改めて今の状況を確認してみる。
薄暗い森の中で下半身を濡らして泣いている女の子。そして自分はその子の前にしゃがみ込んで、スカートの中に手を入れてフトモモの辺りまでスパッツを脱がせていた。
これはリーシアでなくても勘違いされる。むしろ勘違いではなく、手を出してしまっている。
リーシアが無言でゆらりゆらりと幽鬼のように近付いてくる。完全に真顔で目から光が消え、一切の感情が読み取れない。
(あっ、死んだな)
恐怖のあまり逆に冷静になった思考で今日が自分の命日だと悟った。せめてエリルが何かフォローしてくれないだろうかと一縷の希望を縋る。
「わ、わらひ……、ひっぐ! も、もう、お嫁にいけな……。うあっ……。うええぇ……」
レクスの断末魔と、エリルの泣き声が森の中に木霊した。
次話のエピローグ的な話で1章終了となります。
が、別件で忙しくなるのでしばらくの間、投稿頻度が下がります。
できるだけ週1ぐらいでは更新できるように頑張ります。