蒼銀の剣
購買棟の階段をレクス、エリル、リーシアの3人は並んで上っていた。
購買棟は1階がパンやお菓子などの軽食や飲み物を売っている購買部と、食券を買ってカウンターに持って行けば料理を提供してくれる学生食堂となっている。
学食は値段がピンキリで種類も多く、購買部と合わせて7時から21時まで営業しているので毎日3食ここで済ませる学生も多い。従業員の数も多いのであまり待たされることもなく、更には購買棟の2階と3階は学食利用者用のテーブル席となっているので座席の確保にもそれほど苦労しないのも人気の秘訣だ。
4階は日常雑貨をメインに、ノートや鉛筆といった学園内で使う消耗品などを取り扱っている第2購買部となっており、生鮮食品以外は全て揃うと言われているほどの品揃えだ。
教科書や学園指定の制服や体操服などを紛失や破損、あるいは予備が欲しい場合などはこの第2購買部で購入できる。
5階は武器、6階は防具をメインに取り扱っている階層だ。ただし5階と6階は学園が運営している武具店とは別に、商人や鍛冶師がそれぞれ購買棟の敷地を借りて独自の商売をしているフロアとなっている。
街のチェーン店や個人商店、オーダーメイドで武具を作ってくれる鍛冶師が、自慢の品々を店先に並べてある光景は王宮の武具倉庫よりも壮観だ。
5階では防具を、6階では武器を売っていけないという決まりは当然ないので、それが余計にこの雑多な商店街という様相に拍車をかけていた。
「エリルさんの武器はやはり杖にするのですか?」
購買棟の5階に着いたレクス達は、エリルの案内で剣を買った店へ向かう。その道中でリーシアが周りを物珍しげに見ながら聞いてきた。
「いや、エリルは魔法使いじゃないから杖じゃなくても良いし、せっかく選択授業で剣術を選んでるのなら魔法剣士を目指してもらおうかなって」
「ま、魔法剣士? 私があの魔法剣士ですか! カッコイイので憧れの職業の一つです!」
エリルはどうも感性が14歳の女の子にしては子供っぽいようだ。14歳には見えないので見た目相応ではあるのだが。
「魔法が使えなくても魔法剣士と言うのでしょうか?」
「う~ん、正確には魔法具使いの剣士……。魔法具剣士とか?」
「急に格好悪く聞こえるようになったので、魔法剣士って略してください!」
魔法具を使っているということが簡単にバレても困るので、本人の希望通り魔法剣士と呼んであげるのが良いだろう。
「あっ、着きました。このお店です」
エリルが指差したのは剣を専門で取り扱っている店舗のようだ。短剣から両手剣、刀といった様々なタイプの剣が置いてあるようなので、ここならレクスがイメージしている剣が置いてあるかもしれない。
「らっしゃい!」
店舗内に足を踏み入れると、威勢の良い挨拶が掛けられた。店内にはガタイの良い髭面のおじさんと、二十歳過ぎぐらいの男性の2名の店員がいた。親子なのだろうか。
カウンターの中から挨拶をしてきたのはおじさんの方で、息子と思われる店員は1人の男性客と商談中だった。
「エリルが接客してもらったのってどっち?」
「髭を生やしてる方です」
記憶の基準が毛なのか。幸いにも商談中の男以外の客の姿はなかったので、そのままカウンターへと向かう。
「すみません、こっちの子が6日ぐらい前にこのお店でこの剣を買ったらしいんですけど」
「んん? ……おー、おおー! そのちっこいナリは憶えてるぞ。確かこの剣を全額ポイント払いして印象的だったしな。何か問題でもあったのか?」
剣をカウンターに置いて確認してみると、店主はエリルと剣を見て思い出したように頷く。これなら話は早そうだ。
「いえ、剣には問題がなかったというか、実はこの子がよくわからずに選んで買ってしまったみたいで、それ未使用のままなんです」
「ああ、その体格でこれを振り回すとか見た目の割りにすげーなと思ってたが、見た目通りだったのか」
「なので申し訳ないんですけど、返品……とかはできないですかね?」
「うう~む……、返品かー……」
店主が唸りながら剣を鞘から抜き、しげしげと眺める。そのまま剣を鞘に収めると今度は鞘もしっかりとチェックする。
「無理……ですか?」
「いや、確かに未使用みたいだし返品はまぁ問題ないんだが、全額ポイント払いだと返金手続きが面倒でなぁ……。職員棟の事務所にまで行かにゃならん」
「ああ、なるほど。それならその剣と引き換えに別の剣を譲ってもらうことってできませんか? 買値の18万より安い品なら迷惑料としてそのまま払いますし、逆に差額が生じるようならお支払いしますんで」
「おっ、そうだな。そういうことなら良いだろう。それで、どんな剣が欲しいんだ? やっぱり短剣か?」
レクスの提案に店主が快諾してくれる。気の良い店主のようだ。
「短剣か片手剣の刀身が軽いやつで、魔宝石付きの剣ってあります?」
「ほー、魔宝石付きってことはその嬢ちゃんは魔法剣士か? そりゃただの鉄の剣じゃ物足りないだろうな。よし、ちと待っててくれ」
店主は鉄の剣をカウンター内に仕舞うと店の奥の棚へと向かう。棚に飾ってあった剣の中から4本を手に取り、それらをカウンターの上に並べた。
「嬢ちゃんが振れそうで、魔宝石が付いてて予算は18万前後。条件に合うのはこの辺りだな」
店主が持ってきてくれた剣を見比べる。どれも刀身部分は鉄製で柄の部分に魔宝石らしき石がはめ込まれてある。
「エリル、実際に持ってみて」
「は、はい」
エリルに一番大きい剣を渡してみると、重くて無理と言われたのでそれはすぐボツとなった。残り3本は問題なく振れたので本人にどれが良いか選んでもらう。
「この3本の中からだと、これが一番良いです。リーチもあるので安心です」
「う~ん、これかぁ。オヤジさん、値段は?」
「これは……、18万7千だな」
エリルの選んだ剣のタグを見てみると値段と一緒に刃渡りが記載してあり、47センチらしい。そして細身の剣で柄の部分には緑色の魔宝石がはまっている。差額7千バルシならエリルが持っていなくても払える金額である。払える金額ではあるのだが。
「どうかしたんですか?」
レクス、リーシア、店主の3人が一様に難しい顔をしていると、エリルが不思議そうな顔をした。
「いや、これはちょっと細すぎなかなぁって思ってさ」
「ええ、これだと硬い敵を切っていたらすぐに折れてしまいそうですね」
「すまん。条件に合うから持ってきたが、これはサブウェポン用みたいな剣でな。メイン武器にするのはオススメできんな」
刀身がそこそこ長いのにエリルが振れるだけあって本当に細い剣だ。レイピアに近いかもしれないが、刺突よりは斬撃用に作ってあるようだ。
いくらエリルが魔法主体で前に出ないかもしれないとはいえ、鋼以上の素材で作ってあるのならまだしも鉄でこの細さは心許無い。
「残りの2本よりこれが良いの?」
「んー、そうですね。こっちの短剣はさすがに短すぎてイヤです。それで最後のこの剣は振れなくはないですけど、ちょっと重いです」
改めてエリルに聞いてみたが、残りの2本はダメだったからこれで妥協したというような感想だ。もうちょっと何か良い剣はないだろうか。
「そういえばオヤジさん、さっき棚で1本だけ手に取りかけて止めたのがあったけど、あれは?」
「ああ、よく見てたな。あれはまぁ……、実際に見てもらった方が早いか」
店主が棚から更に1本の剣を持ってきてレクスに渡す。鞘に入った状態だが刃渡りは30センチほどしかなさそうな小剣で、見た目以上に軽く感じる。材質が気になって鞘から少しだけ抜いて店主が渋った意味を理解した。
「これは、蒼銀製か」
蒼銀はソールライツ鉱石という石のことである。銀と似たような色と性質をしているため蒼銀と呼ばれるが、実際には銀と別物だ。
色は銀が更に青みがかったような色をしていて薄っすらと透過している。そして一番の特徴は鋼よりも硬く、鉄よりも若干軽いというまさに武具を打つのにうってつけの素材である点だ。
ただ唯一欠点として、魔力伝導率が高すぎて、蒼銀で作られた武具に魔法を付与してもいつの間にか魔法が抜けてしまう場合がある。魔法付与に拘らないのであればこれは気にならないことだが。
蒼銀はそれほど希少な石ではなく、グラヴィアス王国内でも鉱山があるほどだ。ただやはり鉄や鋼に比べれば当然出回ることが少ないため、片手剣よりやや小振りなこのサイズの剣でも街で買えば20万バルシ以上。柄の部分に大きめの魔宝石がはまっていることを考慮すればかなりの値が付いているだろう。
「これ、いくらするんですか?」
「その剣に付いてるガーネット・マナが魔純度42%の代物でな。その剣の値段も跳ね上がって49万8千バルシだ」
「よ、よんじゅうきゅうまんはっせん!?」
横で話を聞いていたエリルが腰を抜かしそうになっていた。目が合った瞬間に凄い勢いで首を横に振られたのは、そんなお金は無いという意思表示なのだろう。
予算の約3倍なのだから当然ではあるが。
「ちなみにエリル、この剣の重さだと振れる?」
「た、試してみましゅ……」
蒼銀の剣を渡すとガチガチに緊張しながらもゆっくりと3回ほど素振りをする。
「刀身はもう少し長いのが好みですけど、重さとかは全然問題ないです」
「さっきまでの3本と比べた場合はどっちが良い?」
「当然この剣が良いなって思いますけど……」
エリルから再度受け取った蒼銀の剣のタグを見てみると刃渡り28センチと書いてあり、短剣より若干長い程度だ。幅は細めだが厚みはあり、素材も良いので硬度も問題ないだろう。
レクスが当初イメージしていた剣に近い。といよりむしろそれ以上に理想的な剣なので、見れば見るほどに欲しくなる。
「オヤジさん。物は相談なんですけど、この剣を魔宝石を外した状態で売ってもらうことってできませんか?」
「うん? まぁできなくはねぇが……。そっちの嬢ちゃんは魔法剣士だから魔宝石の付いた剣が欲しかったんじゃないのか?」
「いえ、実は魔宝石についてはちょっとしたあてがあるんで、魔宝石が取り付けれる剣の方が重要なんですよ。魔純度42%ってのは惜しいですけどさすがに高すぎて手が出ないですし、この子がよく使う魔法は水属性なんでガーネットだとちょっと相性も悪くて」
「う~む、そういうことか……。確かに魔宝石と属性が合わなかったときのために換装できるようにはなっているが、そうなると剣の値段も再計算しなきゃならねぇし……。う~ん……」
(あと一押しってところかな。あの手が通じるかわからないけど、試してみるか……?)
こういうときのためのとっておきの技がある。失敗した場合は若干面倒なことになるかもしれないリスクはあるが、武器屋を経営するぐらいの人物になら通用するはずだ。
「エリルとリーシアの2人はちょっとそこで待っててね。オヤジさん、ちょっと見せたいものがあるのでこちらへ」
「ふぇ?」
「はい?」
「おお? 急にどうした?」
頭に疑問符を浮かべるとエリルとリーシアをその場に残し、店主をカウンターの隅へと引っ張っていく。戸惑いながらも素直に着いて来てくれた店主に十数枚の写真をそっと差し出し、小声で話し掛ける。
「他言無用でお願いします」
「いったい何……、を!?」
写真を見た店主が言葉の途中で動きを止める。
レクスが差し出したのはグラヴィアス王国騎士団の訓練中の写真だ。王国騎士団の訓練中の写真というのは確かに激レアではあるが、そこまで価値のある物ではない。
ただし被写体が入団したての新兵と思われる若くて可愛い女騎士達で、しかも鎧に包まれているとはいえ尻や胸のアップ。鎧の隙間から見えているフトモモや腋を撮った写真であるなら話は変わってくる。
「お、おい、あんちゃん。こんな写真どうーやって入手したんだ?」
「いえ、実はグラヴィアス王国騎士団員の中にちょっとした知り合いがいるんですけど、そいつは写真を撮るのが趣味でして。これらの写真はそいつに融通して貰った物です」
レクスと同じように店主が声を潜めて聞いてくる。店主の反応から好感触を感じたレクスはさらに追加で十枚ほどの写真を取り出す。
「特別に追加でこれもお渡ししましょう」
「なん……だと!?」
追加で渡したのは王国騎士団が訓練の途中で休憩をしている写真である。
被写体は同じ新人女騎士達なのだが、先程の訓練中の凛々しい写真とは違い、かなりだらしない写真である。そう、無防備なのだ。
鎧の上半身部分だけを脱いでタンクトップ姿で休憩をしている女の子と、汗を吸ったシャツが体に張り付いてブラが透けている女の子が雑談をしている写真。
水を飲む女の子の口元から零れた水が咽喉を伝い、健康的なはずなのにどこか艶めいた写真。
中には疲れてへたり込んだ女の子のスカートから、パンツが丸見えになっている写真まである。
全てがただ休憩中の女騎士を撮っただけの写真ではあるのだが、もし盗撮で訴えられれば確実に負けるであろう秘蔵のお宝写真の数々で、その手のマニアに売れば1枚数千バルシはくだらないであろう。
「煮るなり焼くなり使うなり売るなり好きにしてもらって構いませんが、出所だけは絶対にバラさにでください。俺が消されてしまいますので」
もちろん消してくる相手はリーシアなのだが。
店主は無言で手早く写真を束ねるとそのまま懐へと仕舞う。交渉成立のようだ。
何事もなかったかのように元の場所に戻ると、店主は少し待ってくれと言い、店の奥から工具箱を持ってくる。
工具箱から取り出した取っ手が赤いマイナスドライバーのような魔道具と、先端がゴム質で出来たピンセットのような魔道具を使い、魔宝石に傷を付けないように丁寧に取り外した。
「あんちゃんの熱意には負けたぜ。本当なら剣だけでも20万以上はするんだが、特別だ。持っていきな」
「ありがとうございます」
「ここで装備していくかい?」
「いえ、俺のじゃないので。というか武器の装備って持つだけですよね?」
「武器や防具は装備しないと意味がないぞ」
「はい、知ってます」
店主から蒼銀の剣を受け取る。いつの間にか接客を終えていた息子らしき店員が若干不思議そうな顔でこちらを見ていた。
2人の店員に盛大に見送られて店の外に出ると、大きく安堵の息を吐いた。
「うーん、これは予想以上に良い品が手に入ったんじゃないかな」
「凄いですレクスさん! 魔宝石は付いてませんけど、50万バルシの剣を18万にまで値切っちゃいました!」
エリルが尊敬の眼差しでレクスを見ていた。これはどんな値切り方をしたのか絶対に知られないようにしようと心に誓った。
「じゃあ、この剣はエリルに。と言いたいところだけど、その前にリーシアにお願いがあるんだけど」
「代わりの魔宝石ですね?」
「話が早くて助かるよ。別に魔宝石じゃなくても普通の宝石とか、なんなら水晶とかでも構わないからさ。どうせ偽装だし」
「わかりました。ではこれはお預かりして明日までには何とかしておきます。ミリスに頼めば問題ないでしょうし」
リーシアに剣を渡すと、エリルがなぜ魔宝石を外した状態で購入したのか察したようだ。
「あてがあるってリーシアさんのことだったんですね。あの……、できればお安くしていただけると助かるんですけど。もしくは分割払いとかで」
「ああいえ、お代はレクスさんに別のことで払っていただくので、エリルさんは気にしなくて大丈夫ですよ」
「言い出したのは俺だからそれは払うけど、あまりヘンなのは勘弁してよ……」
体で払えと押し倒されたらどうしよう。男女の立場が丸っきり逆である。
「いえ、私の剣ですし、やっぱり私が」
「ふふふ、ごめんさい。お代の件はレクスさんをからかう冗談ですよ。そこまで高価な物でなくても良さそうなので、お近づきのしるしにプレゼントということにしておきますね」
「えっ、でも……」
「その代わり、これからもわたくしと仲良くしてくださいね?」
「あ……、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
どうやら綺麗に話が纏まったらしい。レクスとしても後で本当に体でも要求されたりしないだろうかと内心ヒヤヒヤしていたのでありがたい。
しかし昨日から思っていたのだが、リーシアは妙にエリルに対して優しい気がする。末っ子だから妹ができたみたいに思っているのだろうか。
「いえ、ただ単にこうやって先行投資しておけば、万が一レクスさん争奪戦になったときに潔く身を引いてくれるんじゃないかと思いまして」
リーシアが小声でそんなことを言ってきた。良い話だと思っていたのに台無しである。
「でもそうですね、確かに妹みたいに思っている節もありますね。正妻の座は譲れませんけど、2号さんとしてなら囲うのを許可しますよ?」
「ナニソレウレシイ」
昔はレクスに近付いた女は姉やメイドであろうと噛み付かんばかりの勢いだったのに、リーシアも随分と丸くなったなと感心する。
「そういえば一つ言い忘れていましたけど、先程店主さんに渡した写真のことについては後で説明していただきますので」
リーシアに耳元で囁かれてチビりそうになった。全然丸くなどなっていなかったと認識を改める。写真については自業自得とも言えるが。
「この後はどうするんですか?」
2人のやり取りには気付かずに、エリルがいつもの調子で首を傾げる。
「装備はもう問題ないみたいだし確認は終わりとして……。あと他にやっておくことってある?」
「特にこれといって準備することは……。ああそうでした、明日の昼食はどうなさいますか?」
リーシアが昼食のことを気にしているのは、テスト中の課題の一つに昼食休憩を取るようにと指示されているからだろう。どういう意図があるのかわからないが、どちらにせよテストの時間的に途中で昼食は取らざるを得ないだろう。
「俺はあとでパンでも買っておこうと思ってたけど」
「レクスさん、パンばかりでは栄養が偏ってしまいますよ? ミリスに頼んで3人分のお弁当を作っておいてもらいましょうか」
「いや、ミリスさんに迷惑かけるのも悪いしなぁ……」
ミリスなら喜んで用意してくれそうではあるが、さすがに毎日のように昼食を用意してもらうのも申し訳ない。彼女はあくまでリーシアの従者なのだ。
「あの。それでしたら私が良いお店を紹介しましょうか? 街にある私の行き着けなんですけど、明日のお昼にもピッタリだと思います」
「エリルの行き着けのお店? まぁ時間はあるし、とりあえず見に行ってみるのはいいけど、なんだろう?」
着いてからのお楽しみですと意気揚々と歩き出すエリルの背中を追って、街へと繰り出した。
「着きました、このお店です!」
エリルに先導されて街を歩くこと約40分。商店街の一角にこぢんまりとした店が佇んでいた。建物は比較的新しく明るい雰囲気である。
しかし窓から見える店内は商品棚の裏ばかりで、楕円形の看板に『クジラの卵』と店名らしきものが書かれてあるが、何の店なのかさっぱりわからない。
「店名から全く判断できないんだけど、ここって何屋なの?」
「ここは缶詰屋さんです」
「缶詰の専門店……ということですか?」
「はい、そうです」
そういえばエリルは以前にも缶詰を食べていたような気がする。好きなのだろうか、缶詰が。
「缶詰って凄いんですよ! 携帯性と保存性に優れていて種類も豊富なんです。中にはお高いのもありますけど、お値段もお手頃なのでオススメです」
「缶詰か。そういえば俺、知識としては知ってるけど実際には食べたことないな」
「わたくしもです。冬でも夏の果物とかが食べられると聞いて興味はありましたけど」
「リーシアさんはともかく、レクスさんも食べたことがないんですか? 缶詰は昔から冒険者さんには必需品の食料ですよ」
確かにそういった話は聞いたことがあるが、今まで食べたことがないのですっかり忘れていた。これはせっかくの機会として良さそうだ。
「うん。一度ぐらいは食べてみた方が良いだろうし、明日の昼は缶詰にしてみようかな」
「そうですね、ミリスのお弁当はいつでも食べられますし。まずはどういった物があるのか実物を見てみましょう」
「おおおっ! 新たなカンヅメラー誕生の瞬間ですね。2名様ご案内します!」
カンヅメラーってなんだ。マヨラーの親戚だろうかと思いつつエリルの後に続いて店内に入る。
まず目の前に飛び込んできたのは大きな台の上にうず高く積まれた缶詰だった。次に視線を右に向けると大きな商品棚に所狭しと並べられた缶詰が目に入る。今度は視線を左に向けるとこれまた大きな商品棚にこれでもかと詰め込まれて缶詰が置いてあった。さすが専門店である。
「たくさんの種類がありますね。同じ魚の缶詰なのに生産地によって別の種類のように違いがあります」
近くの棚へ移動したリーシアが感嘆の声を上げた。
「魚や肉はまだしも、パンの缶詰なんて物まであるんだ。しかもこれ、乾パンじゃなくて普通のパンじゃないか」
「その隣にはマフィンもありますよ。味はどうなのでしょうか……?」
「あ、そのマフィンは美味しかったですよ。パンの缶詰はその左のメーカーさんのレーズンパンが美味しかったです」
「もしかして全部食べたことあるの?」
「パンとかの缶詰はすぐに新商品が出るので全部は食べてないです。店内の商品を全部食べたのかという質問でしたら、嫌いな食べ物や高くて買ってないのもあるのでせいぜい7割ぐらいです」
いま見ている範囲だけでも一体何種類あるのか皆目見当がつかないのに、全体の7割とか十分すぎるほど凄いのだが。
「あっ、そうだ。どうせなら3人で一緒に見て回るんじゃなくて、それぞれが美味しいそうとか食べてみたいって思った物を買って、明日の昼に交換しながら食べるっていうのはどうかな?」
「あら、それはなんだか楽しそうですね」
「ふっふーん、良いでしょう。そういうことでしたらお二人には明日、私が厳選した中から選りすぐりの缶詰をご馳走してあげましょう」
レクスの提案にリーシアは素直に頷き、エリルは無駄に自信あり気に賛同する。2人と別れたレクスは店内をくまなく歩き、美味しそうだと思った品と同時にネタとして面白そうな物を買い物カゴへと入れていく。
明日、2人の驚く顔が楽しみだと本来の目的を忘れつつ、たっぷり1時間ほど時間をかけて買い物をし、テストの準備は整った。
ちなみにその日の夜、リーシアが「後で話があると言いましたよね?」と昼のエリルに向けたイヤラシイ視線と武器屋での写真について問いただしに来た。
また折檻されて翌日のテストに響いたら大変だと思い、一か八かでリーシアの額にキスをしてみたら上機嫌になってそのまま帰って行った。
あと数回はこの方法で多少のことなら誤魔化せそうである。諸刃の剣だけど。