借りる人
都内某所、家々は夕飯の支度を始めている。
アパートで一人暮らしをする学生のこの男も、少し早い食事の準備をしていた。
ピンポーン
男が返事をするよりも早く扉が開かれると、そこには一人の女性が佇んでいた。
美人である。
肌の白さが目を引くが、一方でその異常なまでの白さは彼女の美しさよりも不健康さを際立たせている。
彼女は至極当然のように家に上がり、口を開いた。
「ねぇ 余ってない?」
「どうぞ」
男は面倒臭そうに手を拭い、腹に手を当てると、ハンカチを渡すかのように自らの胃を彼女に差し出した。
「いやー やっぱりこれじゃないとね」
彼女は満面の笑みを浮かべて、男のそれを自分のものと交換すると、男の夕飯になるはずであったポークソテーの前へと座る。
「いっただっきまーす」
彼女は無邪気に手を合わせ、眼前に据えられた箸を取り、何の躊躇いもなくポークソテーを掴み上げた。小さいながらも整った口を開き、そこに男が焼いた肉と炊きたての米を湛え、よく噛んでから嚥下する。その先は、数十秒前に借り受けた男の胃だ。
「貴方のコレ...最っ高ぉ...」
彼女は恍惚とした表情で称賛を送りながら、目の前の肉へとさらに箸を伸ばした。台所に立つ男は腹をさすりつつボヤく。
「たまには自分ので食べて下さいよ」
しかし、彼女は何処か嬉しそうに答えた。
「だって貴方のが一番美味しいんだもの」
男は急須に茶葉を入れながら、平静を装い会話を続ける。
「どっちの話ですか?」
「ポークソテーの話よ」
「俺の胃を早く返して下さい」
「えー じゃあ明日は唐揚げね」
男は溜息混じりに、彼女の前に置かれた湯呑にお茶を注ぎながら告げた。
「唐揚げなら昼に食べたので、明日の夕飯はパスタです」
「ぶー なにお洒落ぶったモン食べようとしてんのよ。男なら肉でしょ肉!」
「どうせ食べるのが貴女なら別に良いじゃないですか」
彼女は「うー」と唸りながら肉を口に詰め込み、頬を膨らませるが、数秒後には悪戯そうな笑みを浮かべ、男を手招きする仕草を見せた。男が顔を寄せると、彼女は耳元で囁いた。
「今度、子宮貸してあげるからさ」
狼狽する男を尻目に、彼女は借りていた胃を返すと「またね」と言って、家に上がってきた時と同じく当たり前のように去って行った。
男は彼女を見送ると、重たくなった腹をさすりながら、綺麗に食べ終えられた食器を見つめて呟いた。
「明日、鶏肉買わなきゃ」