すれ違いと、思いやりと。
さあ、お願いします、とコトコさんが微笑むと、お客さまは先ほどと同じ内容を話し始めた。
話をまたふんふんと聞きながら、コトコさんは新しい小鍋と、銀色の、指揮棒に似た細長いものを吊り戸棚から取り出した。その棒を、ちょうど魔女が魔法をかける時のように、時々空中でちょいちょいとかき混ぜる。そうすると、その棒の周りにふわふわと靄のようなものが浮かんできた。コトコさんはその靄を、綿菓子でも作るかのようにくるくるっと素早く巻きとっていった。
「なんですか、この…青みがかった靄は…」
卷きとった靄を小鍋に放り込んでいくのを見ながら、お客さまは夢の中にいるかのようにぼんやりとした表情で聞く。
「あとで、すべて、すっかり、説明します。させていただきます。今はただ、お話を続けてください」
どうぞ、と先を促す声にゆっくりと頷き、また話し始める。
お客さまが話している間、コトコさんは何度も何度も、様々な色をした靄をくるくると巻きとり、小鍋に放り込んでいった。
話が終わると、小鍋はカラフルな靄でいっぱいになっていた。コトコさんはそれをもう一度コンロに移動させ、ちいさく火をつける。
くつくつくつ。
しばらくして小鍋からほのかに湯気が立ち始めると、そっと木べらで中身をかき混ぜる。音を立てないように。入っている“言葉”や”気持ち”が変化してしまわないように。優しく、やさしく。
「これは、まだまだかかりそうですね」
コトコさんは呟く。
「まだまだかかる、とは。もっと煮込まなければいけないということですか」
「全くその通りです。お客さまの話からお裾分けしてもらった“言葉”や“気持ち”がここには入っているのですが、これを奥さまが待っていた時間のように、長く、長く、煮込まなければいけません」
お客さまはそれを聞くと、申し訳なさそうにまた背をちいさく丸めた、
「あの靄がそういうものなのですか」
「はい。話しているうちに漏れ出ている感情、それをするすると引き出して、捕まえて、形にするのです」
知っていますか、とコトコさんは続ける。
「“言葉”は、そしてそこに含まれた“気持ち”は、スパイスのようなものなのです。優しい気持ちであれば甘い、悲しみなら苦い、といった具合に。よく言いますでしょう、心を込めて作ったものは美味しい、だとか、言葉には力がある、とか」
「あ、あぁ…確かに言いますね…。しかし、本当にそんなことがあるのですか…」
お客さまはまだ信じられないという表情で、白い頭をゆっくりと振った。
「先ほどお客さまが召し上がったものも、みかんとお砂糖以外の味がした、とおっしゃっていましたね。そういうことなのです」
ところで、と。
「これはお客さまではなく、お客さまの奥さまに召し上がってもらわなければいけません。明日、奥さまと一緒に改めてお越しいただけますか。まだこちらも時間がかかるようですし」
チラリと小鍋に目をやって、コトコさんはそう言った。
「妻と、ですか…。しかし、今 妻は別の友人のところにいまして…」
「ああ」
失念していた、とばかりに顔を上げると、
「では、奥さまには私から伝えておきます。連絡先だけ、そこの紙にでも書いておいていただけますか。お客さまは明日少し早めに来てください。そうですね、お昼時の少し前くらいでしたら充分でしょう」
と、コトコさんは告げた。
「それでは、また明日。ごきげんよう」
そう言うと、コトコさんはもうお客さまのほうを一切、チラリとも見ることがなかった。
「ありがとう、ございます。よろしくお願いします」
お客さまは、狐につままれたような顔をして、曲がった腰に気を使いながら深く礼をした。
翌日、コトコさんは既に調理し終えた小鍋の中身を、小皿にとろとろと注いでいた。ポタージュのようなとろみをもったスープは飴色になっており、辺りに不思議な匂いを放っている。チュッとそれを飲み込んで小鍋のふたを閉め、コトコさんは一人頷いた。
「こんにちは。良いお天気ですね」
コトコさんは入口をチラリと見たあと、窓から空を見上げ、少し眩しそうに言った。
「こんにちは…。本日はどうぞよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします。どうぞ、そちらの席についてください」
お客さまは少し緊張しているようだった。肩に力が入り、顔も強ばっている。
「まずは、これを一口どうぞ」
コトコさんは、昨日お客さまに差し出したみかんとお砂糖ベースの料理を、今度はきっちりとスプーン一杯掬って渡した。
「気持ちが落ち着きますので」
「ああ、ああ、すみません。お気遣いありがとうございます」
そうして、お客さまが少し落ち着いてきた頃、
「こんにちは、奥さま。突然お呼び立てしてしまって大丈夫でしたか」
「あら、こんにちは…電話の方ね、それは大丈夫ですけれど」
「××!」
お客さまは奥さまの名前を呼び、ガタリと立ち上がった。
「すまなかった、ここ最近ずっと一人にさせ」
「お客さま」
コトコさんはお客さまの言葉をそっと遮った。
「今謝ったとしても、それはただの押し付けにしかならないのではないでしょうか。謝ることも本当に本当に大事だとは思うのですが、先に料理を召し上がっていただきませんか」
「あ、ああ…そう、ですね。せっかく作っていただいたものですし」
まずは、あなたの思いを知ってもらいましょう。
そうコトコさんはふわりと微笑んだ。
「あの…少しいいかしら」
奥さまは、真っ直ぐにコトコさんのほうを見て話しかけた。
「私、記憶違いでなければ、あなたに昔お会いしたことがあるわ。そう、 この場所で。私は…私は、料理を作ってもらったことがあるはず」
あの時は私も若かったから、今とは大分違うでしょうけど。
「そうでしたか。なら、私がどうやって料理を作るのかもご存知なのですね」
「ええ、ええ。“言葉”ね」
承知しているとばかりに奥さまは何度も頷き、置いている小鍋をチラリと見た。
「これもあなたの料理なのかしら」
「その通りです。あなたの旦那さまの、私のお客さまの“言葉”が入っているのです。奥さまに向けた“言葉”が。ですから奥さま。どうかその席についてくださいますか。お客さまもどうか座ってくださいますよう」
席についた二人は目の前にあるお互いの顔を見たあと、気まずそうにふいと顔をそらした。話しかけたいけれど、話しにくい。ギクシャクした雰囲気が辺りに漂っている。
「失礼しますね」
コトコさんは平皿を奥さまの前にコトンと置いて、お玉杓子で小鍋の中身を掬い、そっと注いだ。なみなみと注がれた飴色のスープは陽の光に反射して、キラキラと光っている。
「どうぞ。召し上がってください」
奥さまはスープをしばらくじっと見つめていたが、やがて夫であるお客さまの視線に気付くと、背を押されたようにそっとスプーンをとった。
静かな部屋にはきいきいきいと、どこかから聞こえてくる鳴き声と、木々がさざめく音、時計のカチカチと刻む音、そして奥さまがスープを啜る音だけが響いていた。
お客さまはこの静寂に、また心臓がどきどきと早く動き始め、緊張してくるのを感じていた。
どれほどの時間が経ったのだろう。お客さまにとっては悠久の時にも感じられた頃、奥さまは空になった平皿にそっとスプーンを置いた。
「ごちそうさまでした」
どうだった。美味しかったか。すまない。今度からはお前も連れていくから。
そう言い募ろうと思ったお客さまの多くの言葉は、はらはらと零れる奥さまの涙を見て引っ込んだ。
「××…」
奥さまはここに来て初めてお客さまの顔を見て、花のように微笑んだ。
「ごちそう、さまでした。とても、とても、美味しかった」
あなたの言葉が、あなたの気持ちが、時間をかけてこのスープに染み込んでいる。素直になれない気持ちも、いつも空回りしてしまうその行動も、いつも私のことを考えてくれていることも。それが入り込んで、染み込んで、私の一部へとなっていく。
「これからは、私のことも仲間に入れてくれるのかしら」
奥さまはいたずらっぽくそう言った。
「もちろんだ。僕は君に、ずっと一緒にいて欲しい。本当はいつもそう思っているんだ」
二人はくすぐったそうに、顔を見合わせて笑った。
「さあ、お帰りの時間です」
コトコさんは静かにそう言った。さあさあ。二人を急かすように入り口へ追いやる。
「待って、お金を払わせて頂戴」
奥さまはそう言って財布を取り出したが、コトコさんはさあさあと追いやるばかり。
「お代はいらないのです。私はただ、料理をさせていただいているだけなのですから」
とうとう二人は入り口の前まで追いやられてしまった。
「言葉は力。言葉は気持ち。それは伝わるもの。それは繋がるもの。お忘れなきよう」
コトコさんは流れるように(歌うように)最後にそう言うと、パタンと扉を閉めた。
残された二人はしばらく困ったように扉を見つめ、それから深く、ゆっくりと礼をした。そうしてくるりと踵を返し、皺の刻まれた手を繋いで歩いていった。
コトコさんのちいさなお店には、毎日いろいろなお客さまがやってくる。
悩みを抱えた、お客さまだけが。
明日は、どんなお客さまが来るだろうか。
この話で一応一段落です。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
もしかすると続編を書く...かも、しれないです。まだ確定はしていないのですが...。書けるように頑張ります。
最後まで読んでくださった皆様に感謝を。




