第5章
大物登場
セバスに案内された先には、他のとは作りが異なる扉があった。
「ここが謁見の間、つまり王の間です。ここから先に私は入れません。」
「?セバスさんは使用人の中で一番偉いのでは?」
「確かに。ですがあくまでも使用人に過ぎません。私共が入れるのは誰もいらっしゃらぬ時、つまりは清掃の時くらいのものです。後は要事の際ですが…。モース様、扉の奥にはこことは全く異なる世界があります。そもそもこの城の中自体が別世界でしょうが、向こうはより異質です。このようなことを申すのはあれですが…命を落とすことも覚悟なさってください。」
「それはベール様の…?」
「しっ!彼の手の者に聞かれると面倒です。使用人の一部には彼が飼いならしている者もおります。」
「だから使用人に頭を…」
「とにかく!この先では何があるかわかりません。くれぐれもお気を付けください。」
「えぇ。心配しなくても大丈夫よ。それではお会いするとしましょうか。」
彼女の声に答える代わりに、セバスは微笑み扉に歩み寄ると、ノッカーを静かに叩いた。彼が脇にはけると同時に、扉は内側から開いた。
「入りたまえ。」
奥から掠れた声が聞こえてきた。声のままに、モースは一歩を踏み出した。
扉の先には広い空間が広がっており、中央に敷かれている臙脂色の敷物の奥に、伏している人影が数人見えた。その奥の段上には玉座らしきものがあり、王と見える人物が座していた。
「近こう。」
声のままにモースは敷物の上を歩いた。歩けど歩けど寧ろ遠ざかる、そんな感覚に彼女は襲われていた。
「そこに。」
突然上から声が聞こえ彼女は我に返り立ちすくんだ。見上げるとそこは、先ほど遥か先に見えた人影のすぐ手前であった。それに気付くと慌てて他の人と同じように体を伏した。すぐ左の方から、レノンの声が聞こえた。
「王よ。こちらが先だってお話し申したモース嬢です。」
「ほう。モースよ、表を。」
言葉に操られるかのように彼女は頭を上げた。声の主の顔を恐る恐る見ると、それは、まるで声とは似使わないほどに柔和なものであった。
「余が国皇、ミハイル・グラゼノフ・バイサス六世である。そなたのことは全て知っておる。幼い頃に母親と生き別れたことも、村で治療師として働いていたことも。そこで少し、質問に答えてはくれぬだろうか?」
それは優しげな口調ではあるものの、有無を言わさぬ重みがあった。
「はい。何なりとお聞き下さい。」
「ふむ。そなたは治療師として、どのような術を用いる?」
「はい。主に薬草を用いております。時には動物の生き肝などを用いることもありますが、今までに数度しかございません。」
なぜであろう。あれほどまでに緊張していたのに、彼の問いには言葉が自然に流れ出てしまう。彼の顔が優しげだからであろうか。そんなことを考える暇もないまま、王は次の問いを投げかける。
「家族は?」
「はい。幼い頃に両親を亡くしまして、祖母に育てられました。その祖母も数年ほど前に亡くなりましたが。私の治療師の技は全て祖母に仕込んでもらいました。」
「ほう。気の毒であったな。」
「陛下。」
彼が次の問いを口に出そうとしたとき、横から声が聞こえた。
「陛下よ。陛下の御言葉を裂くのは無礼を承知でお願い申し上げます。私目にも幾つか質問をお許しは頂けないでしょうか?」
「ふむ、まぁよかろう。」
モースがその声のする方に体を向け直すと、そこにはやや白髪がかった端正な顔つきの男がいた。その男は彼女を見やると、細い目をぎょろりと回し、こう告げた。その声は氷のように冷たく鋭いものであった。
「私はバイサス皇国が宰相、ベールである。幾つか問わせてもらおう。」
彼がベールね、確かに一癖ありそう。彼女は咄嗟にそう感じた。
「はい、何なりとお聞きください。」
「そなたはなぜ王家に嫁ごうと思った?」
それまでの問いとは違った質問に一瞬彼女は顔を強ばらせたがすぐに答えた。
「それはレノン皇子に見初められたからでございます。」
「しかし何故それを受け入れた?」
「断るべき理由がどこにもなかったからでございます。」
「…ふん。金目当てか。王よ、このような者は皇子には…」
「お待ちください!それは違います!」
「ではなぜだ?」
「愛に理由などいるのでしょうか?」
「フハハハハハ!」
彼女がそう答えると突然に王が高笑いをしだした。
「聞いたか皆よ。その答えその眼差し、皇子の后として何ら問題なかろう?」
彼がそう言うとベールは短く頷き元に伏した。王は周りを見渡すと、彼女にこう告げた。
「最後に一つだけ問おう。そなたは私に、王家に、この国に何を見、何を望む?」
「私はみんなが笑顔になれば、ただそれだけを望みます。この国は素晴らしい国で、だからこそ、人々は生き生きとしているのです。その人たちの笑顔なくして、この国は成り立たないでしょう。」
「…ふむ…ベールよ!今夜の会食を明日の夜へ延期する。そして明日の朝、息子とモースの婚約式を執り行う!皆彼とセバスの指示に従い速やかに整えろ!余は来賓達にこの旨を伝えてくる。」
「…御意。」
王がそう告げると部屋にいた者は全て、動き出した。後に残された彼女はただそこに立ち惚けてしまっていた。先程まではスラスラと受け答えをしていたが緊張が途切れた瞬間、疲れや畏怖、そういったものが全て込み上げてきたのだ。すると玉座よりも奥にある扉から、セバスが現れた。
「お疲れ様ですモース様、いえ、王妃様。」
「…あ、セバスさん。そんな王妃だなんて、そのままモースと読んでください。」
「わかりました。ではモース様、参りましょう。明日の段取りの説明やご支度などもございます。」
「まさか予め手筈が?」
彼女の疑問に、セバスは微笑みつつも、来るように促した。窓から射す光が耳飾りに反射し妖しげに輝いた。
セバスさん良い人だな…