3
深い呼吸を繰り返す征志に近付こうとする俺の肘を、少年が両手で掴んで引き戻した。
「かわいそうにね、お兄さん。このお兄さんは、あなたを選んではいないよ。逝きたがってる。だからね、ボクと一緒に逝くんだ」
笑いを含んだ少年の言葉に、征志が俺を睨みつけた。
「ばっかやろが」
吐き捨てるように言う。征志は手荒く前髪をかき上げて、そのまま腕に顔を埋めた。その肩が、微かに震えだす。
「ソレデモ……ダメダ。オレハ、ミトメナイ」
ゆっくりと吐き出された征志の言葉に、俺は目を剥いた。腕を掴んでいる少年の手を、払いのける。
変だ。いつもの征志のしゃべり方じゃない。
それは、抑揚のない。そう、まるでロボットがしゃべったような、機械的な話し方だった。
「おい? ……征、志?」
踏み出そうとする俺の足に、何かが当たる。足元を見ると、なぜか少年が倒れ込んでいた。その体が、小刻みに震えている。
「なに…? どうしたんだよ」
体を引き起こすと、少年はダラリと反っていた首を、ゆっくりと起こした。
「……あのヒト…、なに…モノ……」
絞り出すように声を出すと、俺の肩に顔を埋めてくる。ガタガタと、震えもひどくなってきていた。
「……うっ、ぐる…ううっ…」
少年の喉が異様な音を鳴らし、体が震えから痙攣へと変わっていく。
「どうした? 苦しいのか!」
両肩を掴んで、少年の顔を覗き込む。蒼白くなった顔が、苦痛に歪んでいた。
「ソンナニソイツガ、シンパイカ? トモヒロ」
ただならぬ空気を感じて、征志を振り返る。先程から自分達以外の人間の、いや、生き物の気配を感じないのだ。それは後ろにいるはずの、征志の事も含めてだった。
「なんだと…!」
叫びながらも、俺は我が目を疑った。振り返った目に映ったモノ。それは、膝を折って地面に屈んだ征志と、その後ろに渦巻く歪んだ空間だった。
膝を立て、片手で覆った征志の顔から、血の気が失せていく。
「征志!」
俺の声に顔を上げた征志は、こんな状況なのに、それでも笑っているのだ。
「オマエガダレヲエラボウガ、ダレトトモニイキヨウガ、オマエノカッテダ。ダガ、シヌノダケハユルサナイ。コンナハンパナシニカタデ、アノヒトノモトヘ、イケルトオモウナヨ……」
喋る征志の後ろで、歪みが大きさを増す。征志は虚ろな目をしたまま、動かなくなった。
俺の腕にいた少年の姿が仔猫に戻り、何かに反応して暴れだす。すり抜けるように俺の腕から飛び降りると、征志に向かって毛を逆立てた。
「何やって……!」
征志の方に目を向けて、俺は仔猫が睨みつけているモノが征志ではなく、歪んだ空間から伸ばされている大きな腕にだと気がついた。
「げっ! なんだよ、アレは!」
叫んで、俺は征志に向かって駆け出した。赤銅色をした腕が、まっすぐ征志の頭へと伸び進んでいく。
「しっかりしろ! 征志ッ!」
鋭い爪が頭を掴む寸前、俺は征志の頭を両腕で抱え込んだ。同時に仔猫が牙を剥き、太い腕に牙を立てる。
「征志! おい、征志!」
こんな時、頼れるのはお前だけなんだぞ!
頭を抱えたままで、もとの征志に戻ってくれと念じる。
ギャッ…! と短い悲鳴をあげて、腕に牙を立てていた仔猫が吹っ飛ばされ、小さい体が転がった。それでもすぐに体制を立て直し、闇より出ようとする腕に飛び掛かる。
「大丈夫かッ! おい、征志! どうすりゃいいんだ。どうすれば、あいつは消えてくれんだよ!」
目の前で傷付き、死んだ身体とはいえ血を流す仔猫の姿に、涙が溢れ出す。
「もう、やめろッ!」
再び吹っ飛ばされた仔猫が、まるでぬいぐるみか何かのように力無く転がる。それでも俺達を庇うように前に立ち、一向に衰えない腕に向かって飛び掛かった。
赤銅色の大きな腕が、仔猫を振り払おうと激しく暴れ出す。
「…なんでっ……、なんであんなのが出てくんだよ!」
征志を抱える手の震えが止まらない。太陽は出ているのに、ぼやけた薄暗い空を見上げた。