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「…くっ…」
土を掘る泥塗れの手が、ボヤリと霞む。
ポタリと土に滴が落ちて、すぐに吸い込まれていった。何度拭いても、涙が溢れ出す。
「なんでお前、こんな事に」
呟いた途端。滲む視界に、ある情景が浮かびあがった。
笑顔で手を差し伸べる人間達。ぼんやりとしてはっきりとは見えないが、もしかしたらその手にはエサが乗っているのかもしれない。その、親しみをもった笑顔に、やさしさの感じられる手の温もりに、気を許した途端、視界に入ってきた、ボーガンを構える男。きっとまだ学生だ。俺達と、同じぐらいの。小首を傾げるようにして、片目を閉じている。だが、その口許は……笑っていた。
「今の……って…」
見えた幻覚を振り切るように、慌てて首を振る。
「まさか……」
お前が、やられた時の?
俺の言葉に応え、見せたのか。なんで自分が、こんな事になったのかを。
ブルリと勝手に体が震え、どれ程怖かっただろうと思う。
俺は制服からそっと仔猫を抱え上げ、ボーガンの矢を抜いた。汚れた体を、水の中で洗ってやる。
「こんなにきれいな毛だったんだな、お前」
さらに小さくなったように感じられる仔猫を、掘った穴に埋めてやる。
「安らかに、成仏してくれよ」
土をかぶせて手を合わせる。俺に出来るのは、これくらいだ。
征志ならこんな時、魂を安らかに送る呪言の一つも、知ってるんだろうけどな。
「お兄さん」
不意に声がして、俺はピクリと体を強張らせた。この、感覚は……。
目を見開いて、声のした方にゆっくりと顔を向ける。
俺の真横に、少年が立っていた。白いシャツに白い半ズボンをはいて、人なつっこい笑顔を浮かべている。歳は、十歳くらいか。
「おっまえ……いつのまに…」
ちょっと待て。ついさっきまでは、誰もいなかったはずだ……。
驚愕に引きつる俺の顔をまじまじと見上げながら、少年は袖を引っ張る。
「ねえ、泣いてるの?」
不思議そうに言う少年の指が、俺の頬を伝う涙に触れる。
「あ……っ、これは……」
言って、少年の指が異様に冷たい事に気がついた。少年からは視線を外さず、ガッと手首を掴む。
やはり、冷たい。まるで氷のようだ。
手首を掴む俺の力に、少年が一瞬顔をしかめる。だがすぐ真顔に戻った少年は、同じ言葉を繰り返した。
「泣いてるの?」
「…………」
「泣いてるの? ボクのために、泣いてるの……?」
「え…っ?」
ガクリ、と少年の体がブレる。一瞬のうちに、俺の目の前で少年がずぶ濡れになった。
右の目からは、ドクドクと赤黒い血が流れ出す。
「…まさか……、おま…え……」
今かぶせたばかりの土に目を向けた俺に、ニコリと笑ってみせる。
やっぱり!
さっき感じた感覚は、あの時と一緒だ。初めて、鬼に取り憑かれた少女の霊に話しかけられた、あの時と。
俺は腰をついて、後退った。
「勘弁してくれッ! 俺は、幽霊とかオバケはダメなんだ……!」
叫ぶ俺に、少年はなぜなのか解らないというように首を傾げ、悲しそうな微笑を浮かべた。
「…怖い……?」
当たり前だ! と言いたいところをグッと堪えて、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「…怖い……っていうか……、なんで、俺の前に出てくるわけ?」
それも、そんなカッコで。
「出るならさ、お前をそんな目に合わせた奴の前にするとか……」
「泣いてたから」
「は?」
「泣いてくれてたから……。今、ボクのために」
「いや、だから」
自分の為に泣いてる奴を怖がらしてどうすんだよ!
「お兄さん、似てるね。テツヤに。テツヤもね、泣いてくれたんだよ、ボクのかあさんが車にひかれた時に。一人ぼっちになったんだなって言って、ボクを家に連れて帰ってくれた。今日までずっと、一緒に暮らしてたんだよ」
ゆっくりと近付いて来ながら、少年が話しだす。俺はただ、ポタポタと地面に落ちる血と水の滴を見つめていた。
「ねぇ、一緒に逝こうよ」
両手でそっと、俺の腕を掴む。
「え…?」
俺の体を引き起こし、グイグイと腕を引っ張っていく。少年の足は、川へと向かっていた。
「…ちょっ…と、まっ…て」
「大丈夫だよ、苦しくないから。……それに。逝きたいんだよね? お兄さんも」
うれしそうに笑いながら言う少年の顔を、引きつった顔で見下ろす。
「鏑木ッ!」
聞き慣れた鋭い声に、俺は振り返った。
上宮征志が、息を切らせながら憤怒の形相で、俺を睨みつけている。
「い…よぉ。征志。学校行く気になったのか?」
俺の台詞に、ピクリと瞼を痙攣させる。俺を見つめたまま、征志は自分を落ち着けるように大きく息を吐いた。
「ああ。俺がついていないと、まともに学校へも行けない友人を持ってるもんでね」
いつものように嫌味混じりに言って、肩を竦める。顔には笑みを浮かべていたが、手には強く拳を握っていた。
「……征志…」
「なんで! お前はそんなにすぐに取り込まれんだよッ」
吐き捨てるように言った征志の声が、怒りを含んで震える。
「征志!」
「お前は、どう考えてるわけ? あの人が最後に言った言葉を。ケジメつけてから来いってのを、どう受け止めてるわけ? ……あの人がどんな気持ちで、一人で逝ったと思ってんだ? あの人と俺が! どんな、気持ちで……」
「…征志…」