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猫の虐待・血・死などの表現が出てきます。苦手な方、嫌悪感を持たれる方は、ご注意下さい。
「言ってきます」
朝。俺はいつも通りの時間に、家を出た。門扉の前に立って、ゆっくりと左右を見渡す。
まだ、来ていない……。
眉を寄せて、腕時計を覗き込んだ。
「八時十五分。…ってこたぁ、あいつ」
またかよ、と軽く舌打ちして、目の前の電柱を拳で叩く。
いつも征志が立っている場所。
あいつが、時間に遅れてくるはずがない。考えられる事は、ただ一つ。
「さぼりだな」
俺は短い溜め息を吐いて、ゆっくりと歩き出した。
俺の友人の上宮征志は、裕福な家の一人っ子として育った所為か、気分屋なところがあった。
それは嫌われる程ひどいものでもなかったが、今日のように気分が乗らないからと学校に遅刻してくるなんてのは、度々の事だった。だから、寝過ごしたとか、待ち合わせの時間に遅れて走って来るかも……と考えるよりは、ああ、また気分が乗らないんだ……と考える方が自然だ。
春に引っ越してきて以来、こんなに頻繁に遅刻しても単位を落とさないのは流石だと思う。ちゃんと計算しているのだろう。
そんな征志は、ちょっと物静かで冷たい印象を人に与えるところがあった。まあ、実際はそう見えるだけで、付き合ってみると、結構面白い奴だし退屈しないんだけど。
「だいたいあの、人をバカにしたような目がいけねぇんだよなぁ」
呟きながら、俺は一人で頷く。いや、目だけでなく、体全体で人をバカにしてんだよな、あいつは。
クスクスと笑って、前方に目を向ける。ふと道路の真ん中に黒い物体を見つけて、俺は足を止めた。
微かに、動きがある。
なんだ? …あれ。
一歩一歩、ゆっくりと近付く。それが何か判った瞬間、俺は息をのんだ。
「…ひっ…でぇ…。どーしたんだよ、お前ッ」
それは、毒々しい血に塗れた小さな仔猫だった。
右目にはボーガンの矢が刺さり、体中傷だらけだ。もともとは真っ白であっただろう毛は、血と泥で汚れていた。
「誰が、こんな酷い事を……」
「…シ…ャァ……」
声にならない声で、仔猫が鳴く。無意識に食いしばっていた俺の歯からは、ギリギリと音が洩れた。
子猫の口元へと持っていった俺の指を、微かに舐めてくる。
「ばっ……か…やろ……」
そんなだから、こんな目に合っちまうんだろうが!
飼い猫であったのか。人間にこんな酷い仕打ちをされながら、それでも人に愛情を示す。
俺はその小さな、片手で充分持ち上げられる仔猫を抱き上げ、点々と続く血に気付いた。
「ここまで、逃げてきたのか……」
痙攣と震えが止まらない仔猫を抱き締める。なんで人は、遊びでこんな事が出来るんだ。
「こめん……、ごめんな。……ごめん…」
謝る事しか出来ない俺の頬を、小さな舌が舐める。いや、もう舐める力なんて残ってやしない。頬に触れるのがやっとだった。
「…ャ……」
最期に聞き取れない声でひと声鳴いて、仔猫は動きを止めた。
「……っとに……ばか……や……ろが……」
まだ人を敵として牙を剥き、爪をたててくれた方が、いくらも救われる。
俺は袖でゴシゴシと目を擦って、仔猫を抱いたまま立ち上がった。
「埋めてやらないと……」
もう、学校に行く気にもならない。
俺は詰襟を脱いで仔猫を包み、学校の裏手にある河原に向かった。
短めの話ですが、どうぞ最後までお付き合い下さい。