6:竜族の使者
俺とノヴァの関係は、明らかに変わっていた。
まだ正式な番にはなっていないけど、お互いの気持ちを確認し合った今、一緒にいる時間がより愛おしくなった。
朝起きると、ノヴァが俺の部屋にいることもある。
ただ一緒に朝食を食べるだけなのに、それだけで幸せだった。
「翔、今日のクエストは?」
「簡単な薬草採取でいいかな。のんびりしたい」
「...俺と二人きりになりたいだけだろう」
図星だった。顔が赤くなる。
「べ、別にそんなんじゃ...」
ノヴァが俺の頬にキスをした。
「冗談だ。俺も、お前と二人の時間が欲しい」
こんな風に、甘い時間を過ごしていた。
しかし、その平穏は長く続かなかった。
ギルドに入った瞬間、異様な空気を感じた。
冒険者たちが、何かに怯えている。
「エリーゼ、何があったの?」
「それが...」
エリーゼが震え声で言った。
「竜が、3体も来てるの」
「竜!?」
ノヴァの顔色が変わった。
ギルドの奥、レオナルドの部屋から強大な魔力を感じる。
「行こう」
ノヴァと一緒に、ギルドマスター室へ向かった。
中には、レオナルドと、3人の見知らぬ人物がいた。
いや、人じゃない。人の姿をしているけど、その魔力は明らかに人間のものじゃない。
一人は、白髪の老人。威厳に満ちた雰囲気で、明らかに地位が高い。
もう一人は、黒髪の青年。鋭い目つきで、ノヴァを睨んでいる。
そして、最後の一人は...
美しい女性だった。
長い金髪、エメラルドグリーンの瞳、完璧なプロポーション。
「アルジェンティウス様!」
老人が立ち上がった。
「ようやく見つけました。お迎えに上がりました」
「...誰だ」
ノヴァの声が冷たい。
老人は困惑した表情を見せた。
「私です、長老のガルディスです。覚えていらっしゃらないのですか?」
「知らん」
ノヴァは俺の隣に立った。まるで、俺を守るように。
黒髪の青年が前に出た。
「兄上、ふざけるのはやめてください」
「兄上?」
「私は、あなたの弟、オブシディウスです」
ノヴァに弟がいたのか。
「そして」
金髪の女性が優雅に立ち上がった。
「私は、エメラルディア。あなたの婚約者です」
婚約者。
その言葉に、俺の心臓が止まりそうになった。
「婚約者...?」
ノヴァが困惑している。
「覚えていないのも無理はありません」
エメラルディアが悲しそうに微笑んだ。
「300年前、魔族との戦いの前に、私たちは婚約しました」
300年前。ノヴァが呪いを受ける前だ。
「アルジェンティウス様、一緒に帰りましょう」
長老が手を差し伸べた。
「竜族の里で、呪いを解く方法を探します。そして、エメラルディア様との婚儀も...」
「断る」
ノヴァの即答に、3人の竜族が驚いた。
「なぜです!?」
オブシディウスが叫んだ。
「兄上は竜族の王子だ!責任があるはずだ!」
「俺は、今の生活に満足している」
ノヴァは俺を見た。
「ここに、俺の居場所がある」
俺の胸が熱くなった。
でも、同時に不安も湧き上がる。
ノヴァには、竜族としての責任がある。婚約者もいる。
俺なんかと一緒にいていいのか?
「その人間のせいですね」
エメラルディアが俺を見た。
その目は、冷たかった。
「Ωの分際で、アルジェンティウス様を惑わすなんて」
「惑わしてなんかない!」
思わず反論した。
「俺は、ノヴァが好きだから一緒にいるだけだ」
「好き?」
エメラルディアが嘲笑した。
「人間の、しかもΩが、竜族の王子を?身の程を知りなさい」
その言葉が、胸に刺さった。
確かに、俺は人間で、Ωで、寿命も短い。
ノヴァとは、釣り合わないのかもしれない。
「黙れ」
ノヴァの声が、部屋に響いた。
「翔を侮辱するな」
「アルジェンティウス様...」
「俺は、翔を選ぶ。翔は、俺の運命の番だ」
運命の番。
その言葉に、竜族たちが息を呑んだ。
「まさか...人間と!?」
長老が信じられないという顔をした。
「ありえません!竜族と人間が番になるなんて!」
「だが、事実だ」
ノヴァは俺の手を握った。
「俺たちのフェロモンは完全に調和している。これ以上の証明が必要か?」
確かに、今もノヴァの香りに包まれて、心地いい。
でも...
「ノヴァ」
俺は彼の手を離した。
「俺のことは、気にしなくていい」
「翔?」
「君には、竜族としての責任がある。それを、俺のせいで放棄することはない」
嘘だ。本当は、ノヴァと離れたくない。
でも、ノヴァの幸せを考えたら...
「何を言っている」
ノヴァが俺の肩を掴んだ。
「俺の幸せは、お前と一緒にいることだ」
「でも、婚約者が...」
「300年前の約束など、知ったことか」
ノヴァの目が、真剣だった。
「俺が望むのは、翔だけだ」
その言葉に、涙が出そうになった。
「兄上、正気ですか!?」
オブシディウスが激昂した。
「竜族の誇りを捨てるのですか!?」
「誇り?」
ノヴァが冷笑した。
「300年間、俺を探しもしなかった者たちが、今更誇りを語るな」
「それは...」
長老が言い淀んだ。
「呪いで行方不明になったあなたを、必死に探しました」
「結果、奴隷市場で売られていた」
ノヴァの言葉に、竜族たちが黙り込んだ。
「もういい。俺は戻らない」
「そんな...」
エメラルディアが涙を浮かべた。本当か演技かわからないけど。
「私は、300年間あなたを待っていたのに」
「悪いが、俺は君を覚えていない」
ノヴァの言葉は冷たかった。
「それに、俺の心はもう決まっている」
ノヴァは俺を引き寄せた。
そして、竜族たちの前で、俺にキスをした。
「!」
深いキスだった。
ノヴァの舌が、俺の口内を探る。恥ずかしいけど、嬉しくて、体の力が抜ける。
離れた時、俺の顔は真っ赤だった。
「これで、わかったか」
ノヴァが竜族たちを見据えた。
「翔は、俺の番だ。これは変えられない」
長老が深いため息をついた。
「...わかりました。あなたの意思を尊重します」
「長老!」
オブシディウスが抗議するが、長老は手で制した。
「ただし、一つ条件があります」
「何だ」
「その人間が、本当にあなたの番足り得るか、証明してもらいます」
「証明?」
「古の儀式です。番の絆が真実なら、人間でも竜の力の一端を得られるはず」
長老が俺を見た。
「あなた、その覚悟はありますか?」
竜の力を得る?
正直、怖い。でも...
「やります」
俺は即答した。
「ノヴァと一緒にいるためなら、何でもします」
長老が頷いた。
「3日後の満月の夜、儀式を行います。失敗すれば...」
「失敗すれば?」
「あなたは死ぬかもしれません」
ゾッとした。でも、後には引けない。
「それでも、やります」
「翔...」
ノヴァが心配そうに俺を見た。
「大丈夫」
俺は微笑んだ。
「君と番になれるなら、怖くない」
嘘だ。めちゃくちゃ怖い。
でも、ノヴァを失う方がもっと怖い。
その夜、ノヴァは俺の部屋に来た。
「本当に、いいのか」
「うん」
「危険だぞ」
「わかってる」
ノヴァは俺を抱きしめた。
「もし、お前に何かあったら、俺は...」
「大丈夫だよ」
俺もノヴァを抱きしめ返した。
「俺たちは、運命の番なんでしょ?」
「...ああ」
「なら、きっと上手くいく」
根拠のない自信だった。
でも、ノヴァと一緒なら、何でも乗り越えられる気がした。
「翔」
「ん?」
「愛してる」
「俺も」
その夜、俺たちは初めて一つになった。
ノヴァの腕の中で、俺は幸せだった。
3日後に何が起きるかわからない。
もしかしたら、死ぬかもしれない。
でも、後悔はなかった。
ノヴァと出会えて、恋をして、結ばれて。
それだけで、この異世界に来た意味があった。
「翔、寝たか?」
「まだ起きてる」
「儀式のこと、本当にすまない」
「謝らないで。俺が選んだことだから」
「でも...」
「ノヴァ」
俺は彼の頬に手を当てた。
「信じて」
ノヴァは俺の手にキスをした。
「...わかった」
窓の外を見ると、月が輝いていた。
3日後、あの月は満月になる。
その時、俺の運命が決まる。
でも、不思議と不安はなかった。
ノヴァがいるから。
愛する人がいるから。
きっと、大丈夫。
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翌朝、エリーゼが心配そうに俺を見た。
「大丈夫?顔色が悪いけど」
「ちょっと寝不足で」
嘘じゃない。昨夜はノヴァと...いや、これは言えない。
「そう?無理しないでね」
カイルとリーナも来た。
「おい、竜族の連中から聞いたぞ」
カイルが真剣な顔で言った。
「儀式を受けるって、正気か?」
「正気だよ」
「人間が竜の力を得るなんて、聞いたことない」
リーナも心配そうだ。
「失敗したら...」
「失敗しない」
俺は断言した。
「ノヴァと俺は、運命の番だから」
二人は顔を見合わせた。
「...わかった」
カイルが肩をすくめた。
「お前がそう言うなら、信じる」
「でも、無理はしないで」
リーナが俺の手を握った。
「あなたに何かあったら、ノヴァが壊れちゃう」
確かに、それが一番心配だ。
もし俺が死んだら、ノヴァは...
いや、考えるのはやめよう。
成功することだけを考えよう。
3日後、俺は新しい力を得て、ノヴァと永遠に結ばれる。
そう信じて。