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4:初めての発情期


異世界に来て2ヶ月と1週間。


朝、目を覚ました瞬間、異変に気づいた。


体が熱い。いや、熱いなんてものじゃない。

全身が内側から燃えているような感覚だ。

まるで高熱を出したみたいに、でも違う。もっと別の、本能的な熱さ。


「う...」


ベッドから起き上がろうとして、めまいに襲われた。部屋がぐるぐる回る。

そして、甘い香りが部屋に充満していることに気づく。

バニラ?いや、もっと濃厚で、官能的な匂い。


「これは...」


まさか、と思って自分の腕の匂いを嗅ぐ。

間違いない。この甘ったるい香りは、俺から発せられている。


「発情期...?」


慌てて抑制薬を探す。レオナルドからもらった強化版のはずだ。

ベッドサイドの引き出しを開けて、震える手で瓶を掴む。


錠剤を2錠、口に放り込む。水なしで無理やり飲み込んだ。


しかし...


「効かない...?」


いや、多少は楽になった気がする。

熱が少し引いた。だが、完全には抑えられていない。


体の奥から湧き上がる、得体の知れない欲求。誰かに触れられたい、抱きしめられたい、そんな衝動が渦巻いている。肌が敏感になり、シーツが擦れるだけで震えが走る。


これが、発情期か。

想像以上にキツい。


コンコン


ノックの音に、全身が跳ねた。


「翔、朝食の時間だ」


ノヴァの声。


瞬間、体が激しく反応した。


ノヴァ。

ノヴァが、扉の向こうにいる。


「あ、あの...今日は体調が...」


返事をしようとして、声が裏返った。情けない声だ。

扉の向こうで、ノヴァが息を呑む音がした。


「その香り...発情期か」


さすがに気づかれた。


「だ、大丈夫です!薬を飲んだので...」


嘘だ。全然大丈夫じゃない。

扉が開いた。


「ちょ、入ってこないで!」


制止する間もなく、ノヴァが入ってきた。

その瞬間、俺の体が爆発しそうになった。

ノヴァから漂う香り。冷たい冬の朝のような、凛とした匂い。

それが、俺の本能を激しく刺激する。


αの香りだ。


しかも、すごく良い匂い。

吸い込みたい。もっと近くで嗅ぎたい。


「っ...!」


俺は無意識に後ずさった。

ベッドの端まで下がって、壁に背中をつける。


理性では大丈夫だとわかっている。ノヴァは俺を襲ったりしない。

でも、本能が警鐘を鳴らしている。いや、違う。本能は、ノヴァに近づきたがっている。


矛盾する感情に、頭がおかしくなりそうだ。


「落ち着け」


ノヴァは慎重に近づいてきた。心配そうな顔をしている。


「俺は何もしない」


「わ、わかってます...でも...」


体が勝手に反応してしまう。

ノヴァが近づくたびに、心拍数が上がり、体温が上昇する。

そして、もっと恥ずかしいことに、体の奥が疼いている。


何かを、求めている。


「薬が効いていないな」


ノヴァは俺の額に手を当てた。

その瞬間、電撃のような感覚が走った。


「ひっ...」


思わず声を上げてしまった。なんて恥ずかしい声を。

ノヴァの手が、すぐに離れた。


「すまない」


「い、いや...」


顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。

でも、離れた手が恋しいとも思ってしまって。


ダメだ、これは発情期のせいだ。


「とにかく、今日は休め。俺が外で見張っている」


「見張り?」


「お前のフェロモンは強い。他のαが寄ってくる可能性がある」


その言葉に、俺は青ざめた。

確かに、このフェロモンの強さは異常だ。窓を閉めていても、外に漏れているかもしれない。そして、もし他のαが来たら...


想像して、ゾッとした。


「でも、ノヴァも...」


αであるノヴァも、影響を受けるのではないか。

俺のフェロモンで、ノヴァも理性を失ったりしないか。


「俺は大丈夫だ」


ノヴァは断言した。でも、その顔は少し赤い。


「竜の自制心を、人間と一緒にするな」


そう言って、ノヴァは部屋を出て行った。

でも、扉を閉める前に、一瞬振り返った。その目が、何か言いたそうだった。


一人になった俺は、ベッドに倒れ込んだ。

体は熱いし、頭はぼんやりするし、最悪だ。


でも、一番困るのは...


(ノヴァの匂いが、頭から離れない)


あの冷たくて、でもどこか優しい香り。

もっと近くで嗅ぎたい。ノヴァに抱きしめられたい。


「ダメだダメだ!」


頭を振った。枕に顔を埋める。


これは発情期のせいだ。普段の自分じゃない。

ノヴァは大切な仲間で、それ以上じゃない。


そう言い聞かせながら、でも、心のどこかで認めていた。

発情期じゃなくても、俺はノヴァに惹かれている。


昼過ぎ、事態は急変した。

朦朧としながらベッドで横になっていると、外が騒がしくなった。


「何を...」


ノヴァの怒声が聞こえる。


「そこをどけ!」


知らない男の声。

続いて、複数の足音。嫌な予感がする。

扉が乱暴に開けられた。


「ここか、素晴らしいΩの香りの元は」


見知らぬ男が立っていた。

50代くらいの、太った男。高級そうな服を着て、いやらしい笑みを浮かべている。顔を見ただけで、生理的に受け付けない。


その後ろには、屈強な護衛が数人。


「誰...?」


頭がぼんやりして、上手く状況が把握できない。


「ベルトラン侯爵だ。お前のような上質なΩを、放っておく手はない」


侯爵と名乗った男が、俺に近づいてくる。

その目が、俺を舐め回すように見ている。気持ち悪い。


「来るな...」


創造魔法を使おうとしたが、発情期で集中できない。

魔力が上手くコントロールできない。


「抵抗しても無駄だ。大人しく私の屋敷に来い」


侯爵の手が、俺に伸びた。

太い指が、俺の頬に触れようとして――


その瞬間――


ドゴッ!


侯爵が吹き飛ばされた。

壁に激突し、そのまま崩れ落ちる。壁に蜘蛛の巣状の亀裂が入っている。


「触るなと言っただろう」


ノヴァが立っていた。


その目は、怒りで金色に輝いている。

いや、普段より輝きが強い。まるで、本物の竜の目みたいだ。


「き、貴様...!」


護衛たちが剣を抜いた。


「侯爵に手を上げるとは、死にたいのか!」


「死ぬのは、お前たちだ」


ノヴァの周囲に、銀炎が舞い始めた。

その炎は、いつもより激しく、荒々しい。まるで、ノヴァの怒りを表しているかのように。

護衛たちが、恐怖で後ずさる。


「ま、まさか...銀炎...」


「竜族!?」


ノヴァは一歩前に出た。


「俺の所有者に手を出す者は、誰であろうと許さん」


所有者。

その言葉に、なぜか胸が熱くなった。


「所有者だと?俺は奴隷じゃ...」


訂正しようとしたが、ノヴァが振り返った。

その目が「黙ってろ」と言っている。


「3秒やる。消えろ」


ノヴァの威圧感に、護衛たちは完全に怯えていた。


「く...覚えていろ!」


侯爵は護衛に支えられながら、逃げ出した。


「必ず後悔させてやる!」


捨て台詞を残して、侯爵たちは去っていった。

部屋に静寂が戻る。

ノヴァは俺に近づいてきた。


「怪我はないか?」


「大丈夫...でも、所有者って...」


「方便だ。あいつらには、それくらい言わないと」


ノヴァは窓の外を見た。


「だが、厄介なことになった。侯爵が諦めるとは思えん」


「すみません、俺のせいで...」


自己嫌悪に陥る。Ωなんかに生まれたせいで、ノヴァに迷惑をかけている。


「お前のせいじゃない」


ノヴァは俺を見た。その目は、いつもより優しかった。


「発情期は、Ωの生理現象だ。謝る必要はない」


「でも...」


「それより、薬を追加で飲め。このままでは、また狙われる」


俺は頷き、薬を飲んだ。


少しは楽になったが、完全には収まらない。体の熱は続いているし、ノヴァが近くにいると、どうしても意識してしまう。


「ノヴァ...」


「何だ?」


「その...ありがとうございます」


ノヴァは少し驚いたような顔をした後、そっぽを向いた。


「当然のことをしただけだ」


でも、その耳が少し赤い。かわいい。

いや、今そんなこと考えてる場合じゃない。


夕方、レオナルドがやってきた。


「大変なことになったね」


「ギルドマスター」


「ベルトラン侯爵から苦情が来た。君の護衛が暴行を加えたと」


俺は青ざめた。まさか、ノヴァが罰せられるのか。


「それは...」


「心配しなくていい」


レオナルドは笑った。


「私は君たちの味方だ。それに、侯爵の悪行は有名でね。今回も、強引にΩを攫おうとしたんだろう?」


「はい...」


ホッとした。レオナルドが味方でよかった。

レオナルドは、より強力な抑制薬を渡してくれた。


「これで少しはマシになるはずだ」


「ありがとうございます」


薬を飲むと、確かに症状が軽減された。

熱も下がり、フェロモンも抑えられた。でも、完全には消えない。


「やはり、完全には抑えられないようだね」


レオナルドは考え込んだ。


「君のΩとしての資質が、強すぎるのかもしれない」


「資質?」


「通常のΩより、フェロモンが強く、発情期も激しい。稀に、そういう個体が生まれる」


俺は頭を抱えた。ただでさえ面倒なのに、さらに特殊体質だなんて。


「まあ、ノヴァ君がいれば大丈夫だろう」


レオナルドは意味深に笑った。


「彼は、君を守ってくれる。そして...」


「そして?」


「いや、なんでもない」


レオナルドは含み笑いを浮かべながら去っていった。

その夜、俺は眠れなかった。


体は楽になったが、別の問題があった。

ノヴァのことが、頭から離れない。


助けてくれた時の、強い背中。

怒った時の、金色の瞳。

そして、あの香り...


部屋を出て、廊下を歩く。気づいたら、ノヴァの部屋の前に立っていた。


何してるんだ、俺。


でも、ノヴァに会いたい。声を聞きたい。できれば、触れたい。

ダメだ、これは発情期のせいだ。


戻ろうとした時、扉が開いた。


「翔?」


ノヴァが立っていた。寝間着姿で、髪が少し乱れている。


「あ、えっと...」


言い訳が思いつかない。


「眠れないのか」


「...はい」


ノヴァは少し考えてから、扉を大きく開けた。


「入れ」


「え?」


「一人でいるより、マシだろう」


ノヴァの部屋に入る。初めて入ったが、シンプルで整頓されている。


「座れ」


ベッドの端に座ると、ノヴァも隣に座った。


近い。


ノヴァの体温を感じる。香りが、直接鼻に入ってくる。


「大丈夫か?」


「は、はい...」


嘘だ。全然大丈夫じゃない。

ノヴァが近すぎて、心臓が爆発しそうだ。


「翔」


「な、なに?」


「発情期は、辛いか」


正直な質問だった。


「辛いです。体も熱いし、頭もぼんやりするし...」


「それだけか?」


ノヴァが俺を見た。その金色の瞳に、俺が映っている。


「他にも、何か感じているだろう」


顔が熱くなる。

確かに、他にも感じている。誰かに触れられたいという欲求。

抱きしめられたいという願望。そして...


「ノヴァの匂いが...」


思わず本音が漏れた。


「俺の?」


「す、すみません!変なこと言って...」


「いや...」


ノヴァは俺から目を逸らした。


「実は、俺も...」


「え?」


「お前のフェロモンは、甘い。とても...良い匂いだ」


ノヴァも影響を受けていたのか。

二人の間に、微妙な空気が流れる。


発情期の俺と、それに反応するα。危険な組み合わせだ。


「俺、戻ります」


立ち上がろうとしたが、ノヴァが手を掴んだ。


「待て」


「ノヴァ?」


ノヴァの目が、いつもと違う。

金色が、より深く輝いている。


「翔、俺は...」


ノヴァが俺に近づいてくる。


顔が、近い。


息がかかる距離。


唇が、もう少しで...


「だ、ダメ!」


俺は我に返って、ノヴァを押しのけた。


「これは、発情期のせいで...本当の気持ちじゃ...」


嘘だ。本当は、キスされたい。でも、こんな形は嫌だ。

ノヴァも正気に戻ったようで、顔を背けた。


「...すまない」


「いえ...」


気まずい沈黙が流れる。


「戻ります」


「ああ...」


部屋を出て、自分の部屋に戻る。

ベッドに倒れ込んで、枕に顔を埋めた。

危なかった。もう少しで、ノヴァとキスするところだった。


でも...


正直、後悔もしている。

あのままキスされていたら、どうなっていただろう。


きっと、もう後戻りできなくなっていた。

でも、それでも良かったのかもしれない。


だって、俺は...

ノヴァのことが...


「好き...なのかな」


小さく呟いた言葉が、部屋に響いた。

認めたくなかった感情を、やっと認めた瞬間だった。



翌朝、発情期は少し落ち着いていた。

でも、昨夜のことを思い出すと、顔が熱くなる。

朝食の時間、ノヴァと顔を合わせるのが気まずい。


「おはよう」


「お、おはよう...」


ノヴァも同じように感じているのか、視線を合わせようとしない。

エリーゼが心配そうに見ている。


「二人とも、どうかした?」


「別に」


「何も」


同時に答えて、さらに気まずくなる。

その日は、クエストも受けずに宿で過ごした。

発情期はまだ完全には収まっていないし、何より、ノヴァと一緒にいるのが辛い。


好きだと自覚してしまった今、普通に接することができない。

夕方、カイルとリーナが様子を見に来てくれた。


「大丈夫か?発情期だって聞いたけど」


カイルが心配そうに言う。


「もう大分良くなった」


「そう?顔色悪いけど」


リーナが俺の額に手を当てる。


「熱はないみたいね」


「ありがとう」


二人の優しさが嬉しい。


「それより、ノヴァはどこ?」


「外で、訓練してるはず」


「あいつ、昨日から様子が変だぞ」


カイルが言う。


「何かあったのか?」


「...わからない」


嘘をつくのは心苦しいが、昨夜のことは言えない。

リーナが意味深な笑みを浮かべた。


「もしかして、何か進展があった?」


「は!?」


「だって、あなたたち、お互いを見る目が特別じゃない」


鋭い。

女性の勘は恐ろしい。


「そ、そんなことない!」


「ふーん?」


リーナはニヤニヤしている。


「まあ、無理はしないでね。発情期の時は、判断力も鈍るから」


「うん...」


二人が帰った後、俺は考えていた。

ノヴァへの気持ちは、本物だ。発情期のせいじゃない。

でも、ノヴァはどう思っているんだろう。


昨夜、キスしそうになったのは、俺のフェロモンの影響?それとも...

考えても答えは出ない。


夜、ノヴァが部屋に来た。


「調子はどうだ」


「大分良くなった」


「そうか」


会話が続かない。

気まずい沈黙が流れる。


「昨夜のことは...」


ノヴァが口を開いた。


「忘れてくれ」


胸が痛んだ。

忘れろって、そんな簡単に忘れられるわけない。


「ノヴァは、後悔してる?」


「...」


ノヴァは答えない。


「俺は...」


「翔」


ノヴァが俺を見た。


「今は、まだ発情期の影響が残っている。冷静な判断はできない」


「でも...」


「発情期が完全に終わってから、話そう」


ノヴァの提案は、理にかなっている。


でも、もどかしい。


「わかった」


「よし。では、休め」


ノヴァが部屋を出ようとして、振り返った。


「翔」


「なに?」


「俺は、後悔していない」


その言葉を残して、ノヴァは去っていった。


後悔していない。


その言葉の意味を考えながら、俺は眠りについた。


もしかしたら、ノヴァも...

いや、期待しすぎちゃダメだ。

でも、希望は持っていてもいいよね。


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