2:奴隷市場へ
異世界に来て一ヶ月。
俺は順調に冒険者ランクを上げていた。Fランクから始まり、今ではCランクまで昇格。創造の指輪と基礎魔法、そしてゲームの知識を組み合わせれば、大抵のクエストは楽勝だった。
「翔君、また難しいクエストをクリアしたんだって?」
エリーゼが嬉しそうに話しかけてくる。この一ヶ月で、彼女とはすっかり仲良くなっていた。俺にとって、この世界で最初にできた友人だ。
「オーガ討伐ですね。創造魔法で閃光弾を作って、目を眩ませてから倒しました」
「閃光弾?」
「えーと、強い光を放つ道具です」
前世の知識にあるものなら、創造魔法で何でも作れる。ただし、魔力消費が激しいのが難点だが。
「相変わらず、不思議な魔法を使うのね」
エリーゼは首を傾げながらも、俺の説明に納得したようだった。彼女のこういう素直なところが好きだ。いや、友人として、だけど。
「それより翔君、そろそろ護衛を雇ったら?Cランクになると、危険なクエストも増えるし」
「護衛ですか...」
確かに、ソロでの活動には限界を感じ始めていた。特に、Ωであることが周囲に知れ渡ってから、面倒なことが増えた。
「俺を守ってやる」と言い寄ってくるα冒険者。「Ωのくせに」と見下してくる者。どちらも鬱陶しい。正直、αの男に守られるとか、複雑な気分だ。
「でも、信頼できる人を見つけるのは難しそうで」
「それなら、奴隷はどう?」
エリーゼの提案に、俺は眉をひそめた。
「奴隷...」
現代日本の価値観では、奴隷制度は受け入れがたい。人を所有するなんて、どうしても抵抗がある。
「奴隷なら、契約魔法で裏切られる心配もないし、命令には絶対服従よ」
「でも...」
「あ、もちろん扱い方は人それぞれよ。優しい主人なら、家族同然に扱う人もいるし」
エリーゼの言葉に、俺は考え込んだ。
確かに、信頼できる仲間は必要だ。そして、もし奴隷を買うなら、せめて良い環境を提供したい。むしろ、俺が買うことで、その人を劣悪な環境から救えるかもしれない。
「...わかりました。一度、見てみます」
「それがいいわ。王都の奴隷市場なら、品揃えも豊富よ」
翌日、俺は王都へと向かった。
オルディス町から馬車で半日。王都アルカディアは、壮大な城壁に囲まれた大都市だった。ゲームで見た通りの風景だが、実際に見ると圧倒される。
奴隷市場は、王都の外れにあった。
高い塀に囲まれた施設で、入り口には屈強な門番が立っている。正直、入るのに勇気がいる。
「見学ですか、購入ですか?」
「購入を検討しています」
「では、こちらへ」
中に入ると、独特の雰囲気が漂っていた。いや、はっきり言って最悪だ。
薄暗い通路の両側に、鉄格子の檻が並んでいる。中には、様々な種族の奴隷たちがいた。皆、死んだような目をしている。
「いらっしゃいませ、お客様」
脂ぎった顔の商人が近づいてきた。いかにも金に汚そうな人相だ。一目で嫌いになった。
「護衛向きの奴隷を探しているんですが」
「護衛でしたら、こちらがお勧めです」
商人は、屈強な男たちが入った檻へと案内した。
「元傭兵や、罪人など、戦闘経験豊富な者ばかりです」
解析眼で確認する。確かに戦闘力は高いが...
【元傭兵】
忠誠心:20/100
信頼性:低
備考:金次第で裏切る可能性大
ダメだ、これじゃ意味がない。
「他にはいませんか?」
「もっとお安いのがご希望でしたら、亜人もおりますが...」
商人は別の区画へ案内した。獣人、エルフ、ドワーフなど、様々な亜人たちがいる。
皆、疲れ切った表情をしていた。劣悪な環境が、彼らの心を蝕んでいるのがわかる。
(これは...)
胸が痛んだ。全員を救いたい。でも、そんな財力はない。せめて、一人でも...
「他には?」
「そうですねぇ...」
商人は考え込むような素振りを見せた。
「実は、処分予定の商品が一つありまして」
「処分予定?」
なんて言い方だ。人を商品扱いするなんて。
「半年前に仕入れたんですが、全く売れなくて。気性が荒すぎて、誰も手を出さないんです」
興味を引かれた。売れ残っているということは、それだけ劣悪な環境に長くいるということだ。
「見せてください」
商人の案内で、市場の最奥へ向かった。
他の檻から離れた場所に、一つだけ特別な檻があった。
中は真っ暗で、何も見えない。でも、何か強大な存在がいる気配がする。
「おい、客だ」
商人が檻を蹴る。その行為に腹が立った。
中から、低い唸り声が聞こえた。怒りと、諦めが混じったような声。
「こいつ、見た目は良いんですけどね。態度が最悪で、前の客も3分で逃げ出しました」
解析眼を発動させた。
そして、息を呑んだ。
【ERROR】
【解析不能】
【警告:規格外の存在】
「これは...」
ゲームで、この表示を見たことがある。隠しボスや、特殊なNPCに使われる演出だ。
つまり、この檻の中にいるのは、ただ者じゃない。
「詳しく見せてもらえますか?」
「え?本気ですか?」
商人は驚いたが、すぐに商売人の顔になった。
「では、明かりをつけましょう」
松明が灯されると、檻の中の人影が見えた。
ボロボロの布を纏い、長い髪で顔を隠している。手足には重い枷がはめられ、全身傷だらけだった。
でも、俺の目は、その奥にある何かを感じ取っていた。この人は、特別だ。
「おい、顔を上げろ」
商人が再び檻を蹴る。
「やめてください」
思わず止めた。
「は?」
「檻を蹴るのは、やめてください」
商人は呆れたような顔をしたが、俺は譲らなかった。
ゆっくりと、檻の中の人影が顔を上げた。
銀色の髪の間から、金色の瞳が覗く。整った顔立ち。いや、整ったなんてレベルじゃない。息を呑むほど美しい。男なのに、見惚れてしまった。
でも、その目には強い敵意が宿っていた。
「...何を見ている」
低い声。だが、その声には、どこか気品が感じられた。そして、なぜか心臓が跳ねた。
「こいつ、口を開けばこの調子でして。買い手がつかないのも当然です」
商人が苦笑いを浮かべる。
俺は、じっと銀髪の男を見つめた。
解析眼では情報が得られない。でも、直感が告げていた。この男は、特別な存在だと。そして、なぜか放っておけない。
「いくらですか?」
「は?」
商人が目を丸くした。
「この奴隷を買います。いくらですか?」
「本当に買うんですか?」
商人は信じられないという顔をしていた。
「後悔しても知りませんよ?こいつ、本当に手に負えませんから」
「構いません。それで、値段は?」
商人は計算するような素振りを見せた後、諦めたような表情になった。
「...金貨10枚でいいです。正直、処分に困ってたので」
通常、戦闘用奴隷なら金貨50枚はする。破格の安さだった。むしろ、こんな安値で売られることに腹が立つ。
「では、それで」
金貨を支払い、契約の儀式を行った。
魔法陣が光り、主従の契約が結ばれる。これで、奴隷は俺の命令に逆らえなくなった。はずだが...
「ふん、また愚かな人間が」
銀髪の男は、相変わらず敵意に満ちた目で俺を睨んでいた。
その視線を受けて、また心臓が跳ねる。なんだこの感覚。恐怖?いや、違う。
「こいつの名前は?」
「名前なんてありませんよ。番号で呼んでました。No.666です」
番号で呼ぶなんて、ひどすぎる。
「そうですか...」
檻の鍵を開けた。
「何をするつもりだ」
男が警戒する。
「とりあえず、ここを出ましょう。話はそれからです」
男を連れて、奴隷市場を後にした。
道中、男は一言も話さなかった。ただ、憎悪に満ちた目で周囲を睨むだけだ。
でも、俺は気づいていた。その目の奥に、深い悲しみがあることを。
泊まっている宿に着くと、まず男を部屋に入れた。
「さて、まずは治療から始めましょうか」
「治療だと?」
男の声に驚きが混じった。
「見たところ、かなり傷を負っているようですし」
創造魔法を発動させた。
現代の医療器具が次々と現れる。消毒薬、包帯、軟膏、そして...
「これは?」
「栄養剤です。かなり衰弱しているようなので」
男は訝しげな目で俺を見たが、抵抗はしなかった。契約の効力だろう。
俺は丁寧に傷を消毒し、薬を塗っていく。触れるたびに、男の体が小さく震えた。痛いのか、それとも...
「なぜだ」
治療の途中、男が口を開いた。
「なぜ、こんなことをする」
「従業員の健康管理は、雇用主の義務ですから」
「従業員だと?俺は奴隷だぞ」
「俺にとっては、一緒に冒険する仲間です」
男の目が大きく見開かれた。
「...正気か?」
「正気ですよ。ところで、名前はありますか?」
男は黙り込んだ。
「ないなら、つけてもいいですか?番号で呼ぶのは嫌なので」
「...好きにしろ」
俺は考えた。銀髪に金の瞳。どこか気高い雰囲気。そして、なぜか心を掴まれる存在感。
「ノヴァ、というのはどうですか?」
「ノヴァ...」
男、いやノヴァは、その名前を噛み締めるように呟いた。
「新星という意味です。新しい始まりになればいいなと」
「くだらない」
ノヴァは吐き捨てるように言ったが、拒否はしなかった。むしろ、少し嬉しそうに見えたのは気のせいか。
治療が終わると、食事を用意した。創造魔法で作った、温かいスープとパン。
「食べてください」
ノヴァは疑うような目で食事を見た後、恐る恐る口にした。
そして、驚いたような表情を見せた。
「これは...」
「口に合いませんか?」
「...いや」
ノヴァは黙々と食事を続けた。その食べ方は、どこか品があった。やっぱり、ただ者じゃない。
あっという間に、皿は空になった。
「もっと食べますか?」
「...いらん」
と言いながらも、視線は皿から離れない。かわいい。いや、なんで俺は男をかわいいと思ってるんだ。
苦笑しながら、追加の食事を用意した。
結局、ノヴァは3人前を平らげた。
「満足しましたか?」
「...まあ、まずくはなかった」
相変わらず素直じゃない。でも、その不器用さが、なんだか愛おしい。って、愛おしいって何だよ。
「ところで、ノヴァさん」
「さん付けは不要だ」
「じゃあ、ノヴァ。君の正体を教えてもらえますか?」
ノヴァの表情が固まった。
「何のことだ」
「解析眼でも読み取れない存在なんて、普通じゃありません」
「解析眼...?」
「対象の情報を見る魔法です。でも、君の情報は『ERROR』と表示される」
ノヴァは考え込むような表情を見せた後、諦めたように息をついた。
「...覚えていない」
「え?」
「俺が何者なのか、なぜあんな場所にいたのか、何も覚えていない」
ノヴァの目に、一瞬、不安の色が浮かんだ。その表情を見て、胸が締め付けられた。
「ただ、時々、夢を見る。大きな翼で空を飛ぶ夢を」
翼で空を飛ぶ...それって...
「もしかして、竜?」
ノヴァが鋭い目で俺を見た。
「なぜそう思う」
「いや、なんとなく...」
実際は、ゲーム知識からの推測だ。『ドラゴンズ・クロニクル』には、人間の姿に変化できる竜族が存在する。
「まあ、正体が何であれ、関係ありません」
「は?」
「これから一緒に冒険するんですから、それだけで十分です」
ノヴァは呆れたような顔をした。
「正気か?俺が何者かもわからないのに」
「わからないなら、これから知ればいいじゃないですか」
俺は笑顔で言った。
「それに、強そうですし。護衛には最適です」
「俺が裏切るかもしれんぞ」
「裏切るような人には見えません」
「...根拠は?」
「直感です」
ノヴァは言葉を失ったようだった。
「お前は、変わっている」
「よく言われます」
「普通の人間なら、俺を恐れる」
「恐れる理由がありません。それより、明日から仕事です」
「仕事?」
「冒険者をやってるんです。一緒に来てもらいますよ」
ノヴァは渋い顔をしたが、契約の効力で拒否はできない。
「...わかった」
「では、今日はゆっくり休んでください。あ、お風呂も沸かしておきました」
「風呂...?」
ノヴァの目が輝いた。いや、確実に輝いた。
「久しぶりか...」
その呟きが、なんだか切なかった。
「好きなだけ入ってください」
その夜、ノヴァは1時間以上風呂に入っていた。
俺は隣の部屋で、今日のことを振り返っていた。
なぜノヴァを買ったのか、自分でもよくわからない。でも、後悔はしていない。むしろ、出会えてよかったと思っている。
この気持ちは何なんだろう。
翌朝、俺は驚愕していた。
昨日まで傷だらけでボロボロだったノヴァが、別人のようになっていた。
銀髪は艶やかに輝き、金色の瞳は宝石のように澄んでいる。
整った顔立ちは、まるで芸術品のようだった。
美しい。素直にそう思った。男の俺が、男を美しいと思うなんて、おかしいのかもしれない。
でも、ノヴァを見ていると、性別なんて関係ない気がしてくる。
「な、ノヴァ?」
「何だ、その顔は」
「いや、あまりにも印象が変わって...」
ノヴァは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「風呂に入って、飯を食って寝ただけだ」
それだけで、ここまで変わるものなのか。いや、元々がこれだけ美しかったということか。
「とりあえず、服を買いに行きましょう」
ボロボロの布では、さすがに冒険はできない。
武具屋で、ノヴァ用の装備を購入する。黒いレザーアーマーと、長剣。
装備を身に着けたノヴァは、さらに格好良くなった。惚れ惚れする。いや、なんで俺は男に惚れ惚れしてるんだ。
「剣は使えますか?」
「...多分」
多分って何だ、と思ったが、とりあえず装備させる。
ギルドに向かう道中、すれ違う人々がノヴァを見て振り返った。それほど、彼の容姿は目立っていた。
「あの美形は誰?」
「新人?それにしても、すごいオーラ...」
女性たちの視線が特に熱い。なぜか、それが少し面白くない。いや、なんでだ。
ノヴァは気にしていないようだが、俺は少し居心地が悪かった。
ギルドに着くと、エリーゼが目を丸くした。
「翔君!その人は?」
「昨日買った奴隷です。ノヴァといいます」
「奴隷...?」
エリーゼは信じられないという顔でノヴァを見た。確かに、奴隷には見えない。王子様みたいだ。
「護衛として連れて行きます。登録は必要ですか?」
「奴隷なら、主人の責任になるから大丈夫よ。でも...」
エリーゼはノヴァをじっと見つめた。そして、頬を赤らめた。
「すごく...綺麗な人ね」
なぜか、その言葉にモヤっとした。
「まあ、頼もしい護衛ができてよかったじゃない」
「ええ、そうですね」
クエストボードを確認した。Cランク向けのクエストがいくつかある。
【ワイバーン討伐】
報酬:金貨50枚
危険度:高
「これにしましょう」
「ちょっと、いきなりワイバーン!?」
エリーゼが慌てる。
「大丈夫です。ノヴァがいますから」
なぜか、ノヴァを信頼している自分がいた。
「でも、彼の実力もまだ...」
その時、ノヴァが口を開いた。
「ワイバーン程度、造作もない」
自信満々の発言に、周囲の冒険者たちがざわめいた。
「新人が何を言ってる」
「ワイバーンを舐めるな」
男の冒険者が一人、前に出てきた。筋骨隆々の体格で、Bランクの証を持っている。
「おい、新人。ワイバーンの恐ろしさを知らないようだな」
「知る必要もない」
ノヴァの態度に、男の顔が赤くなった。
「なら、模擬戦でもするか?」
「カイル、やめなさい」
エリーゼが止めようとするが、カイルと呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「どうだ、新人?」
ノヴァは俺を見た。その目が、許可を求めている。
「好きにしていいですよ」
俺の言葉に、ノヴァの目に何か温かいものが宿った気がした。
「...了解した」
ギルドの裏にある訓練場に移動する。
観客も集まり始めた。皆、美形の新人がどの程度の実力か、興味があるようだ。
「じゃあ、始めるか」
カイルが剣を構える。
ノヴァは、渡された剣を片手で持ち、特に構えもしない。
「舐めやがって!」
カイルが突進してきた。
速い。さすがBランクだ。
しかし――
ガキィン!
一瞬で、カイルの剣が弾かれた。
「は?」
カイルが呆然とする。
ノヴァは、まだ同じ場所に立っている。いつ剣を振ったのか、誰も見えなかった。
「遅い」
ノヴァが一歩踏み出した。
次の瞬間、カイルの首に剣が突きつけられていた。
「これで終わりか?」
訓練場が静まり返った。
Bランク冒険者が、一瞬で制圧された。しかも、新人に。
「ば、化け物...」
カイルが震え声で言った。
ノヴァは興味なさそうに剣を下ろし、俺の元へ戻った。
「これでいいか?」
「ええ、十分です」
俺は満足そうに頷いた。予想以上の実力だ。そして、なぜか誇らしかった。
ギルドがざわめく中、レオナルドが現れた。
「騒がしいと思ったら...ほう、面白いものを見せてもらった」
ギルドマスターの登場に、冒険者たちが道を開ける。
レオナルドはノヴァをじっと見つめた。その目は、何かを見極めようとしているかのようだった。
「君が翔君の護衛か」
「...そうだ」
ノヴァは警戒するような目でレオナルドを見返した。
「ふむ...」
レオナルドは何か考え込んだ後、俺に向き直った。
「翔君、少し話がある。二階へ」
ギルドマスター室に通された俺とノヴァ。レオナルドは扉を閉めると、真剣な表情になった。
「単刀直入に聞こう。彼は何者だ?」
「護衛として雇った奴隷です」
「奴隷...ね」
レオナルドはノヴァを見た。
「君から感じる魔力は、人間のものじゃない。いや、亜人でもない。もっと別の...」
ノヴァの表情が険しくなった。
「それがどうした」
「別に糾弾するつもりはないよ。ただ、確認したかっただけだ」
レオナルドは椅子に座り直した。
「翔君、君は面白い逸材を見つけたようだ。大切にすることだ」
「はい」
「それと、これを」
レオナルドは小さな袋を取り出した。
「強化版の発情期抑制薬だ。通常のものより効果が高い」
「ありがとうございます」
発情期。その言葉を聞いて、ノヴァがピクリと反応したのを感じた。
部屋を出ると、ノヴァが口を開いた。
「あの男、只者ではないな」
「ギルドマスターですからね」
「それだけではない。奴も...いや、何でもない」
ノヴァは何か言いかけて、口を閉じた。
その後、二人でワイバーン討伐のクエストに向かった。
道中、俺はノヴァの横顔を何度も盗み見てしまった。
なぜだろう。ただの護衛のはずなのに、もっと知りたいと思ってしまう。
これは、きっと仲間として信頼し始めているからだ。そう、それだけだ。
...本当に、それだけなのか?
ワイバーンの生息地は、王都から北へ半日の山岳地帯だった。
道中、ノヴァとは特に会話もなく歩いていた。でも、不思議と気まずくない。むしろ、心地いい沈黙だった。
「ここら辺のはずですが...」
地図を確認していると、ノヴァが突然空を見上げた。
「来るぞ」
「え?」
その言葉と同時に、巨大な影が俺たちを覆った。
翼を広げれば10メートルはある巨大な飛竜、ワイバーンだ。
【ワイバーン】
レベル:35
HP:3000
弱点:腹部、翼の付け根
「でかい...」
実物を見ると、ゲームとは迫力が違う。正直、足が震えた。
ワイバーンが急降下してきた。鋭い爪が俺を狙う。
やばい、避けられない――
「危ない!」
ノヴァが俺を突き飛ばした。俺の代わりに、ノヴァが爪を剣で受け止める。
ガキィン!
金属音が響き、火花が散る。
「ノヴァ!」
「心配するな」
ノヴァは涼しい顔で言い放った。
でも、その腕は微かに震えていた。さすがにワイバーンの力は強いのか。
「ふん、この程度か」
強がりを言いながら、ノヴァはワイバーンを押し返した。
ワイバーンが再び上昇し、今度は口から炎を吐いてきた。
「土壁術!」
慌てて魔法で壁を作るが、炎の威力に押されて崩れ始める。
「下がってろ」
ノヴァが前に出た。
そして、信じられないことが起きた。
ノヴァの周囲に、銀色の光が集まり始めた。その光は、まるで炎のように揺らめいている。美しい、と思った。いや、そんなこと考えてる場合じゃない。
「銀炎...」
ノヴァが呟いた瞬間、銀色の炎がワイバーンに向かって放たれた。
ワイバーンの炎と銀炎がぶつかり合う。
しかし、銀炎の方が圧倒的に強く、ワイバーンの炎を飲み込んでいく。
「ギャアアア!」
ワイバーンが苦痛の叫びを上げた。
銀炎に包まれ、地面に墜落する。
そのまま動かなくなった。一撃で、ワイバーンを倒してしまった。
「すげぇ...」
俺は呆然とノヴァを見た。
強い。強すぎる。そして、戦う姿が美しかった。
「今のは?」
「...わからん」
ノヴァ自身も困惑しているようだった。額に汗が浮かんでいる。
「体が勝手に動いた。この力も、なぜか使えた」
銀炎。それは明らかに普通の魔法ではない。もしかして、ノヴァは本当に...
「大丈夫?疲れてない?」
心配になって近づくと、ノヴァが少しよろめいた。
「ノヴァ!」
慌てて支える。ノヴァの体が、俺にもたれかかってきた。
近い。すごく近い。ノヴァの髪からいい匂いがする。冬の朝のような、凛とした香り。
「す、すまん...」
ノヴァが慌てて離れようとしたが、まだふらついている。
「無理しないで。少し休もう」
近くの岩に座らせた。ノヴァは素直に従った。
「水、飲む?」
創造魔法でペットボトルの水を作り出し、差し出す。
「...ありがとう」
ノヴァが水を飲む姿を見ながら、俺は考えていた。
銀炎は、ゲームの設定では銀竜の力だ。つまり、ノヴァは銀竜の可能性が高い。でも、なぜ人間の姿で、記憶を失っているのか。
「ノヴァ」
「何だ」
「無理しないでね。君に何かあったら、俺...」
言いかけて、止まった。何を言おうとしたんだ、俺は。
ノヴァが俺を見た。その金色の瞳に、何か温かいものが宿っていた。
「心配するな。俺は、そう簡単には死なん」
「でも...」
「それより、証拠を回収しないと」
ノヴァが立ち上がった。まだ少しふらついているが、大丈夫そうだ。
ワイバーンの牙を証拠として回収し、ギルドへ戻ることにした。
帰り道、ノヴァが突然口を開いた。
「なぜ、俺を買った」
「え?」
「あの商人も言っていただろう。俺は扱いにくいと。なのに、なぜ」
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「直感です。君となら、うまくやっていける気がしたから」
「...理解できん」
「それと」
「何だ」
「放っておけなかった」
ノヴァが足を止めた。
「放っておけない?」
「あの檻の中にいる君を見て、なんだか...胸が痛くなったんです」
恥ずかしいことを言っている自覚はある。でも、本当のことだ。
「君を、あんな場所から連れ出したいと思った」
ノヴァは何も言わなかった。ただ、その表情が少し柔らかくなった気がした。
ギルドに戻ると、また大騒ぎになった。
「まさか、本当にワイバーンを倒すとは...」
「しかも、無傷で」
エリーゼも驚きを隠せない様子だった。
「翔君、一体どうやって...」
「ノヴァのおかげです」
その言葉に、周囲の視線がノヴァに集まった。
畏怖、驚嘆、そして恐れ。様々な感情が入り混じった視線だった。
「おい、あの銀髪...」
「まさか、伝説の...」
ひそひそ話が聞こえてくる。どうやら、ノヴァの正体に心当たりがある者もいるようだ。
カイルが近づいてきた。
「さっきは...すまなかった」
「は?」
ノヴァが訝しげな顔をする。
「模擬戦のことだ。俺が調子に乗ってた」
カイルは頭を下げた。
「お前の実力は本物だ。認める」
ノヴァは戸惑ったような顔をしていた。謝罪されることに慣れていないのかもしれない。
「...別に、気にしていない」
「そうか。それなら良かった」
カイルは笑顔を見せた。
「今度、一緒に飲まないか?」
「は?」
「仲良くなりたいんだ。ダメか?」
カイルの提案に、俺は何故かモヤっとした。ノヴァと仲良くなりたい?それは...
「俺は酒は飲まん」
ノヴァがきっぱりと断った。
「そうか、残念だ」
カイルは肩をすくめて去っていった。
なぜかホッとしている自分がいた。何だこの感情。
その夜、宿に戻った俺は、ノヴァに尋ねた。
「銀炎のこと、何か思い出しましたか?」
「...少しだけ」
ノヴァは窓の外を見ながら答えた。
「俺は、人間ではない。それは確かだ」
「竜、ですか?」
ノヴァは振り返った。
「なぜそう思う?」
「銀炎は、竜族の力だと聞いたことがあります」
嘘ではない。ゲームの設定で、銀竜は浄化の炎を使うとあった。
「銀竜...」
ノヴァは、その言葉を噛み締めるように呟いた。
「もしかしたら、そうかもしれん」
「じゃあ、人間に化けているんですか?」
「おそらく。だが、なぜ人間の姿なのか、なぜ記憶がないのか、わからん」
ノヴァは悔しそうに拳を握った。
「それに、この枷も外れん」
手首と足首にはめられた黒い枷。奴隷の証だが、普通とは違う。
解析眼で見ても、情報が出てこない。
「これは、ただの枷じゃなさそうですね」
「ああ。おそらく、俺の力を封じている」
封印された竜。それがノヴァの正体なら、なぜ奴隷市場にいたのか。
謎は深まるばかりだった。
「まあ、焦ることはありません」
俺は笑顔で言った。
「ゆっくり思い出していけばいいじゃないですか」
「お前は...本当に変わっているな」
ノヴァは呆れたような、でもどこか安心したような表情を見せた。
「普通なら、竜だとわかったら恐れるだろう」
「恐れる理由がありません。ノヴァはノヴァです」
「...理解できん」
ノヴァは首を振った。
「だが...」
「だが?」
「悪くはない」
小さく、本当に小さく、ノヴァが微笑んだ。
その表情を見て、心臓が跳ねた。
ノヴァの笑顔、初めて見た。綺麗だ。すごく綺麗だ。
「どうした?顔が赤いぞ」
「え!?い、いや、なんでもない!」
慌てて顔を背けた。
何だこれ。なんで俺は、男の笑顔でドキドキしてるんだ。
いや、これはきっと疲れているせいだ。そう、疲れているだけ。
「そ、そういえば、お腹空きませんか?」
話題を変えようと必死だった。
「...そうだな」
「じゃあ、何か作ります」
創造魔法で、カレーライスを作った。
前世の記憶にある、俺の好物だ。
「これは?」
「カレーライスです。俺の故郷の料理で...」
嘘ではない。日本は俺の故郷だ。
ノヴァは恐る恐る口に運んだ。
そして、目を見開いた。
「うまい」
「本当?」
「ああ。こんな料理、初めてだ」
ノヴァは夢中で食べ始めた。その姿が、なんだか可愛くて...
ダメだ。また変なことを考えてる。
でも、ノヴァが美味しそうに食べる姿を見ていると、幸せな気持ちになる。
これは、きっと仲間として大切に思っているからだ。
そう、きっとそうだ。
それから数日、俺とノヴァは様々なクエストをこなした。
ノヴァの実力は圧倒的で、どんな魔物も敵ではなかった。
そして、戦闘を重ねるごとに、俺たちの連携も良くなっていった。
「右だ!」
「わかってる!」
言葉を交わさなくても、お互いの動きが読める。
るで、ずっと前から一緒に戦ってきたかのような感覚。
クエストを終えて帰る道、ノヴァが呟いた。
「不思議だ」
「何が?」
「お前といると、落ち着く」
その言葉に、胸が温かくなった。
「俺もです」
「は?」
「ノヴァといると、安心します」
ノヴァは驚いたような顔をした後、また小さく微笑んだ。
「変な奴だ」
「お互い様です」
二人で笑い合った。
宿に戻ると、エリーゼから手紙を渡された。
「レオナルドさんから、明日来てほしいって」
「わかりました」
何の用だろう。まさか、ノヴァのことで何か...
不安になったが、ノヴァは落ち着いていた。
「心配するな。何があっても、俺がいる」
その言葉が、すごく頼もしかった。
そして、なぜか嬉しかった。
その夜、俺は考えていた。
ノヴァと出会ってから、毎日が楽しい。一緒にいると、心が満たされる。
これは、どういう感情なんだろう。
友情?信頼?それとも...いや、考えすぎだ。
ノヴァは大切な仲間。それだけだ。
でも、ノヴァの笑顔を思い出すと、心臓が跳ねる。
ノヴァの声を聞くと、安心する。
ノヴァが他の人と話していると、なぜか面白くない。
これは、本当に友情なのか?
わからない。
でも、一つだけ確かなことがある。
俺は、ノヴァと一緒にいたい。
ずっと、一緒にいたい。
その気持ちだけは、確かだった。