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私のもの

作者: 友山

大学に入るにあたり、一人暮らしを始めることになった。が、準備する中で大問題に直面した。


「か、金が足りねえ……」


そう、思っていた何倍も金がかかるということだ。家具だけでもかなりの出費なのに、それに加えて毎月、家賃や食費、その他諸々があると考えただけで、頭が痛くなる。ありがたいことに、実家から仕送りは届くものの、あまり頼りたくないのが本音だ。

ということで、俺は節約すべく、なるべく安い家賃のアパートを探していた。


「全ッ然見つからないな」


三件目の不動産屋の帰り道、サングラス越しの日差しと未来の不透明さに、顔をしかめる。途方に暮れて歩いていると、たまたま通りがかったビルの掲示板に、とある張り紙を見つけた。


「賃金三万五千円、しかもオートロック付き……?」


駅からは少々遠いものの、昔から持っている自転車に乗れば、全く問題ない。これは見てみるしかないと、すぐに書いてある電話番号をスマホに打ち込んだ。




数か月後、結局あのアパートに住むことにした俺は、引っ越しの荷物を抱えて部屋に入っていた。家賃に反して綺麗な部屋に、重い荷物を置いていく。


「よし、片付けを済ませるか」


そう意気込んだはいいものの。テーブルとパソコン、教本を置いて、授業を受けられるようにインターネット環境を整えるだけで、日が暮れてしまった。


「外、もう真っ暗だな……どうしよう」


すぐ片付けられると考えていたから、服関係は段ボールの奥底だ。仕方がないので、冷蔵庫で出番を待っていたコンビニ弁当を食べた後、着の身着のままで寝ることにした。


「(……あれ?)」


寝返りを打ち、やっぱり慣れない部屋で寝るのは大変だ、なんてことをぼんやりと思っているうちに、眠ってしまったらしい。ハッと起きた時には、デジタル時計が深夜二時を示していた。


「(俺、自分で思ってるより図太いみたいだな)」


そんな自分に呆れると同時に、なんだか喉が乾いてきた。どうせ起きてしまったし、とペットボトルを取りに行こうとした──が、なんだこれ。


「(身体が動かない……?)」


そう、瞼と眼球以外、全く動かなくなっていたことに気付いた。何が起きているんだ? 途端に混乱と恐怖が頭を占めつくす。身体を動かそうと必死に念じる中、俺は一つ、子供のころ見た、心霊番組の定番を思い出していた。


金縛り。ストレスや過労で起こるとされていて、医学的に証明もされているはず。確か、今は夢を見ている状態だったような。そこまで考えたことで、俺はやっと、自分が落ち着いてきたことを感じた。そうだ、寝ているから大丈夫、大丈夫なんだ……。


「カエシテ」


女の声。

ヒュッと喉から音がした気がした。耳元で鮮明に聞こえた、女の声。聞き間違い? いや、夢だから怖いだけだ。これはただの悪夢だ。瞬きをする。目の前に長い髪の女がいた。


「…………!?」

「カエシテ」


もう一度、瞼を閉じたいのに、目が逸らせない。真っ黒だ。どこが。それは、瞳。いや、それがあったところが、ぽっかりと、深く、吸い込まれそうな黒になっていて。息ができない。女の顔が、ぐっと近づいた。


「カエシテ」




「うわあっっ!」


自分の声で飛び起きる。慌てて周りを見回すと、さっきまでの女はどこにもいなかった。それどころか、外が明るくなっている。デジタル時計を見ると、朝の七時を過ぎたところだった。冷や汗が身体とシャツをべったりと張り付けていて、気持ち悪い。


「やっぱ、夢、だよな……?」


リアルな感覚が抜けないまま、腕をさする。ここまで鮮明に恐怖が続く夢は初めてで、それが余計に気味が悪かった。


ピンポーン……。


突然チャイムが鳴る。俺の肩は大げさに揺れた。深呼吸して返事をし、ドアを開けると、そこには、若い男が立っていた。


「……どちら様でしょうか」

「ああ、隣に住んでいる、貫地谷(かんじや)と申します。悲鳴のような声が聞こえたので、何かあったのではと心配になってしまって」


大丈夫そうでよかったです、と眉を下げて微笑む男。途端にさっきの自分の情けない声が恥ずかしくなって、頭を掻きながら謝った。


「すみません、夢見が悪かったもので。うるさかったでしょう」

「引っ越されたその日なんて、寝られるものでもないですよ。隣人同士、仲良くしましょう。ところで、あなたのお名前は?」


そう問いかけられ、俺はいい人だったことにホッとしつつ、名前を名乗った。


「宇田です。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


それが、俺と貫地谷さんの出会いだった。




「貫地谷さん、同じ学部だったんですね!」

「もう卒業しているけどね。良かったら過去問や参考書なんかを貰ってくれないかい? 捨てられなくて困ってるんだ」

「良いんですか? ありがとうございます!」


頭を下げると、貫地谷さんはにこにこと笑った。

会ってから数日、このアパートで暮らしているうちに、貫地谷さんとはどんどん親しくなっていった。


「(ホント、貫地谷さん、良い人だよな……)」


そう。そこでわかったのは、彼は思っていたより何倍も良い人だということだ。夕飯もご馳走になったし、今も参考書を譲ってくれると言ってくれた。申し訳なくて夕飯を遠慮したときには、作りすぎたという言葉も添えてくれて、ここ数日だけで彼には頭が上がらなくなっている。


「そういえば、貫地谷さんって何歳なんですか?」


参考書などを受け取りながら、ふと気になった疑問を口にしてみる。彼は目を横に動かしながら、「そうだね……」と答える。


「二十七歳かな」

「二十七歳!? 全然見えません、卒業してすぐだと思ってました」

「本当? ……そう言ってもらえると嬉しいな」


本当に見えなくて驚いていると、貫地谷さんは照れ笑いを浮かべた。


「それにしても、こんなにたくさんありがとうございます」

「いやいや。こちらこそ、持っていってくれてありがとう」


柔らかい空気に、悪夢のストレスが薄らぐ。嫌なことが続くけれど、貫地谷さんと出会えたことは紛れもなく良いことだったと思った。


ガチャリ。


すると、奥の方のドアが開き、住人が出てきた。まだ話したことの無い、痩せぎすの女性だ。恐らく、俺よりはだいぶ年上。


「あ、こんにちは」

「…………」

「おっと」


俺の方をちらりと見た彼女は、何故かこちらを睨みながらすれ違った。そして、その拍子に貫地谷さんの体にぶつかったにも関わらず、何も気にした様子もなく去っていった。


「大丈夫ですか?」

「ああ。心配ありがとう」

「……随分無愛想ですね、あの人。というか、このアパート、ああいう人多くないですか?」


こんなに親切な貫地谷さんまで無視するなんて。あまり心情は良くないが、彼は「まあまあ」と俺を諫めた。


「ここの人たちは悪い人じゃないんだよ」


と言いながら苦笑して。あんな態度を取る人の何処が悪い人じゃないのかはわからないが、何か事情があるのかもしれない。金縛りの原因に関わっているのかもしれないし、と心に留めておくことにした。




こんな風に何日か過ごしたが、やはり俺の部屋がおかしいと思ったのは間違っていなかった。

その理由は明白。ここに引っ越してきてから、毎日金縛りにあっているからだ。もしかして、俺が何かやってしまったのかと考えてみたものの、何も思い浮かぶことがない。「カエシテ」なんておどろおどろしい言葉を吐かれたって、返せるものなんて何も持っていなかった。

流石に連日のようにこんな目に遭っていては、ただの夢とは言えるはずが無い。正直、こんな部屋で過ごすのはストレス以外の何物でもなかった。


「かといって、泣き寝入りするのも嫌だしなぁ……」


せめて、この部屋の謎を解明したい。そう思った俺は、とある人物にこの部屋を探ってもらうことにした。




「や。元気してた?」

「してねぇからお前に頼んでるんだろ?」

「あはは、そりゃそうだ」


入学したばかりの慣れない大学の食堂で、テーブルに肘をつく女子。コイツは、知り合いの情報通、生田だ。高校のときからの腐れ縁で、どこから集めているのか定かではない情報を売るバイトもどきをしている。コイツのせいで荒事に巻き込まれることもしばしばだった。流石に心霊現象は無かったが。

明らかに顔色が悪いだろう俺が席に着くのを見ながら、首を軽く傾げた。


「でも本当に珍しいよね〜。宇田ちゃん、滅多に私に頼みごとなんてしないのに」

「それほど切羽詰まってるって言ってるだろ? 俺に払える範囲なら金も払うから、調べられる限り調べてほしい。頼む」


手を合わせてそう言うと、余程意外だったのか、目を丸くして、こちらをまじまじと見た。


「……へぇ〜、マジでヤバそうだね。宇田ちゃんのレアな姿、写真撮っちゃおうかなぁ」

「やめろ。それをしたら調べてもらった後に絶交する」

「冗談に決まってんじゃん。了解、調べてみるよ。たーだーし、報酬は焼肉ね!」

「助かる。……にしても焼肉って、地味に財布にダメージ来るヤツじゃねぇか」


サムズアップする生田に、溜息をつく。まぁ、必要経費だと割り切ろう。コイツと行く外食も中々悪くは無いし。


「楽しみにしてるからね♪」

「はいはい。頼んだぞ」

「はーい」


言いながら早速スマホで調べ始める生田。……いつもなら家に帰ってから始める筈なのに。俺のことを少しは心配してくれているのかもと、少し頬が緩んだ。





とは言え、まだ問題が解決した訳では無いため、ろくに眠れない。そんな生活を続けていると、いくらまだ付き合いが浅いとはいえ、貫地谷さんに異変に気付かれてしまった。


「宇田君、ここに来てから顔色が悪くなる一方じゃないか。話を聞くことくらいなら、僕にもできるよ」


朝、出会い頭に言われ、俺は目を見開く。……本当なら、出会って数日の人に、そこまでしてもらうわけにはいかないのだろう。しかし、俺は毎日の悪夢に気が滅入ってしまっていて、優しさに甘えたくなっていた。つまり、貫地谷さんに、ここ数日のことを話してしまったのだ。


「そうか……、それは大変だったね」


傍から見たら頭を疑われるような話を、彼は真剣に聞いてくれた。その上で、うーんと唸った後、こう提案をしてきた。


「一度、君の部屋を見せてくれないか? 宇田君が気付かなかったことにも、もしかしたら気付けるかもしれない」


そこまでしてもらうわけには、と遠慮する俺に、貫地谷さんは笑って、


「ここまで話を聞いたんだ。僕も何故、君が金縛りになってしまうのか気になるしね」


と言ってくれ、その笑顔に少し安心することができた。




「ふーん、で、明日、その隣の人が部屋に来てくれることになったんだ」

「そうそう。ホント、あの人、良い人すぎるんだよなー」


大学の空き時間、生田とまた話していた。昼食を食べた後の、中間報告会だ。


「で? どこまでわかったんだ?」

「もー、そんなすぐすぐわかる訳ないじゃん。今のところ、わかってるのは、あそこが事故物件ってことかな」

「マジかよ……」


薄々気付いてはいたけれど、実際に断言されてしまうと、やっぱり気が滅入る。

ここまで心霊現象が起きている部屋に住むのは怖い。流石に次の部屋を探しているにはいるが、結局良い条件のものが見つからずじまい。大学生にとって、金銭的な問題は死活問題だ。だから、引っ越しも出来ない……つまり、逃げられないのだ。


「てか、その隣の人、随分良い人なんだね。部屋まで見てくれるなんて」

「うん。同じアパートってだけなのに、あんなに親切にしてくれるなんて、頭が上がらないよ」


思い返すと、貫地谷さんにはお世話になりっぱなしだ。他の住人とは大違いだな。結局、貫地谷さん以外の住人とはまともに挨拶もできていない。管理人とすら最低限の話しかしていないし。

今度お礼をしないといけないな、と思っていると、生田が何か呟いた気がした。


「……なんか言った?」

「いいや? 早く宇田ちゃんと焼肉行きたいな〜って」

「食い意地張り過ぎだろ。……手伝えなくて悪いけど、頼む」

「ハイハイ。そういや、宇田ちゃん時間大丈夫?」


生田の言葉に時計を見ると、もう移動しないといけない時間だった。


「うわヤバ。ありがと、生田」

「じゃ、わかったら、また連絡するね〜」

「おー」


慌てて荷物をまとめ、次の部屋に移動しようと歩き出す。生田は次のコマが無いのか、スマホを弄っている。何かまた呟いたような気がしたが、きっと聞かせるようなことじゃないだろう。俺はそのまま部屋を出ていった。


「……宇田ちゃん、また変な人に好かれてなきゃ良いけどなー。さ、続き続き」




次の日。ついに貫地谷さんが俺の部屋にやってくる時が来た。


「お邪魔するよ」

「どうぞ。まだあまり整理できていないので、汚いですが」


この部屋に人を上げるのは初めてだ。少し緊張しながらドアを開けると、貫地谷さんは感心したように見回した。


「お洒落だね……、青系で統一しているのかな?」

「そうですね。俺、青好きなんで」


そう答えると、彼は俺の目を見た。


「それは、君の瞳が青いことに関係が?」


「確かにそうかもしれないです。隔世遺伝なんですけど、割と気に入ってるんで」


言いながら、瞼を触る。特徴と言えるものが少ない俺だが、この目のお陰で覚えられやすくて、ラッキーだと思っていたことを思い出す。逆に、光に弱くてサングラスが必須なのは難点だが。


「うん。本当に、綺麗な瞳だね」

「……ありがとうございます」


ニコニコと褒められ、思わずそっぽを向く。日本人の気質か、あまり直球で褒められることは少ないので、照れ臭かった。……貫地谷さん、俺が照れるのが面白いのか微笑ましいのか、出会ってから一番の笑顔を浮かべるのは止めてほしい。


「でも、僕から見てもあまり原因はわからないな……。すまないね」


微笑ましそうにこちらを見ていた彼は、話題を戻して申し訳なさそうな顔をする。やはり駄目か。残念な気持ちもなくもないが、その気持ちだけでも嬉しかったので、両手を振って否定する。


「いえ、来ていただいただけでも嬉しいですよ。ホント、いつもありがとうございます」


「いやいや、君と仲良くなりたかっただけだから」


互いにそう頭を下げていると、俺のスマホが鳴った。すみません、と一声かけて画面を見ると、『情報通』と映し出されている。生田からのチャットが来ていた。


「……『調べたよー。宇田ちゃん、めっちゃヤバい部屋住んでんね。不運過ぎない?』って、え?」


呟くように読み上げた後に、驚きの声を漏らす。貫地谷さんは冷静に、


「僕も内容を見てもいいかい?」


と声をかけてきた。俺は、頷く以外の選択肢を選べなかった。


『そこ、七年前に殺人事件が起きてるねー。連続殺人犯に殺されてる。宇田ちゃんが見たのって、目がない女の人でしょ? ビンゴビンゴ。犯人、眼球目当てに人殺してたみたいだから』

「眼球目当てって……」


絶句する。貫地谷さんが背中をさすってくれた。


『オキュロフィリアって知ってる? 異常性癖の一種なんだけど、眼球に性的興奮を覚える人のこと。犯人は、それが行き過ぎた人だったらしいんだよね。綺麗な目をしていた人に近づいて殺し、目を保管してたらしいよー。あ、安心してね。犯人はもう死んでるから、宇田ちゃんが狙われる心配はないよ。で、その女の人、日本人には珍しい瞳の色だったんだって。……ここまで書けば、宇田ちゃんも何色だったか、わかるよね?』

「青だ」


呆然と呟く。俺に向かって「返して」と言ったのは、俺の目があの女の目の色に似ていたからだったのだ。俺が目を奪ったと思い込んでいるのか。


『宇田ちゃんもホント運悪いよね。目の色が一緒だっただけで、そんな心霊現象に遭遇して。生憎私にはお祓いできる知り合いはインチキしかいないから、またなんか良さそうな人がいたら連絡してあげる。スーパーな焼き肉楽しみにしてるよ!』


そこで文章は終わっていた。俺は、戸惑いを隠せないまま零す。


「え、どう解決すれば……?」


沈黙が場を支配する。放心していた俺は、何秒かしてから、反応のない貫地谷さんに気付いた。


「貫地谷さん?」

「……真実を知られたからか、来てしまったみたいだね」

「へ?」


真剣な声に慌てて周りを見回すと、昼間なのに窓の外は暗く、布団の近くには黒い澱みのようなものができていた。


「な、なんっだあれ!」

「君が毎日見ている女だろうね。生田さんが言っていただろう? 女性と瞳の色が一緒で、君が自分の瞳を奪ったと勘違いしていると。なら、君が違うって言わないと!」

「お、俺?」

「だって彼女、君しか見ていない!」


恐る恐る澱みを見ると、それは女の形に変化してきていた。とはいえ、シルエットしかわからないはず。しかし、顔にあるぽっかりと空いた二つの穴は、俺を見ていることが明らかだった。


「カエシテ」

「早く!」

「カエシテ」

「カエシテ」


生唾を飲み込む。……そうだ。この人も被害者なんだ。早く成仏してもらうためにも、覚悟を決めよう。貫地谷さんの前に出る。息を大きく吸い込んで、叫んだ。


「ごめん! これ、俺の目だから、あげられねえ!」


瞬間、静止。指すような視線に鳥肌が止まらない。女は俺を見て、問いかけてくる。


「チガウ」

「そうだ、お前の目はここにはない! 成仏して、あの世で犯人に聞いてくれ!」

「ハンニン」

「そう、犯人だ」


その言葉に、女は顔を俯かせた。この調子なら、上手く行ってくれそうだ。


「ソウ。……ソウ」


安心したのも束の間、女の声に嫌に力が宿ってきた気がする。なんか、恨みの感情が強くなってきたような。


「アナタジャナイ。オマエダ。オマエノセイデ、ワタシハ、アノコヲヒトリニ、シタ。……ユルサナイ」

「ん……?」


すると女は、キッとこちらを睨む。


「オマエダケハ、ユルサナイ、ユルサナイッ!」

「ハアッ!?」


そう叫び、女は髪を振り乱して、こっちに向かってくる。

刺される!! 思わず、ギュッと目を瞑った。


パアン!


すると、その時風船が割れるような大きい音がした。恐る恐る目を開けると、女はどこにもいない。外は明るく、いつも通りの昼の街が見えた。


「あ……?」


俺が呆然としていると、貫地谷さんが驚いたような声で言った。


「消えた」

「女が?」


頷かれる。……これで、終わりなのだろうか。どうにも釈然としないまま、二人で黙っていると、貫地谷さんが戸惑いを隠せない様子で口を開いた。


「とりあえず、解決おめでとう?」

「ありがとうございます?」


首をひねりながら言葉を交わす。


「……フフ」

「ハハッ」


……なんだかおかしくなってきて、次々に噴き出した。

ひとしきり笑った後、貫地谷さんが「そうだ」とこちらを向いた。


「せっかくなら、除霊祝いに料理を振舞おう。って言っても、今日の昼に作りすぎたやつだけど」

「いいんですか?」

「もちろん。じゃあ、早速取りに行ってくるよ」


そう言って、ドアから出ようとする貫地谷さん。ここに来てから、この人には随分と世話になった。俺はなんだか無性にお礼が言いたくて、ガバッと頭を下げた。


「ありがとうございます」

「こちらこそ」


この人とは、この食事が終わっても仲良くしていたいな。




貫地谷さんの料理の準備を待っていると、電話がかかってきた。また生田だ。


『宇田ちゃん、大丈夫だった?』

「大丈夫ではないけど、無事だよ。貫地谷さん──隣の人が助けてくれなかったら、危なかった」


そう笑うと、電話口が静かになった。電波でも悪くなったんだろうか。


「……おーい、生田?」

『貫地谷って、言った?』

「うん。あの人がどうしたんだよ」


俺の返答に、息を呑む音がする。幽霊を祓った後とは思えないほどに深刻な空気に、俺は口を開こうとした。


「いく、」

『今すぐ逃げて』

「は?」

『早く!』


しかし、切羽詰まったような生田の声で上書きされる。こんなに焦っているのを聞くのは初めてで、困惑が隠せない。


「え、なんでそんな焦ってんだよ?」


彼女が叫ぶように答える。


『あんたの隣は誰も住んでない! ていうか、貫地谷って、連続殺人犯の苗字だよ! その名字は珍しいから、間違いない!』

「え」


生田は、今、なんて言った?


『だから、早く逃げて!! 本当に目を狙っているのは──』


言葉の途中で、スマホがピシッと音を立てて、声が途切れる。見ると、スマホの画面が蜘蛛の巣状に割れていた。


「気付いたんだね」


後ろから、声がする。恐ろしくて、振り返ることができない。呼吸がおかしくなっていく中、優しいと思い込んでいた声が、どんどん近づいてくる。


ああ、もっと早く気付くべきだった。見た目より年齢が上に見えた理由は? 何の利益があって、俺にここまで親切にしてくれたのか。ここの住人は何故、気味が悪いような顔をして俺を見て、貫地谷さんを無視したのか。……目の無い幽霊が本当に襲いかかろうとしたのは、後ろに庇っていたこの人だったとしたら?


今更後悔しても、もう遅い。嫌だ。待ってくれ。声にならない絶望を、高みであざ笑われる感覚。愛おしむように、後ろからゆっくりと、両目を覆われた。


「やっぱり、綺麗な瞳だね」


数分前とは全く違う意味を持って、耳元で囁かれる。


悪い、生田。焼き肉、行けそうにないや。

そんな現実逃避をすると同時に、フハッとこらえきれない笑いが耳にかかって、逃げられないことを俺に悟らせた。

高校生の頃書いたものをブラッシュアップしました

とても懐かしい

※pixivにもあげてます

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