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第4話 力の論理

 港町の朝は早い。

 特にペルモニダ最大の軍港を抱えるモルサリオ市の朝は、喇叭の一声から始まる。

 耳をつんざくような金属の音が石畳に跳ね返り、まだ薄明の街に規律を刻み込んでいく。

 白灰の街並みが少しずつ赤みを帯び、船渠に停泊する艦影が陽光を受けて輪郭を現した。


 その情景を俺はあてがわれたホテルの窓から見下ろしていた。


 ローレンツ・フリーデン。

 一昨日まではただの外交官だった。それも限りなく等級の低い。

 だが今は違う。

 王家の“義理の”一員となった俺は、国家間同盟の象徴として扱われる。

 つまりは、都合のいい広告塔──あるいは、玉座の飾り。


 もっとも、そんな自覚はとっくにある。

 問題は、国も、そして俺自身も、その“飾り”にどこまでの価値を見出しているのかということだ。


「……俺はいつまで、この仮面を被り続けるのだろうか」


 呟いた刹那。

 扉がノックされた。二度、三度、と。そして間を置いて四度目。

 事前に聞いていた合図だ。


「フリーデン卿。わが主がお呼びです」

「今行きます」


 扉を開けると、そこには見慣れた顔があった。ジャン=リュック・モントレイユ。

 執事風の男は、まるで“完璧な装置”のように今日も一糸乱れぬ姿で立っていた。


「お迎えに上がりました。わが主は先に式典会場へ向かわれました」

「了解です。……ところで、少しだけ聞いても?」

「どうぞ、フリーデン卿」

「彼女は、いつもあのテンポで行動しているんですか?」

「わが主は、時間に対して非常に厳格でいらっしゃいます。……一秒単位で」


 その答えに、俺はわずかに口元を緩めた。


「それはそれは。軍人らしいというか、貴族らしいというか」

「いえ、あれは……“わが主らしい”のです」


 その言葉に、わずかだが真実味のようなものを感じた。

 形式に縛られながらも、彼女自身の輪郭は常にその外側にある──そんな印象。


「では参りましょう。モルサリオ中央広場までお車をご用意しております」


 ロビーを抜けて外へ出ると、朝の空気はすでに焦げるように熱を帯びていた。

 海風と油の匂い、兵の声と汽笛の響きが混ざる。


 石畳に止まる馬車──いや、実用化されたばかりだという自動車が止まっていた。

 蒸気ではない。内燃式エンジン。ペルモニダ軍部が試験導入したばかりの、最新鋭車輌だという。


 煤と油の匂いが鼻を突き、白い排気がゆらりと立ち昇っていた。

 運転席には、軍服を着た若い兵士が乗り込み、無表情に敬礼を送ってくる。


「これはまた、随分と仰々しいお迎えだ」

「国王直轄の視察行事でございます。……象徴とは、常に形式と共にありますので」


 モントレイユはこともなげに答え、後部扉を開けてみせた。

 乗り込んだ車内は狭く、振動が直接伝わる粗削りな構造。だが、それがむしろこの国の“成長途上”を示しているようだった。


 発進と同時に、背中が強く椅子に押しつけられる。

 道路にはまだ舗装のムラがあり、タイヤが小さく跳ねるたびに車体がギシリと軋んだ。


「……自動車、というのは優雅な乗り物ではありませんね」

「ですが、今のペルモニダの“速さ”を象徴しております」


 前方、視界が開けた。港だ。

 色とりどりの旗が潮風に踊り、兵の整列と観客のざわめきが混ざり合う。

 紅白の幕が翻り、今日という“祝祭”を演出している。


 ──そこが、会場。


 壇上の中央には、ひときわ目を引く人影。

 アルセッタ・クラヴィツ。その背筋は、軍艦よりも真っ直ぐだった。


「お待ちしていました」


     〇


 式自体は、両国の外交官が中心となって進めている。

 貴賓である俺とアルセッタは、壇上脇の金縁の椅子に腰を下ろしていた。

 式の進行は既に中盤、クラインシアとペルモニダの“友好”を讃える美辞麗句が飛び交っている。


「ところで……。クラインシアは自由貿易協定の締結を我が国に求めているそうですね。これも、その一環であると」

「えぇ。自由貿易は時代の潮流ですので、ペルモニダとも是非に」

「──それが難航していると」

「お恥ずかしながら」

「……この茶番劇は、いつまで続くのでしょうね」


 それが意味するところは、どちらの側の皮肉なのか。

 俺とアルセッタの視線が交錯した。


「レンシャーヌの、とある外交官によれば──外交交渉とは、相手にこちらの要求を“飲ませる”ための経過であり、結果を伴って初めて終わるものだそうです」


 式典の華やかな演出とは裏腹に、交わされる言葉は氷のように冷たく、そして正確だった。

 どちらが“交渉する側”なのか──未だ定まらぬ現実を、互いに確認し合うような沈黙が二人の間に横たわっている。


「潮風が気持ちよいですね。……港湾都市なだけあります」


 アルセッタが視線を外し、遠くを見やった。

 だがその目は、風景ではなく、その“兆し”を探っている。


「……警笛が、聞こえます」

「──メインイベント、ですね」


 古今東西、海は国家の象徴であり、力の舞台でもある。

 それは友好の証か、それとも──静かな威嚇か。


「クラインシア海軍・第四艦隊。通称──カリエント・フリートです」


 水平線の向こうに、それは現れた。


 鋼鉄の巨影。

 帆を畳み、蒸気を吐きながら、黒鉄の船体が海面を切り裂いていく。

 高く突き出た二本の煙突から煤煙が昇り、潮風にかき消されながら街へと漂ってくる。


 艦首には鋲打ちの施された装甲板が貼り付けられ、砲門が規則正しく並んでいた。

 中央甲板には、回転式の砲塔が無骨に鎮座し、その砲口はまるで無言のまま“示す”ようだった。


 ──クラインシア第四艦隊、カリエント・フリート。


 それは帆船でもなければ、ただの蒸気船でもない。

 技術と力の狭間で生まれた、鉄の怪物たち。


 近代の夜明けと、旧時代の終焉。

 その両方をその身に宿した艦列が、軍楽と警笛の代わりに、煙と鋼鉄の響きを奏でていた。


 艦橋に掲げられた双頭の鷲が、波風に翻る。

 ──力ある者の挨拶は、沈黙と、火薬の匂いと共にやってくる。


「……これが列強の、することなのですね」


 アルセッタはまっすぐに艦隊を見据えたまま、わずかに眉をひそめた。

 その横顔に浮かぶ表情は、怒りでも畏れでもなく、ただ深い冷静さと──諦念。


「我々は言葉を尽くすが、彼らは砲塔を向ける。そして、それを“礼儀”と呼ぶ」


 俺の皮肉に、彼女は応えなかった。

 だがその沈黙は、肯定よりも鋭い刃のようだった。


 ざわめきが広場を走った。

 民衆の中に、小さな波が広がる。装甲艦の到着を境に、祝祭の空気がわずかに軋んだ。


 ──見せつけられたのだ。

 誰が“守っている”のか、ではなく、誰が“支配している”のかを。


 海に浮かぶのは、ただの艦隊ではない。

 それは、国の背後にある意思であり、言葉よりも雄弁な、力の論理だった。

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