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第1話 二人の婚姻

 私は平和が好きだ。

 平和とは国が栄えることだ。

 だから、極論を覚悟に私は断言する。


「──私は愛国主義者だ」


 それはこの時代にあって当たり前のことだし、

 それは国民にとっての責務であるとも言えた。


 それは近代的な国家を形成するにあたって、必要不可欠な要件とも、言えた。


 ともあれ──。

 私、ローレンツ・フリーデンは赤心奉国し、国家の駒として扱われることを何の苦にも感じないのだ。

 たとえその裏に潜む、何物にも代え難い複雑な心境を孕んでいても。

 絶対に──。


 と、まあ。

 そこまで述懐し、俺は天を見上げた。

 

 国家がその威信を賭して築いた、完璧すぎる劇場の天井だった。

 個人の意思など、最初から入り込む余地はない。

 その精緻な曲線と光の計算は俺の現実へと丁寧に押し潰していくようだった。


 俺は自らが着る衣装を人差し指でなぞった。

 小奇麗にまとまったそれは、国家そのものを象徴する。

 信念ではなく演出。


 しかし、それも俺が選んだ運命なのだろう。

 そしてそれを俺は拒もうとは微塵も思わない。


 それで国家が安寧を享受できるのであれば──。


 俺は今日、結婚する。


    〇


「新婦入場──」


 高い天井の下、老齢の神父の声が静かに響いた。

 逡巡、──風が吹いた。

 足あと一つすら、あまりに軽々しく響いてしまうこの場においてそれは確かに”風”だった。


 扉が開き、式場に女性が現れた。

 南のティラーン風の風貌だ。北方のグレマナ系に多い色素の薄い金髪などではなく、艶やかな黒髪に健康的な小麦色の肌はまさしく、ティラーン系の特徴だ。そしてそれが純白のドレスによく映えた。

 コルセットの締め付けにより強調された体の縊れは女性的な魅力を放っている。

 高めの襟元と、静かに広がるスカート。

 黒曜のような長髪を後ろで束ね、首筋にかかる銀の留め飾りが一閃、光を跳ね返した。


 女性はスカートをたくし上げて恭しく頭を下げた。


「アルセッタです。フリーデン卿。末永く」

「ローレンツと、お呼びください」

「ローレンツ殿。末永く」

「よろしく頼みます」


 それを式というにはあまりに短く──。

 一見すると略式での式ではないかと錯覚するほどの。

 しかし、参列する列国の代表は一様に手を叩いた。


 拍手は無機質だった。

 そこに感情はない。あるのは、平和の仮面を維持するための“儀礼”だけ。




 同日、クラインシア王国とペルモニダ王国の二国間交渉が再開された。

 式の直後に、である。


 最早、語るまでもない。

 これは“結婚”ではなく、“取引”だった。


 我々はただ、書類に彩りを与えるために立たされた人形。

 王家の血統を装い、民の祝福を演じる役者。

 古代から続く国家間の政略結婚。

 ──俺たちは、その“駒”に過ぎなかった。


     〇


 夜の帳が降りる。

 式の披露宴は続く。

 そのはずなのに、主役であるはずの新郎新婦がいなくとも進む。


 まるで彼らが最初から存在しなかったかのように。

 祝杯が交わされ、笑い声が飛び交い、皿の音が鳴る。

 誰も不思議には思わない。

 むしろ、それこそが“外交”という舞台の在り方なのだ。


 ペルモニダの王女が、空いた席に軽やかに微笑みを添える。

 各国の使節は、何事もなかったように話を進める。

 ――そこに「人間」はいない。あるのは、国旗と国家と、交渉だけだ。


「やっと落ち着いて話せます。ローレンツ殿」

「……」


 掛けられた声音に、どこか心覚えのあった俺は、

 グラスの中の赤をゆらりと揺らしながら、声の主へと視線を向けた。


 そこには、さきほどまで壇上に立っていた“新婦”――アルセッタ・クラヴィツが立っていた。


「そのようにやつれては、出席者の皆様に示しがつきません」

「……そうですか。あなたはそうではないと?」

「慣れているだけです。このような政治の場は」

「……そうですか。そうであれば──」


 俺たち存外と似ているのかもしれませんね、と言おうとして。

 俺は口を噤んだ。


「さぞ疲れるでしょう。慣れていても」

「口説いているんですか?」

「何を。もう私と貴女は夫婦です。口説くも何もないでしょうに」

「しかしローレンツ殿の言葉は──、いえ」


 言いかけて、彼女はわずかに視線を逸らした。

 そして、自嘲気味に微笑んだようにも見えたが、それもほんの一瞬のことだった。


「冗談でした。軍の生活が長いと、言葉の温度が掴みづらくなるもので」

「そうですか。軍人も外交官も存外、変わらないのかもしれません」

「ところで、ローレンツ殿は国際政治はお詳しいですか?」

「えぇこれでも外交官の端くれですので」

「そうですか」


 彼女がはにかんだ。


「実は私も国際政治は少しばかり」

「なるほど。それは少し楽しそうだ」


 俺も、釣られるようにはにかんだ。


 その笑みは、形の整ったものではない。

 礼儀でも、皮肉でもない。

 ただこの日、初めて“自然に”浮かんだ感情の残滓だった。


 彼女もまた、わずかに表情を緩めていた。

 それは兵士の仮面でも、貴族の役割でもなく。

 名前も立場もない、ひとりの人間としての顔。


 ……喧騒が、音を失っていく。


 周囲ではまだ楽団が旋律を奏で、外交官たちが言葉を交わしていた。

 だがその音すら、今は遠く霞んで聞こえる。


 こうして、最初の夜が静かに幕を閉じた。

 虚構の祝福の裏側で、誰にも気づかれぬまま、わずかな温度が生まれていた。


     〇


 レンシャーヌ大戦と呼ばれた革命戦争の終結以降――

 各国は急速に、中央集権体制と国民国家の構築へと舵を切っていた。


 そんな激動の時代において、旧体制の影を引きずったまま、歴史の淀みに取り残された国があった。

 ベルモニダ王国と、その周辺を取り巻く諸小国家群である。


 これは、かつてその地に起きた“統一”の記録であり、

 その渦中で交わされた、ある一組の夫婦の契りの記録である。

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