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9. ヒューマノイド

 東都放送の呼び出し、『フライデーナイトウォーク』の収録と忙しい一週間だったが、明日は、テトラが出演する予定のテレビ番組『サタデー・カルチャー』の収録の日だった。


 森田はICプロダクションの入っているオフィスビルからさほど遠くないところにあるマンションで一人暮らしをしていた。事務所が今の場所へ移転する以前から住んでいたので、事務所が近くに移転してきたのは偶然だったが、これも何かの縁だと思っていた。

 鍵を開けて中に入ると、昼間の熱気がまだ籠っていて、ムっとするような暑さだった。窓を開けて空気を入れ替えるが、外もさほど気温は下がっていなかった。それでも十一階のマンションの最上階だけあって、風が入り込むと幾分熱気も去っていくようだった。暫くそうしてから、窓を閉めて冷房を入れた。男の独り暮らしにしては、片付いた部屋だった。もっとも、仕事で出ていることが多いし、2LDKの部屋に荷物もそうなかった。

 シャワーを浴びて戻る頃には部屋も冷房が効いていた。冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出し、グラスに入れて、テレビを付けてニュース番組をなんとはなしに眺める。以前はビールを片手にしていたところだが、一度体を壊してからは、付き合い以外では酒は止めていた。煙草も、パソコンの脇に缶を積み上げるくらい吸っていたが、結婚を機に辞めた。

 その結婚生活も長くは無かったが、別れてからも煙草は吸わなくなっていた。すっかり煙が鼻につくようになっていた。煙草を吸ったことのないやつより、完全に禁煙したやつの方が喫煙に対してうるさくなる、と知り合いが言っていたが、自分がそうなるとは思ってもいなかった。それでも、仕事柄、喫煙者が減ったとはいえ、他人の煙草に嫌な顔をすることは無い。

 テレビのニュースは自動車事故に、地方都市の首長の汚職、詐欺に、強盗事件など、変わり映えのしないものだった。目を引いたのは、日本と欧州共同の火星探査機に、ロボテクニカのロボットが搭載されるというニュースだった。

 これは、火星探査、というよりは火星開発、に近いプロジェクトだった。マルス・ボヤージュ計画、というそのプロジェクトは、欧州と日本、アメリカの民間企業等が参加して行われている火星探査計画だった。最初の探査機、マルスⅠは、四年前に打ち上げられ、前進基地となるモジュールを送り込んでいた。

 マルスⅡは今年打ち上げられる予定で、人間を送り込む前の実験の意味合いもあってロボットを送り込むのだという。

 アポロ以来に人が月に降り立ったのが三年ほど前。今では今度は火星だ、という感じで各国企業が火星の開発に熱を上げていた。

 

 ぼんやりそれを見ていると、システムエンジニアなどと言っていた普通のサラリーマン時代に戻った様だった。そのころはこうした科学技術のニュースに今よりも関心を持ち、熱心だったように思う。

 結婚が上手く言っていたらどうだっただろうか、そんなことを時折思うこともあった。そうなっていれば、芸能事務所などにはやっかいにならず、違う会社で、同じ様にコンピュータ相手の仕事を続けていたかもしれない。


「よいしょっと」

 声に出して立ち上がると、森田は書斎に入った。壁際の本棚にはいろんなジャンルの本が並んでいて、立てた本の上にも隙間があれば本が突っ込まれていた。今はスマートフォンやタブレットで読む人だいぶ多くなってはいたが、森田はまだ紙のページを繰らないと読んでいる気がしない古い人間だった。スマートフォンで読むのはせいぜいニュースの記事か、軽いレポートくらいだった。

 オフィスにあるような横長の机に向かって、横の袖机のようなパソコンの電源を入れる。出来合いのパソコンだったが自分で手を入れたりして中身は殆ど入れ替わっていて、見かけよりは高性能になっていた。森田はフリーのOSを使っていたが、若干知識がいるくらいで、使用には問題なかった。


 前に送られてきた岸田のレポートを起動する。文字やイラストだけでなく動画などもリンクされて一件ウェブサイトのようなレポートだったが、手軽に作れるツールも多い。作り手によって見栄えは変わるが、レポートソフトのノーマルの設定でもそれなりに纏めることは出来た。

 森田は一般によく使われている、エージェントというアプリケーションは使っていなかった。コンピュータウイルスやハッキングから守るセキュリティに、調べものなど使い込めば使用者の嗜好などに合わせて情報検索やショッピングまで広く使われていたが、このAIを利用したアプリケーションも胡散臭く思っていた。このAIサービスの企業は兆ドル規模の企業に成長していて、ユーザから情報も収集してそれを活用したビジネスも展開している。

 アプリケーションソフトをアプリではなくソフトと呼ぶのも古いと言われた。今では、昔ながらに机に座ってパソコンを起動して使うのは一部のマニアか、パソコンゲーム好きな者、仕事がらプログラミング等で高性能を必要とする者くらいだった。

 三十インチの大型ディスプレイいっぱいにレポートが表示される。薄いガラスの板のようなディスプレイは高精細で文字は紙に印刷されたように滑らかに見える。プログラマだった頃から、多少値が張ってもモニターは良いものを選ぶことにしていた。

 前に見たときと同じようにヒューマノイド開発プロジェクトの成り立ちから順に表示されている。幾つか追加されたものもあって、そのなかから更科博士の動画を開いた。博士が亡くなった後に放送されたドキュメンタリー番組の抜粋のようだった。毎週色んな人物を取り上げて放送する番組で森田も以前良く見ていたが、まだ続いていることに驚いてもいた。この番組では、権藤の言うようにビジネスマンと言う周りの評価も取り上げたが、やはり受けの良い、インパクトのあるマッドサイエンティスト風に更科博士を仕立てていた。


 更科博士は東京生まれ。電子工学・情報工学を学び博士となり、五年前に亡くなった当時、六十五歳だった。裕福な家庭に生まれ、政治家や富裕層の子弟が通う私立校で学び、これが後に成人してからの人脈ともなった。当時の同窓生の話として、自分から前に出ようとするようなことが無くとも、自然と皆の中心になっているようなところがあったという。自分を中心にして人を周囲に巡らせるような、引力のようなものがあったと、面白い言い回しで表現していた。子供の頃から科学的なことに興味をもち、当初は天文や物理学を好んだという。高校生の頃、山岳部に入り、登山が生涯の趣味となった。リュックサックを担って独り山に入り、一足毎に山頂を目指し辿り着くのは、思索に耽り、やがて光明を見出すことに似ていると話したことがあると言う。後年その登山で博士は命を落とすことになったが。

 コンピュータやロボットに興味を持つようになったのは、子供の頃にロボットが登場するSF作品を読んで感銘を受けたからだとか言われているが、高校生当時の友人の話としては、ゲーム理論を通じてフォン・ノイマンからコンピュータへ興味を示すようになったそうである。

 そうした更科博士がマッドサイエンティストと言われる所以は、著作などで表明している持論にあった。

 人間自体の能力は医学的な手段を用いても今よりさほど上がることも無く、人類から新たな種が生まれるにしても長い年月がかかるだろう。それでは環境が激変した場合などに耐えられず文明もろとも滅んでしまう。そうならないように、人類の築き上げた文明を引き継ぐ担い手として、人類自らの手で後継者となるものを作り出せばよい。それは生物であるよりは、より過酷な環境に適応し、自らを改良していけるような工学的な所産であることがより望ましい。今、その後継者を誕生させるに足る科学技術は既にあり、後はいかにして発現させるかだけである。

 という、要するに人類の能力を超えた、工学的に作られた超人類ともいえる種、つまりはヒューマノイドを作り出せるし、作る必要がある、というものだった。こういう発言が似非科学者や思想家などから発せられたのなら、取合う人もいなかっただろうが、国内でロボットの開発に実績があり、その理論が世界的にも知られた科学者のものだけに、反発とともに一部では信奉者も得ていた。多くの人にはその言辞はハッタリで、注目を集めることで自分の研究に必要な資金等を得るための、言わば宣伝のようなものだと思われていた。それと言うのも、学者でありながら政治的にも上手く立ち回り、自分の研究活動に生かすなど、〝学会の政治屋〝、〝有能なビジネスマン〝と揶揄する人がいるほどであったことにもよる。その最たるものが、ヒューマノイド開発プロジェクトと言えた。


「そして、本当にテトラというヒューマノイドロボットが生まれたわけか」


 岸田のレポートには、おまけ、という続きがあった。昨今のAIとロボットの動向というものだった。色々と面白そうだ、と言っていた岸田らしかった。

 それによると、フリーのAIというものが昨年あたりから話題になっているという。市販のパソコンでも、マニアが使うレベルのハイエンドと呼ばれるクラスだったらスタンドアロンで起動できて、そこそこの性能であるらしい。

 FreeAIというそのものずばりな名前のAIは、五年程前から立ち上げられたフリーソフトウェアのオープンソースプロジェクトから生まれていた。

 パソコン用としては、ハードウェアに最適化されたモジュールを用意するなど、研究開発だけでなく、ソフトウェアの開発などに詳しくなくともそれなりの機材をそろえれば、自宅で高性能なAIが使用できるということで、一部では人気らしい。無料で使用できるネット上のAIとどう違うのか、という向きもあるが、質問などへの反応速度、自分好みに適度にカスタマイズできる、などの点が受けているようだ。それに、独自のFreeAI同士のネットワークで収集されたデータも活用すれば、大手のAIで先行している企業と遜色ない性能を発揮するという。

 もうすでに、このプロジェクト自体を危険視してAI開発を行っている企業から訴訟が起こされたり、プロジェクトの買収なども取りざたされているらしい。


 ロボットの方も、以前ロボットの開発を行っていた企業が開発停止した後に、そのプロジェクトの中核を担っていた研究チームが情報を公開することを条件に資金を募ったりしたので、一般に公開されたロボット研究として話題になっていた。その研究チームは権利関係で揉めて解散したものの、公開された情報は拡散していた。

 その情報を元に、既製品で組み上げられた二足歩行ロボットというものがネット上で動画が公開されたりしていた。AIと違って、こちらは若干法的に懸念もあったものだったが、ネット上でいろいろと有志が情報交換などを行っているうちに性能が向上して、それなりの技術を持ったエンジニアなら二足歩行ロボットが作れるまでになっていた。

 この技術的な情報は、元になった研究チームを有していた企業から色々と訴訟などが起こされたりしていたようだが、ネット上で広まっている技術が必ずしもその企業のものとは限らない、という判決がでてから中小の企業でも二足歩行ロボットの製造に挑むところもでては来ていた。ただ、そういう出自のものなので、この技術をもとに製品開発をしたところで、コピーされても権利を主張できるのかという問題もあるものではあった。


 むろん、動きなどは大手や先行する企業が造り上げたものとは劣るものの、一昔前なら企業が多額を投入して製作していたレベルを趣味で作れるところまで技術が向上(辛口な人は陳腐化と呼んでいたが)していた。

 そうしたロボットの動画を森田も見たことはあるが、結構いい動きをするな、という印象はもったものの、テトラを身近に見た後では比べるべくも無かった。

 とはいえ、テトラを頂点とすれば、すそ野は広がっているとも言える状況になっているようだった。


 これまで、テトラのプロモーションに意味を見出そうとしていたが、一旦それからは離れて、更科博士の 思想 (或は構想)と、ヒューマノイド開発プロジェクトを中心とした物事の相関を見ていこうかと森田は考えた。そうすれば、テトラのプロモーションという行為の立ち位置が分かるかもしれない。

 更科博士の思想は、要約すれば人類の後継者を誕生させる、ということである。誕生させた後の事を博士は具体的に語ったり、纏まった形で記録には残していない。公演などで断片的に語られたことを、その思想の共感者や支援者が纏めたりしたものはあるが、人によって受け取り方が違っていて判然としない。その後の事は、後継者自身の決めることで我々の立ち入るところでは無い、というのが一般的な受け取り方のようである。


――思想の解釈とか、まるで宗教の教義のようだな。


 更科博士は、さしずめヒューマノイド教という宗教の開祖といったところか。今のAIとロボットの現状は更科博士の思想に近い状況なのだろうか? 

 そんなことを思って時計を見ると、日付が変わっていた。

 つい、岸田のレポートから色々と考えを巡らせて、現実の問題、明日のテトラが出演する予定のテレビ番組の収録のことを忘れてしまっていた森田だった。

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