6. ユニット始動
芝生の緑に、研究所の白塗りの塀。その上は青い空が広がっている。
「わー、きれい!」
千鶴がガラスの向こうの景色を見て声を上げた。国立電算機研究所の一角の、所員の宿泊施設や図書室などのある別館。情報番組収録を行ったのも同じ建物内にあった。今、千鶴たちがいる部屋は、一階から二階部分まで吹き抜けになっていて、庭に面した壁はガラス張りだった。
「国が絡んだ組織の休息室はさすがに違いますね。撮影にはもってこいですよ」
カメラマンの言葉に森田は苦笑した。近代建築の美術館のような外観の建物は、好景気の折にかなりの金額をかけて作られたらしく、噴水のある池に、西洋風の四阿などもあった。現在は、研修などで宿泊する所員や関係者が使うくらいで、大部分使用されず、噴水も止まったままだった。
「国立電算機研究所内での撮影ってことでどうかと思いましたけど、意外といいですね」
撮影スタッフが森田に話しかけた。
「後は、帰ってからの編集だな」
「来週までには編集終らせるんでしたっけ。突貫工事ですね」
「急に決まったユニットだからな。今月中には発表しないと、来月からの予定に間に合わん」
ガラスの壁の前に、千鶴、テトラ、佐和香の順に並んで立って、外を見ている。こうしてみていると、一人はロボットだとは思えなかった。
「テトラちゃん、こういう写真だと、人間にしか見えないですよね。表情も良いし」
スタッフの一人が先ほど写した写真をタブレットに広げて見せた。図書室で書架の間を歩くテトラ。少し物憂い表情に見える。テトラは普段は無表情だが、撮影時に注文すると表情を変えたりすることもできた。カリンズの二人と話しているときは、表情が豊かなようにも見える。
「あの子も、次第に学習してきているんですよ」
権藤が会話に加わる。
「ほう。じゃあ、ますます人と区別がつかなくなりますね」
「そうなるだけの時間があれば、そうなるでしょうね」
そういって、テトラを見つめる権藤の言葉に、森田はひっかかりを感じた。
「外に出てもいいですかぁ?」
千鶴がそう言いながらも、もうドアを開けていた。
「あんまりはしゃぐなよ」
森田の言葉も聞こえているのか、そのまま外に出ようとする。
「その手すりにはふれないで下さい! 危険です!」
思いもかけないテトラの大きな声に、千鶴はドアの取っ手を掴んだまま振り返った。周りの人々も、何事かと、テトラに注目した。
「手すりは高温になっています。人の手でふれるとやけどをします」
テトラは、扉の外に続くスロープにある手すりのことを言っているようだった。夏の日差しに炙られた手すり。森田は、可視光以外も見ることができると言う、テトラの視力のことを思い出した。
「どうしてわかるの?」
佐和香が驚いた顔でテトラに言った。
「テトラは、温度を感知できるのよ。何度くらいになってるの? テトラ」
「手すりの表面温度は、73.4℃から75.8℃です」
権藤の問いにテトラが答えた。
「すごーい! テトラ、そんなこともできるの? かっこいい!」
千鶴がテトラに駆け寄る。
「ねえ、壁の向こうとか見えたりするの?」
「赤外線で感知できるのは物体の表面温度だけです」
「できないってこと?」
千鶴が首をかしげる。
「そうです」
「んー、他にはどんなことができるの?」
「ちーづったら、またそんなこと言って」
佐和香が千鶴をたしなめる。千鶴は何かあるたびにテトラを質問攻めにしていた。
「まあ、ああいうところを見ると、ロボットって感じがしますけどね」
カメラを抱えたままカメラマンが言う。
「テレビ受けはしそうだけどな。びっくり人間コンテストみたいな番組だとかで」
「テトラはロボットだろ」
ちょっとしたハプニングにスタッフも軽口がでた。
「テトラをあまりロボットとしては売り出さない方針でしたかしら?」
権藤が何か問いたげに森田に言う。
「あの子達と一緒にアイドルユニットにしている以上、あんまりキワモノ扱いはしたくないですからね」
「テトラの情報は、内部構造の一部まで公開されてますから、ロボットであることは直ぐに広まると思いますけど」
「そうやって、まわりが調べてあちこちで話題になれば、それはそれで宣伝にもなります。こちらがことさら強調しなくても」
由美子と話したことを反芻するように森田は言った。
「それも、織り込み済みということですか」
権藤はどこか関心したような口ぶり。
テトラがロボットとして話題になる。それは本来の目的でもあり、アイドルユニットとして話題性が高まるのはプロデューサーとしては喜ばしいことなのだろうが。森田はこのまま穏やかに事が運んで欲しいと思っている自分にも気付いていた。
テトラがゲスト出演したネット配信の情報番組、『酒匂由里奈のフライデーナイトウォーク』のネット配信が開始されて一時間経過した。由美子は雑務を切り上げると、制作室に向った。
「反応はどう?」
「二万再生超えましたよ。普段の倍くらいのペースですね」
番組は一週間で大体三万から四万再生くらいの再生数だった。配信後直ぐに再生数が増えると言うこともなく、今回だけ特別に注目されているということが伺えた。
「テトラに対するコメントとかはどう?」
「かわいい、がほとんどですね。作り物みたいとか、きもいとか、ネガティブなものもありますけど、少数です。ロボットには見えないというコメントも多いですね」
コメント・リンクシステムという、スマートフォン、パソコンの区別なくコメントのやり取りが行えるシステムが普及して、システムに対応したコンテンツでは掲示板やチャットのように機能し、一対一の通信では電話やメールのようにも使え、一部ではカメラを使ってテレビ電話のようなサービスもあった。使用者がパソコンなのかスマートフォンなのかという違いは意識されなくなっていた。
「二,三人、ネガティブなコメントを繰り返している人がいるわね」
「ちょっと物騒なコメントもあったので、念のためIDでコメント照会しています」
コメント分析は、時間単位でのコメントの増減、内容の分析で、動画などの対象物の何にどのような反応があったのか、コメント・リンクシステムを使っていれば何処でどのような発言をしていたかも、ある程度把握できるようになっていた。
「反応は開始数分後が最大ね。テトラを紹介したところか。ここ、後半で上がってるのは?」
「ああ、千鶴ちゃんがテトラのおへそを見ようとしたとこですね」
担当者がそのシーンの動画を再生した。
『え! おへそから充電するの?』
『はい』
『ちょっとみせて!』
千鶴がテトラに言うと、テトラがシャツを捲り上げた。千鶴が覗き込むが、テーブルで隠れて見えない。
『ちょっと、やめなって! ちーづ!』
佐和香がとめようとするが、由里奈は笑ってみている。
テトラは食事をしない、電気を充電している、という話になって、どこから充電しているのかという会話の流れからだった。このシーンでは、見えない、ちゃんと映せ、と言ったコメントが飛び交っていた。
由美子はこういったシーンはヒューマノイド開発機構にチェックを受けるだろうと思っていたが、テトラに関する用語や認識の誤りを少し指摘しただけで、後はほとんど問題とされなかった。
「なんだか、千鶴ちゃん、由里奈さんに似てきましたね」
「……」
「番組はどうです?」
森田が部屋に入ってきて、由美子の背後から声をかける。
「ああ、森田さん。お疲れ様です」
「なかなか、上々ですな。これは? ネガティブチェック?」
動画の映っているモニターの横では、ネガティブな発言をしたユーザーのコメント解析と追跡が行われていた。
「ちょっと、胡散臭いところで発言している連中みたいです」
担当者があるサイトを表示する。〝青い地球の大地とともに〝というサイト名が書かれた個人サイトだった。
「ロケット開発とか、原子力発電所とか、最近ではAIやロボット開発など、行き過ぎた科学技術は不要だという人が多くコメントしているサイトです」
「そういった団体かなにか?」
「いえ、個人が作ったサイトに、いろんな人が来てコメントしたり、活動したりしているようですけど、実体のある団体とかでは無いようですね。オフ会みたいなノリでやっているだけのようです」
「そこがテトラにも批判的なの?」
由美子がモニターを覗き込む。
「ええ。人のできることは人がやればいいとか、機械人形に無駄な金をつぎ込むなとか、そんな感じです。パワード・スーツ開発のめくらましだとか、穿った見方をしているやつもいるようです」
パワード・スーツは、重機の入れない場所や、生身で人が活動できない場所での作業用として有用だとされることが多かったが、軍事利用されるとして公然と批判されていた。由美子は、テトラのプロモーションを直接依頼してきたのは、パワード・スーツ開発にも関わっている冬海インダストリアルだったこともあって、あながち間違っているとも言えないと思っていた。
「あまり変な動きをされるとカリンズにも悪影響があるわね」
「とりあえず、動向はチェックしておくとして、様子見ですかね」
プロモーションが始まれば、こういった批判があることは想定していたが、実際に直面すると由美子たちの緊張感も高まった。
「監視は続けて。状況は定例会議で報告してちょうだい」
「わかりました」
「反応はネガティブなものばかりでもないですよ」
その社員の横から女性社員が顔を上げた。
「テトラのファンサイトもできてますし、面白いのが」
そういって、モニターを指さす。
「テトラを宇宙飛行士にって、民間ロケット会社に資金提供とかしている富豪がSNSで言ってたみたいですね。本気かどうかは分かりませんけど」
「その人、日本のアニメとかボーカロイドが好きな人でしょ。ロケットにアニメキャラの絵を描かせたり、色々マニアックなことしてますからね」
SNSで軽口を言うのはいつもの事らしい。
「まあ、ネガティブな反応よりはましかな。海外から仕事のオファーなんて来てないですよね?」
森田が由美子の顔を見る。
「ええ。海外からとなると、ちょっとまた対策を考えなきゃらならないですけどね」
少し沈んだ空気が束の間和やかになった。