4. カリンズ
「収録はここで行うんですか?」
夏休みを控えた週末。由美子が部屋を見回す。国立電算機研究所の一角。以前は所員のリフレッシュルームとして使用されていたと言う空き部屋に、照明やカメラやマイクなどの機材が設置されていた。ICプロダクションの所属タレント、酒匂由里奈の情報番組の収録をここで行うことになっていた。カリンズの二人はこの番組のアシスタントをしていて、ゲストにテトラを呼んだことによるための措置だった。
「ええ。意外と早めに対応してもらって助かりました」
森田が答えた。
「急な依頼で申し訳ありません」
傍にいる番組のプロデューサーの五島に由美子が挨拶する。
「いえいえ。こちらとしても興味がありますしね。国家プロジェクトで製作されたロボットに」
「あ、社長!」
声に由美子が振り返ると、ブレザーの制服姿の少女二人と三十代くらいの女性が部屋に入ってきた。声をかけた方はポニーテールの屈託のない笑顔。カリンズの結城千鶴だった。もう一人、後ろからくるロングヘアの少女は原佐和香、二人の後からマネージャーの木村が入ってきた。
「社長が収録現場に来るの珍しいですね」
千鶴が笑顔で言う。
「二人とも、今日はユニットの新メンバーと初顔合わせだけど、よろしくね」
二人に、テトラとのユニットの件は話してあった。
「由里奈さんは?」
「レコーディングが押してるみたいで、あと一時間くらいはかかりそうです」
「そう。私は別件があるから、この後出るけど、由里奈さんにはよろしくと」
「はい。あ、来ましたよ」
森田の声に、皆が入り口を注視した。テトラと、肩を抱くようにして、権藤が入ってきた。テトラは白いワンピース姿。
「皆さん、ご紹介します、ヒューマノイド開発機構の開発主任の権藤さんです」
由美子が一同に紹介する。
「権藤です」
「そして、この娘が、テトラちゃんです」
「テトラです。よろしくお願いいたします」
一瞬、皆の動きが止まったようだった。
「かわいい!」
千鶴が駆け寄る。
「私、結城千鶴、よろしくね!」
テトラの手を取る千鶴。
「カリンズの結城千鶴さんですね。よろしくお願いします」
「私は、原佐和香。よろしくね、テトラちゃん」
「よろしくお願いします。原佐和香さん」
千鶴はテトラに頬ずりしそうなくらいくっ付いている。
「テトラちゃん、本当にロボットなんですか?」
権藤に質問する千鶴。
「ええ。ヒューマノイド開発機構で開発されたロボットです」
「うそ。こんなに可愛いのに?」
一同はテトラと千鶴たちのやり取りを眺めている。
「これは、驚きましたね。本当に、ロボットなんですか?」
五島が呆れたような顔で森田を見る。
「まあ、初見だと信じがたいでしょうね」
「確かにちょっと顔が整いすぎてる気はしますけど。ちゃんと喋ってますよね? 口で?」
「人工の声帯を持ってるそうですよ」
権藤と話をしていた由美子が森田の方へやってきた。
「私はこれで失礼します。後は、よろしくお願いしますね」
「わかりました。では、後ほど連絡をいれておきます」
由美子は権藤たちに会釈して部屋を後にした。
「森田さん、どんなプロデュースするんですか? こうも自然だと、ロボットだといっても分かって貰えないんじゃないですか?」
五島はテトラと千鶴たちを見つめながら言う。
「そうですね。普通の女の子みたいに扱ってくつもりです」
「ロボットじゃ無しに?」
「ええ。変にロボットを強調しても胡散臭く思われるか、グロテスクに見えるんじゃないですかね。普通に美少女をアピールして、この娘がロボットだというギャップを感じてもらえればいいと思ってます」
「宇宙人だとかって設定の娘とかいましたけど、そんなキワモノだと思われませんかね」
「ここの研究所とか、ヒューマノイド開発機構のサイトからうちの会社にリンクしてもらったりしてますから、こちらから言わなくても国家プロジェクトだと調べれば判ると思いますし、それでも疑う人はしょうがないんじゃないですかね」
「カリンズの新ユニットは期間限定ですよね?」
二人の話を聞いていたマネージャーの木村が尋ねた。
「ええ。夏の間、まあ、予定では八月いっぱいですけど。聞いてますよね?」
「はい」
木村は不安げな顔でテトラたちを見つめる。
「何か問題でも?」
「いえ、まだロボットだって言われても良くわからなくて。ああいう風なロボットが、これから社会に溶け込んでいくんでしょうか」
「テトラは、現在誕生したのが奇跡に近い状態らしいですから、そういう風になるのは十年先か二十年先か、まだまだかかるんじゃないですかね」
「私は、可愛い女の子でも、ロボットだっていうのは、やっぱりちょっと怖いです」
森田は、こういった反応も予想していた。ロボットのアイドルなら、アニメから抜け出てきたような身体はメカっぽくてアニメ顔のロボットが既に登場していた。声や動きは大半遠隔操作で人が行っていて、扱いも周囲の反応も着ぐるみのキャラクターと変わらなかった。テトラはそれらとはまったく違う。人とロボットの境目を越えかかっているようなところが。人のように見えて、実はロボットであるというギャップを、ネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるか。受け取る側の判断はさまざまだろう。
「ポジティブにとらえる人が多いといいんですけどね」
森田は誰に言うでもなく呟いた。
※ ※ ※
コーヒーを置いて、由美子は企画書をもう一度読み返す。夜遅い喫茶店は由美子以外に一組のカップルがいるだけで静かだった。事務所のあるビル内の喫茶店に、由美子は良く考え事をするときに一人で来ていた。
「ハアイ、シャチョーサン、オゲンキ?」
妙な片言の日本語。顔を上げると、黒髪のショートカットにジーンズ、白いシャツというラフな格好の女性が悪戯っぽく笑って立っている。
「由里奈さん。お酒入ってるんですか?」
「まあ、ちょっと飲んできたけどね。あたし、アイスコーヒーね」
ICプロダクションの所属タレント、酒匂由里奈だった。子役から雑誌モデル、アイドル活動を経て、女優としても活動していたが、最近ではネット上の情報番組やラジオ、アニメの声優など多方面に渡っていた。
「どうでした。収録」
「いやあ、テトラちゃんにはまいったわね。ほんとにロボットだとは思わなかったなー。国の機関が作ったアンドロイドって設定の痛い子だとか思ってたから」
由美子の向かいに座った由里名は、由美子の見ていた企画書を手に取った。
「プロジェクト・カシス?」
「今回のテトラの件ですよ。カリンズとユニットを組むんで」
「あー、カリンズ(フサスグリ)にあわせるからカシス(クロスグリ)ってことか。へー。誰の命名?」
「森田さんです」
「森田のおじさまね」
カリンズというユニット名は、中学生の少女二人組みのユニット名をどうしようか考えていた森田のところに、仕事から帰った由里奈がお土産として買ってきたジャムのビンに書かれた名前を見せたことで付いたということだった。
「カシスってことは、テトラちゃんのイメージカラーは黒?」
「濃い紫ですかね。目の色がそんな感じですから」
「目か。近くで見ると子犬みたいで可愛いんだよね。つい、んちゅってやっちゃて、ママゴンに怒られちゃった」
「は?」
「いや、だからテトラちゃんの唇に。ファーストキスだったみたいで。だって、あの子、逃げないんだもの」
「なにやってんですかぁ、由里奈さん! テトラは人間に対しては抵抗しないようになっているんですよ。まあ、危害を加えられたと判断しなかっただけかもしれないですけど」
「危害って、失礼ね。ママゴンは口紅落とすのが大変だとかなんだとか、変なことで怒ってたけど」
由美子は、自分より五つ年上のこの女性のことを頼もしく思うことが多かったが、時々子供っぽい行動をして呆れかえることもあった。
「あの、ママゴンて」
「ああ、権田さんだっけ、なんだかテトラちゃんのステージママみたいじゃない。あの人あたし苦手だなー」
「権藤さんです。明日、謝らなきゃ」
「大丈夫よ、森田のおじさまが謝ってたから。私も一応謝ったし」
由里奈はアイスコーヒーをストローを使わずにそのまま口に運んだ。
「ユニット名って、カリンズwithテトラだっけ。安直じゃない? まんまじゃん」
「カリンズwithカシスとかリーベスとかありましたけど、テトラの名前は外せないってことでそうなりました」
「ま、期間限定ユニットだし。いいでしょ。それより、二人にはちゃんと説明したの?」
「千鶴ちゃんと佐和香ちゃんにですか? ええ。先週末に事務所で」
由里奈が急に真顔になったので、由美子は少し身構えた。
「千鶴は単純に楽しんでるみたいだけど、佐和香はちょっと気にしてるのよ。やっぱり自分たちが人気無いからだろうって」
「いえ、そんなつもりじゃ、テトラと一緒に露出が多くなるといいかとは思いましたけど」
二人の気持ちまで深く考えていなかったことに、由美子は内心しまった、と思った。
「今まで社長はタレントのプロデュースには口ださなかったから、余計そう思ってるんじゃないかな。あの子、真面目だしね」
由里奈はアイスコーヒーを口にしながら横目で由美子を見つめる。
「ま、あなたはそのまま、いつも通りにしてればいいわ。フォローは森田さんや私がやるから。変にあなたが気を使うと余計考え込んじゃうだろうし」
少ししゅんとしたような由美子に由里奈はそう言って笑った。
「すみません」
「じゃ、ここは奢りってことでよろしく」
七月末。小学校や中高校生は夏休みに入った。ICプロダクションは、テトラがゲスト出演した番組のネット配信を控え、事前の告知やカリンズwithテトラのイメージビデオなどの製作に追われていた。通常とは違い時間をかけて仕上げる余裕もなく、テトラは特に国立電算機研究所から遠くに行くこともできない。撮影は、カリンズの二人も国立電算機研究所に出向いて、敷地内で撮影することになっていた。
「告知の反応はどう?」
カリンズと森田が撮影に出かけて、由美子は今日配信予定の情報番組の確認にパソコンが数台並んだ、事務所内の制作室を訪れた。動画の再生数やサイトの閲覧数などのチェックもここで行っていた。
「まずまずってとこですかね。カリンズの今までのイベント告知とかと比べると、五割増しってとこですか」
チェック担当者の横に立っていた岸田が言う。由美子が期待していたほどではなかったが、まず予想の範囲だった。
「でも、昨日の晩からだいぶ上がってますよ。これのおかげだと思いますけど」
「なに?」
チェック担当者の指差した画面を由美子が覗く。アニメや声優のニュースを主に扱うニュースサイトらしかった。そのなかの見出しに、
〝ユリ姉、美少女アンドロイドの唇を奪う〝
というものがあった。
「昨日のラジオで由里奈さんが言ってたらしくて、さっそく記事になってます。知ってました?」
「キスのことはね」
呆れると言うか、なんともいえない気持ちになったが、宣伝効果があったのなら良しとしようと、由美子は前向きに考えることにした。
「テトラに関する反応はどう?」
「ネタ扱いが多いですね。そういう設定のアイドルだろうって反応が多いみたいです。中には、ヒューマノイド開発機構のことを調べて興味を持っているようなのもいるみたいですけど。少数派ですね」
「配信後にどう変化がでるかね」
動いているテトラの姿を、一般の放送媒体で公にするのはこれが初めてだった。自分で思考するヒューマノイドとしては、アルフィニオンが既にテレビ番組に出演していたが、テトラは姿も人とほとんど変わらない。アニメのようなアバターを使った、ネットアイドルが現れて人気ともなっているような現在、どういうような反応がでるのか、未知数だった。
「カリンズは撮影でしたっけ」
岸田が壁のスケジュール表を見る。
「プロモーション用のね。テトラも一緒」
「終ったら、即編集ですか」
担当者がモニターから顔を上げて由美子を見た。
「今日は配信がスタートするから、あなたはそっちのチェックを優先して」
「わかりました」