2. テトラ
応接室を出ると、木庭博士に付いて二人は、研究開発の行われている建物への入り口らしきものの前に着いた。駅にある自動改札に良く似たゲートがあった。ここで手荷物は一時預かりとなり、木庭博士が警備員と話をして、ゲートの一つが空いた。二人はそこを通って、中へ入った。渡り廊下を通り、別の建物に向う。部屋も廊下もリノリウム張りだった。廊下からは綺麗に刈り込まれた芝生の中庭が見えた。白い百葉箱が置かれている。それを見て、由美子は通っていた高校の中庭をふと思い出した。
「ここから先に行くには、ここで認証登録をして貰わんとならんので、お手数ですが宜しくお願いします」
廊下の先で、部屋に案内された。掌をマウスパッド大の装置に置いて、指紋と静脈の認識登録に、視力検査のような機械で目の網膜認識登録も行った。
「ずいぶんと厳重ですね」
森田が苦笑する。
「まあ、国家プロジェクトですし」
由美子は森田と二人分の身分証を事前に送ったことを思い出した。
部屋から出て、エレベーターホールに着いた。ホールにあるゲートで掌を認証装置にかざして進み、エレベーターに乗り込んだ。博士が三階を押す。三階でエレベーターを降りると、また認証のゲートがあった。どのゲートもしっかり監視カメラがチェックしている。正面のカメラ然としたものだけではなく、脇にある柱の中にもカメラはあるようだった。こちらでは掌と網膜の両方をチェックし、ゲートの向こうへ入った。
廊下を進むと、〝開発3〝とだけ書かれたドアがあった。博士がIDカードと網膜の生体認証でドアを開けた。
「どうぞ」
博士が二人を招きいれる。部屋は教室ほどの広さで、窓は無く、中央に歯医者にある患者が座る椅子に良く似たものがあった。その周囲に机があり、モニターや電子機器が並んでいる。椅子には、十二、三才くらいの白いパジャマのようなものを着た少女が背筋を伸ばして座っていた。隣に白衣を着た女性が立っている。二人とも、入ってきた由美子たちを見つめていた。
「開発主任の権藤君です」
木庭博士が白衣の女性を紹介した。
「初めまして。権藤と申します」
権藤が軽く頭を下げた。
「そして、この娘が、」
少女が椅子から立ち上がって、由美子の方を向いた。
「ヒューマノイド開発プロジェクトで開発された、Hpt-Btype4、通称、テトラです」
「テトラです。よろしくお願いいたします」
少女の姿をしたそれは、権藤の言葉に続いてアルトの綺麗な声で淀みなくそう言うと、頭を下げた。
「え……、あ、冬海由美子です」
何処にロボットがいるのかと思っていたが、もしやと思った相手に挨拶されて、由美子は少し狼狽えた。
「よろしくね。テトラちゃん」
気を取り直して由美子が右腕を差し出す。差し出して、握手って分かるだろうか? と思ったが、テトラは間を置かずに由美子の手を握った。しなやかで冷たかったが、人の手と感触は変わらなかった。由美子が笑顔で握り返すと、手を握るテトラの口の端が少し上がったように思った。微笑んだのだろうか。しげしげと顔を見る。背は由美子より低い。150センチを超えるくらいか。肩に届くくらいの黒髪。顔は、綺麗に左右対称の整った顔立ち。どちらかといえば西洋的な顔立ちで、遠めにはハーフの美少女といったところだ。大きな黒目がちの目を長い睫が縁取っている。深く濃い紫色の目だが、由美子はこの目に少し違和感を覚えた。
「ちょっと見ただけでは、人と区別がつかないですね」
由美子の横に来た森田が言った。テトラはちらりと森田を一瞥して、また由美子に視線を戻した。
「目は、カラーコンタクトをしたみたいにハッキリしてますが、ロボットと言われなければ気付きませんよ。というか、本当にロボットなんですか?」
由美子が木庭博士に向って言った。
「正真正銘、プロジェクトで開発したロボットですよ。目は、人間の目と同じ構造には作れませんでした。カメラと基本は同じ仕組みのレンズで出来ているので、違和感があるんでしょう。顔や身体の皮膚には新開発された人工皮膚が使われておって、質感は人とほとんど変わらんはずです」
「どうして、女の子なんですか?」
森田が質問する。
「開発関係者に男性が多かったからですよ」
権藤が答えた。口元が微笑んでいる。
「まあ、それだけじゃなくて、いろいろと統計を取ると、成人男女よりは未成年の方が人当たりが良いという結果もありましたけど」
「ずいぶんと、綺麗と言うか、可愛い顔立ちですよね」
森田が権藤に向って言った。
「ええ。いろいろなモデルのデータがあって、意見が分かれてましたが、それを一まとめにしたので。平均顔というものですよ。そうすると、整った美形になります」
「これだけ自然なら、プロジェクトの成果として発表されても問題なかったのでは?」
「この娘の調整がうまくいって、自然な動作になるまでにかなりの期間を要したので。開発関係者以外に直接みせるのが今日始めてですし」
「それだけ、もう今は問題はないと?」
「今のところは。これからも、ソフトウェアの大きな動作エラーは起きないと思います」
森田は続けて権藤に質問した。権藤は、髪に白いものも混じっていて、髪は無造作に後ろで束ねていた。化粧気の無い顔は三十代後半くらいか。整った面立ちは美人と言えた。銀縁の眼鏡の奥の細い目はどことなく皮肉な表情を宿している。
「ロボット三原則でしたっけ、それは組み込んであるんですか?」
「ええ。それに類するものは。若干、制限がありますが。誰の言うことでも聞くわけではなく、今は開発プロジェクト内での優先順位で命令を受けるようになっています。その他の人の命令はそれに反すれば受け付けませんが、周りの人々に危険がある場合や、自分に危害がある場合など、状況によって判断します」
「人に危害を加えることは無い?」
「人がテトラに危害を加えようとしている場合でも、逃げられなければ基本的に無抵抗です。逃げたりしたら他の人に危害が及ぶといった場合もそうですね」
森田はあごに手をやって、視線をテトラに移す。
「人かどうかの判断は、どうやっているんですか?」
「パターン認識ですね。人間と同じです。顔や姿、動き、声などで判断します。認識能力は人間よりも高いですよ。人間には無い能力も使っていますから」
「人間に無い能力?」
「テトラは可視光以外の波長の光も識別できます。赤外線に紫外線も。人の体温を見ることもできるわけです。人間は、シチュエーションによって人だと誤認識する場合がありますが、たとえば、ラーメン屋のカウンターに、服を着せてマネキンを座らせていると、ちょっと見ただけでは人が座っていると思うでしょうが、テトラは人間か人形か即座に区別がつきます」
「そりゃすごい。テトラちゃん、私は森田といいますが、人間ですか?」
「森田さんは人間です」
テトラは即答した。
「簡単すぎるか。人間じゃないとか、冗談でも言わないんでしょうね」
「ああ、一つ、先ほどの三原則の件で補足があります」
森田とテトラのやり取りを見て笑っていた権藤が、ふと真顔になって言った。
「何ですか?」
「人への危害ですが、それは物理的な要因に関してだけです。心理的なものは、人間ほど判断力はありませんし、これに関しては、完全な対応は不可能だと思っていますけど」
「まあ、そうでしょうね。言葉で傷ついたの傷つけられただの、主観的はことは人間でもよくわかりませんし」
森田はテトラの顔を見つめた。無表情。実際に何か考えているのだとしても、これは読めないな、そう思った。
「去年の段階では、まだとても発表できるようなものではなかった。こうしてテトラをお二人にお見せできるのも、権藤君を中心に頑張ってもらった結果です。これを、見てもらいましょう」
机の上のモニターの前に木庭博士が座る。
「よろしいのですか?」
権藤が木庭博士に尋ねる。博士は頷いて、モニターに映像を映し出した。由美子と森田が後ろから覗き込む。
「最初のほうは、多少、グロテスクかもしれませんが、直ぐに終ります」
博士の操作で画面にウィンドウが開いて、映像が映った。日付は、去年の五月十日。ベッドを上から写した映像。横たわっているのはテトラらしかった。人々の声が聞こえて、多くの人が居るらしいことが判る。起動開始の声。暫くはなにも起きなかったが、不意にテトラが動き出した。腕、足、頭。身体のあちこちが動きだす。しかし、その動きはまるででたらめに見え、身体の各部が個別の意思で動いているかのようだった。よくよく見ると、各部が一定の動きを繰り返していることがわかる。指は小指から親指までを順に曲げたり伸ばしたりし、首は規則正しく前後左右に動いていて、目も同じく開けたり閉じたりしている。動きは早くなったり遅くなったり、一定していない。短く女性の悲鳴のようなものが上がったり、慌しくしく指示を出す声が響く。なまじ、人間そっくりなだけあって、その機械的な動作は不気味だった。
「こんな洋楽のPVを昔みたな」
森田がぼそっと呟く。由美子は自然と手が口を押さえるような仕草になっていた。
映像が切り替わる。日付は三ヵ月後の九月十六日。今度はベッドを斜め横から撮っていた。上半身を起こしたテトラが映っている。誰かの質問に答えるように腕や首を動かしている。自然に見えたが、急に硬直したり、違う方向へ動いたりしている。
「この時期は、われわれの声による指示をテトラが理解しているのか、理解していないのか、たんなる誤動作か判別をつけることが困難でした」
博士はそう言って続きの映像を写す。日付は十二月三十一日。テトラがトレーニングウェア姿で部屋を歩いている。だいぶ自然な動きになっていた。その次の映像は今年の三月五日。ラジオ体操をしている。もう、人の動きと遜色なかった。次の映像は四月七日。五十音を一つ一つはっきりと発音している。
「声はスピーカーから出ているんですか?」
由美子が質問する。
「いいえ。人工の声帯を持っているので、人と同じように発音して喋ることができます」
権藤が答えた。
「口は話すためだけのものなんですか?」
「そうです。内臓バッテリーで稼動しますので、食事などはしません」
真顔で答える権藤。
「それにしても、一年でここまで来ただけですばらしいじゃないですか」
と、森田。
「一年ではありませんよ。身体を動かすための記憶データも、思考プログラムも、事前にシミュレーションやテストを繰り返していましたから。このボディタイプに決まってからでも三年はかかっています」
森田の言葉に権藤が答えた。
「事前のシミュレートというのは?」
「アルフィニオンをご存知ですか? あれと同じく、ボディを外部の電子頭脳からコントロールさせて、実際にボディに頭脳を組み込んだときのためのデータを採集したんです。今では、ほぼ人と同じ様な動作が可能になりました。ただ、ボディの疲労も考慮して、テトラは一日の起動時間を八時間に制限しています」
「一日八時間? テトラは、人間みたいに寝たりするんですか?」
由美子が面白そうに質問する。
「ボディは完全に休止状態にしますが、頭脳は記憶領域の保持のために一部は常に稼動しております。完全に止めてしまうと、再起動したときに上手く起動するかどうか、まだわからんのです。そもそも、起動しない可能性もある」
博士が由美子の質問に答えた。
「Btype4でしたっけ、そう言ってましたけど、他に1から3もいるんですか? テトラって、4という意味ですよね?」
今度は博士に向って森田が質問した。
「Btypeというのは、Brain Typeという意味で、ナンバー1から4まで作られた電子頭脳の番号です。それぞれ、若干構造を変えてありました。起動テストで起動したのは、ナンバー2とナンバー4だけで、ナンバー2はボディに電子頭脳を組み込んだ後に正常に作動せず、ここまでちゃんと動いとるのは、テトラだけということです」
「繊細なもんですね」
「分子レベルでニューロンを構築してありますからな。設計上の問題が無くても、製造時の不具合で動かない場合もあります。作り続ければ歩留まりも上がるでしょうが、なにせ、直接間接の費用を含めれば、戦闘機並に費用が掛かっておりまして。完成形として制作出来たのは四つが限度でした」
森田が芝居がかった仕草で目を見張ってみせた。
「あのう、テトラには、実際どれくらいの費用が掛かったんですか?」
由美子はやや不安げな声で尋ねる。
「テトラ単体での金額は出せませんが、プロジェクト全体ですと、五年間で五千億弱といったところですか。全額国からでたわけではなくて、大半は国立電算機研究所でプールしていたものと、参加企業による持ち出しです」
「それですと、利益があがりそうなものを結果として求めそうですね」
すこし、踏み込んだ言葉かと思いつつ、森田が言った。
「テトラは実用性を求めて作製されたものではありません。プロジェクトで、現在の技術でどこまで達成可能かという目標として掲げられたもので、完成しないことも想定しておりました。むしろ、完成させられると思っていた者が少ないでしょう。成果としては、製作に関して得られたノウハウと、副次的な技術ですな。それらは、パワードスーツ等の開発だけでなく、人のための義手や義肢、動力源の新型燃料電池などはすでに商品として使われているものもあります。まあ、採算を見込んだプロジェクトでもありませんし、見込んだところで採算がとれるわけでもないですが」
由美子が腕時計を見た。予定の時間を三十分程過ぎていた。テトラに気を取られて忘れていた名刺交換を権藤と済ませる。ヒューマノイド開発室主任、権藤冴子とあった。
「では、今回の件に関しましては、広報の方も交えまして、再度検討いたしたいと思います」
別れ際にテトラに手を振ると、テトラも振り返す。今度は、微笑んでいることがはっきりと分かった。
駐車場に向う二人。陽は高く昇って、強く照り付けていた。
「参りましたね。ロボットというから、もっと、メカっぽいものだと思ってましたよ」
森田が歩きながら言う。
「そうですね。あそこまで自然な感じなのはちょっと」
事前に見ていた、学会に発表したときのものだという、ネット上の動画では、時間も短く、あまりはっきりした映像ではなかった。実際に見て触れて来たというのに、尚更信じられない思いだった。
「森田さんは、テトラをプロデュースするとしたら、どうします?」
「さて。着ぐるみのイメージキャラクターを扱うようにはいかないでしょうね」
車に乗り込む。日差しの下むっとした暑さ。森田は強めに冷房を効かせる。
「この話、実際に受けるんですか?」
シートベルトを締めながら森田が聞いた。
「ええ。悲しいことに、冬海グループの依頼は、そうそう断れません」
由美子が笑って見せた。
「期間が短いとはいえ、あれだけのロボットの仕事ですから、大手がからんでそうですけどね」
「既にアルフィニオンが発表されてますし、それほど話題になっていないってこともあるんじゃないでしょうか」
前年の夏に公にされたアルフィニオンは、最初の頃はニュースやテレビ番組でも取り上げられ、一頃話題となっていたが、年が変わってここ最近は全く音沙汰無くなっていた。人の心は移ろいやすいと言えばそれまでだが、人のように対話できるロボット、といっても、アルフィニオンほどではなくとも似たようなロボットはそれまでも現れていた。
ネット上には、アバターを使った素人からプロまで、有象無象のアイドルや芸人とでも言うような者たちが溢れていたし、AIをつかったバーチャルアイドルもすでに登場していて、AIとしても、スマートフォンでも使用できるAIと差別化できるほどの違いもない、というところもあるのだろう。
「パワードスーツ押しなんですかね。やっぱり」
冬海インダストリアルも関係している、ロボテクニカ社が完成させたパワードスーツは、男女の選任パイロットを公募するなど、大きな話題となっていた。米軍も関与しているなど噂もあって、賛否両論、世間をにぎわしていた。とりわけネット上での人気は高かった。
ただ、スーツというよりは、人が乗り込む、乗り物、の意味合いが強く、実際に使用されるのは、古来の鎧のような形状のパワーアシストスーツ、というものの方が普及するだろうとは言われていて、実際、簡易的な機能のものは、肉体労働の現場では既に使用されていた。
「今、二つも抱え込むのは面倒なんでしょう。他にまかせずうちの会社っていうのも、様子見するにしても扱いやすいからでしょうし」
後ろ盾があるのは安全でもあったが、厄介ごとを背負い込まされることもあった。由美子にしてみれば、今回の件は扱いづらいが厄介ごとというほどのことも無いように思えた。
「森田さん、カリンズの二人の、八月のスケジュールは空いてましたっけ」
「週一のネットラジオと、アニメイベントのゲスト出演くらいですけど」
カリンズというのは、ICプロダクションの所属タレントで、女子高校生二人のアイドルユニット名だった。デビューして三年になるが、アニメやゲーム関連と、ネット上での活動が中心で、一般に名の知られた存在ではない。
「カリンズとテトラで、期間限定のユニットなんて、無理かしら」
「え。これからですか?」
「夏休み、そうね、八月限定とかで」
「まあ、あの二人は、夏休み中は何時もよりスケジュールに余裕はありますけど。今から準備はきびしいですよ。それに、テトラに歌ったり 踊ったりさせるんですか?」
「ラジオ体操くらいはできるみたいだし、後は、歌は歌えるのかな?」
この場の思いつきで言っているわけでは無さそうだった。森田も一緒に研究所を訪問した理由がこれなのだろう。
「許可が下りますかね」
「そうですね。それが一番の問題ですか」
由美子は、権藤の名刺を取り出して見ている。森田がフロントガラスの向こうを見ると、夏の日差しに芝生が揺らいで見えた。暑い夏になりそうだった。