10. 災難
土曜日。テトラが出演する予定のテレビ番組、『サタデー・カルチャー』は、土曜の午後一時から三時まで二時間のバラエティ番組で、生放送されていた。今週はロボット関連の技術という特集があり、ヒューマノイド開発プロジェクトについて紹介するのが主な内容だった。その成果としてこれまでは義手や義足、重い荷物を扱うような肉体労働者へのパワーアシストスーツといたものが挙げられていたが、直接的な成果ともいえるテトラは特集の目玉と言えた。
森田は番組が行われるスタジオに向っていた。由美子は朝からあまり落ち着かない気持ちでいたが、他の仕事をこなしていくうちに気持ちも落ち着いてきた。パソコンのモニターを見ながら書類を確認していると、机に置いていたスマートフォンが鳴って、ちょっとびくりとしながらも電話にでた。
「ハイ。森田さん。どうしたんですか?」
まだ午前中で番組は放送前だった。
『いや、ちょっとトラブルがあって、放送は中止になりました』
「え、どういうことですか? 何があったんですか?」
『リハーサルの前に、テトラが暴漢に襲われたということで。私はその場にいなかったので詳しいことはわからないんですが』
「襲われたって? テトラは無事なんですか?」
『ええ。衣装が傷ついたくらいで。どうも、番組制作会社の元社員だということで、逆恨みによる犯行らしいです』
「逆恨みって、どうしてテトラが」
『それはわかりませんが。こちらは警察が来てて現場検証しています。テトラの検査に付き合ってから、暫くしたら戻りますが、そちらにも取材やらなにやら、行くと思いますから、私が戻るまで対応お願いします』
由美子には何が何だか分からなかった。開発室へ向い、森田の電話の内容をスタッフに伝えた。
「テトラが襲われたってことですか!?」
「詳しいことは森田さんが戻ってからじゃないと分からないわ。何か、情報は上がってる?」
「サタデー・カルチャーの放送中止をコメントしている人がいますね。観覧予定だった人みたいです。状況は分かってないみたいで、機材の故障らしいとか書いてます」
由美子が言う前にパソコンに向っていたスタッフから声が上がった。
「他には、何か事故だか事件が起こったみたいだという書き込みもあります。警察が来ていると書いてあります」
「東都放送から正式なコメントはまだ無いのね?」
「はい。局や番組のサイトにはまだ何も」
時間は午前十一時半を少し回ったところ。由美子は東都放送へ電話してみたが、案の定、電話が込み合っているという録音サービスが流れるだけで繋がらない。
「あ、番組サイトに告知がでました。今日の放送は機材トラブルにより中止とでてます。放送は、以前やった総集編の再放送らしいです」
「機材トラブルって、テトラが機材みたいじゃないか」
「面白くないわよ、それ」
由美子はスタッフの会話を聞いても上の空だった。机の上の電話が鳴る。
「はい、開発室です。はい、え? はい、少々お待ちください」
応対したスタッフが由美子を見る。
「社長、事務室からで、デイリーネットニューズから、サタデー・カルチャーの件で電話だそうです。テトラが暴行されたことも知ってるみたいですが」
「早いわね。こちらは詳しい情報が入っていないので、コメントできないと伝えて」
「分かりました」
この電話が合図だったかのように、次々に電話がかかって、事務室で処理できずに、開発室のスタッフも対応に追われた。会社のサイトのコメントページは読む前にページがスクロールしていく。
「NKHの昼のニュースが始まりましたよ」
部屋の大型モニターに映像が映った。電話の応対をしていない者はモニターを注視している。正午から十五分のニュースは、昼のニュース番組としてはもっとも視聴率が高いものだった。
「さすがにトップには来ませんね」
最初はスイスのベルンでの経済会議の様子、中東での紛争。アメリカでの株価下落と海外が続き、国内のニュースは医療機関での汚職事件、航空機のニアミスと、男性アナウンサーが淡々と伝える。このままテトラの件は出てこないかと思われた。
『次のニュースです。今日午前十一時頃、東都放送の生放送番組のリハーサル中に、暴漢が侵入し、番組に出演予定のヒューマノイド開発機構のロボットに危害を加えるという事件がありました』
ニュースの終わり近くでテトラのニュースが読まれた。
『男は、この番組を製作している制作会社の元スタッフで、待遇の不満などから先月退職しており、会社に対する恨みによる犯行と見られ、器物損壊、威力業務妨害の疑いで逮捕されました』
映像は、番組収録が行われるスタジオを外から撮ったもので、犯人とみられる男がパトカーで送致されるところだった。ニュースはそれだけであっさりと終わり、スポーツに切り替わった。
「器物損壊、か」
ぽつりとスタッフが言った。それは、テトラのことなのだろうか。
「権藤さん、大丈夫ですか?」
騒動を東都放送に着いてから知った森田は控室に権藤とテトラを訊ねた。事のあらましは番組のスタッフに聞いていた。番組関係者らしき男がおろおろとした様子で権藤と話をしていた。
「ああ、森田さん。いらしてたんですか」
権藤の口調は何時もと変わりない。傍の椅子に座るテトラもいつも通り無表情だ。
「お取り込み中でしたか」
「いえ、もう話は済みました。では、テトラの検査もありますから。これで失礼します」
権藤の言葉に、傍らにいた男がお待ちくださいと言いおいてあたふたと部屋を出ていった。部屋の隅にはもう一人、長身で茶髪の男がスマートフォンを片手に誰かと会話している。
「テトラの検査に早くいきたいのですが、警察が来たり、色々と時間がかかってしまって」
「テトラは、大丈夫なんですか?」
「ええ。特に大きな傷などはありません」
森田は、テトラの前に中腰になった。
「大丈夫か? テトラ?」
「はい。身体に大きな損傷はありません」
森田に、テトラは少し口の端で微笑んで見せた。
「怖くはなかった?」
「怖い、という感情は、私にはありません。知識として知ってはいますが」
真顔なテトラ。千鶴や佐和香と話をしているときは表情にも幾分変化があって、感情というものが見えるような気がするのだが、由美子や森田を相手にしているときは改まった態度で接しているようにも感じていた。そこは、見た目よりも大分大人びた態度と言えた。
そうしたテトラに対するこれまでの森田の印象は、大人しい、頭の良い優等生、というものだった。権藤と会話をするときに、そういえば、テトラはロボットだった、と思い出すくらい、カリンズの二人にも馴染んでいたし、何時か、由里奈が言った、ロボットだと思い込んでいる子、だとしても納得できるようか気がして来ていた。
「テトラは、痛みは感じるんですか?」
森田はふと思った疑問を権藤に訊ねた。
「人のような苦痛は感じませんが、身体に起きた影響は感知しています。病気や怪我に気が付かない人も多いですが、テトラは不具合を見逃したりはしません」
苦痛を感じないというのは、時には便利かもしれないな、漠然と森田は思った。
「テトラは恐怖を感じない、と言っていますが、それは苦痛を感じないことと関係があるんでしょうか。今は無くてもいずれ体得したりするもんですか?」
「苦痛を感じないから、というのはありますね。人間が恐怖を感じるようになるのは体験が大きく影響していると思いますが、テトラも外界からの影響で体得するかもしれません。人の場合と異なったものになるかもしれない。これは、研究課題でもあります」
少し、考え込むような様子で権藤は言った。
そうした二人の会話を、テトラは背筋をぴんと伸ばして椅子に座って、様子を伺うように見ていた。
「これから研究所へ戻るんですか?」
「いえ、丁度、パーツチェックを兼ねて、アルミュール・ルージュ社へ伺う予定だったので、ああ、すみません、紹介が遅れてしまって。アルミュール・ルージュ社の夏川さんです」
電話が済んだのか、部屋の隅にいた長身の男性が笑顔を見せると森田の前にやってきた。
「アルミュール・ルージュ日本支社の夏川です」
「ICプロダクションの森田です。テトラのプロデュースを担当しています」
森田が受け取った名刺には、赤い甲冑を模したようなロゴに、アルミュール・ルージュ日本支社開発室長、夏川弾、とあった。
「お話は伺ってます。アンドロイドのプロデュースとは、面白いことを考えましたね」
一見して二枚目俳優かモデルのような夏川だった。
「失礼ですが、アルミュール・ルージュ社というと……」
社名に記憶があったが、直ぐには思い出せなかった。
「ああ、申し遅れました。精密機器を扱っていまして、テトラの手足は我社が開発したものです」
「ほお」
ヒューマノイド開発プロジェクトに関わる企業の一覧を何度か見た森田もテトラのパーツを開発した企業までは詳細に把握していなかった。
「今日の番組に、私も呼ばれてましてね。最近では精密な義肢や義足を開発したので、サイボーグと比較されることも多くなりました」
グレーのスーツにノーネクタイの夏川は俳優の演じるドラマの人物の様に見えた。
「森田さんは、どうします、この後は?」
権藤が訊ねる。
「そうですね。番組を見学してから報告がてら戻るつもりだったんですけど」
「宜しかったら、森田さんもいらっしゃいませんか? この際ですから、お話したこともありますし」
夏川が森田にそう言って、権藤へ視線を移した。
「私は構いませんが。検査の間は退屈でしょうけど」
権藤は何時もの笑みを見せて森田へ言った。
「はあ、私が伺っても宜しければ。ちょっと社に連絡します」
妙な成り行きになった。事件が起こって番組が潰れた後という雰囲気は此処には無く、森田は夏川の言葉も気になった。




