十字路商店街
先日、十字路商店街に引っ越してきた。今日から店舗に紛れて通路に並ぶ学校に通うことになる。黒髪に寝癖がついていないか。黒い瞳に目やにがついていないか。しっかり身だしなみを確認。そして、新しい学ランに身を包み、リュックを背負ってウキウキと家を飛び出した。
向かいにある本屋に入店し、幼馴染の姿を探す。予想通り、本を読んで待っていた幼馴染が、真紅の瞳で雅を捉えた。ハーフアップに結んだ肩までの黒髪を揺らし、此方に駆け寄ってくる。凛と咲き誇る花々が恥じらうほどの整った顔立ちだ。幼馴染ながらセーラー姿が眩しい。
「雅くん、おはようございます。今日からまた、同じ学校ですね。小学生以来でしょうか」
「おはよう、林檎。そうだな。また同じ学校に通えて嬉しいぜ」
まだ客が居ない為、普通の声量で挨拶を交わし。幼馴染の林檎と共に本屋を出る。雅と林檎の居住区は十字路商店街の三丁目。学校は四丁目にある故、少し歩かなければならない。様々な店舗に挟まれた大きく広い通路を、二人でのんびりと歩く。まだ時間に余裕があるからか。周りに同じ制服の人は見当たらない。と、林檎が立ち止まって、ポケットから何かを取り出す。
「すみません。担任の先生からこれを渡すように言われていたのを忘れていました。受け取ってください」
「人形と賽子?」
「ここの商店街独自の勝負で使う道具です」
受け取って首を傾げる雅に林檎が説明。そういえば、商店街特有の勝負方法があると、引っ越し初日に言われたのを思い出す。この二つでどう勝負するのだろうか。雅は改めて人形と賽子を観察する。人形は手のひらサイズで猫耳と尻尾を生やしていた。賽子は六面ダイスで爪ほどの大きさしかない。なくしてしまいそうだ。林檎は人形片手に説明を始める。
「この人形は勝負における自分の相棒です。このように、髪の毛をつけると、容姿が瓜二つになります」
「おおっ、スゲェ」
一本抜いた髪の毛をつけた途端、人形が林檎そっくりになり感嘆する雅。肩で切り揃えたハーフアップの黒髪も、垂れ気味の優しい真紅の瞳も、学校の制服まで同じだ。感心する雅に微笑ましそうな笑みを浮かべ、林檎は自分の分身となった人形を床に置く。
すると、人形がピョンっと立ち上がり、正座する林檎の太腿に座った。勝手に動く人形に、雅は目を点にする。開いた口が塞がらない。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で唖然としていたが、雅も恐る恐る髪の毛を抜く。抜いた一本の髪を人形につけてみた。
途端、雅そっくりに生まれ変わる人形。襟足長めの黒髪も黒い瞳も制服も完璧に模倣。それだけではなく、よいしょと起き上がって動き、雅の胡座の間に座ってきたではないか。魔法を使えたみたいな気分になり嬉しくなる。雅はできたことを親に報告する幼い子供みたく、パアッと顔を明るくさせて目を輝かせてしまった。
「次に賽子の説明をしますね。賽子は上に投げると巨大化し、このように頭上に浮かびます。振る時は軽く触れるだけで構いません」
「こっちもスゲェな。魔法使いにでもなった気分だ」
「十字路商店街の中でのみ発動する魔法ですね。此処を出てしまうと、人形も賽子も、何も変化しません」
賽子を軽く投げた林檎は、真上に浮かぶ大きなそれを見上げ、クスッと小さく笑う。口を開けて驚く雅の軽口にも笑顔で付き合ってくれる。なんて健気で優しい幼馴染なんだ。有り難みを胸に染み渡らせながら、雅も賽子を投げてみる。
大袈裟なほど感動する主人を、ぬいぐるみが半眼で見ていた。雅が投げた賽子も無事に巨大化し、頭の上でピタリと止まる。ツンツンと軽く人差し指で突くと、クルクルと回り出した。そして、数秒もせずに止まる。自動で賽の目を出してくれるとは便利なアイテムだ。
「次が最後の準備です。この賽子を使って、ぬいぐるみの耐久力を決めます。耐久力は出た数字を十倍した数です。これがゼロになってしまうと負けになります」
「ゲームで言う体力ゲージみたいなものか」
賽子に優しく触れて説明を続ける林檎に倣い、雅も再び賽子を振る。出た目の数は三。これに十を乗算した数が耐久力故、三十だ。対する林檎の出目は八。よって、耐久力は八十ということになる。そこで、二人の賽子の面の数が、六面と十三面で違うことに気付いた。雅は見間違いかと二つの間で視線を走らせる。林檎は卑怯な手を使うような人間じゃない。何か意味があるのだろう。雅の戸惑いを察したのか、林檎が「ああ」と説明を追加してくれる。
「賽子の面はレベルによって違います。レベルは勝利数に応じて上がっていくので、まだ一勝もしていない雅くんは六面なんです」
「なるほどな」
「林檎がテメェみたいに卑怯な真似なんてするわけねぇだろ」
「うおっ、みこ!?」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。突然、部屋に来たもう一人の幼馴染に瞠目する雅。ハーフアップに結んだ髪を解くみこは、林檎の双子の妹だ。腰まで伸びた緩く波打つ黒髪に青藍色の瞳。セーラー服の上に黒色のパーカー。風光明媚な景色が霞むほどの端正な顔立ち。
性格は何故か雅に対してだけやけに冷たく、口調も荒い。林檎とは天と地ほどの差がある。だが、雅はみこのことも嫌いではない。幼い頃から仲良くしたいと思っている。その願いは虚しくも達成できていないが。と、みこが懐から人形を取り出して髪の毛をセットした。
「来い、雅。林檎にまどろっこしいことをさせるぐらいなら、あたしが実践形式で勝負について叩き込んでやる」
「ゲッ、マジか」
「まさか、林檎に懇切丁寧に教わっておいて、分からなかったなんてことはねぇよな?」
「問題ございません!」
顔を引き攣らせた雅は、みこに鋭い目つきで睨まれ、慌てて首を横に振る。初めての勝負に不安と興奮を抱きつつ、ある程度、距離を取った。いつの間にか、みこの頭上にも賽子が浮かんでいる。軽く跳躍して賽子を殴ったみこに続き、雅はドキドキしながら賽子に触れる。まるで宝くじの当選発表を見ている時のような気分だ。クルクルと回り出した賽子がピタッと止まる。雅の出目は二。みこの出目は十一だ。
チラッとみこに説明を求めると、彼女がぬいぐるみに指示を出す。「熱湯を浴びせろ」という物騒な指示を聞き、みこに似たぬいぐるみが大きな茶碗を用意。勢いよく振り回し雅のぬいぐるみに熱湯をかける。バシャーンと熱々の湯を浴びた雅の人形は、水圧に負けて尻餅を突いた。そのまま、目をぐるぐるとさせ、コテンと仰向けに倒れる。よく見ると、腹部にゼロと数字が記されていた。これは負けたのだろうか。
「六面ダイスじゃこんなもんか」
「ごめん、全く理解できてないから、説明してもらってもいいか?」
「賽子の出目は一から二十。一が一番弱くて、二十が一番強い。強い数字を出した方が、相手の人形を攻撃できる。腹に書かれた耐久力が先にゼロになった方が負けだ」
つまらなさそうに人形から髪を抜くみこに、低姿勢で疑問を投げてみる雅。無視されるかと思いきや、意外にも簡潔で分かりやすい説明をしてくれた。つまり、雅が出した二はみこの十一より弱かった為、攻撃されたということか。一気に耐久力がゼロになったのは何故だろう。三十しかなかったからか。攻撃力も出目を十倍した数なら、十一の十倍で百十になる。
「ちなみに、さっきの『熱湯を浴びせる』ていうのは?」
「ぬいぐるみの技だ」
「いや、それは分かってるんだけど、どんな感じで決まってるのかなって」
顎に手を当てて自分なりに理解した雅は、賽子も戻したみこに追加で質問。またもや簡潔に答えてくれたみこだが、雅の疑問は解消せず。ぬいぐるみの技はどういう理屈で決まるのか深く質問する。と、みこが青藍色の瞳を逸らし、眉間に深く皺を刻んだ。少しの間、沈黙が続いた後、蚊の鳴くような声で返される答え。
「……テメェに教える義理はねぇ」
「何で!?」
「技は好物が反映されるんです。みこは好物を知られるのが恥ずかしいみたいですね」
雅が、突然、突き放されて目を見張る中。家に帰ったみこと入れ替わる形で来た林檎が、代わりに説明してくれる。となると、雅の人形はラーメンでどうにか攻撃するのだろうか。気になって仕方がない。
もう一度、勝負したいところだが、そんなことよりも、みこの好物を知れた喜びが強かった。みこの好きなものを初めて知ったのだ。これを利用して仲良くなる作戦を決行しないわけにはいかない。「みこって茶漬けが好きだったのか」と、ボソッと呟いた雅に、林檎が申し訳なさそうに眉尻を下げてアドバイスをした。
「雅くんがプレゼントしたお茶漬けの元は食べてくれないと思いますよ」
「ですよね」
考えていた案を否定され、雅は顔を引き攣らせる。捨てるなんてことは流石にしないだろうが、家族に振る舞いそうだ。どうして、みこにこんなに嫌われているのか分からない。が、お茶漬けの元を送る作戦は、決行する前から失敗のようだ。
「では、学校を目指しましょうか。此処の人たちは好戦的なので、途中、勝負を挑まれるかもしれませんし」
「おっ、新入りだな? 私達、商店街の人間は、目と目が合ったら勝負開始だ」
「何だその独特ルール!?」
林檎の言葉通り、家具屋から出てきた少女に、早速、勝負を挑まれる雅。よく分からないルールに瞠目しつつも、もっと勝負の経験を積んでいきたくて応じる。少女がぷちっと髪の毛を一本抜き、人形につけた。途端、人形が少女と瓜二つの容姿に変わる。後ろで一本の三つ編みにした焦茶色の髪に桃色の瞳。林檎と同じセーラー服。やはり全て完璧に模倣されている。
絆と名乗った少女が賽子も準備した。雅は先程みこと戦った時のまま。故に、賽子も人形も準備万端。と目を向けたところで、人形が戦闘不能にされたことを思い出し。慌てて目をグルグルにした分身を拾い上げる。腹部の数字は綺麗さっぱり雲散霧消。身体はピクリとも動かない。どうすればいいんだと焦燥に駆られる。
と、林檎が手を差し出してきた。手のひらに乗っているのは小さな飴玉。目を瞬いて飴玉を見ていると、林檎が人形の口に押し当てる。すると、人形の口の中に飴玉が吸い込まれ。グルグル回っていた目がパチッと覚めた。「おおっ」と安堵と簡単を混ぜた声を漏らし、雅は人形を地面に下ろす。人形はやる気満々な瞳で、向かい合う敵に目を向けた。準備を終えた絆の人形も双眸の奥に闘志の炎を燃やしている。
「準備はできたか? なら、耐久力を決めるぞ」
絆の質問に肯くと同時、勝負が始まった。賽子を叩いた彼女に倣って、雅も賽子をノックする。まずは耐久力を決めるところからだ。ちなみに、絆の賽子は十三面ダイスだった。雅の出目は三。絆の出目は九。賽の目に十を乗算した数が耐久力となる。つまり、絆が九十。雅は三十だ。六十も差ができてしまった。
「じゃあ、始めるか」
「お手柔らかにお願いします」
「残念ながら、手加減する気はない」
耐久力を決めた絆が、雅に悪戯っぽく口角を上げる。十三面ダイスを使ってる時点で察していたが、負けず嫌いなのか手加減無用らしい。雅はガックリと項垂れ、負けるかもしれない可能性に涙目になる。が、まだ勝負は始まっていない。ほとんど運任せだ。勝てる可能性だってある。
勝利を信じて頭上の賽子を叩いた。絆もノックするみたいに賽子をコンっとする。結果、六を出したきずなが、攻撃の権利を取得。出目が四だった雅のぬいぐるみに、「カレーをかける!」と攻撃を仕掛ける。途端、どこからともなく寸胴を持ち出し、絆のぬいぐるみが中身をぶちまけた。飛んできたカレーを真正面で受け、雅のぬいぐるみが仰向けに押し倒される。
「あれ? 俺、負けじゃね?」
「そうですね。耐久力が三十しかないので、威力六十の攻撃には耐えられません」
起き上がらず目をグルグルさせる人形を見て、雅は負けを確信。林檎にトドメを刺され、その場に撃沈した。負けるかもしれないと言っても早すぎるだろう。もっと白熱した勝負になるはずだったのに。どうしてこうなった。絆が「六面ダイスじゃこんなもんだろ」と、みこと同じことを言って慰めてくれる。相手も六面ダイスならもっと良い勝負になるのだろうか。どんどん自信を失っていき、勝利を勝ち取る未来が見えない。ズーンと落ち込む雅の背中を、林檎が優しく撫でてくれている。
「もっと勝負の経験を積めば、勝ち星が増えていくと思います」
「そーだな」
いつまでもグズグズしていると林檎に迷惑だ。雅は顔を左右に振って惨めさを払い、顔を引き締めて立ち上がった。絆に「頑張れよー」と見送られながら、歩くのを再開する。が、ペットショップを通り抜けた途端、林檎に誰かが飛びついてきた。腕の中に飛び込んだ人物は、幸せそうな顔で胸に顔を擦り寄せている。
正体は鎖骨まで伸びた栗色の髪を緩く巻いた黄色の瞳の少女だった。林檎と同じセーラー服に黄色のカーディガンを羽織っている。少女は、一通り擦り寄った後、林檎の右手を両手で包みこんだ。林檎しか見えていない双眸は蕩けていて、愛情の色をふんだんに盛り込んでいた。隣の雅の存在に気付いていない。無視されているのは何となく面白くなくてムッとする。
「おはよう、林檎ちゃん。愛里と放課後デートの権利を賭けて勝負しましょう」
「おはようございます、愛里さん。私ではなく此方の雅くんと勝負してあげてくれませんか?」
「ど、どうも」
チラッと雅に視線を向けた林檎に釣られ、ようやく認識する愛里。試しに引き攣った笑みを浮かべたまま、雅は挨拶してみる。初対面なのに、不満しかない歪んだ顔をされ、挙げ句の果てに舌打ちまでされた。露骨に嫌われていて顔をヒクヒクさせる。幼馴染で仲良くなりたいみこよりはマシだ。が、女子に嫌われるというのは、やはり精神的的苦痛がある。しかも、愛里は林檎に負けず劣らずの美少女。ダメージは大きい。そっぽを向いた愛里が勝負を拒否する。
「男子と勝負するなんて嫌よ」
「そこを何とかお願いします」
「あっ! なら、林檎ちゃんが愛里の要望に応えてくれたらいいわよ」
痛む胸を抑える雅の横で困った顔をする林檎。それと裏腹に、欲望に満ちた目を、キラキラと輝かせる愛里。一体、林檎に何をさせるつもりだろうか。林檎を危険な目に遭わせたくなくて、雅は不安と緊張を混ぜた表情をする。心臓がこれでもかと早鐘を打っていた。冷や汗も止まらない。妙な緊迫感に包まれる。そんな雅と正反対に、黄色の瞳を期待で満たした愛梨が、要望を告げた。
「林檎ちゃん、愛里に好きって言って!」
「好きですよ、愛里さん」
「もっと感情を込めて!」
「映画監督かよ」
矛先が林檎に向き、雅を安堵させる。林檎は照れた様子もなく微笑み、愛里に愛情を伝えた。が、お気に召さなかったらしい。ワクワクとした面持ちの愛里が、昂った声で林檎に指示を出す。ボソッとツッコミを入れた雅など目にも入っていない。
興奮して小鼻を膨らませる愛里に気圧され、少し引き気味だった林檎が愛里を抱きしめた。それだけで、身体を強張らせた愛里は、キャーキャーと歓喜の悲鳴を上げている。林檎は欣喜雀躍する愛里の耳元に口を寄せ、囁くような色のある声で呟いた。
「好きです、愛里さん」
「うぐっふ」
それにより、限界を迎えた愛里が、鼻血を垂らして店内を汚す。ポタポタと結構な量が垂れていた。口からも血を吐いたのか、口元に赤い液体が付着している。効果抜群にも程があるだろう。雅が口元を引き攣らせて呆れる中。林檎からのポケットティッシュで血を乱雑に拭い、目をギラギラと血走らせて、結婚を申し込み始めた。店内に響き渡る大声量だが、いつものこと故、誰も気にしていない。暴走した愛里は戸惑う林檎を横抱きし、走り去って行った。
「ちょっ、俺か林檎と勝負しろ!? ていうか、林檎返せ!」
雅は慌てて後を追いかける。玩具屋の前に居る二人に追いつくと、林檎を抱き寄せたみこと、地面を転がる愛里が居た。どういう状況か分からないが、できるならば関わりたくない光景だ。が、関わらなければ先に進めない。雅は深く深く溜息を吐いて、ゴロゴロと幸福感に満ちた顔で転がる愛梨に声をかける。
「おい、俺か林檎と勝負してくれよ」
「林檎ちゃん、愛里と新婚勝負よ!」
「私達、結婚してませんが……」
起き上がった愛里の言葉に困惑する林檎。律儀に返事をするから狙われている気がする。と、「あたしがやる」とみこが立候補。愛里を林檎に近付けたくないのだろう。雅も同じ気持ちだが、みこも愛里と近付けたくない。愛里は恐らく女の子が好きだ。林檎と似た容姿を持つみこも、充分、恋愛対象である。案の定、「み、みこちゃんと勝負……」と、愛里は感極まった顔で天に感謝を述べていた。
そして、ハァ、ハァと気息奄々な状態で人形を取り出す。気持ち悪いものを見る目で、みこも人形を用意。お互いに髪の毛をつけて分身を作り、賽子を天高く投げた。その後、頭上に浮かんだ賽子に触れて耐久力を決める。どちらも十三面ダイスだ。愛里が十一。みこが九。よって、耐久力はそれぞれ、百十と九十である。「愛里もみこちゃんの髪の毛が欲しい! 賽子みたいに触れられたい!」と、欲望を叫ぶ愛里に負けてほしくない。大丈夫だろうか。
「あたしに勝ったら、あたしを好きにして良いから、いい加減に勝負に集中しろ」
「任せて! 全力でお相手するわ!」
真剣勝負がしたかったらしい。余計なことを言って火に油を注ぐみこ。愛里がこれまでに見たことがないほどの真顔だ。本当に大丈夫だろうか。主に、みこの貞操が。心配する雅の視界で、二つの賽子がクルクルと回る。愛里の出目が四。みこの出目が六。攻撃の権利を得たのはみこだ。みこが人差し指を前に突き出し、指示を出す。
「熱湯を浴びせる!」
刹那、みこのぬいぐるみが、身の丈ほどの茶碗を用意。中に入った熱々の湯を、愛里のぬいぐるみにぶっかける。バッシャーンと大量の熱湯を浴び、腹部に描かれた耐久力が、百十から五十に減った。それでも、真剣モードの愛里は焦ることなく。怖いぐらいの真顔のまま賽子を振る。静かで冷静な愛里は不気味だ。みこはロボットみたいな愛里に満足そうである。
二度目に攻撃の権利を獲得したのも十一を出したみこだった。再び熱湯を全身に被った愛里のぬいぐるみは、腹部の数字をゼロにして倒れる。目をグルグルさせて大の字になった人形を見て、負けを認めた愛里が「愛里も攻撃したかったー! みこちゃんをホイップクリーム塗れにするチャンスだったのにー!」と、意味不明な欲望を叫ぶ。「ホイップクリームに塗れるのは、あたしじゃなくて人形だけどな」「それでもいいの!」と、みこのツッコミに返し、不満を顕に頰を膨らませていた。
「随分と時間を取られてしまいましたね。学校に急ぎましょう」
みこに絡む愛里に呆れる雅の横で、林檎が時計に目を落とす。愛里のことをみこに任せるのは忍びない。ということで、変な絡まれ方をしているみこの手を掴み、駆け出す。後ろから「あっ、待ちなさい!」と愛里が追いかけてきた。が、ペットショップから顔を出した母親らしき女性に呼ばれ、愛里が不満気に家へと戻る。ホッと安堵の息を吐いた瞬間、「いい加減に離せ」とみこに臀部を思いっきり蹴られ。雅は痛みに悶絶する羽目になった。
「うちのジムで臀部を鍛えれば、蹴りにも耐えられるようになるのじゃ。入会するかのう?」
痛みに蹲る雅の隣に屈み、営業をかけてくる謎の美女。お団子に結った栗梅色の髪と瞳。大人びた雰囲気と色気。タンクトップにショートパンツという無防備な格好。大人のお姉さんといった風貌に、雅は緊張して身体を強張らせる。妖艶な色香に包み込まれて身動きが取れない。魅了されたみたく、目が離せなくなって。その隙に美女が入会の手続きを始める。我に返った雅は申し込み書をビリビリに破いた。
「ああ、何をするのじゃ。もう少しで入会完了だったというのに」
「危ねぇ! って、新しい申し込み書を持って迫ってくんな!」
「おはようございます、有栖さん」
申し込み書を片手に寄ってくる美女から退く雅。それを助ける形で、林檎が美女に声をかける。有栖と呼ばれた美女は、豊かな胸を押しつけ、四つん這いで迫るのをやめ、林檎を見上げた。色仕掛けから逃れることに成功し、雅は無駄に疲れた身体から力を抜く。少しだけ勿体無い気がして。後ろ髪を引かれているのは気のせいだ。と思いたいが、みこからジトッとした目を向けられている為、顔に出ているのだろう。
「おお、居たのかえ。気付かなくてすまんのう。あまりにも情けない臀部の持ち主を見て、ジムトレーナーとしての血が騒いでおった」
「誰が情けない臀部の持ち主だ」
「宜しければ、雅くんの臀部をジムではなく勝負で鍛えてあげてくれませんか?」
「林檎!?」
立ち上がった有栖が林檎の言葉で半眼の雅を見下ろす。林檎にまで情けない臀部の持ち主だと言われ、雅は大きく目を見開いて仰天する。どんな時でも彼女だけは優しくて頼りになる味方だったのに。地面に座り込んでさめざめと落ち込む中。品定めしていた有栖が、懐から人形を取り出して、髪の毛を一本抜く。それを人形につけ、自分そっくりに変身させると、栗梅色の瞳に好戦的な色を宿した。
「よかろう、かかってくるのじゃ」
「あっ、俺に拒否権はないのか」
「雑魚にあるわけねぇだろ」
「みこ、もうちょっとオブラートに包んでくれ」
勝手に話を進められて嘆息した雅は、みこの冷たい言葉に胸を貫かれる。グサっと的確に急所を刺してくる毒舌に、よろめきながら手加減を要求。みこは聞いているのか聞いていないのか、雅から目を逸らして遠くを見ている。と、林檎が飴をくれた。いつか飴を購入して返したいところだ。なんて思いながら、髪の毛をつけたままの人形に飴を近付けて回復。此方も頭上に鎮座したままの賽子に触れる。出目は四。
対する有栖は二十面ダイス。しかも出目は十八だった。初めて見る大きな数字に圧倒される。しかし、耐久力を決めてしまった為、勝負が始まった。手に汗握りながら賽子に触れる。何とか大きな数字を出してくれと願う雅の出目は一。有栖の数字は七。勝てるわけがなかった。「卵液をかける!」と有栖が叫んだ。刹那、有栖のぬいぐるみがボウルを取り出し、中に入った卵液をかけてくきた。雅のぬいぐるみが飛んできた卵液でびしょ濡れになる。
「また一撃でやられた!」
四十しかない耐久力が七十も威力がある攻撃に耐えられるはずもなく。雅は頭を抱えた。というか、六面ダイスなんかじゃ、何回やっても勝てる気がしない。本当に勝利数を稼げるのだろうか。一生、六面ダイスな気がしてきた。自信喪失して手と膝を地面に突く。四つん這いで項垂れる雅の肩に、ポンポンと誰かの手が触れた。
「うちが勝ったことじゃし、申し込み書を書いて持ってくるのじゃ!」
「……マジで?」
顔を上げた先に居たのは申し込み書を持った満面の笑みの有栖。負けたからには断ることなんてできなくて。雅はジムに入会することになってしまった。満足気な有栖と別れて、申し込み書をリュックにしまい、深く溜息を吐く。林檎に宥められながら、トボトボと歩いていると、コインランドリーから男が出てきた。
後ろで一つに結んだ腰まである金髪に金色の瞳。着崩した学ラン。全体的に装飾品が多く、ホストみたいな雰囲気。何となく第一印象は良くなくて、雅は警戒心を強めて男を睨め付ける。男は鞄を片手に気怠げに空を見ていたが、みこに気付くとニヤリと口の端を釣り上げた。
「よぉ、みこ。俺に会いに来たってことは、学校まで登校デートしてくれるのか?」
「誰がするか、離せ」
「何だコイツ」
「彼は楓先輩。みこに一目惚れしたナンパ男です」
顎をグイッと持ち上げる手を振り払い、みこが不機嫌そうに眉を顰める。何となく癪に触ってムッとする雅に、林檎が彼を紹介した。楓は嫌がられているのに、みこに絡むのをやめず、グイグイと迫っている。みこが今にでも蹴りを入れそうなほど顰めっ面で。あそこまで嫌われようとする勇気はすごいと素直に感心する。雅は好かれたい為、そんなことする気はないが。
「何だお前」
「えっ」
「みこと一緒に登校しやがって、許せねぇ。勝負しろ」
雅に視線を突き刺した楓が、こめかみに青筋を浮かべ、嫉妬心全開で絡んできた。何となく気に食わない為、勝負を受けることにする。勝ち誇った顔をした楓は、人形に髪の毛をつけて変化させ、賽子を取り出した。賽子の面は六。レベルが最底辺の雅と同じだ。初めて会った同じ面の持ち主に雅は目を見開く。楓が勝利を確信した瞳で嘲笑し、六面ダイスを見せつけた。
「お前なんか六面ダイスで十分だ」
「えっ、ダイスの面って変えられるのか?」
「はい。上限が増えるだけなので、好きな面の数で勝負できます」
が、どうやら元々は六面じゃなかったらしい。楓の言葉でそれを知って驚く雅に、林檎が首を縦に振って説明をする。実際に見せてくれるらしく、賽子を取り出す林檎。クルッと一回転させ、十三面ある賽子の面が六面にする。もう一度、クルッと回せば、十面になった。マジックを見ている気分だ。と、苛立ちを顕にした声色の楓が雅を鋭く睨め付ける。
「いつまで女とイチャついてんだ、お前。まずは耐久力の決定だ、さっさとしろ」
「イ、イチャイチャなんかしてねぇ!」
「あんなに距離が近かったくせに照れてんじゃねぇよ。ムカつくな」
「林檎に近付くな、離れろ」
揶揄われた雅は顔を赤らめて動揺しながら叫喚する。が、冷やかしじゃなくて嫉妬だったようだ。みこが好きな割に林檎に男の影が居るのも嫌らしい。楓が地を這うような低い声で睨んできた。チッと舌打ちまでしたが、みこが同意見だと知って機嫌を良くする。グイッと無遠慮に腰を抱き寄せ、みこに鳩尾を膝蹴りされていた。うっと崩れ落ちた楓の自業自得だ。
「早くアイツをギッタギタにして黙らせろ」
すると、逃げてきたみこが雅の後ろに隠れる。初めてみこから頼られた雅は、歓喜を胸中から溢れさせて、「任せろ!」と気合に満ち満ちた声で返事をする。それに怒髪天を突かれたらしい楓が舌を打ち、賽子を乱暴に蹴った。クルクルと回り出した賽子の面は五。耐久力は五十だ。
鼻息荒く闘志を漲らせる雅も、頭上に浮かんだ賽子を叩く。雅の賽の目は四。今回は十の差しかない。しかも、同じ面の数だ。初めて勝てるかもしれない。否、みこの期待に応える為、絶対に勝たなければ。雅は顔を引き締めて集中し、もう一度、賽子を振る。楓も苛立ちをぶつけるみたく、賽子を殴った。二つの賽子がコロコロと回転する。楓の出目は三。雅の出目は四だった。
「よっしゃあ、攻撃のチャンス到来! どんな技をするのか分からないけどやってしまえ!」
髪の毛の持ち主からの指示を受け、雅のぬいぐるみが大きな丼を用意。その中に手を突っ込んだ人形がラーメンを操り、楓のぬいぐるみを縛った。ラーメンでグルグル巻きにされた楓の人形の耐久力が五十から二十に減る。ラーメンを好む雅の分身の技は、麺で縛ることらしい。まだ耐久力が残っているからか、楓のぬいぐるみは無理やり麺を引きちぎった。
「そう簡単に終わらせてやるかよ。俺が勝って、みこをいただくんだ!」
「そんな約束してねぇよ」
「尚更、負けるわけにはいかねぇな」
楓が不快感で熱くなった胸の内を吐き出すみたく、ガンッと強めに賽子を蹴る。勝手な条件を付け足す彼に、みこが辛辣にツッコミをし。雅は更にやる気を溢れさせる。身を震わせて厭うほど忌々しそうな楓に倣い、賽子を叩いた。同時にコロコロと縦に旋回する二つの賽子。楓の出目は六。雅の出目は五。「あっ」と声を漏らしたと同時、楓が声を高らかにして指示。
「豚で攻撃!」
「何だそれ!?」
食べ物ではない攻撃名に、雅は思わずツッコミをする。トドドドドと駆けてきた一匹の豚が、全力の体当たりをお見舞い。吹き飛んだ雅のぬいぐるみが、目をグルグルさせて倒れる。五十しかなかった耐久力がゼロになっていた。フンっと鼻を鳴らした楓が、腕を組んで胸を張りながら、得意気な顔で見下してくる。
「残念だったな、クソ餓鬼。さぁ、みこ。俺と共に登校するぞ」
「そんな約束してねぇって言ってんだろ」
「ぐふっ」
「くっ」と悔しさで歯を食い縛る雅の視界で、楓がみこに腹部を蹴られた。容赦のない強力な蹴りで崩れ落ちる楓。「行くぞ」とみこが楓に背中を向けて歩き出す。楓に気遣うような眼差しを向けながら、林檎もみこを追いかけた。雅は憐憫の眼差しを突き刺した後、二人の後を追う。背後から楓の自信に満ちた声が聞こえた。
「今日は気分が良いから引いてやる。だが、俺は諦めねぇからな。覚えとけよ、みこ」
三人とも無視して先に進む。本当に追いかけてこない。予想以上にみこの攻撃が効いたのだろう。確かに臀部に浴びた蹴りはかなり痛かった。容赦と躊躇がなさすぎて強力だった。美少女に蹴られることに興奮を覚える人も居るらしいが、みこ相手だと気持ちが昂るどころじゃないだろう。それを腹部に食らったのだ。暫くみこと距離を置きたくなるに違いない。
と、コインランドリーの斜め向かいにある神社から、箒を持った幼い女の子が現れた。年齢は一桁だろう。耳下で二つに結んだ黒髪に黒い瞳。髪の左右にある垂れた猫耳みたいな癖。ぶかっとした白い単衣に緋袴。キョトンとした顔は年相応にあどけない。女の子はじーっと雅を見ていたが、てってってと駆け寄ってきた。
「あなたが引っ越してきた人ですかにゃ?」
「えっ、おう」
「わたしは柊ですにゃ。早速ですが、勝負をお願いしますにゃ」
「本当に此処の人たちは好戦的だな」
膝を折って頷いた雅は、柊からの宣戦布告を聞き、乾いた笑声を溢す。柊は袂から人形を取り出して髪の毛をつけ、賽子を天高く投げた。頭上に浮かんだ賽子は十五面。凪いだ湖のように静かな瞳の中に、ワクワクとした色を浮かべ待つ柊の賽子を見上げ、雅は瞠目する。
「年齢一桁ぐらいの幼女が十五面ダイスは詐欺だろ!」
「わたしは幼女じゃないですにゃ。もう、五歳ですにゃ。立派な大人ですにゃ」
「五歳は幼女だぞ」
素っ頓狂な声を上げて少し身体をのけぞらせると、柊がプンスカと頰を膨らませて怒った。五年しか生きていないのに大人ぶる柊に、雅は微笑ましくなって頭を撫でる。なでなでされるのが好きなのか、柊は雅の手のひらに頭を擦り付け、スリスリと擦り寄ってきた。気持ち良さそうに目を細めている。が、ハッと我に返って、バシッと手を振り払う。
「怒りましたにゃ。わたしが勝ったら、罰としてお賽銭箱に全額を入れてもらいますにゃ」
「全額!?」
「怒らせるからだ、ばーか」
十五面ダイス相手に勝てる自信がない。だというのに、全額持っていかれそうになり。雅はみこに縋るような眼差しを向けてみるも、冷たく突き放され。ガックリと項垂れる。
高校生のお小遣いなんてたいしたことない。全額持っていかれたら、またコツコツと貯めるのに、時間がかかることだろう。絶対に負けられない勝負になってしまった。
しかし、柊の頭上に固定された賽子に威圧され、どうしても萎縮してしまう。十五面ダイスに六面ダイスで勝てるのだろうか。財布の中にある数枚のお札と小銭に心の中で別れを告げる。そんな雅を哀れに思ったのか、黙って様子を見ていた林檎が柊と交渉する。
「柊さん、全額ではなく半額で許してあげて下さい」
「むー、林檎がそう言うなら、半額で良いですにゃ」
柊が唇を尖らせて不満そうに応じてくれた。雅は緊張から解放された背中に安堵の色を滲ませる。そして、「何回も負けてごめんな」と謝りながら飴玉を唇に当てた。復活したぬいぐるみは、次こそ勝つぞと言わんばかりに、顔を引き締める。それに鼓舞された雅はパンっと両頬を手で叩き、気合を入れ直した。負ける前提で勝負するなんてらしくない。
柊と同時に賽子に触れる。クルクルと回転した賽子が、ピタッと止まって耐久力を示す。柊の出目は十二。雅の出目は六。二倍離れている。「お賽銭箱のお金を増やすチャンスですにゃ」と、柊が、俄然、やる気を出す。財布の半分でも十分に死活問題。負けたくない。ゴクリと生唾を飲んだ音を合図に雅と柊は同時に賽子を振る。柊の出目は十三。雅の出目は二。「ですよね!?」と分かりきっていた結果に叫喚した。柊が楽しそうに指示を出す。
「海苔で巻く!」
瞬間、雅のぬいぐるみの足元から、二つ折りの巨大な海苔が現れた。そのまま、間に挟まれた人形をパクッと食べる。まるでおにぎりに巻くみたく、人形が海苔に包まれてしまった。柊の好きな食べ物はおにぎりなのだろう。なんて考えている間に、ビリビリと海苔を破き、雅のぬいぐるみが背中から倒れた。目をグルグルとさせ、敗北を表している。
愛着が芽生えてきて、「ごめんなぁ」と人形を抱き上げる雅。林檎から貰った飴玉を涙目でぬいぐるみに渡し、回復してあげる。元気に動き回る姿を見て愁眉を開く雅だったが、チョンチョンと肩を人差し指で突かれ。振り返った柊に無言で手を向けられる。何を言いたいのか察した雅は、大人しく財布を取り出し、半分の額を支払った。
「有難う御座いますにゃ」
ホクホクとしたご満悦な顔の柊に見送られ、学校へと道を進む。六面ダイスだからか、運が悪すぎるのか。びっくりするほど勝てない。このまま負け続けていると、四丁目の端にある学校に着く頃には、精神的負荷で倒れそうだ。うーむと腕を組んで顰めっ面をする雅。すると、靴屋のドアが開いて男の子が出てきた。
林檎を見るとパアッと顔を明るくさせ、飛び出してくる。その勢いのまま林檎に正面から抱き着いた。全体的に丸い白銀の髪に同色の瞳。女子が羨みそうな健康的な白い肌。全体的に雪に溶け込みそうな真っ白さだ。服装はそんな白さと対照的な黒い学ランで、ランドセルを背負っている。
「林檎お姉ちゃん、おれと遊ぼう」
「おはようございます、奏兎くん。私ではなく此方のお兄ちゃんと遊んであげてください」
「えぇー」
セーラー服を掴んで遊びに誘った奏兎が、不貞腐れた顔で雅を見た。初対面だからダメージは少ないが、子供にあからさまに嫌な顔をされると傷付く。「仕方がないな。林檎お姉ちゃんの頼みだから、相手してあげるよ」と、上から目線にやれやれといった顔で承諾する奏兎。とても生意気である。
雅が頭に手刀を落としてやりたい衝動を抑え込む中。奏兎がランドセルから人形と賽子を取り出した。髪の毛を一本抜いて人形につける。途端、ぬいぐるみが奏兎そっくりに変わった。面倒臭そうな顔でジトッとした半眼を突き刺してくる。持ち主そっくりだ。天高く投げられた賽子は六面だった。六面同士の対決に、雅が思わず心の声を漏らす。
「あっ、よかった。六面だ」
「はあ? おれのことを馬鹿にしてるのか?」
「いや、そういう意味で言ったんじゃなくて」
馬鹿にされたと思ったらしい奏兎が、背筋を凍らせる冷徹な瞳を向けてきた。慌てて弁解するも、機嫌を直してもらえず。居心地悪い雰囲気の中、勝負することになってしまった。みこが呆れたような半眼で、「お前、子供を怒らせる天才だな」と、トドメを刺してくる。
怒らせてしまったものは仕方ない。と気を取り直して、勝負に集中する。最初は耐久力の設定からだ。どちらの賽の目も四。初めて同じ耐久力での勝負となった。今度こそ勝てるかもしれないと、淡い期待が雅の胸に芽生える。希望の光が見えたことで口元を綻ばせてしまい、奏兎をますます怒らせてしまった。
「絶対にその嘗め腐った態度を崩してやる」
「いや、嘗めてるわけじゃなくてだな」
不平な気色を両頬に漲らせた奏兎に言い訳をする雅。フンっと鼻を鳴らした奏兎は、雅の言い分を信じてくれず。無駄に火に油を注いだ結果、やる気を溢れさせた瞳で、賽子を振った。雅も頭上に浮かんだ賽子に触れる。奏兎の出目は二。対する雅の出目は六だった。
気まずさに萎縮しながら、雅は「ラ、ラーメンで縛る」と指示を出す。ようやく勝てる試合に闘志を燃やし、ぬいぐるみの方は生き生きと攻撃を仕掛けた。ラーメンで縛られた奏兎の人形が、四十しかない耐久力をゼロにされ、目をグルグルさせて倒れる。負けてしまった奏兎が、むぅーっと唇を尖らせた。涙目で人形を拾い上げて雅を睨め付け、走り去る。
「林檎お姉ちゃんは渡さないんだからな」
「俺と林檎はそういう関係じゃ……」
捨て台詞を吐き捨てて去っていった背中に、誤解だと告げるも止まってくれず。奏兎は学校の方に消えていった。「ふざけんな。林檎は誰にも渡さねぇよ」と、みこが独占宣言をボソッと溢す。折角、勝てたのに、幼い子供を負かした罪悪感が大きくて。素直に喜べず、モヤモヤする。
と、塾から「行ってきます」と声が聞こえ、一人の少女が出てきた。ポニーテールに結んだ臀部まである黒髪に青色の瞳。学ランに身を包み、青色の棒付きキャンディを持っている。クールビューティーという言葉が似合う少女だった。雅と林檎、みこに気付くと、ペコリと一礼する。
「おはようございます」
「おはようございます、青さん。お時間ありましたら、雅くんのお相手になってくれませんか?」
「よ、よろしくお願いします」
「分かりました」
あっさりと了承してくれた青が、丁寧な口調に釣られて敬語になる雅と向かい合う。今度の敵は同い年だ。もしも勝てば、喜べるだろう。奏兎には学校で謝るとして。雅は彼との対決を一旦忘れることにし、深呼吸をして気持ちを切り替えた。飴玉なしですぐに始められる状態故、相手の準備が終わるのを待つ。青は手早く人形と賽子を用意した。慣れた人の動きだ。
「それでは、耐久力を決めましょう」
「あっ、はい」
手際の良さに見惚れていた雅は、青に話しかけられて我に変える。頭の上でずっと固定されている賽子を振った。青も自身の真上にある賽子に触れる。ちなみに青の賽子は十三面だ。コロコロと回っていた賽子がピタッと止まる。雅の出目は五。青の出目は九。やはり、六面ダイス同士じゃなければ、耐久力は勝てないらしい。
ぬいぐるみの腹部に耐久力が記される。それを確認した後、もう一度、賽子を振った。雅の出目は一だった。対して、青の出目は九。ボロ負けである。青が「飴を降らせる」と指示を出した途端、雅の人形の頭上に現れるモクモクとした雲。そこから多種多様で大小様々な飴玉が、雨のように降ってくる。飴の土砂降りに襲われた雅のぬいぐるみが、クルリと一回転して仰向けに倒れた。耐久力は当然ながらゼロ。
「なんか負けるのが当たり前すぎて何とも思わなくなってきた」
「勝負が普及したばかりの昔と違って、今の商店街に六面ダイスの人は少ないですからね。今、六面ダイスの人は、雅くんと同じく、最近引っ越してきた人達しか居ません」
敗北の悔しさを感じず、表情を変えずぬいぐるみを労ってから、髪の毛を抜く雅。林檎の説明を聞きながら、賽子も小さくしてしまう。ということは、奏兎も最近引っ越してきたのだろうか。なんて考えつつ、人形と賽子を片付けてしまったが、あともう少しで学校だ。勝負を挑んでくる人も居ないだろう。なんて、若干、フラグを建設しながら、人形をリュックに入れる。そして、青を新たに仲間に加え、一緒に学校へと向かう。後少しで学校ということころで、雅が建設したフラグがしっかりと仕事を果たす。
学校の隣にある眼鏡屋から出てきた少女が、雅の前に立ちはだかった。彼女が邪魔で門を通り抜けられない。ふんわりとした胸元まである象牙色の髪と瞳。低い身長に釣り合わない大きな胸。セーラー服の上にはオレンジ色のジャージ。門番もなかなかに濃い人物だった。少女は雅にビシッと人差し指を突きつけ、好戦的な色を浮かべた瞳でニヤリと口角を上げる。
「待っていたのだよ、転校生。ボクは葉月。門を通りたければ、ボクと勝負をしたまえ!」
「うわっ、最後の最後に絡まれた」
あと少しで校内というところで勝負を挑まれ、雅は隠しもせずに辟易した。葉月が雅の失礼な態度を気にせず、人形を取り出す。早く勝負したくてたまらないと顔に書かれていた。学校の前の通路だからか、続々と登校してきた生徒が、チラチラと二人を見ている。眼鏡屋と不動産屋に挟まれた場所寄り故、登校の邪魔にはなっていない。いそいそと準備を進める葉月に嘆息し、雅は諦めて勝負に応じることにした。
「すみません、雅くん。飴がもうなくて回復は難しいので、私が代わりに勝負をしても構いませんか?」
「ああ、むしろ助かる。ていうか、俺の方こそ悪い。今度、絶対に返すから」
が、申し訳なさそうな林檎の飴が尽きて回復できず。雅は戦力外となった。勝負ばかりで主に精神が疲れている。それに、林檎の勝負も見てみたい。ということで、飴について謝罪しつつ、林檎と交代した。何も感じなくなったと言っても、何度も負けたいわけではない。代わってくれるのならば、是非ともよろしくお願いしたい。葉月が雅の時より更に好戦的に笑う。
「おっ、林檎殿が相手をしてくれるなんて珍しい。今日のボクは運が良いぞ」
ひしめき合いながら湧き上がる歓喜を全身から溢れさせている。勝負が楽しみで仕方がないようだ。林檎が勝負するところを初めて見る為、雅も少しワクワクしている。そうこうしている間に、林檎の準備が整った。まずは耐久力の設定からだ。葉月と林檎が同時に頭の上にある賽子を叩く。葉月の出目が十三。対する林檎の出目は七だった。葉月が弾んだ声で告げる。
「では、勝負開始だ! 覚悟するのだよ!」
「よろしくお願いします」
気持ちを舞い上がらせて浮き足立つ葉月に、林檎が律儀にペコリと一礼した。落ち着いた表情で相手を見つめる林檎。双眸を爛々とさせて闘志を燃やす葉月と天と地ほどの差がある。けれども、簡単に負ける気はないようで、涼しい面持ちの奥やる気を漲らせていた。十三面ダイス同士の勝負の始まりを待ちきれず、雅も緊張した面持ちでソワソワと身体を揺らす。
すると、葉月が待ちきれないという様子で賽子を振った。林檎も理知的な色を宿した瞳で賽子を叩く。熱意を灯されたみたく、二つの賽子が勢いよく回り、ピタリと止まった。葉月の賽の目は六。対する林檎の出目は二。攻撃の権利を取得したのは葉月だ。林檎は悠然たる余裕綽々な顔をしたまま。ただ結果を見つめる林檎のぬいぐるみに、葉月が攻撃を仕掛ける。
「蕎麦で縛る!」
葉月のぬいぐるみがサッと正方形で内朱の角せいろを取り出す。天高く盛られた蕎麦が勝手に動き、林檎の人形をグルグル巻きにした。ギュッと縛られ、ジタバタ暴れる林檎の人形。まだ耐久力が残っている。それ故、身体に巻き付いた蕎麦を、ブチブチっと引きちぎった。腹部に書かれた数字は七十から十になっている。
これは林檎の負けか? と、雅が当事者でもないのにヒヤヒヤしている中。美しい湖の水面のように静かで穏やかなままの林檎。特に焦りを見せず、葉月と同時に賽子を振る。葉月の賽の目は一。何を出しても攻撃できる林檎の出目は十一だった。林檎が余裕の色を崩さずに居たのは、これを読んでいたからだろうか。
「アップルパイの檻」
林檎が浮き足立った様子を見せず、あくまでも冷静に指示を出した。と、林檎のぬいぐるみが腕を上げ、巨大なアップルパイを用意する。それをよいしょっとぶん投げ、葉月のぬいぐるみを下敷きにした。かと思いきや、柔らかくなっているらしい底の生地から、葉月の人形がヒョコッと顔を出す。身体が大量に詰め込まれた林檎に埋もれている。網目状になった上の生地は固く、頭突きして出られそうにない。コンコンと生地をノックして硬さを確かめた雅は、完璧に閉じ込めて満足気な人形の持ち主に尋ねる。
「なぁ、林檎。檻に閉じ込めるだけで、どうやって耐久力を減らすんだ?」
「賽子を振って出た出目の分、アップルパイが耐久力を奪います。私の賽の目が十一だったので、葉月さんから百十も頂けますね」
「うーむ、一気に減らされてしまったぞ」
林檎の説明通り、葉月の人形が腹部の数字をどんどん減らした。葉月が二十になったぬいぐるみを見て、顎に手を当てて眉間に皺を刻む。耐久力を奪われた葉月の人形が、ジタバタと手足を暴れさせ、アップルパイを壊して脱出した。
残りの耐久力は十と二十。やはり十三面ダイス同士だと、かなり良い勝負を繰り広げられるようだ。雌雄を決する為、葉月と林檎が同時に賽子を回す。葉月の賽の目は十。林檎の賽の目は八。攻撃する権利を得られたのは葉月だ。
「よーし、蕎麦で縛る!」
主人の勝利を確信した弾んだ声で、葉月のぬいぐるみが攻撃を繰り出す。蕎麦で雁字搦めにされた林檎の人形は、残っていた耐久力を全て奪われ、目をグルグルさせてうつ伏せに倒れた。負けた林檎が気絶した人形に駆け寄り、身体に巻き付く蕎麦を外していく。申し訳なさそうに眉尻を下げ、ぬいぐるみの頭を撫でる。
「負けてしまいましたね、すみません」
「すっごく良い勝負で楽しかったのだよ。また一緒に遊ぼうね」
「はい」
「みこ殿か君のどっちかでも良いぞよ? じゃあねっ!」
葉月からのお誘いを受け、林檎がふんわりと口元を緩め、首を縦に振った。それに満足気に頷いた後。葉月は手を大きく振りながら、走って校舎に入っていった。それに手を振りかえして見送る。なかなかに濃すぎる登校だった。
出会う人達がいちいちツッコミどころ満載で。六面ダイスだから負けてばかりで。正直、悪い思い出ばかりな気もするけれど。悪くない登校だった気がする。振り返ってみて感想を考えた雅は、「私達も学校に入りましょうか」と、ニコリと柔らかく顔を綻ばせた林檎に肯いた。
林檎は人形の髪を抜かず両手で抱っこしている。この商店街では、動く人形をペット感覚で連れ歩くのも普通らしい。雅だって既にめちゃくちゃ愛着が沸いている。髪の毛を外さず肩に乗せて、共に生活するのも悪くない。教室で髪の毛をつけようと決めて、先を行く林檎とみこを追いかけ、新しい学校に足を踏み入れた。