初めての外
森を抜けた先に、ほのかに灯る明かりが見えた。
遠くからでも、それが街であることはわかった。小さな家々の窓が、ランプの光でぼんやりと浮かび上がっている。
(やっと……着いた。)
足元はすでに土埃で汚れていて、靴のかかとは泥に沈んでいた。
けれど、そんなことは気にならなかった。
今はただ――この先にある“生活の匂い”に、胸が高鳴っている。
街の入り口に立つと、どこからともなく漂ってきたのは、焼きたてのパンの香ばしい匂い。
あたたかい笑い声や、どこかの宿で奏でられる楽器の音も聞こえてくる。
宮殿では決して感じることのなかった、熱と人の気配。
(こんな世界が……あったなんて。)
まるで夢の中に足を踏み入れたようだった。
街といっても、小さな集落に毛が生えた程度だ。舗装されていない石畳、古びた木の扉、煤で黒ずんだランプ。
けれどそのどれもが、新鮮で、温かく見えた。
私はマントのフードを深くかぶり、慎重に歩みを進めた。
服は簡素な旅装に替えてきたけど、それでも仕草や立ち振る舞いで身分が知られてしまわないか、どこか不安だった。
ふと、パン屋の前に立ち止まる。
小さな窓から、中の明かりがこぼれていた。
(焼きたてのパン……なんていい匂い。)
店の奥で、白髪の老婦人がパンを並べているのが見えた。
顔に深いしわを刻んでいたけれど、どこか穏やかで、優しそうだった。
「――嬢ちゃん、ひとりかい?」
「ひゃっ」
不意に声をかけられて、びくりと体が跳ねた。
「わりぃ、脅かすつもりはなかったんだ」
声の主は、パン屋の前に座っていた中年くらいの男だった。
粗末な服に長く伸びたひげ、酒の匂いがしたけれど、敵意はなさそうだった。
「大丈夫よ」
「見た感じ家出ってとこか?」
「ちっ違うわよ!……えっと、旅の途中で、少しだけ休みたくて。」
とっさに取り繕ったが、自分でも声が震えているのがわかった。
「そうか...。この辺は夜になると冷える。宿を取った方がいいぜ。あそこの角を曲がって二軒目の『青い灯』って宿なら、あったかいスープが出る。」
男はそう言って立ち上がると、何事もなかったように通りを歩いていった。
(親切な人だな……)
もしかしたら怖いと思っていた街の人々も、案外、優しくて温かいのかもしれない。
そう思ったら、胸の奥がじんと熱くなった。
セレフィーナは、そっと自分の胸元を押さえた。
この鼓動は、不安からでも、恐れからでもない。
(ああ……やっと、私は外の世界に触れることができたんだ..。)
そう思いながら空を見上げると
先ほどより星が少しだけ、近くに感じた。