父の思い
王宮の執務室には、重苦しい沈黙が漂っていた。
アルフォンスは静かに書類をめくるふりをしながら、つい先ほどの出来事を思い返していた。
「――私に、宮殿の外で生活する許可をいただけませんか?」
娘の言葉が、まだ耳に残っている。
(セレフィーナ……お前は、まだ何も分かっていない。)
深いため息をつき、ペンを机の上に置く。
王女が宮殿を離れ、民の中で生きる? そんなことは許されるはずがない。王族は、ただの個人ではない。国の象徴であり、民に示すべき模範だ。
それを放棄し、“普通の生活”を望むなど、あまりにも幼稚な考えだった。
(この国の王女である限り、お前に”自由”などないのだ。)
厳しく突き放したのは、決して娘を傷つけたかったわけではない。むしろ、その逆だった。
この世界は、甘くはない。王族であるというだけで、命を狙われることさえある。自由を夢見て宮殿を出たとしても、待っているのは厳しい現実だ。
セレフィーナが悔しそうに拳を握りしめながら部屋を出て行く姿を見たとき、一瞬だけ、かすかな痛みが胸をよぎった。
――だが、それでも引き止めなかった。
(私が優しさを見せれば、あの子は希望を抱くだろう。だが、それは偽りの希望に過ぎない。)
私の務めは、父親として娘を甘やかすことではない。国王として、王家の威厳と秩序を守ることなのだから。
◆◆◆
それから数時間後――深夜になり、宮殿が静けさに包まれるころ。
執務室の扉を激しく叩く音が響いた。
「陛下! 申し訳ございません、緊急のご報告が!」
突然の慌ただしい声に、アルフォンスは眉をひそめた。
「入れ。」
扉が勢いよく開かれると、息を切らした近衛兵が飛び込んできた。
「陛下……王女様が、宮殿から姿を消されました!」
――その瞬間、時間が止まったような感じがした
「……なんだと?」
静かに放ったその一言には、思わず底冷えするような威圧感を込めてしまった。
兵士は額に汗を滲ませながら、懸命に報告を続ける。
「王女様の部屋の前に控えていた侍女が異変に気付き、直ちに確認しましたが部屋にはいらっしゃらず、窓が開いた状態だったそうです……おそらく、自らの意思で外へ……。」
私は鋭く目を細めた。
「……どこまで調べた?」
「ただちに宮殿内を捜索しましたが、現在のところ、王女様の行方は掴めておりません。裏庭の草むらに微かな足跡があり、そこから城壁の崩れた箇所に向かっております……王女様は、そこを抜けて外へ――」
兵士の声が途切れた。
「……愚か者が。」
握りしめた拳が震える。
なぜだ。なぜあの娘は、ここまでして”自由”を求める?
王家に生まれた者にとって、それは幻想に過ぎないというのに。
「すぐに城下の捜索を開始しろ。王女が一人で遠くへ行けるとは思えん。近くにまだいるはずだ。」
「はっ!」
兵士が敬礼し、慌ただしく部屋を後にする。
私は椅子に深く身を沈め、拳を口元に当てた。
(セレフィーナ……お前は、一体何を考えている?)
怒りだけではない。
王女としての責務を放棄し、ただの少女として生きようとする娘の姿が、なぜか脆く、儚く思えてしまったのだ。
(愚かな娘よ……お前が何を望もうと、この世界は優しくはない。)
それを分かっているからこそ、宮殿の中に閉じ込めておきたかった。守れる場所に置いておきたかった。
だが、セレフィーナはそれを拒んだ。
(ならば、力づくでも連れ戻すまでだ。)
決意を固め、私は席を立った。
「――ジークを呼べ。」
(お前は、私の娘でありこの国の王女だ。どれほど遠くへ行こうとも、必ず連れ戻す。)