初めて救った命
ーー朝
目覚めると、窓の外には太陽の光が差し込んでいた。
王宮に居たときは何をするにも時間が決められていた。だけど今は誰にも縛られず、好きな時間に起きて、好きな服を選び、好きな場所へ行ける。――そんな自由を、少しずつ実感できるようになってきていた。
「今日は……街を歩いてみよう」
寝巻き姿のまま小さく呟いて、鏡の前に立つ。
光を浴びたような金色の髪と宝石のような青い瞳。王族として生まれた証。
王宮を出てからここ数日はマントを羽織ってやり過ごしていたけど、いつまでもこれでは逆に目立ってしまう。
「変容魔法、試してみようかな...」
いつでも外に出られるように学んでおいてよかった。
「ルーシェ」
短く呟くと、髪の色は少し落ち着いた茶色に、瞳は緑色に変わった。
(これで、ただの旅人に見えるはず)
簡素なワンピースを着て、手持ちの小さな財布をポケットに入れたら、私は部屋を出た。
◆◆◆
街は朝から活気に満ちていた。
パン屋の前を通れば、焼き立ての香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
行商人たちが馬車の上から大声で品を売り込んでおり、子どもたちはその間を走り回って笑っている。
(……こんなに人が近いなんて)
王宮の中では、距離を置かれた。
微笑んでも、誰も対等な目線では返してくれなかった。
けれど、この街では誰もが自由に喋り、笑い、時に怒っていた。
それが、どうしようもなく羨ましく、まぶしかった。
私は果物を一つ買い、ついでに布地を眺め、喉が渇けば露店でハーブ水を飲んだ。
平民の人々からすれば普通の一日。けれど、それが私にとっては何よりも新鮮だった。
人の流れに身を任せて歩いていると、いつの間にか裏路地に入り込んでいた。
街の中心の賑やかさとは違い、ここはひっそりとして、物音ひとつしない。
と、その時――
「……うぅ……」
かすかな、けれど明らかに苦しげな声が聞こえた。
「……誰かいるの……?」
私は足を止め、耳を澄ます。
間違いなく、誰かがうめいていた。
声のする方へ、そっと進むと――
そこにいたのは、壁際で倒れているひとりの少年だった。
「……!」
見るからにやせ細った体。
汚れた服、傷だらけの体。
呼吸は浅く、目は焦点を失っていた。
私は慌てて近づき、膝をつく。
「大丈夫? 聞こえる?」
肩を揺すっても、反応はない。
額に触れると、ひどく熱を帯びていた。
「このままじゃ、死んじゃう……」
一瞬だけ迷いがよぎる。
けれど私は、少年の体を抱きかかえ、そのまま魔法を使って部屋に転移した。
◆◆◆
部屋に転移した後、汗だくになった服を脱がせ、少年をベッドに寝かせた。
息は止まりそうなほど細く顔色も悪い。
体には深い傷がいくつもあって、熱もあり衰弱しきっていた。
すぐに治癒魔法をかけたが傷が酷すぎて回復が間に合わなかった。
「どうしようこのままじゃ間に合わない……もう聖魔法を使うしか...」
それは王族の直系にのみ引き継がれ人の生死を左右するという神の領域に触れてしまうため緊急時にしか使うことを許可されていない超高位魔法ーー
ここで使えば魔力の波動でに場所が露見する可能性もある。
でも――
「……今はそんなこと気にしてる暇はないわ」
私は両手を少年の胸の上にそっと手を重ね、目を閉じる。
「リヴィア」
けれどその瞬間、手のひらから柔らかな光が広がった。
優しく包み込むような白い光。
それが、少年の体へと染み込むように流れていく。
消えかけていた命の灯火が、ゆっくりと、しかし確実に戻っていくのがわかった。
ひとつ、またひとつと傷が癒え、色がなかった唇にも色が戻りはじめた。
呼吸も穏やかに、確かに深くなっていった。
「……これで、ひとまずは……」
私は、ようやく小さく息を吐いた。
魔力を使い果たしたわけではないけれど、緊張で全身が汗ばみ、心臓がまだ早鐘のように打っていた。
「……あなた、何があったの?」
返事がないことはわかっていても口に出してしまった。誰かに追われていたのか、それとも、ただ飢えて倒れていたのか。
何もわからない。
でも自分の手で意思で初めて人の命を救ったということが嬉しくてたまらなかった。
「名前……知りたいな」
まだ眠ったままの少年の髪をそっと撫でながら、私はぽつりと呟いた。